二話 第二章~生徒会、邂逅~
生徒会室には俺達五人を除くと、五人の女生徒の姿があった。
その中には当然、西口さんの姿もある。
五人が生徒会役員ということは、考えなくてもわかる。
「生徒会室へいらっしゃい。生徒会長の三年、間宮雫です」
入る前に返事をした声の主は生徒会長だったようだ。
扉の正面の机に座っている時点で生徒会長というのは察することはできていた。
(あれ?この人……)
声といい見た目といい俺はこの人にあったことがある。
そうなると昼に西口さんが話していた、俺と生徒会長が知り合い説が真実の可能性がでてきた。
だがいくら記憶を探っても『間宮雫』という名前に心当たりはなかった。
生徒会長は簡単な自己紹介を終えると、扉の前で立ったままの俺達の方へと歩み寄ってきた。
正確には俺達ではなく、俺のもとへとやってきた。
「柏木くん、久しぶりですね」
生徒会長は少し恥ずかしそうに俺から視線を逸らし挨拶をしてくれた。
「孝太さん、会長さんと知り合いだったんですか?!」
「柏木くん、いつの間に……」
「お姉も光ちゃんも驚きすぎだよ」
葵さんと光さんも驚いているが、一番驚いているのは俺自身だ。
「こうちゃん、さっき知らないって言ってたよね?!」
そして、一番動揺しているのは雪だ。
俺の制服を掴み激しく揺さぶってくる。
「ゆ、雪。俺も、覚えてないんだ!」
「やはり、そうですよね……」
俺の言葉に反応したのは雪ではなく、生徒会長の方だった。
寂しそうな表情をし俯いてしまった。
「おい、転校生!うちの会長泣かせてんじゃねぇよ!」
生徒会役員の一人が荒い口調で俺を叱咤してきた。
泣いてはいないが、確かに覚えていない俺が悪い。
雪も可哀想になったのか、俺を揺するのを止め生徒会長を心配するように見ていた。
それは雪だけではなく、一名を除き当事者以外のその場にいた全員も同じような反応だ。
「え!何この空気?」
この言葉は俺ではなく会長が発したものだった。
俺ではなく会長が戸惑ってしまっている。
「会長が可哀想だったんで、つい……」
代表して答えたのは西口さんだった。
「ううん。確かに少し寂しかったけど、あの時は名前も名乗らなかったし、話した時間も短かったから覚えてもらえてないのは覚悟してたんだよ」
「えっと、すみません。俺の記憶力がなくて」
生徒会長の言っていることは本音なのかどうなのかは知らないが、俺が覚えていなかったことには変わりはない。
「だから気にしないで……でもせっかくだから思い出してほしいな。ヒント一、春休み」
一つ目のヒントの春休みが意味することは、俺がこっちに引っ越してきてすぐに会った人に絞られる。
「ヒント二は、デパ地下。ヒント三は、バイト」
「そういえば、会長は春休み中にデパ地下でバイトしてましたね」
西口さんが三つのヒントをまとめてくれた。
「デパ地下……バイト」
春休み中にデパ地下で買い物は何回もしたが、三つ目のヒントで謎は解けた。
「思い出した!あの時の新人のバイトさん!」
「正解!」
よほど嬉しかったのか、生徒会長としての威厳は全く無く、無邪気に喜ぶ女の子になっていた。
生徒会長は無意識のうちに俺の手を握り、体を詰め寄らせてきた。
「何やってるんですか!」
雪がいち速く俺と生徒会長の間に入り、生徒会長が握っていた手を引き離した。
「それより、会長。私達は完全に置き去りにされているんですが」
西口さんの指摘は至極真っ当だ。
他の生徒会役員も一人を除いて、同意するように頷いている。
「孝太さん、私たちにも分かるように……」
(あれ?葵さんは分かってるはずなのに…俺みたいに忘れているのか?)
「そうだよ、こうちゃん。詳しく教えて」
雪や光さんは知らないのは当然だ。
薫ちゃんも首を傾げている状態で、多分この様子だと薫ちゃんも忘れているのだろう。
もっとも、実際に関わったのは俺だけで葵さんと薫ちゃんは遠くから見ていただけだったので覚えていなくて当たり前なのかもしれない。
「なら、私が代わりに教えますね。私は春休み中にここの近くにあるデパートの地下にある食品売り場でバイトしていたんです」
俺に代わり生徒会長が饒舌に語りだした。
「そういえば、四月の一週間だけ短期でやるって言ってたです」
「確か、お小遣いがピンチだったんだっけか。甘いもの食べ過ぎて」
「もう!話の腰を折らないでよ!」
一人を除き生徒会役員全員が笑いだした。
以外にも西口さんもだ。
生徒会長は怒ってはいるがあまり怖くはない。
生徒会長が怒ったことで空気を読み生徒会役員の三人は笑うのをやめた。
呆れつつ生徒会長は続きを話し出した。
「もう……それでバイトを始めたのは良かったんだけど、研修とかなくていきなりレジ任されちゃってね。最初は教えてくれるバイトの先輩とかもいたんだけど、夕方になって忙しくなったら誰も教えてくれなくなって、大分お客さんを待たせて列ができてしまっていた時にここにいる柏木くんが助けてくれたの」
あの時はこの街に引っ越してきた当日だった。
俺と葵さんと薫ちゃんは食材を買いに行ったときに、俺が放っておけなくて助け船を出した時のことだ。
「あ、思い出した!それって一番最初に孝太さんと出掛けた時だ!」
「あれって会長さんだったんですか!」
二人とも思い出したようだ。
俺にとって、それほど印象に残るような出来事ではなかったからわ忘れていたが、二人の言い方からだと、遠くで見えなかったから分からなかったのだろう。
「あの時、一緒に居たのって牧瀬会長の妹さんたちだったんだ」
生徒会長も二人の存在には気づいていたが、誰だか分かっていなかったようだ。
「お姉はともかく、何で私のことも知っているんですか?」
「よく牧瀬会長が可愛い妹が二人いるって話していて、葵ちゃんとは何度か会ってるし、その葵ちゃんのことを『お姉』って言ってたから、すぐわかったよ」
「なるほど……」
生徒会室に入ってすぐには言っていたから、その時には気づいてたのだろう。
「ということで、柏木くん、ようこそ生徒会へ」
生徒会長は俺の手を再び握った。
今度は握手という形で。
「……へ?」
俺は呆気にとられ情けない声を出してしまった。
『えー!!』
一拍遅れて俺を除く四人に加え、生徒会役員の西口さんも驚きの声をあげた。
「何を驚いてるの?話は萌ちゃんを通して伝わってるんだよね?」
「いや、伝わってはいましたが……」
「それで、放課後に見学を兼ねて来るんじゃなかったの?」
「いやいや。会長、話聞いてました?彼は断ったんですよ。それで部活動を創るから来たんですよ」
二人のやりとりからするに伝達ミスに近いものだが、生徒会長が西口さんの話を聞いていなかったための誤解と受け取れる。
というより、俺一人で来てない時点で気がついてもいいと思う。
「そんなこと言ってたっけ?」
生徒会長は他の役員に尋ねたが、全員頷いている。
「会長さんは自分に都合が悪いところはカットするんです」
俺達にも分かるように説明してくれた。
「じゃあ、生徒会には入ってくれないの?」
生徒会長は再び俺へと向き、目を潤ませながら懇願してくる。
彼女には悪いがここは心を鬼にしないと、飲み込まれそうだ。
「そうですね。俺には約束がありますから」
「孝太さん……」
声だけで葵さんが嬉しそうに呟いていたのがわかった。
「そっか……」
生徒会長は肩を落とし何かを考えるかのように俯いてしまったと思ったら、すぐに顔を上げ高らかに宣言した。
「なら、柏木くんにはその約束を諦めてもらわないといけないね」
「それはどういう意味ですか?」
葵さんがムキになり、生徒会長へ聞き返した。
「葵ちゃん、あなたなら生徒会がいかに諦めが悪いかご存じのはず。優秀な人材を逃すわけにはいかないわ。ねぇ、みんな?」
それが当たり前であるかのように生徒会長は生徒会役員全員に同意を求めた。
『……』
しかし、誰一人として生徒会長の言葉に頷く者はいなかった。
「ちょっとみんな!そこは首を縦に振ってもらわなくちゃ困るよ!」
生徒会長が懇願しても曖昧な笑顔のまま各々が自分の意見を語りだした。
「部活動を創ろうとしているので、無理に誘わなくても……」
「どうせアタシらが任期を終えた後に入るんだから、正直誰でもいいんだよなー」
「わたしも萌ちゃんと一緒です。他を探せば良いと思うです」
三人とも俺達の味方らしく、取り敢えずは一安心だ。
「うぅ……哉ちゃんは!」
「……別に」
俺達の前で一度も話さなかった少女はまるで他人に興味がないといった感じだ。
生徒会長を一瞥し、再び読みかけの本へと目を戻した。
「みんな、テスト結果見たときは賛同してくれたじゃん!」
「ですから、向こうに事情があったら別ですよ」
「あの、生徒会長……」
こうなってしまえば生徒会長の独り善がりになってしまう。
これ以上はこちらとしても虚しくなるので部活動の件を急かすことにした。
生徒会長を呼ぶとギロリと鋭く睨まれた。
「雫……」
「え?」
「雫って呼んで!」
睨まれた理由がまさかの呼び方だった。
てっきり悔しくてだと思っていた。
ここで断る理由も特に見つからず、会長の願望を聞くことにした。
「えっと……雫会長」
「違う。雫だよ」
これは、『会長』を付けるなと言っていると受け取れた。
「雫先輩?」
「それも違う。雫だって」
「雫……さん」
「呼び捨ててで」
さすがにそれは無茶な要望だ。
「ほぼ、初対面でそれも年上を呼び捨てなんてでかるわけないじゃないですか」
「もう柏木くんは真面目だな。じゃあ百歩譲って雫ちゃんで……」
「じゃあ雫さんで」
泥沼にはまりそうだったので、雫さんの言葉を遮り早々に終わらせた。
「なんか付き合いたてのカップルみたいな会話でしたね」
然り気無く薫ちゃんの言った言葉に、俺と葵さんと光さんは瞬時に危機感を覚えた。
「カップル?」
案の定、雪は肩を震わせ怒りを露にしはじめている。
薫ちゃんも自分で言ったことに気がつき、しまったといった表情をしている。
「ゆ、雪さん、あれは言葉の綾で」
「薫ちゃん、分かってるよ。あの女が馴れ馴れしいんだよね」
雪は何も分かってはいなかった。
だがすぐにでも噛みつきそうなのに、今回は持ちこたえている。
西口さんも何か良からぬものを感じたのか、すぐさまフォローに入った。
「会長、話が大分変わってます。というより会長はどうしてそこまで彼に拘るんです?」
(……あれ?)
西口さんの発言に何か違和感をおぼえた。
それは雪も同様らしく怒りを忘れ、何かを考えるかのようにしている。
だが、その違和感の正体が分からない。
そんな俺達二人にはお構いなしに、会話進んでいた。
「それはね、萌ちゃんが好きな恋愛ものの漫画でよくある『運命』だからだよ」
(へぇ~西口さんって恋愛系の漫画が好きなのか)
一旦、違和感については考えることを止め雫さん達の話をちゃんと聞くことにした。
何を言われるか分からないので、しっかりと聞いておく必要があった。
「運命……ですか?」
「そう。バイト先で困っている私を助けてくれた見ず知らずのイケメンが同じ学校に転校してきたんだよ」
「それは……まぁ」
西口さんが言いくるめられそうになっていた。
雫さんの言い方は決して間違っているとは否定しがたいとこがある。
「いや、だとしても本人に入る意思がない以上……」
「それだわ!」
西口さんは言いくるめられることはなく、雫さんに反論を試みた。
だがその結果雫さんが何かを閃いたらしい。
非常に嫌な予感がする。
「柏木くんに、生徒会に入りたいと思わせればいいのよ!」
「いや、だとしてもアタシ達は別にそこまでソイツに入ってほしいとは思ってないわけで」
雫さんの言っていることは勧誘するにあたって大事なことだが、今回の場合はそこまで有効な手ではない。
まず、俺が何を言われても意思が揺らぐことがないということ。
そして、他の生徒会役員が積極的ではないということだ。
「なら、みんなも彼が生徒会に入ってほしいと思えばいいんじゃないかな?」
「まぁ、それはそうだが」
返事に困っている様子だ。
雫さんの言っていることはさっきから妙に正しいので、否定をしきれないのだろう。
「待ってください。そちらとしてはそれでいいでしょうけど、私たちには何のメリットもないじゃないですか!」
一方的に話が進んでいたが、光さんが横槍をいれた。
光さんの言っていることもまた、的を射ぬいている。
「そうね。でも私達も諦めるわけにはいかないの」
「さらっと数にいれられてるです」
雫さんは強気だった。
まるでさっき言ったこと全てを実現することが可能であると態度で示していた。
「それじゃあ、柏木くんが来てくれるように、まずは私達の紹介するね」
むしろ、ここまで紹介されていなかったのが不思議なくらいだ。
俺と雪それに薫ちゃんにとっては初対面に当たる。
「まずは私から、生徒会長の……」
「あ、それは知ってます」
雪が笑顔でズバッと切り捨てた。
やっぱりまだ根にもっていたようだ。
でも、雫さんのことはもう十分に理解していると思う。
「なら、柏木くん。生徒会に入ったら私が付き合ってあげる」
『なっ!』
雫さんの突拍子もない発言で全員が硬直した。
(もしかして、俺を入りたくさせるってこういうことか?)
「私みたいな美少女と付き合えるんだよ?」
(自分で言うか?……確かに美少女ではあるが)
「残念ですね会長さん。こうちゃんの周りには私という美少女が既にいるんですよ!」
雪が会長に張り合い始めた。
何でこの二人はここまで、自分に自信をもって言えるのだろうか。
だが、その勢いは二人だけには収まらなかった。
「そうです。葵という美少女もいますし」
「光?!それを言うなら光の方が可愛いよ」
俺の身内の大半が張り合い出した。
薫ちゃんは俺の肩に優しく手を置き、『任せて』と小声で俺に囁いた。
俺は黙って、薫ちゃんに委ねることにした。
「はい、ストップ。今は美少女とかどうでもいいの!そんな無駄なことしてるんだったら、孝太さんは私が貰うよ?」
『それはダメ!』
三人はピッタリと息を合わせ薫ちゃんに詰め寄った。
矛先を自分に向けさせることで収拾をつけたが、そういうやり方はあまりしてほしくはなかった。
「薫ちゃん。気持ちは有り難いんだけど、自分を犠牲にするやり方は止めてほしい」
「アハハ……ごめんなさい」
「別に怒っているわけではないんだ。だからそんなに気にしないで」
「こうちゃんが、それを言う?」
「うっ……」
他人にはこう言っているが思い返せば、自分自身はやっていなくもない。
「柏木くんはやっぱり優しいんだね」
事を起こした当人はいつの間にか傍観者へと回っていた。
「雫さんは雫さんで自分を犠牲にしないでください」
「そんなことしてないよ?」
本人は自覚がないのだろうが、俺としてはこのままだと後味が悪いので続けさせてもらった。
「してます。一時の気持ちとか勧誘のために自分の気持ちを代償にしてるじゃないですか」
「でも柏木くんのことは嫌いじゃないし、なんなら好意を寄せているよ?」
今までの経緯からしてそうなのだろう。
だけどそれは、一目惚れに近いものであって一時の気の迷いかもしれない。
「確かに気持ちは嬉しいですけど、そういうのは本気で好きになった相手に言わなきゃ意味ないと思うんです。でないと後に後悔するのは自分自身ですから」
「そんなこと言われたら、本気になっちゃうよ?」
『それもダメー!』
葵さん、雪、光さんの三人は先程薫ちゃんに対してのリアクションと全く同じものをとっていた。
俺も何て答えたらいいか困っていたので助かった。
これ以上は、本人も自粛し一区切りついた。
「まぁ、私のことはここまでにして、次は萌ちゃんね」
「私ですか?!」
全員が落ち着き静かになったことで、雫さんが紹介の続きを再開した。
「だって萌ちゃん、薫ちゃん以外とは面識あるから時間かけずに済みそうだからね」
「はぁ……」
西口さんは明らかに不満そうだった。
(あ!そういうことか)
二人のやり取りを見ていて、何に対しての違和を感じたのか分かった。
西口さんの感情的な表情や仕草に対してだ。
朝や昼に俺と話したときは、感情を表に出さず礼儀正しいものだった。
だが、今は一転して俺以外と話すときは普通の女の子の様に感情的にもなりつつ会話をしている。
雪が彼女に会ったときも俺と話した一回きりしかない、そのため俺と同じように違和を感じ、葵さんや光さんはいつもの彼女を何度も見たことがあるため特に何も感じなかったのだろう。
「ん?どうしたの?柏木くん」
俺が西口さんを凝視しているのに気づき、西口さんの近くに移動していた雫さんが俺に尋ねてきた。
「いや、その、俺と話している時と印象違うなって思って」
「そうだよ、こうちゃん。確かにもっとお堅いイメージだった」
雪も違和感の正体に気づいたのと同時に、雫さんがニヤニヤとしだした。
何か面白いことを思い付いた様な顔だ。
その表情に気づいているのは不幸なことに俺だけだった。
「確かに朝に話してたときはいつもの西口さんじゃないって感じだったね」
光さんの言う通りなら、やはり今の西口さんが素の彼女であることになる。
そして、ついに雫さんが動き出した。
「ねぇ、萌ちゃん。何で柏木くんの前だとキャラ変わるの?ねぇねぇ」
あれが同級生の男子なら間違いなく殴っている。
「そ、それは……」
「それは?」
いつの間にか雫さんだけでなく、俺と本をずっと読んでいる彼女を除き全員が耳をたてている。
「王子様みたいだったから……」
「え?何?声が小さくて聞こえないよ」
雫さんはしれっと嘘をついて西口さんをからかい続けている。
室内のほぼ全員が静かなせいか西口さんの声は距離があった俺にまで重要な部分は聞こえてきていた。
ただ、声が小さくなっていったので後半に何か言っていたのなら聞こえてはいなかった。
照れのせいなの完全にパニック状態だ。
「……ですから、王子様みたいだったから緊張したんです!」
二度も聞くとこちらとしても照れる。
「本当にそれだけ?」
更に雫さんは西口さんを、追い詰める。
よもや西口さんは正常な判断をできていない。
「初対面で気遣ってくれたし、イケメンだし、いい匂いするし」
多分、西口さんは自分で何を言っているのか分かっていないのだろう。
雫さんは満足そうに西口さんに対して『そうだね』と言い宥めていた。
自分が原因であることを棚に上げている。
「雫さん、その辺にしといてあげてください」
「もう、何もしてないよ。それより柏木くんこそどうするの?」
「?」
最初、雫さんが何を言っているのか分からなかったが薫ちゃんがチラチラと俺へ視線を送っていることに気がついた。
「薫ちゃん、どうしたの?」
「孝太さん、失礼します!」
薫ちゃんは俺の質問には答えず、俺の懐におもいっきり飛び込んできた。
「薫ちゃん?!」
突然のことで訳がわからない。
「もしかしてさっきの、こうちゃんを貰うってやっぱり本気だったんだ!」
いつもすぐに止めに入る雪だが、薫ちゃんの行動が予想外すぎるためか、あたふたと何をするでもなく腕を振って周りをキョロキョロとしているだけだった。
葵さんと光さんは完全にフリーズしている。
「えっと、薫ちゃん?」
気まずくなり薫ちゃんに声をかけてみた。
俺の胸にしがみついている薫ちゃんをよく見ると、クンクンと匂いを嗅いでいることがわかった。
俺の声が聞こえ、薫ちゃんは俺からソッと離れた。
「あ、すみません。本当にいい匂いなのか確かめたくて、そしたらずっと嗅いでいたくなっちゃって」
その好奇心が西口さんの発言からきたものということは、すぐに理解できた。
「その、変な匂いじゃなかった?」
こういうときにかける言葉が思いつかず、つい感想を訊いてしまった。
「そんなことないですよ。むしろ離れたくないくらいです。香水とかつけているんですか?」
「いや、俺はそういうのはつけてないよ」
香水をつけていると思われるくらいなら、言われて悪い気はしない。
父さんには『つけた方がいい』とよく言われるが、俺自身興味が無いことと俺がファッション系に関して疎いこともあり、つけることはなかったが薫ちゃんのお墨付きを貰えたならしばらくは必要なさそうだ。
「えい!」
薫ちゃんは『離れたくない』という言葉通り俺に再び抱きついてきた。
「薫ちゃん、二回目はないんだよー?」
雪がすかさず俺から薫ちゃんを引き離した。
薫ちゃんに対する対応もできるようになったということだ。
「そっちも落ち着いたみたいだね」
何処から見ていたか知らないが、雫さん達の方も西口さんの調子が戻り俺達が一段落つくのを待っていた様子だった。
「あ、すみません」
「いやいや、原因はこっちにあるから」
「取り乱してすみませんでした」
西口さんが申し訳なさそうに謝っているが、悪いのは雫さんだと俺は思う。
西口さんは一度咳払いをし仕切り直した。
「それでは改めて、生徒会副会長の西口萌です。二年なので色々と関わることが多いと思いますので、よろしくお願いします」
「ということで、どう?柏木くん。生徒会に来たくなった?」
どこをどう捉えればそう思えるのか俺には、というより雫さん以外には分かっていなかった。
「んー。西口さんが魅力的なのは分かりましたけど、俺が生徒会に入るのとは関係ありませんよね?」
「はうっ」
西口さんは可愛い声を出したあと、急に顔が赤くなり動かなくなってしまった。
雫さんがまた何かやったのだろうか。
「柏木くん、なかなかやるわね」
雫さんが俺に対して驚嘆しているが、そう言って俺に罪を擦り付けようとしているのは間違いない。
『はぁ』
俺の味方であるはずの四人までもがため息をもらした。
(もしかしたら本当に俺のせいなのか?)
だが何もしていない以上、俺は無実だ。
雫さんは動かなくなった西口さんを自分の席に座らせると、また俺達の前へと移動した。
「萌ちゃんの魅力をもっと伝えたかったけど本人がああなってしまったので、次は彼女の紹介よ」
雫さんが指差したのは、小林先生よりも男勝りな話し方をしていた少女だった。
「ん?アタシか?」
少女は自分が指されたことに気づくと、席を立ち雫さんの隣にやって来た。
俺達を一通り見渡すと自己紹介を始めた。
「アタシは三年で副会長してる山吹叶だ。はじめましては転校生二人と新入生の三人か。よろしく頼むな」
多少は気は荒そうだが、馴染みやすそうで良い人そうだ。
「それにしても凄いメンバーだよなー。牧瀬先輩の妹二人に噂の美男美女転校生、それと巨乳か」
巨乳というのは光さんのことを言っているのだろう。
今まで意識したことはなかったが言われてみれば確かに大きかったかもしれない。
ここで光さんを見たら間違いなく雪に殺されるので、自粛を余儀なくされた。
「なんか私だけ扱い酷いような…」
光さんの落ち込む声が聞こえたが慰めるのは葵さんに任せることにした。
「見ての通り叶ちゃんは気ままな性格だけど、文武両道で特にスポーツに関しては生徒会一だよ」
「生徒会じゃなくて校内だ」
自信満々に上方修正するということは、山吹先輩が言っていることは事実なのだろう。
「そうだったね。運動部からも助っ人として引っ張りだこなんだよ」
「まぁ当然のことだ。それに比べて男共は柔だな。アタシの足元にも及ばない奴等ばかりだしな」
運動部から助っ人を頼まれる様な人がホイホイいるわけがない。
山吹先輩の基準が単に高すぎるだけだ。
「また、心にもないことを。叶ちゃん、外面はこうだけど内面はとっても乙女なんだよ」
「なっ!そ、そんなことあるわけないだろ!」
この慌てぶりは図星をつかれたときのものだ。
一同は優しい目で彼女を見ていた。
「そんな目で見るなよ!……恥ずかしいだろ」
間違いなく、その場にいた全員が彼女の恥じらう姿に胸を撃ち抜かれただろう。
「柏木くん、生徒会に入りたくなった?」
雫さんの作戦は山吹先輩のギャップを使った勧誘だったとは、思ってもいなかった。
今のは少々危なかった。
「生憎ですけど、何をやっても結果は同じですよ」
俺も少し強く出てみると、雫さんは何かを考え始めた。
おそらく作戦を変更するのだろう。
その間に山吹先輩は落ち着きを取り戻していた。
「順番を変えましょう。まずは生徒会メンバーに柏木くんが入ってほしく思わせるのが先のようね。ということで、叶ちゃんは男が生徒会に入るなら何を求める?」
「さ、さっきも言ったがアタシは誰でもいいが、男が入るならアタシくらいは運動ができるやつだな。まぁそんなやついないから、誰でもいいんだけどな」
山吹先輩の要求はかなりハードルの高いものだった。
それを本人は自覚している為か、ほとんど諦めているといった態度だ。
「柏木くんは…まぁ見た目からしてその条件は無理か」
「さっきから聞いていれば何ですか!こうちゃんは無理?勝手に決めないでほしいです!」
雪が突如怒りを爆発させた。
雪が両親にキレた時と同じキレ方をしている。
基本はキレると笑顔になるのだが、たまに感情を剥き出しで怒ることがある。
それが今回のようなパターンだ。
俺以外初めて見る雪の姿に目を剥いていた。
「雪、落ち着け。何故お前がキレてる?」
「だって、こうちゃんのことバカにしたんだよ!」
(原因は俺のことか……)
個人的にはバカにされた気はなく、雫さんもバカにしたつもりはないのだろうが、雪にはそう聞こえてしまったようだ。
「それは雪の考えすぎだ」
「この際だから、はっきりと分からせてあげないと」
雪は聞く耳をもってくれなく、俺の言葉を聞き流し自分のカバンを漁りだした。
取り出したのは一冊の集めのメモ帳だった。
表紙には『こうちゃんメモ』と記されている。
タイトル通りなら、俺のことについて書かれているのだろう。
これまで長い付き合いだが、そんなメモを初めて見た。
「……あった。これを見てください」
雪は目的のページを探り当てると、雫さんと山吹先輩に見せつけた。
(俺にも見せてほしい……)
何が書いてあるのか、気になってしょうがない。
「これって柏木くんのスポーツテストの結果?」
「そうです」
スポーツテストは年に一度、学生の身体能力を測るテストで幾つかの競技のを行う。
各競技には記録によって十点満点でポイントが振り分けられ合計点数により評価が決まるというものだ。
「ちょっと待て。何で知ってるんだよ?!」
俺はこの結果を雪に見せた覚えはない。
第一、このことを聞かれたことすらなかった。
「え?」
雪は『何いってるの?』と言った表情をしている。
まるで知っていて当然ということを物語っている。
(落ち着け……もしかしたら俺が覚えていないだけで言っていたのかもしれない)
無理矢理自分の中で納得させた。
「ちょっとよく見せてみろ!」
俺と会話していた雪の手から山吹先輩がメモ帳を奪い食いつくように読んでいる。
「どうしたの?叶ちゃん」
雫さんはまだ見終わっていなかったのか、山吹先輩の後ろに回り覗き込む形で読んでいる。
「……なぁ柏木。ここに書いてあることは本当か?」
読み終わった山吹先輩が低いトーンで真意を尋ねてきた。
俺に尋ねられても困る。
「まず、何が書いてあるのかすら分からないんですけど……」
「なら確かめてみろ」
そう言って山吹先輩はページを開いたまま俺にメモ帳を押し付けた。
「私たちにも見せてください」
葵さん達も気になっているようなので、俺と葵さんと光さんと薫ちゃんの四人で見ることにした。
メモ帳は見開きになっており、右側のページの上部に昨年度のスポーツテストの結果であることが記されていた。
そこから下は表グラフになっており、左側のページの半分まで書かれていた。
それも競技ごとの記録と評価が正確にだ。
「間違いなく俺の去年の記録ですね」
俺がこのページを見ただけで、このメモ帳が恐怖の対象にしか思えなくなっていた。
他のページにも俺のことがこと細かく書かれているのを想像すると、ゾッとする。
一方、俺と一緒に見た三人はメモ帳を見ながら各々感想を述べていた。
「孝太さん、凄いですね」
「どれも良い記録だもんね」
「というか評価も最高だし」
三人とも誉めてくれているので、こちらとしては照れくさい。
先程までキレていた雪も、満足そうな笑顔でその様子を見ていた。
問題は俯いてしまっている山吹先輩だ。
ついには口元を手で覆い、肩を小刻みに震わせ始めた。
「叶ちゃん?」
隣にいる雫さんが心配そうに山吹先輩の背中に手を優しくそえた。
その瞬間、山吹先輩はイッキに顔をあげ、衝撃で雫さんが少し仰け反った。
「ククク……アハハハ!すまん。笑いを堪えるのに必死だった」
隣にいた雫さんと俺は状況が飲み込めず、お互いに顔を見合わせた。
俺達はてっきり山吹先輩は泣いているものだと思っていた。
確かに涙は浮かべているが、それは笑いすぎによるものだった。
考えてみれば、泣かすようなことをした覚えはないので泣いているわけがなかった。
雪のメモを見ていた葵さん達も、興味の対象は山吹先輩へと移行している。
「叶ちゃん、急にどうしたの?!」
ようやく事態を把握できた雫さんが慌てて山吹先輩に訊ねた。
「いや、嬉しくてつい。アタシよりも運動できてそれが男っていう事実がな。それに実はアタシは柏木のことは会長の話を聞いたときから、認めてはいたんだよ」
「え……」
山吹先輩から語られた真実に雫さんは呆気にとられていた。
「大抵のやつは困っている人がいても見て見ぬふりをするのに、進んで助けに行けるってかなり勇気がいると思うんだよ。それをコイツは平然とやるということだけで、アタシにとって見処のあるやつだと思ったんだ」
「叶ちゃん……」
俺のことを誉められているはずなのに、雫さんが喜んでいた。
ついでに雪までも嬉しそうに微笑んでいる。
だが山吹先輩の俺へ対する誉め殺しはこれだけでは終わらなかった。
「そんなやつが、勉強もできてアタシよりも運動もできる……文句なしだな!会長、アタシもコイツを生徒会に入れるのを協力するぜ」
「……え?そ、そう!よかった」
雫さんが望んでいたことなのに、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になっている。
それほど想定外の展開なのだろう。
それは俺達にとってもだ。
「山吹先輩は私達の味方じゃなかったんですか?!」
「別に味方とは言ってないだろ。まぁお前のメモのおかげで気が変わったんだがな」
「そんなぁ……ごめんね。みんな」
雪がメモ帳を見せなければ、山吹先輩の意思が変わることがなかったと考えると、かなりの痛手に繋がるかもしれない。
だとしても、誰も雪を責める人はおらず『大丈夫だよ』と慰めている。
結局は俺の意思が変わらなければ問題はない。
それに他の三人の生徒会役員は俺のことを必要としていることはなさそうだ。
「さ、作戦通りね。さてお次は空ちゃんね」
「私もやるんです?」
雫さんに指名されたのは語尾に『です』をつけるのが特徴の幼い顔をしている少女だった。
「当たり前じゃない。空ちゃん、こっちに来て」
「はいです」
本人はあまり乗り気ではないのが見てとれたが、渋々と立ち上がり俺達の方へとやって来た。
少女が立ち上がって初めて分かったが、かなり小柄だった。
小学生くらいの身長だろうか。
高校生にしてここまで低いと本人も気にしている可能性が高い。
俺達の近くまで来ると、少し恥じらう様にモジモジとし始めた。
身長のことを触れないでほしいという、サインと受け取れた。
(なら、人のコンプレックスには触れないでおこう)
「ほら、空ちゃん」
会長が催促して、少女はようやく口を開いた。
「か、会計の湖上空です。二年生です。こ、高校生です!」
『……』
まさか高校の生徒会の自己紹介で高校生であることを強調されるとは思わなかった。
とてもシュールな発言に何も言うことができない。
「え?なんです?」
誰も何も言わなくなり、湖上さんは混乱していた。
その慌てる様子を見、初対面の雪と薫ちゃんは声をあ合わせて言った。
『子供?!』
「こ、子供……」
俺が止める間もなく言い放たれたその言葉は、やはり湖上さんにとっては禁句の領域だったようだ。
目には涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな勢いだ。
「確かに、空ちゃんは子供みたいだからね」
「語尾に『です』をつけるあたりが際立たせるんだよな。まぁ可愛いんだがな」
「ぐすっ……うわぁぁぁん!子供じゃないでずぅぅ!」
雫さんと山吹先輩が畳み掛け、ついに泣いてしまった。
湖上さんを知る者にとっては日常風景らしく、この光景を笑顔で見守っている。
身長のことでいじられるのがお約束らしいが、どうも俺には乗りきれない。
コンプレックスのことをどうこう言われて、嬉しいはずがない。
心配している俺に『すぐに泣き止むから』と光さんは教えてくれたが、俺は放っておくことができず湖上さんへ近づき、ポケットに入っていたハンカチを差し出した。
「これ使って」
ハンカチを受け取ってはくれたが、そのハンカチを強く握りしめ泣き続けている。
彼女が同級生であるため発作が起こる可能性は大きかったが、そんなことを気にしている暇もなく俺は湖上さんに声をかていた。
「さっきは二人がごめんな。二人とも悪気があって言ったわけじゃないんだ」
「うぅ……どうせ、あなたも……私のこと空って名前なのに、小さいって、バカにしてるんです……」
(『空』って名前も気にしているのか……)
彼女にとって空は広くて大きいイメージなのだろう。
色々とこの娘も悩んでいることがわかった。
同時に同級生であることも意識したため、心臓が重く鼓動した。
「そんなこと思ってないよ。生徒会に入っているってことは、それなりに努力もしてるんだよね?俺はそんな人をバカになんかしないよ」
「でも……お子様だって……思ってるはずです……」
俺がこの娘にできる有効なことは一つしか思いつかなかった。
やっぱり俺は無茶をする性格らしい。
「それも思ってないよ。まず大前提として俺はロリコンじゃない。それを踏まえたうえで……」
「え……」
俺は湖上さんのハンカチを握っていない空いている手を俺の胸へともってきて、押し当てた。
突然のことで湖上さんは驚いていたが抵抗はしなかった。
「ほら、心臓の鼓動感じる?」
「……はいです。凄く早いです……」
その原因は俺が発作を我慢していること関係している。
心拍数の上昇は発作が起こる前触れ、言うなればギリギリを知らせてくれる警告だ。
「実は俺、女の子と話するの凄い苦手で、特に同い年の娘がね。毎回緊張しちゃってこんな感じに心臓が早く動いちゃうんだよね」
「それじゃあ……」
「うん。俺は湖上さんのことを同い年の女の子として認識してる。こうやって話している今も緊張してるしね」
「柏木くん……」
そろそろ本格的に危険だったので、優しく湖上さんの手を放した。
俺はそのまま四人のいる扉付近へと戻ろうと思ったが言い忘れていたことがあったことを思い出した。
「あ、それと、俺にとって空は無限に広がっているイメージがあるんだ。だから湖上さんも同じ様に無限の可能性をもってるって俺は思ってるよ」
「あ……」
少しでも自分の名前を良く思ってほしくての言葉だった。
俺は今度こそ四人の元へと戻った。
「孝太さん、大丈夫ですか?」
「うん。問題ないよ」
本当はちょっと辛いけど俺の発作のことをしている人が少ないいじょう、大事にはしたくない。
「こうちゃん、ごめんね」
「いや、謝るなら湖上さんに」
「そうだね……薫ちゃん」
「はい」
雪は薫ちゃんと一緒に湖上さんの前まで行った。
「湖上さん、無神経に気にしていることを言ってごめんなさい」
「すみませんでした」
「い、いえ大丈夫です」
二人は湖上さんに頭を下げ、湖上さんも多少戸惑っていたが二人を許していた。
もしかしたら謝られるってことがなかったのかもしれない。
泣いていたせいかもしれないが、少し顔も赤くなっていた。
「それじゃあ、無事解決したことで……」
「あの会長さん……」
「何?空ちゃん」
「私、柏木くんがほしい……です」
湖上さんが雫さんの言葉を止めて言った言葉は俺達にとって不都合なものだった。
「もしかして空ちゃん、柏木くんに惚れちゃった?」
「っ!」
湖上さんは否定するでもなく、顔をより赤くして俯くだけだった。
「恐るべし、孝太さん」
俺の隣で薫ちゃんが笑いながら呟いた。
だが、それは考えすぎだと俺は思う。
「ちょっと待ってよ薫ちゃん。俺が湖上さんみたいな可愛い女の子に惚れられるわけがないよ」
俺がその言葉を発した瞬間、空気が凍った。
湖上さんの顔は更に赤さを増し、他の人達は俺に冷ややかな視線を送っている。
そして、今のやり取りが完全に無かったかのように雫さんが話し出した。
「何がともあれ、これで空ちゃんもこちら側についたわ」
これで生徒会の過半数が俺達の敵に回ったことになる。
下手すれば申請を通してもらえないという事態もあり得る。
「なんか、ごめん」
原因はよく分からないが、取り敢えず謝っておくことにした。
「いいよ。あの場合はしかたなかったよ。でも今夜はじっくりお説教が必要だね」
やはり俺のせいであることは雪の笑顔を見て確信に変わった。
「棚からぼたもちとはこのことね」
一方の雫さんは凄く嬉しそうだ。
「さて、最後は哉ちゃんよ!」
「……」
残るはずっと本を読んでいて、一切会話にも入ってこなかった少女だけだ。
だが呼ばれた当の本人は雫さんの呼び掛けを完全に無視していた。
「ちょっと哉ちゃーん!」
雫さんが、少し泣きそうになっていた。
「……何?」
本を読んでいるのを中断され、少し不機嫌そうだ。
でも読んでいる本を途中でしかもキリの悪いところで中断されるのが嫌な気持ちは分かる。
「その、柏木くん達に自己紹介してほしいんだよね」
雫さんが珍しく下から頼みごとをしている。
雫さんにとって少し苦手意識があるのかもしれない。
「……はぁ……三年で書記の一文字哉」
『……』
ため息から入った自己紹介は必要最低限の情報のみで終了した。
「ちょっと、哉ちゃーん!」
耐えきれず雫さんが名前を叫んだが、本人は本へと視線を戻している。
雫さんは諦め、一文字先輩についての紹介を始めた。
「その、哉ちゃんは子供の頃から本が好きで、友達とかとも遊ばずにずっと読んで育ってきたせいかほとんど他人に無関心で…さっきみたいに最低限のことは話すんだけど。でも、知識は豊富で頭も良くて今回のテストでも満点を取る程の実力よ」
その知識が役に立つから生徒会に入れられたのだろう。
多分、本を読んでて構わない等の条件付きでだ。
でも、そんな人なら俺が生徒会に入るのを歓迎するとは思えない。
その逆もしかりだが。
「まぁ、アタシ等もあまり会話ができないのは見ての通りだがな」
山吹先輩の視線の先では、湖上さんが一文字先輩に話しかけていた。
「一文字先輩も協力してほしいです」
「……」
山吹先輩の言った通り、全く相手にされていない。
「……と、ところで何の本を読んでるんです?」
「……」
だが、この質問に対しては口頭で答えはしなかったものの、本のタイトルを見えるようにはしてくれていた。
「えっと『量子力学の基礎』です?」
湖上さんが口にした本のタイトルに俺は心当たりがあった。
中学や去年の夏まで俺は休み時間になるべく女の子と会話しないようにと、休み時間は本を読んだり勉強したりして過ごしていた。
彼女には及ばずながら、俺も本を読んだ冊数なら多い方で今も一人で居る時間は読むことが多い。
そんな俺が過去に読んだ本の中に、これと同じものがあったのを思い出した。
「懐かしいな」
「懐かしい?」
葵さんが不思議そうに訊ねてきた。
「中学の時に同じ本を読んでいたんだよ」
「中学って……ちゃんと理解できたんですか?」
中学生には難しいと葵さんは言いたいのだろうが、俺にとっては難なく読めた本だった。
「まぁね。まず、量子力学というのは現代物理学の根幹を成す理論の一つで、分子や原子、またはそれを構成する電子などを微視的な物理現象……」
「柏木くん、ストップ。頭痛くなりそう」
説明の序盤で光さんが止めた。
数学な苦手な光さんは後々数学的なものを出てくるといち早く察知したのだろう。
「ごめんね。光さん」
「いえ、柏木くんの凄さは伝わったよ」
伝えたつもりはないのだがそう捉えられたらしい。
ガタッ。
突如、物音が聞こえた。
意外なことに音を立てたのは一文字先輩だった。
「どうしたんです?!」
近くにいた湖上さんが急に立ち上がった一文字先輩に対して慌てふためいていた。
だがそれは無理もない。
ずっと読んでいた本を机に置いているのだから。
まだ、半分近くもあったので読み終えた訳ではないのだろう。
驚いているのは俺と雪と薫ちゃん、それに未だ現実に戻ってきていない西口さん以外全員だった。
彼女は注目を集めているのなどお構いなしに、真っ直ぐと俺の前へと向かってきた。
「……話は聞いていた。中学生であれを読んだのは凄いと思う。あなたはあれを読んでどんな感想だった?」
「でも読んでる最中だからネタバレになるんじゃ?」
「構わない」
一文字先輩が自分から話しかけるタイプではないと
思っていたが、本のことになれば例外らしい。
本人の許可を得ていたので素直な感想を述べることにした。
「そうですね……あの本はタイトル通り基礎についてだけ書かれてます。それこそ量子力学について全く分からない人が読むのには適している本だと思いました。でも俺はある程度分かっていたので、正直物足りなかったですね」
俺が感想を言い終えると、一文字先輩は俺をキラキラとした瞳で見つめていた。
彼女にとって質問の答えがどう思えたのかは知らないまま、一文字先輩は次の質問をしてきた。
「本は好き?」
「はい。オールジャンル読みますよ」
「それじゃあ……」
何かを言いかけて一文字先輩は自分の席へと急いで戻り、カバンから別の本を取りだした。
その本を持ったまま俺の元へと戻ってきた。
「この本は読んだ?」
一文字先輩が手にしている本は何十年も昔に外国で書かれた本の翻訳版だった。
タイトルは『闇の泉』という小説だ。
内容は二重人格の一国の姫の二十歳までを描いた物語だ。
俺はこの本を見せられ思わず興奮してしまった。
「勿論です!俺、この本好きなんです。今まで読んだ小説の中で一番」
「私も……好き」
つい手元の本にばかり目がいきがちだったが、我にかえり一文字先輩の顔を見ると、お宝を見つけたかのような嬉しそうな笑顔をうかべていた。
「うそ……哉ちゃんが笑ってる」
「初めて見た……」
一文字先輩が笑顔を見せることは俺もあまり無いと思っていたが、三年のお二人がこんな反応をするということはレア中のレアということになる。
でも共通の趣味や好きなものがあれば、誰でも嬉しくなるだろう。
一文字先輩は二人には全く見向きもせず、俺との会話を続けていた。
「どこが、好き?」
「読み手側次第で喜劇にも悲劇にも捉えられるところですかね」
人の人生を描いているため、苦悩はもちろんだが幸せも書かれている。
さじ加減でどちらにも捉えられるのは、読んでいて楽しい。
「私も同じ……あなた、名前は?」
ここまで意気投合していたのに俺の名前を知らなかったらしい。
話を聞いていなかったのだから、しょうがないわけではあるが。
「二年の柏木孝太です」
「孝太……覚えた。もう忘れない」
「哉ちゃんが他人に興味を持つなんて!」
雫さんはさっきから驚いてばかりだ。
「アタシ等なんか未だに覚えられていないのにな」
山吹先輩の発言を聞き、少しだけ照れ臭くなった。
「ところで、孝太はどうして生徒会室にいるの?」
「孝太?!」
(ツッコミ入れるところ、間違ってるぞ)
雪にとっては呼び捨てで俺の名前が呼ばれることに抵抗があるのだろう。
そんな謎を残しつつ、一文字先輩の問いに答えた。
「部活動を創るために申請書を出しにきたんです」
「そう……なら、私も孝太と同じ部活に入りたい」
「へ?」
「それはダメだよ!哉ちゃん、生徒会役員なんだから」
突拍子もない一文字先輩の提案はあっさりと却下された。
(でも何で急に?)
「なら、会長。孝太を生徒会に入れたい」
『は?!』
俺達は五人揃って大声を出す程、驚かせた。
「哉ちゃん!よく言ってくれたね!でもどうして?」
雫さんの疑問はみんなの疑問だった。
「初めてだったから。こんなにも話が合う人。初めて人と話していて楽しいとも思えた。だからもっと話したいと思った」
一文字先輩の心の声を聞いてしまって躊躇ってしまった。
他人に全く興味がないのではなく、他人と話が合わなくて興味を持てなくなっていたのだと分かったからだ。
「哉ちゃん……」
さすがに雫さんも同情を隠せていなかった。
「でも、これで生徒会は全面的に柏木くんの獲得に全力を尽くすことができるわ」
雫さんの一言で空気は一変した。
一文字先輩には申し訳ないが、俺にも約束がある。
「あれ?何があったんですか?!」
少しピリピリとした雰囲気の中、水を差したのは西口さんだった。
ようやく現実に戻ってこれたらしい。
「話せば長くなるから後でね」
「はぁ…それより申請書は出したんですか?」
それは俺達に対しての質問だった。
俺はこれをチャンスと思い、直ぐ様葵さんの持っていた申請書を西口さんに提出した。
「えっと『コミュニケーション部』ですか。活動内容は生徒の悩みや相談事を解決……良い部活ですね。それじゃあ承諾しましょうか」
西口さんは申請書を読み、申請の印をを押そうとしたところを雫さんを含め、生徒会全員に止められた。
「ちょっと待って!萌ちゃん!」
「え!な、何ですか?!」
先程までの流れを知らない西口さんは状況が分からず混濁していた。
「萌ちゃんは部活動創設に賛成なの?」
「賛成も何も変な部活より断然ましですよ。生徒の役にも立っているんだし」
謎の部活が多数存在するこの学園としてはまともな部類に入るのだろう。
頼みの綱は西口さんしかいなかった。
「でも、柏木くんが取られちゃうのよ?」
取られるも何も、元からこっち側だ。
「会長の我が儘で縛るのは可哀想ですよ」
「いや、生徒会全員柏木くんの生徒会入りをご希望よ」
「え?!」
雫さんの言葉に他の三人は頷いていた。
西口さん一人だと手に負えないと思い、俺達も援護することにした。
「それって職権乱用じゃありませんか?」
仕掛けたのは薫ちゃんだ。
「確かにそうね…なら、こうしましょう。柏木くんをめぐって勝負しませんか?」
勝負となれば負ければ相手に何も言えなくなることを考えると、一見無茶苦茶だが雫さん達には都合の良い提案というわけだ。
「でもそれって、私たちにはメリットがありませんよね?」
今度は雪が反論したが、答えを用意していたかのように雫さんはすぐに応えた。
「そんなことはないよ。あなた達が創ろうとしている部活は生徒の悩みや相談事を解決するといったもの。だったら生徒会よりも優れていることを証明した方がいいのでは?」
雫さんの言葉に雪は言葉が詰まってしまった。
生徒達が生徒会を頼りにしている現状では、肩書きがあった方がいいのは間違いない。
「でも、そんな度胸あるのかな?牧瀬会長の妹と言っても姉よりもきっと劣っているだろうし、柏木くんにストーカーの様にくっついている娘にただ可愛いだけの巨乳ちゃん。それとほぼ女子の学校で女の子が苦手な人に生徒を救えるどころか、私達と戦うのが怖がってる臆病な人達だもんね」
明らかに挑発だった。
さすがにこんなのでは俺も心を乱すこともなく、冷静にツッコんだ。
「俺が苦手なのは女の子じゃなくて同い年の娘だけですよ」
「やはり柏木くんは無理だったか」
本気で乗せられると思っていたのなら、雫さんはかなりの大物だ。
「何も知らないくせに……」
「雪?」
雪の様子がおかしい。
まさかとは思うが会長の言葉を真に受けてしまったのではないのだろうか。
雪が怒る前の状況と通ずる状況だ。
「こうちゃんのこと何も知らないくせに!…それに私はストーカーじゃないです!そこまで言うなら私の実力も見せてあげます」
「あ!」
俺は手で顔を覆い隠した。
そのまさかだったからだ。
こうなってしまったら俺でも落ち着けるのは難しい。
そして負の連鎖は続く。
「可愛くて巨乳って一見褒めてますけど、裏を返せばそれ以外何もない無能って言ってますよね?!私も有明さんに賛成するよ」
「なっ」
俺は言葉を発することすら許されなくなっていた。
俺の言葉を遮って次々と言葉が飛び交う。
「暦姉は確かに優秀だけど、私たちだって負けないところだってあります!お姉!ここまで言われて黙っていられる?!」
「そうだね。さっきから黙って聞いていれば好き勝手言って……勝負します!孝太さんも渡しませんし、部活動も創ります!」
「ちょっ」
俺が生徒手帳を読んで分かってはいたが、生徒会にそこまでの権限はない。
この場合は部活動創設の方を優先される。
そのことをわかっている西口さんも頭を抱えていた。
「なら決まりね。勝負は三本勝負で勝負内容はこちらで決めるわ。勿論ハンデはあげるわ。勝負は明日の放課後、生徒会室集合で」
ハンデがあるとはいえ、こちらは大分不利なことには違いない。
「わかりました。それでは、失礼しました」
葵さんが同意し、戦闘モードの少女たちは退室した。
「柏木くんは帰らないの?」
最後に残った俺に会長が優しい口調で訊いてきた。
はっきり言って、この場でまともなのは俺と西口さんだけだった。
だがここまできたら、引き返せない。
「帰りますよ。雫さん、最初に言っときます。勝つのは俺達ですから」
「楽しみにしてるね」
俺は雫さんに宣戦布告し、俺も生徒会室から退室した。
そんな俺の背中を雫さんは笑顔で見送っていたのは自信の現れなのだろう。
だが、どんな勝負でも負ける気はしなかった。




