本日の魔王
ボロボロだった。
そのエントランスにたどり着いた時には、すでにボロボロのドロドロで、全身グッショリ濡れていた。
人独り通れるくらいに開いた扉からは、暴風により雨が吹き込んでピューピューと音を立てていた。
表ではなく裏口から入ってしまったらしい。
うろうろと彷徨ってようやくエントランスを見つけた勇者は、閉ざされたままの表玄関の横にある窓から外をのぞいてみた。
相変わらず雨風が吹き荒れていて暗いので良く見えないが、待ち伏せはされていないらしかった。
今すぐに家に帰って、お風呂に入ってくつろぎたい。
ふかふかとは言えないが、いつものベッドに横になりたい。
それが現在の勇者の願いだった。
可愛い恋人も、家族も待っている。
それも。
この戦いが終われば、叶うのだ。
一息ついて、あたりに敵がいないのを確認すると。
勇者は目の前の階段を踏みしめるように上った。
一段一段。
上りきれば。
そこに魔王がいるはずだった。
自分の背丈の倍以上もある扉の前には、甲冑が二体。
ここへ入るまでにいくつもの獣と戦ってきたが、まだいたのかと唇をかむと、予想に反して甲冑二体は重々しい扉を勇者のために開けた。
油断禁物とばかりに、そろそろと中へ入るとたった今入ってきた扉は再び重々しく閉ざされてしまった。
振り返ったが、すでに遅し。
だが、ここまできて逃げるわけにはいかない。
勇者はゴクリと唾を飲み込むとそのまま赤い絨毯の道を進む。
教えられた通り、魔王は目の前の数段高い場所にある王座に退屈そうに座っているのが目に入った。
まだ勇者と戦う様子は見られない。
慎重に近づいて行くと、後五メートルというところで漸く魔王が口を開いた。
「よく来たな、勇者よ」
ビリビリと波動が体に伝わる。
強い。
再び勇者は唾を飲み込んだ後、魔王を睨みつけた。
「お前が魔王か」
「いかにも」
コメカミのあたりから二本の角が生えており、目が爛々と赤く光っている。
肌は伝承と違って、人間と同じように白い。
ただ、髪は漆黒の色をしていた。
床まで届くくらいの長さなのだろう。
王座の両脇に流れるように垂れていた。
艶やかな流れに目を奪われていたとき。
魔王が立ち上がった音がして、慌てて体勢を変えた。
「ここまで来るのにずいぶんと苦労したようだな? そんななりで私に勝てるとでも?」
魔王の言うとおり、勇者はボロボロだ。
だが、逃げ帰る選択肢は彼にはなかった。
「俺は負けるわけにはいかない!」
カッと見開いて勇者が叫んだ時だった。
ゴーンゴーン。
城に重い鐘の音が響いた。
「なっ、何だ」
それは十二時を告げる鐘の音だった。
日付が変わったのだ。
外は真っ暗な上に暴風雨だったために、勇者には時間がわからなかった。
鐘の音が十二回鳴って静かになった時が勝負だと、勇者が剣の柄に手をやった時だった。
「良かったー。業務終了ー」
魔王の口から暢気な言葉が漏れ出た。
「ぎょ、ぎょうむ?」
「あ、動かないでね。僕は前日の魔王だから」
「は?」
魔王は王座の後ろをのぞき込んで声をかける。
「ミーたん。日付変わったよー」
「えー? 勇者来てるのに?」
「仕方ないでしょ。十二時過ぎちゃったんだもん。はい、交代交代」
「えー。その勇者なんとかしてからにしてよー」
その声は未だ王座の後ろから聞こえている。
「残業はお断りー。はい、交代ねー。お疲れさまでしたー」
「えー? ちょっとー。あぁ、もうー」
勇者の目の前で魔王が無防備に背中を向けて玉座の後ろへと行ってしまった。
ポカンと口を開けたままの勇者は、状況が分からないまま立ち尽くしていた。
少ししてから、王座の後ろから新たな魔族が何故か背中を丸めてのそりのそりと歩きながら王座に「どっこらしょ」と言いながら座る。
「えー。おほん。よく来た、勇者」
その言葉を言った魔族の後ろから「それは終わったところだよ」と声がかかる。
「仕切り直しだよ仕切り直し。えー、ウォッホン。余が本日の魔王である」
魔王と名乗った魔族は、先ほどの魔王と違って角が額から出ていた。肌は黒いし髪も短くて銀色だった。
「ま、魔王?」
「いかにも、本日の魔王である」
「…本日の魔王?」
「うむ」
「もしかして、明日の魔王もいるのか?」
「…いかにも」
「……それじゃ、俺が今日の魔王を倒しても明日の魔王がいると?」
「……いかにも」
「明日の魔王を倒しても、明後日の魔王がいる?」
「………いかにも。明々後日もその先もそれぞれ魔王がいる」
日替わりで魔王がいるらしい。
「……、一つ聞かせて欲しい」
「よかろう」
「日替わりって…何人いるんだ」
「そうだな。四十九名ほどいる」
ローテーションにもほどがある…そう勇者は思った。
「な、何のために俺はここまできたんだ」
頭を抱えてうずくまる勇者を前にして、魔王は困った顔をした。
「リーダーとかいないのか」
うずくまったまま訪ねた勇者に魔王は否と答える。
「日替わりゆえに、おらぬ」
「いや日替わりだからいないとだめじゃん」
勇者は素に戻って思わずツッコミを入れた。
「魔族は…他の魔族は知っているのか」
「もちろんだ。引退すればその分補充されるからな」
もはや立つ力も失せた勇者はそこであぐらをかいて座り込む。
「昨日の魔王は」
「今日から休みだから、バカンスに行くと言っていた」
「一昨日の魔王は」
「立ち会い出産へと行った。今頃生まれているかもしれんな」
「…それはおめでとうゴザイマス」
「うむ。余もとうとう伯父さんと呼ばれる時が来るのかと思うと嬉しく思う」
「伯父さん?」
「一昨日の魔王は余の弟なのだ」
「……血族経営?」
「いや、昨日の魔王は違う」
「わけがわからん……頭が痛い」
うううと唸りながら頭を抱える勇者に、本日の魔王は再び困った顔をしてみせた。
「日付が変わったばかりなので、余と戦うことになるのだが。どうする勇者」
今ここで戦ったところで、明日の魔王がいる。
明日も戦ったところで、明後日の魔王がいる。
「勇者も日替わりじゃないとだめなのかよおおおお」
ゴロゴロとその場で転がり子供のように足をじたばたさせる勇者を見て、本日の魔王はため息をついた。
「四十九人の勇者無理ぃぃぃぃぃぃ」
壊れたのか、そのまま左右にゴロゴロと転がって、魔王のいる足下の一番下の段に壁にぶつかって止まった勇者は嗚咽を漏らし始めた。
「ここまで来るの大変だったのにー。一人でがんばって来たのにいいいいいい」
赤い絨毯が勇者の涙を吸っていく。
「そもそも、何故魔族を倒そうなどど思い立ったのだ?」
「お城から勇者募集のおふれがあって」
「…魔王を倒す理由は?」
「王様いわく、“怖いから”」
「子供か!」
今度は本日の魔王がツッコミを入れる番だったようだ。
「我々は特に何も害しておらぬだろうが」
「未知の力を持った者がいるのは怖いって」
「それは分からぬでもないが。使者を立ててくるとか、色々あるであろう」
「誰も帰って来なかったって」
本日の魔王は首を傾げた。
「おかしいな。誰も来たことはないぞ?」
「嘘だ」
「嘘ではない。ふうむ、これは調べる必要がありそうだな。ところで勇者よ」
「何だ」
「いつまで、そこで泣いているつもりだ」
「ほっといてくれ」
うっうっと泣きながら勇者は赤い絨毯をみた。
「確かに、ここまで来るのは大変であったろう。断崖絶壁の上にあるのだからな」
「辛かった…何度も落ちて、登ったら登ったで獣が襲いかかってくるし、食料も底をつくし」
パーティで上れるような場所ではないが故に、勇者が一人で来たのだ。
魔法で登ろうにも魔力が途中で尽きてしまう高さで、勇者がほとんど気力で登ってきたようなものだった。
「では腹が空いているのか」
「さっきからグーグー鳴ってる」
「そうか、では夕食には遅いが夜食を用意しよう」
「……敵の施しは受けん」
「実はな。そなたが倒した獣なのだが」
「獣?」
「この城の周りにしか生息しない珍しい魔獣なのだ。そなたが倒したのだし、施しにはならぬと思うが?」
勇者は少し興味がそそられたのか、ゴロンと動いて魔王を見た。
「うまいのか」
「美味だ」
「……しかし」
「そなたの許しがあれば、あれを城のコックに料理させよう。歓迎の宴の用意をさせる」
「歓迎ったって…」
「そなたは、ここへ来た初めての来訪者だ」
「……初めて?」
「先ほども言ったが、使者など一度も来たことがない。初めての人間だ。そもそも、そなたの行く道を魔族が塞いだ事があったか?」
勇者は寝ころんだまま考えた。
確かにここへたどり着くのは容易ではなかったが、魔族には会わなかった。
主に獣で、後は山賊くらいだ。
「麓に伝令係がいるのだが、そこへも使者が来たという報告は受けておらぬ。そなたが通ったことは連絡があったがな」
「伝令? 見かけなかったが」
「普段は擬態しておるからな」
「へー」
ふと。
勇者はおかしな事に気づいた。
使者が来ていないのだとしたら、自分が勇者だと何故分かったのか。何故知り得たのか。
ちょっとだけ闘争心が沸いたが、明日も明後日も明明後日もその日の魔王がいることを思い出して、あっという間に失せ、そして力なく尋ねた。
「俺が勇者だと、何故分かった」
口上を述べてもいないのに。
そう呟くと魔王は何でもないことのように、さらりと言った。
「そなたの頭の上に勇者と出ておるからな」
「…はい?」
「だから、そなたの頭上に」
驚いた勇者は飛び起きて何故か正座する。
「あ、頭の上に“勇者”!?」
「職業欄だな。名前は名乗っておらぬからして、空欄になっておる」
「…職業は閲覧フリーですか」
「うむ」
ちらりと魔王の頭上を見てみたが、そんなものが見えるはずもなく。
自分の頭上に勇者という文字が載っているのかと思うと酷くガッカリした。
「ちなみに満腹ゲージがほとんど空になっている。やはり何か口に入れた方が良かろう」
「ちょっ、なっ、何それ」
「ん?」
「満腹ゲージ!? 空腹度までチェックできちゃうの!?」
「それだけではないぞ? 体力魔力色々みれる」
「ななななななななな」
「ちなみに、魔力があまりないところを見ると灯りの魔法くらいしか使えないであろう」
「うぐっ」
「しかも、獣との戦いで満身創痍。今ここで余と戦ったところで、足払いされただけでも“0”になりそうだが?」
「うぐぐぐ」
自分でゴロゴロ転がったダメージももちろんあったのだが。
「無駄な戦いはやめて、ここは一つ友好的に行こうではないか」
反論しようとしたが、お腹が賛成の音を鳴らしてしまう。
勇者は正座したままうなだれた。
どちらにせよ、勇者が今ここで魔王と戦っても勝つ見込みなどないのだ。
鎧は断崖絶壁を登るために脱ぎ捨てて来たし、剣は獣との戦いで刃こぼれが酷い。
お腹がすいて力が入らないし、泣きすぎで頭が痛い。
後半迷子になった子供のような事になっているが、勇者はグスンと鼻を鳴らした後、ペコリと頭を下げた。
「ごはん、ください」
「心得た」
魔王は頷いて階段を下りてくる。
未だ城の外では暴風雨が吹き荒れ時々稲光が見えた。
「その前に風呂を用意させよう。そのままでは風邪を引く。魔族の衣服しか無いが、そこは許してくれ」
魔王がパチンと指を鳴らすと、あの重い扉が開く音がして二人の魔族が現れた。
「お呼びでございますか」
「夜食を用意するように、それから勇者を客間へ案内して風呂の用意を」
「かしこまりまして。例の魔獣を使っても?」
魔族の言葉に魔王が勇者を見下ろした。
「勇者よ。かまわぬだろうか」
「何でもいいです、美味しいなら」
「許可が出た、取りにゆけ」
「はっ」
二人の魔族がいなくなると、その後ろからさらに二人の魔族が現れる。
「ご案内させていただきます。勇者様」
呼ばれたので勇者が顔を上げると、明らかに泣いた後の顔に、魔族の女性は驚きを隠せないようだった。
「魔王陛下。いくら何でも子供をいじめては…」
「こ、子供じゃない。これでも二十歳だ」
魔族の年齢からすれば大分子供なのだが、勇者の矜持のために何も言わなかった。
哀れみの視線に勇者がうつむく。
「子供じゃ…ない」
「はい、勇者様。わたくし、タチアナと申します。滞在中は何なりとお申し付けください。さ、参りましょう」
タチアナに手を取られて立ち上がった勇者は、係員に連れて行かれる子供のごとく、時々しゃくりあげながら広間を出ていった。
「どうするー?」
扉が閉まってすぐに王座の後ろから明日の魔王が顔を出した。
「戦意はもうなさそうだし」
「まぁね。あのまま立ち向かって来たらどうするつもりだった?」
「いや、デコピンしただけでも気絶した可能性あり」
「そんなにボロボロだったのかー」
当日の魔王だけが見られるデータなので、明日の魔王には現在は勇者のステータスは見えない。
「名前。見ようと思えばみれたでしょ」
「落ち着けば名乗ってくれるさ」
「気に入ったんだ?」
「それより、ルエットは食べる?」
「え、いいの?」
ルエットとは勇者が倒した魔獣の名前である。
「十体くらいはあるからね。今日、来てる待機魔王を全員呼んでも余るくらい」
「そっかそっか。待機面倒だけど、今日はラッキーだったな。食堂?」
「あぁ。勇者の身支度が整ってからになるが」
「了解了解」
明日の魔王はスキップをしながら広間を出ていく。
「先に行ってるねー」
ひらひらと振られた手が扉の隙間に消えた後。
昨日の魔王に声をかけようと本日の魔王は思ったが、とっくに城を出てバカンスに向かってしまったらしく玉座の後ろの奥にある控え室にはもう、いなかった。
「さて、こちらから使者を出すことになるか。その前に人間の使者が来なかった方を調べる方が先か…………、うん、明日以降の魔王に頼もう」
ひとりごちて。
待機魔王が食堂に揃ったところを見た勇者がどんな顔をするのか。
想像した本日の魔王は小さく笑った。
初の短編です。
最後までありがとうございました。