晩冬の祝福
あの山の上には、魔王が棲んでいる。
その臣下である七人の悪魔は、時々町へ下っては人々に堕落をふりまき、死へと導いているのだという。
魔王自身は山から出ることはなく、その姿を見た者は今までにいないそうだ。
そして僕は今、その魔王に会いに行こうとしている。
僕は、俗に言う勇者だ。
といっても、僕の住んでる町の中で、たまたま僕が一番剣術が得意だっただけの話だ。それだけであっという間に持ち上げられてしまい、気が付くと周りから勇者と呼ばれ、魔王を斃すという使命を背負っていたのだ。
正直、勝てるわけないと思ってる。僕があの町に生きて戻ることは、たぶんない。
それでも、恐怖はない。あるのは、町の皆の言う通りにするしかないという諦めだけだ。
僕は孤児で、帰りを待つ人などいない。だから、死んだって誰も悲しまない。がっかりするだけだ。
僕は、自暴自棄になっているのかもしれない。でも魔王に挑むのだから、これぐらいが丁度いいだろう。
僕は独りで、死に向かって歩いた。
寒い。
まだ山を登り始めて少ししかたっていないが、早くも体が動かなくなりそうだ。手足の先が寒さで痺れて、感覚がない。辺りは雪で真っ白だ。
ああ、もう。僕は何で、こんなことをしているんだろう。
剣術が得意だから? 孤児だから? いらない存在だから?
考えても仕方ない。町が、そう決めたからだ。僕に逆らう権利はない。気力もない。
「理不尽だと思うかね?」
ふいに声がした。気が付くと、前から一人の男性が歩いて来た。こんな雪の中なのに正装で、紳士的な雰囲気のある人だ。
「大丈夫、ですか?」
一応声をかけてみる。五十歳くらいかな。赤髪の中に少し白髪が見える。
「我輩は何ともない。大丈夫でないのは、君の方なのではないかね?」
近づいてくる。鋭い赤紫の瞳から、思わず目をそらす。
「僕は……ちょっと、寒いだけです」
「ふむ。では、これで少し温まるかな?」
その瞬間、男性の掌から炎が噴き出した。
「……あなたは、人間じゃないんですね」
なぜかとても冷静に、そう訊いた。
「いかにも。我輩は憤怒の悪魔だ」
「悪魔……」
魔王討伐の中には、悪魔退治も含まれているのだろうか。そうだったとして、僕に勝ち目はない。悪魔なんて、きっと強いに決まってる。そもそも、人間じゃないのだから。
「怖いかね?」
けど少なくとも、この悪魔の見た目は人間だ。
「……いいえ。あの、それに当たってもいいですか?」
何を訊いてるんだ僕は。悪魔も一瞬驚いたような顔をし、それから笑った。
「構わんよ、奇異な勇者君」
しかもなぜかバレている。まあいいか、と投げやりな気持ちになりながら、火に当たらせてもらう。温かい。
「……勇者なんて、そんな大層なもんじゃないですよ。きっと、ただの厄介払いです」
紳士の掌から噴く火に当たるという奇妙な格好で、僕は言った。
「君は、それでいいのかね?」
「え?」
思わず顔を上げた。目が合ってしまい、炯々とした眼光に捕らえられる。
「理不尽だとは思わないかね? 自らの意志とは関係なく、他人の都合だけでもてはやされ、挙句の果てに死地に送り出される。いずれは自分の死そのものが忘れ去られ、死まで追いやった張本人たちはのうのうと暮らすのだ」
ああ、それは何度も考えた。本当にその通りだ。僕のことなんて、誰も覚えてないんだろう。
「憎くはないかね?」
赤紫色の瞳に、呑まれそうになる。
「憤ろしくはないかね?」
だから、目をそらした。
「……確かに、憎かったです。何で僕が死ななきゃならないんだって思いました。でも」
僕は、目をそらしたんだ。生きることから。
「気づいたんです。別に生きてる理由もないなって。だから、もう死んでもいいやって」
そうしたら、何だか楽になった。死ぬのは、みんなが思ってるほど怖いことじゃない。
「……なるほど。我輩の出る幕ではなかったようだ」
心なしか面白くなさそうに、悪魔はつぶやいた。
「君は、怒りを通り越して諦めてしまったのだね」
「そう、ですね」
「ならば、もう君に用はない」
掌の炎を消されたので、僕も手をどける。さっきまで温かかったから、余計に寒さを感じる。冬の終わりだっていうのに、まだまだ寒い。
「魔王を斃すのかね?」
「……まあ、挑戦はしてみます」
どうせ瞬殺なんだろうけど。
「では、もう少し登るといい。魔王は人間を嫌悪し、同時にとても欲している。まあ頑張りたまえ、おかしな勇者君」
そう嗤うと、悪魔は雪の向こうへ消えていった。
僕は、もう少し歩かなきゃならないようだ。
とうとう頂上まで登りきると、急に雪がなくなった。ここだけ溶かされたみたいだ。そして、小さな家があった。……魔王がいるかもしれないっていうのに、こんな所に家?
巻き込むといけないから、一応声かけとこう。
コンコン
「すいませーん」
………返事はない。出かけてるのかな。って、どこに?
「私に、用事?」
ふいに、背後から声がした。
「えっ……」
振り返ると、女の人……いや、どちらかというと少女が立っていた。黒髪は地面を這うように長く、色素の薄い瞳はまるで死人のようだ。
「えっと、僕ここで魔王と戦う予定だから、離れた方がいいよって……」
僕は何を言ってるんだ。これじゃあ危機感がまったく伝わらない。
「魔王?」
現に、少女も首をかしげている。ああ、どう言ったら分かってもらえるかな。
「……ああ、私のことか」
確かに、そうつぶやいた。
「え?」
私のことか、って。魔王が、ってこと?
「あなた、私を殺しに来たの?」
一歩距離を詰めて、顔を覗き込んでくる。やっぱり、硝子球みたいな目だ。
「君が、魔王だっていうならね」
「そう」
ふわりと僕から離れ、彼女は両手を広げた。
「なら、早く殺してみせて?」
その笑みに、ぞわりと鳥肌が立った。何も映していないような双眸はどこまでも虚ろで、なのに深く死を渇望していた。僕と似ているようで、全く違う。
「ほら、そこの立派な剣で」
思わず腰に提げている剣に手をやる。………いやいや待て待て。彼女が魔王だって証拠はどこにもない。ちょっとその、頭が残念なだけの女の子である可能性の方が高い。慎重になれ、僕。
……ああ、違う。もし彼女が本当に魔王だったとしても、僕は彼女を刺せない。外見が人間だから。自分が死ぬのは怖くないのに、人を殺すのは怖いんだ。
でも。もし魔王を――彼女を殺すことで僕の生きた証が生まれるのなら、僕は彼女を殺そう。町の人々のためじゃなく、自分のために。
剣を抜き、深呼吸する。震えを止める。
そして、
「……っはあっ!」
彼女の左胸を狙って突き出した。何かを貫く感触が手に走る。彼女が目を閉じる。僕は彼女の体から剣を抜いた。長い髪をなびかせて、彼女が倒れる。
「はあ、はあっ……」
異常に息が上がっている。ああ、これで彼女が魔王じゃなかったら、僕はただの人殺しだ。いや、彼女が『殺してみろ』って言ったんだからいいのか? いいって何が? そもそも、彼女はなんであんなに死を望んでいたんだろう。分からない。何も分からない。分かるのは、僕が誰かを殺めたということだけ。
「っていうか、僕、ここで魔王に殺されるはずだったんだけど……」
死ぬつもりだったのに。これからどうしよう。町に戻るのも……何だかなぁ。とりあえず、反対側から山を下りよう。
彼女の死体の脇を通る。
「終わり?」
声が、聞こえた。彼女の死体の方から。
「!?」
思わず振り返って、見た。起き上がった彼女の、絶望したような笑みを。血痕はあるものの、綺麗に塞がっている胸の傷口を。
「どう、して……」
言ってから気づく。彼女が、魔王だからだ。不死身だとしても、何の不思議もない。
「私、〝半永久〟的に不老不死だから」
ああ、やっぱり。でも、
「半永久的?」
ってことは、いつかは死ぬってことだ。
「そう」
無表情に、彼女――魔王はうなずいた。
「私は使命を与えられた。人間の最期を見届けるという、使命を」
一瞬、無感情な瞳に怒りの色が浮かんだ。
「だから私は、人間が一人残らず死滅するまで死なない。首を落としても心臓を一突きにしても飛び降りても体をばらばらにしても毒を飲んでも何も食べなくても」
死ねないの、と零した。何の感情も含まれてはいなかった。
「……君は、死にたいの?」
それとも、半永久的な不老不死を受け入れてるの?
魔王は、さっきまで傷があった部分に触れて、答えた。
「そう願っていた時もあった。でも今は……諦めている」
諦め、か。生きることを諦めた僕と、死ぬことを諦めた魔王。マシなのは、どっちだろう。
「……僕、今日君に殺される予定だったんだけど、今からでも殺す?」
だめだ。僕の中で〝死〟が軽いモノになりすぎている。
「別に、どうでもいい」
僕に背を向けて、そう答えた。僕も彼女に背を向ける。
「実は、僕もどうでもよくなってきたんだ」
僕は魔王じゃないからいつかは死ぬ。それまで、何となく生きていこう。
歩き出そうとすると、後ろから声がかかった。
「せいぜい、幸せに生きるといい」
相変わらず感情がこもってないから、どういう意図で言ったのかは分からない。とりあえず、驚いた。とても魔王の台詞じゃない。
「……君に祝福を」
だから僕は、勇者っぽく言ってみた。何か違うような気もするけど。
魔王の自嘲的な嗤い声を背中で聞いて、僕は雪道に向かって歩き出した。
さて、これからどんな風に生きていこうか。
Twitterの診断『勇者が驚いたように「君に祝福を」と言う晩冬の話を9RTされたらかいてください』に沿って書いてみました。RTはされてないですけど(笑)