夏の光
現在、わたしは部屋で書面を書いている。
なんでも急ぎのもので、大至急必要であるらしい。
「そんなもの、お前が適当に書いて捺印を押せば事足りるではないか」
リンドウはきれいに黙殺し、だからこうしてせっせと筆を滑らせている。
スズはわたしの足元にいる。
卓の下、ペタリと床に座っている。
わたしの膝に歯を立てたり(痛い)、裾の内に手を入れすね毛を引っ張ったり(わたしにだってすね毛はある)、大人しく遊んでいたが、その内飽いたらしい。
卓の隙間から、わたしの膝を割って乗り出してきた。
――タイクツ。
心底、退屈そうにそう鳴く。
「もう少し待ってておくれ。そうしたらお前と遊べるからね」
そうだ、そんなに退屈ならば、わたしの足と足の間にある素敵なもので遊んでいてくれないか。そうすればお前の気も紛れるだろうし、わたしも嬉しい。一石二鳥だ。
わたしのこの上なく魅力的な提案を、スズは鼻息一つで却下した。
それよりもさっさとそれを片づけろと鳴く。
しごくまっとうである意見だったので、仰せのとおりに従う。
しばらく筆がサラサラと滑る音だけが響く。
スズはあくびをすると、卓と膝の間から身を乗り出してきた。
「こらこら」
仰け反るわたしをよじ登って、器用に卓の上に収まる。大きな卓は、小柄なスズの座る場所など十分にある。
スズは大人しく筆の動きを眺めていたが、なにか心惹かれるのだろうか、そろそろと手を伸ばしてきた。
「スズ」
小さな手はぴゅっと引っ込む。しかし再びそろそろと伸ばされる。
「スーズ」
たしなめるようなわたしの声に、スズは不満そうに抗議の鳴き声を上げた。
――だって、本当に退屈なんだもの。
「待ってなさいと言っただろう。それにわたしはお前の退屈しのぎでしかないのか」
スズは可笑しそうに、喉を震わせて笑った。
それからトロトロに蕩けそうな顔でわたしを見る。理性の箍など簡単に吹き飛ぶような、極上の笑顔で(わたしの理性の箍は、スズに関しては非常に緩い)。
――違う。だってあなたはあたしの世界の全て。
ポン、と景気のよい音を立てて、箍は飛んだ。
スズの帯を掴み、ズルズルと引きよせる。手にしていた筆は放り投げた。カンカラコンと乾いた音が彼方から聞こえた時には、スズはもうわたしの膝の上に納まっていた。
「可愛いことを言う」
ほんの少し朱に染まった耳の下に口を付けると、すでにわたしの唾液で濡れたスズの唇から甘い吐息が零れた。
「だからわたしは、もうお前しか見えなくなってしまった」
それでいいの、とスズが鳴く。
――だってあたしもあなたしか見えないもの。
「ああ、スズ……」
スズの膝はすでに割れている。薄絹の裾には、墨がはずみで付いている。
きっと卓の上の書面は擦った痕が残っているのだろう。書きなおさなければならない。
だが、それがなんの問題だというのだ。
大切なのは、わたしの手の動きに合わせて甘い鳴き声を上げつつ、体温を上昇させているスズに他ならない。
めくるめくお楽しみの時間は、リンドウの出現によって遮断された。
「ヤン・チャオさま! それは急ぎだと言ったでしょう!?」
けたたましく扉を開けたリンドウは、猛然とわたしからスズを取り上げ、ちゃっちゃと乱れを直した後、猫撫で声でこう言った。
「スズさま、あちらの部屋でキムザさんが氷菓子を用意していますよ」
スズは美味いものに目が無いが、とりわけ氷菓子が大好物である。
諸手を上げて、あっという間に姿を消した。
「早く仕上げて下さいね。失礼します」
リンドウも言い残してスズに次いで部屋を出ていった。
両手を中途半端に上げた状態のわたしが一人、ぽつんと取り残される。
あなたしか見えないなどとほざいていたくせに、あの……あの食い意地の張ったネコめ。
卓の上に広げていた完成間近の書面を、ぐしゃぐしゃに丸める。
お仕置きをしてやろう。
新しい筆にたっぷりと墨を付ける。
氷菓子に負けたなど思ってはいない。ああ、ちっともこれっぽちもかすりも思ってはいない。
思ってないったら思ってない。
ただ今夜、スズは己の過ちを、体で知ることになる。
さて、どんな仕置きが良いだろうか。
「ふ……ふふふふふふふ」
黒い笑いを漏らしながら、わたしはまっさらな紙に筆を落とす。
夏の光溢れる、部屋の中で。