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girls  作者: あべべ
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僕の目の前に立っているそれは、虚ろな目をしていた。手入れのされていない黒髪は腰のあたりまで伸びている。ぼさぼさだった。脚から手から何まで棒切れのように細く、折れてしまいそうだ。最も僕はそれを折りはしない。それの用途は折ることではないのだ。

僕は両手で握りしめた鈍く光るバットを、躊躇いもなくそれに、間違いなく少女の形をしたものに降り下ろした。


数週間前。僕はそれの存在を知った。味のしないコンビニ弁当を口に流しながらテレビを見ていた。日本では、女性を狙った暴行事件が多発するようになっていた。元々暴行事件などとうの昔からあったが、不景気とともに国民のストレスが高まり、一見平和と思われていたこの国を蝕んだ。いつの世の中でも女性と言うものはなんて不利なのだろう。男だから事件に巻き込まれることはないと断定は出来ない。だが、男で良かったなどと思う僕は最低な人間に違いない。

ニュースでは今日もどこかしらの県で女性が行方不明になっただの、突如殴られただの、強姦されただのと続けざまに報道されている。今や報道される事件のほとんどが似たようなものだ。初めは僕も驚いた。慣れてくるとああまたか、と聞き流すだけ。僕には付き合っている女性はいない。気になる女性もいない。強いて言えば母が事件に巻き込まれやしないか心配ではあるが、大丈夫だろう。何せ事件の被害者は10代~30代の女性が八割なのだ。

そろそろ風呂にでも入ろうかと立ち上がりかけた時、キャスターの男性が言った。

「本日より発売される対ストレス緩和装置について、大臣が会見を行いました」

対ストレス緩和装置。噂には聞いていたが、とうとう販売か。その名の通り、現代に蔓延る異常なストレスを緩和する為に開発されたものだそうだ。その装置がどんなものかは公表されていない。装置を購入するには、精神鑑定を受ける必要がある。ストレスの度合いなどにより、どの装置が適正かを決める。装置にもいくつかタイプがあるらしい。時間も手間もかかる。おまけに金もかかりそうだ、こんなこと無意味なんじゃないか。僕と同意見の記者が大臣に尋ねた。

「初めの一ヶ月は試用期間ですので、無料で提供します。一ヶ月が過ぎたとしても、保険が効くようになっておりますので」

うさんくさい話になってきた。眠気に負けた僕は、テレビを消してベッドに寝転ぶ。明日は久々の休みだ。たっぷり眠らなければ、僕まで対ストレス緩和装置のお世話になってしまう、なんて呑気に考えていた。


何かがけたたましく鳴る音で目が覚めた。初期設定のままの着信音。会社からだ。黒電話のベルの音は、僕を起こすのに不足ない。ベルの音で目覚める度に僕の心臓はバクバクとうるさかった。僕はくらくらする頭のまま、会社に向かう。明日まで休めない。いや、明日も休めない。ずっと眠れない夜が続いている。こうでもしなければ生活は成り立たない。しょうがないだろう。

不確かな頭とは反対に、足取りはしっかりとしていた。いつも通り会社に着く。エレベーターに乗る。6階のボタンを押す。ガラス張りのエレベーターが上昇し、寝静まらない夜の街が下へ、下へ。ピンポーンと扉が開いた。オフィスには同じく呼び出された社員が何人かと、部長の山垣がいた。煙草の臭いと、クーラーの22℃の冷風。僅かな光の中の、無機質に働く姿。うんざりだった。山垣が意気揚々と僕のデスクに書類を山程積んだ。

「さ!今日も仕事だ!」

山垣は眠れない時ハイテンションになるタイプの人間で、充血した目を爛々とさせ、饒舌に仕事の大切さを語るのだった。ストレスでおかしくなった人と接することで余計ストレスが高まる、と誰かがぼやいていたのを思い出す。

僕はまだ大丈夫だ。くだらないことだって多少は考えられる。誰かの言葉を覚えている。山垣よりはマシだ。コーヒー、メンソールを傍らに、パソコンを起動させた。


窓の外が明るくなる頃、うとうとしかけた僕の肩を山垣が叩いた。

「何か?」

「おい見ろ!ウチにもとうとう、ホラ!」

サンタからのプレゼントにはしゃぐ子供のようだ。唾を飛ばされ不愉快になる。山垣の大声が頭にぐわんと響く。

「…え?」

「だから対ストレス緩和装置だよ!!何回も言わせるなこのウスノロ!」

何回もって、一回しか言ってないだろ。相当頭やられてんだな。山垣が放った言葉に、怒りなど湧かなかった。それよりも、対ストレス緩和装置がなぜ会社に?と疑問があった。

「希望があれば会社ごとに普及されるんだよ。ウチには必要だろうと思ってな、試しにさ、へへ」

ウチには必要。そう、僕の勤める会社はかなりブラックだ。いくら不景気とは言え、休みは1年に一度、24時間勤務体制でいること、なんて条件の会社はそうそう無い。山垣は何か言いたげにこちらを見ている。相変わらず脂の乗ったきたねえ顔だな、と内心悪態を吐く僕に山垣はまた怒鳴った。

「上司の代わりにお前がまず使えと!どうしてそんなことが分からねぇんだよクズ!!もし俺や他の部下に何かあったら、どうしてくれんだよ!?ええ!?」

おお、びびった。僕の心を読まれたのかと思った。なるほど山垣は毒見して欲しいのか。僕と山垣以外、オフィスには誰もいない。僕より先に来ていた奴らは帰ったのか、帰らされたのか。ここで僕に対ストレス緩和装置を試しに使わせて何か問題があったとしても、山垣は恐らく僕が勝手に使ったなどと言い訳をして隠蔽するのだ。僕は対ストレス緩和装置がどんなものか、少し興味があった。怪我の巧妙と言うやつだ。山垣に乗ってやろう。

「分かりました。対ストレス緩和装置はどこに?」

「4階の物置にある。ほら、鍵だ。それと、説明書なんかは同梱されているみたいだからな、うん。まあ、上手くやれよ」

山垣は満足げな笑顔で僕を見送った。

僕は物置に向かう途中、様々な妄想をした。対ストレス緩和装置。脳から何か吸いとって、ストレスという概念そのものがなくなる。でもそれは緩和ではなく、消失になるのでは。初めから緩和ではなく、消滅や除去にした方が良い気がする。

物置の鍵を開けた。あまり物置に足を運んだことが無かった僕は、その埃っぽさに咳き込んでしまった。山垣はよくここに装置を保管しようと思ったものだ。古い書類が詰め込まれた段ボール箱が床一面を覆い、足場が無いに等しい。何とか足場を見つけ、装置を探す。装置と言うからにはそれなりに大きいはずだ。必死になって探していると、部屋の奥の隅に縦長の段ボールがあった。長さはおよそ150センチ前後。重さはわずかに重みがあるように感じる程度だ。もっと持ち上げられないレベルの重さだと思い込んでいたので、拍子抜けした。早速段ボールに貼られたテープを剥がす。段ボールの中には白いケース。これが本体なのだろうか。それと段ボールの内側に説明書がある。まず、白いケースの中身を確認したい。白いケースが本体であれば開かないはずだが、僕にはこの中に何かあるような、予感があった。ケースにそっと手をかけ、開きかけて、ぞっとした。黒い髪の毛のような何かが見えた。かなりまずいものだ、これは。思っていた以上に、嫌なものがある。しかし、やらなければならない。深呼吸をし、一気にケースを開けた。

そこには女の子がいた。虚ろな目をした、黒髪の女の子。何日も食事を与えられていない人間は、きっとこんな風になるのだろう。彼女は棒切れのような細さだった。怖い、と僕は本能的に後ずさった。人間の形をしているけど、人間じゃない。ロボットでもない。彼女から少し離れたところで説明書を読む。

あれが対ストレス緩和装置であることは分かった。僕には全くあれの使用方法が想像出来ない。説明書には、『強いストレスを感じた際、装置を利用して頂きます。使用方法は、装置を殴打して下さい。バットやゴルフクラブなどを使用することで、より効果が高まります』

と。ますます意味が分からない。あの女の子の形をしたものを、殴る。まるで一連の暴行事件のようではないか。犯罪抑止力が上がるはずもない。政府もおかしくなってしまったのだ。

僕はスプラッタものに耐性がない。ましてや生身の人間、いや正確には違うが、をバットで殴ればどうなるかなど分かっている。何故僕がやらなければならないんだ。山垣がやればいいんだ。あいつはしょっちゅう僕や他の部下に怒鳴る。人を平気で傷つけられる山垣ならば、僕より適任だ。誰かを殴りたいだとか、傷付けたいだとか、思わない。誰かを殺してやりたいとは、思わない。はずだ。不意に、山垣の罵声が、夜中に鳴り響く黒電話のベルの音が、政治家の顔が頭の中で押し寄せては混ざり、膨らんでいく。煩かった、全て。本当は、適任なのは僕だって、知っている。込み上げてくるものを抑え、物置を漁る。段ボールの中をひっくり返していく。よく見ると書類だけでなく、会社の歓迎会で使われたものもあった。ガラクタに紛れて、冷たいものに手が触れる。銀色に光る、冷たく硬いバット。会社で野球などしない。何故ここにあるかなど、分かるはずもない。誰かが仕込んだのか。悪趣味過ぎる。

バットを握る手が汗ばんで、滑ってしまう。あの女の子は、先程の状態のまま。かえってそれが怖かった。生き物じゃないんだ。機械だ。機械だから大丈

夫だと、何度も何度も唱える。虚ろな目が、本当にやるのかと、淡々と尋ねてくる。僕はバットを握り、構えた。自分の保身の為に暴力を振るう僕は最低のクズだ。でも、叶うならばどうか。

「許してくれ…」

僕はバットを振り下ろした。


あの瞬間のことを、どう説明したら良いだろう。ガツン、と女の子の頭にバットが当たる感覚と共に、女の子の頭から色とりどりのシャボン玉やスパンコール、花びらが飛び散った。僕の頭上にそれらが降り注ぐと、僕を支配していたどす黒い感情が和らぐのを感じた。こんなにも穏やかな気持ちになったのは、何時ぶりだったろう。自分の出来の悪さに苛まれ、人を羨み、妬み、貶めた日々。また、やり直せるはずだ。だって今、こんなにも満ち足りているのだから。

どのくらい経っただろうか。僕は目の前の棒立ちしている女の子を見つめた。気のせいだろうか、少しばかり人間味が増した。具体的には言い表せない。女の子の頭は割れていない。外傷も見当たらなかった。謎は深まるばかりだった。

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