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その少女、ヨゴレ役につき

作者: シロタカ

 夜と悲鳴。


 醜悪な主人が住むその館に、近寄る者はいない。鬱蒼とした森が、どんな堅牢な城塞よりも険しく、町と館を隔てていた。獣道と変わらぬ荒れた道を抜けなければ、館までたどり着くことはできず――どのような物好きも、好き好んで地獄を目指すことはしなかった。


 館の主――彼は、幼少の頃にかかった流行り病で全身を醜く爛れさせた。外見のおぞましさを理由に、子供の頃から人々に避けられてきた。どれだけの贅を尽くしても使い切れぬ莫大な遺産を相続しながら、一方で、孤独は万年も垂れ続ける雨粒のように、彼の心を静かに穿ち、壊していった。


 今や、満たされぬ快楽に溺れ続ける怪物になりはてた彼に、訪れる者などいない。


 いや、一人だけ。


 館には、月に一人だけ、客が訪れる。


 奴隷商人であるその男は、揉み手をしながら商品を受け渡す。様々な理由で売られてきた少女たち。ひと月に五人から、多い時には十人も売りつける。それなのに、館はいつもがらんと寂しく、時折聞こえる甲高い悲鳴だけが夜と森を騒がせる。


 今日も、今日とて。


 夜が、始まる。


 館の地下に、少女たちが鎖に繋がれている。時間の感覚も失って久しく、瞳はうつろ。もはや巨大な影の塊としか認識できていないようだ。かがり火が妖しくゆれる中を、一個の影が徘徊する。獲物を選別するような、ぎょろりと血走った眼だけが異様に鋭い。


 今宵の贄が決まる。


 彼女は、ここに売られたばかりの少女であった。美しい肌と髪を持っている。薄汚れて、くたびれた様子の他の少女たちと違い、その瞳には生気が満ちていた。何者にも屈しないという炎のような意思――それは彼女の生来の気質によるものか、それとも没した小国の姫君であるという矜持によるものか。


 影が立ち止まる。


 少女の瞳が、わずかに臆した。


 逃げ場はなく、悲鳴は意味をなさず、夜は永遠のように長く、終わらない。





 あくび。


 ――ん、あれ?


 意識がふわりと浮き上がり、それと同時に、狭い身体の中に心がふたつあるような、いつもの奇妙な圧迫感が押し寄せた。しかし、覚醒した意識は徐々に勢力をましていく。二度目のあくびをかみ殺す頃には、身体のコントロールは完全に掌握されていた。


 ――作者の気分転換かな。コーヒーぐらいだといいけど……。


 手首に巻かれた鎖を、戯れにガチャガチャと鳴らしてみる。石造りの地下回廊は寒いほどではないが、裸足であるため、長時間は辛そうだ。身じろぎすれば、ただのボロ布のような衣服は簡単にはだけてしまいそうで――平たい胸元をさらすような失態を犯してなるものかと、慌てて居住まいを正す。


 そして、ため息。


 ――やれやれ。


 これは、物語である。


 作者によって綴られる虚構の世界。


 しかし、キャラクターにとっては第二の現実とも呼ぶべき世界。


 どうやら、ここは小説作品の中であるようだった。十八歳未満はお断りの作品であるが、それは大して重要なことではない。児童書であろうが、アダルト作品だろうが、どちらでも問題ない。ファンタジーでも、ミステリでも、SFでも関係なかった。


 背景キャラクターにとっては、全てがどうでもいいことだ。


 主人公やヒロインなどの登場人物、いわゆるメインキャラクターであれば、作品世界は重要かも知れない。そこで何をするべきか、どのような魅力を振りまくべきか――彼らは必死に考えて、努力する必要があるだろうから。


 残念ながら、背景に求められるものは多くない。


 適当に見た目が合致すれば呼ばれて、そこに配置されるだけだ。


 今日も、今日とて。


 逃げ場もなく、ため息は意味をなさず、永遠のように長く、終わらない仕事――三度目のあくびをかみ殺しながら、《背景キャラクター》通称少女Dは、作者が放置を始めてしまった作品世界の中で、非常に現実的な悩みに思いを巡らせ始める。


 ――スーパーのタイムセールに間に合うかな?





 間に合わなかった。


 タイムセールどころか、スーパーが閉まっていた。


「あの作者、筆が遅すぎるよ。とほほ」


 よろよろと肩を落としながら、少女Dは仕方なく、夜遅くでも開いているファーストフード店に向かった。遅い時間とは云え、繁華街に入れば十分に明るい。夜道を心配する必要もなかった。


 仕事ではヨゴレ役ばかりなのに、私生活は気を使う。


 むしろ――と、云うべきかも知れない。


 肩口まである髪は帽子で隠して短く見せている。それはそれでボーイッシュと云われるけれど、女の子らしく見せるよりも気分は軽くなる。薄手のパーカーに、色気のないジーンズ。足元もスニーカーだ。バッグは持たず、財布だけをポケットに入れている。


「ハンバーガー、ふたつ」


 わびしい食事を、帰り道を歩きながら食べた。


 月が出ている。鼻歌まじりに歩けば、絵になるだろうか。そんな想像に、少女Dはため息をつく。絵になるわけがない。魅力がない。ただの背景キャラが、分不相応な想いを抱くなんて恥ずかしい。


 少女D。


 役名ですらなく、ただの記号。


 処女作品――ファンタジー作品で、戦火に見舞われて蹂躙される町の娘という役を賜った。屈強な兵士達に男達は殺されて、若い女達は「いやー」という感じ。一瞬ちらりと描写される程度の役どころで、当然ながら、台詞もなければ名前もない。


 識別のために与えられた名前とも呼べない名、少女D。


 結局、それを通称として使用している。


「はあ、いつまでこんな生活が続くのかな?」


 夜空を見上げていると、ちょっと涙が出た。「うう、がんばろう……」と、情けなく決意。大きな満月が、どこまでも遠い。戯れに手を伸ばして――主人公ならば、こんな時にドラマティックな展開が待っているのだろうと夢想した。


 物語。


 少女Dにとって――否、キャラクターにとって、物語は戦場であり、職場だ。仕事として様々な物語世界を渡り歩きながら、いつか何処かの作者に見初められて、主人公やヒロインになることを夢見ている。


 でも、それはどれだけ低い可能性だろうか。


 ジャンルは飽和状態なのに、世界のあちこちで、今も新しいタイプのキャラクターが生まれている。蛇口の壊れたお風呂みたいなもので、キャラクターは物語からあふれ続ける。消費されていく。背景にいられるだけで、まだ恵まれている方なのかもしれない。


「僕、どうなるのかな……」


 居場所が見つからず、ヨゴレ役を務めるようになって久しい。最初はやはり抵抗があって、ドキドキと緊張したことも懐かしい想い出となってしまった。いざ始めてみれば、なんとも拍子抜けの仕事なのだから。


 たとえば、男にストーカーされる役。


 たとえば、連続殺人鬼に惨殺される役。


 たとえば、悪代官に「よいではないか」される役。


 それらは背景キャラクターではない。彼らは物語に必然とされるキャラクターであり、時には《もくじ》に記載されるほどに位が高い。少女Dは乱暴されることもなければ、殺されることもないし――悲鳴が「」書きで記載されることもなければ、裸体が明確に描写されることもない。


 背景――世界観を構成するための有象無象。


 ただ世界を構築するために、そこにいるだけの存在――背景キャラクター。


「こんな僕に、存在している意味はあるのかな?」


 誰にも注目されない背景キャラクターのつぶやきは、当然ながら、物語に記されることもなく、夜道に溶けて消える。通りかかった公園のゴミ箱にハンバーガーの紙袋を捨てて、「さあ、仕事だ」と頬を打つ。


 生きるために、生きる。


 とりあえず、少女Dにできることはそれだけだ。





「ねえ、兄さん。あたしを買ってよ」


 スラム。


 シャフトと呼ばれる軌道エレベーターで天と地を結ぶ世界、オルムド。機械文明の発達により、人類は遂に宙を開拓することに成功した――だが、バベルの塔をのぼることができたのは、限られた権力者と富裕層だけだ。


 持つ者、持たざる者。


 持たざる者の世界、スラム。


 砂漠化した大地に包まれて、ドーム状に作られた機械都市。吹き溜まり。蒸気と電子音。オイル溜りをゴム靴で踏みつけ、空から降る有機ゴミに電子シールドの傘を張る。有害な成分を含んだガスが、今日もまた、どこかで霧を作る。


「ねえ、兄さんってば、聞こえてるだろ?」


 それはスラムでは珍しい、旅慣れた格好をした男だった。砂漠化した大地を渡れる《技術》を持つ者は少ない。《技術》があっても、命を落とす者は多い。だから、その危険を代償にして、旅人は金を稼ぐ。命を張りつめるそんな男達は、決まって女に対しては荒々しいが、金払いはいい。


「ねえ、あんたさ……」


 スラムの街頭に立つ娼婦は、特に切り詰めた者達だ。男にすがる女も必死である。その旅人の男は、邪険に彼女を振り払った。「なにさ」と吠える。息巻く女の向こう側には、壁際にひっそり立ち、人形のように無機質な少女たちがいた。


 男の目が、不意に大きく開かれる。


 襤褸をまとった少女の中に、彼は遂に見つけたのだ――。





「そして、壮大なSF長編がはじまる、と……」


 本屋で立ち読みする少女Dは、自身も出演した作品に目を通した後、結局はいつもの通り、大きく肩を落とした。やっぱり給料は嘘つかない。ちっぽけな出番には、はした金。仕事を終えて現金支給された時、「はずれの仕事だ」と内心で感じた。


 立ち並ぶ娼婦の役なんて、そんなものだろう。


「やっぱり、SFとかダメだな。なにかと準備を要求されるのに、使い捨てのキャラが多いもん。それに、《少女》の需要が少ない。ヨゴレ役やるなら、やっぱり凌辱されるのが一番か……」


 そこそこ可憐な少女Dが、物憂げに物騒なことをつぶやく。隣で立ち読みしていた男子高校生が動揺して平積みの本を崩した。


 立ち読みだけ済まして、さっさと本屋を退散する。


 曇天だ。今にも雨が降り出しそうで、少女Dは急ぐことにする。しかし、急いだところで、仕事があるだろうか。心にわいた疑問を振り払うように、さらに足を速めた。


 気分が落ち込んでいる時に、悪いことは重なるものだ。


 雨が勢いよく降り出した。


「うわわ……」


 雨宿りする場所もなく、少女Dは走り続けた。服が水気を含んで重くなる。何か重たいものをずるずる引きずるような感覚。水を吸ってしまったスニーカーが、ぐずぐずして気持ち悪い。


 泣いていた。


「なんでなんでなんで……?」


 なぜ、自分は泣くのか。


 混乱して、さらに涙があふれた。


「危ない」


 鋭い声と共に、手を引かれた。


 雨と涙で視界が悪く、心も乱れたまま、赤信号の横断歩道に飛び出すところだった。大型トラックが目の前を駆け抜けていく。キャラクターが物語と関係のない場所で死ぬことほど滑稽なことはないだろう。


「どうした、お前?」


 命の恩人とも呼ぶべき、通りすがりの人物へ振り返る。


 そこに立っている人を見て、少女Dは驚きの悲鳴をあげた。


 同業者だ。キャラクターである。そして、彼もまた背景キャラクターという底辺に位置する人だった。だが、少女Dとは格が違う。背景キャラクター業界において、彼は伝説的な人物である。


 ある意味で脇役よりも――下手な主人公やヒロインよりも有名なのだから。この業界において、それはもはや革命である。背景でありながら、強烈な個性を持ち、その属性だけでネタにまで昇華された偉業の達成者。


「あ、あなたは……」


 荒廃した世界観によくなじみ、バトル描写において重宝される。悪辣非道な行いに手を染める一方で、主人公たちに一蹴される。現代作品においては笑いの一歩手前、大勢の不良の中でたたずんで見せる。突き抜けて、ギャグやコメディ作品にも頻繁に登場するようになった。


「モ、モヒカン雑魚先輩じゃないですか」





「ヒャッハー、食料をよこせ」


 王国の騎士団の庇護も及ばない辺境の村。


 近くの街道付近に住み着いた盗賊団が、遂には村を襲撃するようになった。魔物も数が少なく、農耕を主として生計を立ててきた村に、戦える者などいない。それでも必死にクワやカマを構えた男達は、あっさりと盗賊の餌食になった。


 筋骨隆々として、荒事に身を染めて生きてきたことがよくわかる。血の匂いに表情をゆがませ、とりわけ派手な風貌をした盗賊が一人、村の外れにある小屋へ目をつけた。


「あれが食料庫か。見つけたぜ」


 にやけた笑みで歩き出した盗賊へ、行く手をふさぐように少女が立ち塞がった。勇気ある無謀な行動。遠巻きに隠れて見守る大人たちから悲鳴があがる。


 盗賊の笑みは、さらに下卑たものになる。


「なんだ、お嬢ちゃん。かわいがってほしいのか?」


 逃げない少女を押し倒すと、盗賊は声高く笑いながら、その顔を殴り飛ばした。ぐったりと力を失う少女に、盗賊の手が乱暴に伸びる。粗末な衣服を引き裂こうと力が込められた瞬間――。


「ご機嫌だな。天国へ行くには、いい日じゃないか?」


 背後から響いた挑発的な言葉に、盗賊が反射的に武器を構えて立ち上がる。情欲に我を失っているようで、その反応は素早かった。しかし、威勢よく振り返った瞬間には、既に彼の首は胴体から斬りはなされていた。


「天国ではなく、地獄だったかな?」


 瞬速の太刀。


「お嬢ちゃん。一宿一飯の恩だ」


 盗賊を始末した男は、奇異な旅人。


 殴られて朦朧としながら、少女は必死に男を見る。


 そもそも流れ者が珍しいこの村で、怪しまれていたところを昨日、若い少女だけが助けた。男と少女の関係はそれだけだ。実際、この後すぐに、男は別れの言葉もなく旅立ってしまう。


 けれども、男の言葉と振る舞いは、少女の人生に大きな影響を与えた。辺境の小さな村で一生を送ることになる少女は、初めてふれた異方の地の空気に、強烈な感動を覚えていた。結果、閉鎖的であった村を数十年もかけて、少しずつ変えていくことになるのだけど――それは何処にでも存在する平凡な日常であり、語られることのない気高き物語だ。


 この物語の主役は、奇異なる旅人。


 東の島国より流れてきた、刀だけを相棒とする男。


「お嬢ちゃん、約束だ。命は大切にしろ」


 男は笑いかけた。


「約束できるなら、ご褒美に村を助けてやる」


 少女はうなずき、男は混乱する村の中心へ向かっていった。





「ありがとうございました」


 少女Dは、モヒカン雑魚先輩へ頭を下げていた。


「気にするなよ。それに、お前にぴったりの役だったぜ。台詞こそなかったけれど、見せ場はあっただろ。意思の強そうな女の子――物語の主役ではないけれど、必死に生きている感じが伝わってきたぜ」


「はい、ありがとうございます。僕、こんなにいい役をもらったの、初めてです。モヒカン雑魚先輩が紹介してくれなかったら、僕、絶対にこんないい役……」


「おっと、それ以上は云わなくていいぜ」


 ちょっと照れた様子のモヒカン雑魚先輩は、爽やかな笑顔を浮かべた。道で偶然出会っただけの関係――それなのに、将来に対する不安と現状の不甲斐なさで泣きわめく少女Dを、彼は必死に慰めてくれた。さらには、自分が盗賊として出る作品の相手役に、少女Dを紹介してくれた。


 どれだけ感謝しても足りない。


「先輩も凄かったです。外見描写もほとんどないのに、凄みが伝わってきました。それに、あの主人公の引き立て方……やっぱり、僕なんかと経験が違います」


「いやいや、それは違うぜ」


 熱っぽく訴えた少女Dに対して、先輩は照れた笑顔から一転して真面目な顔になる。その表情と――彼が真摯に語った内容に、少女Dの浮ついた気分はずしりと重くなった。


「経験じゃない。俺みたいな最初から背景を務めるための登場人物――どこまでも都合のいいキャラクターは、作者からすれば動かしやすい。そして、俺自身も何を求められているのか、はっきりとしていて簡単だ。結局、俺がやる仕事は決まっているんだよ。だから、それは経験でも何でもなく、ただテンプレートをなぞっているだけなんだ」


「え、それじゃあ……」


 少女Dは絶句した。


「その点、俺はお前を尊敬する。お前はちゃんと自分の個性を探して必死じゃないか。自分に何ができるか、自分が何をやれば必要とされるのか――あきらめていないだろ。俺とは違う。俺は背景しか務められないけれど、お前ならば……」


 その言葉は、少女Dの胸を打った。


 意思の強い、男勝りの少女。一方で、少女らしさは多分に残し、何気ない一瞬では可憐にも見える。背景キャラクターとしては、やや個性が強すぎる。道を尋ねるだけの相手、学校の同級生、逃げ惑う群衆の一人――そんな背景を務めるには、アクが強かった。


 だから、見た目の良さを売り物に、これまでヨゴレ役で糊口をしのいで来た。自分の特徴を欠点と考え、それを薄めることで、どうにか背景に溶け込もうと必死だった。


 運命が少し、動く。


 台詞もない端役とは云え、主人公の見せ場を演出する重要なポジションを務めたことで、少女Dを見初める作者がいたようである。


 少しだけ。


 自分の魅力を意識してみたことで。


 少女Dは、他愛もないラブコメのサブヒロインに抜擢された。





 あれ、もしかして女子の部屋に入るの初めてじゃね?


 そんなあたり前に気づいたのは、後の祭り――「てきとうにベッドの上でもいいから座ってね」なんて、気軽に云われた瞬間だった。やばい。やばいやばい。今まで意識したこともなかったのに、初めての女子の部屋というシチュエーションに、いきなり心拍数が跳ね上がる。


 というか。


 女の子らしくするのが嫌いで、自分のことを「僕」と呼んで、クラスの男子とも気安く馬鹿話に興じるカオルの部屋が、なんでこんなに女の子らしいんだよ。


 ふざけんな。


 なんの罠だよ。


 バクバクと心臓を鳴らしている俺の心境を知ってか知らずか(というか、知られたら相当まずいけど)、カオルは突っ立ている俺の背中を押して、強引にベッドの縁に座らせた。


 ――相談したいことがあるんだ。


 珍しく神妙な顔をしてそんなことを云うから、日瀬やナツキの約束を断って来たけど――俺は既に猛烈な後悔をしていた。不安である。予感である。ベッドに座って固まる俺の真横、ぴたりと寄り添うようにカオルも座るものだから、背中を流れる冷や汗も最高潮だ。


 怖い。


 自分が怖い。


 カオルを女の子として見ている自分が怖い。


 状況か。状況のせいなのか。


 カオルがこんなに可愛く見えるのは、どうして、なぜ。


「あのさ、僕ね、その――」


 もじもじ。


 だから、どうして。


 今日に限って、この状況で、そんなに女の子らしい仕草を取るのだろうか。やっぱり罠か。狙っているのか。だって、俺よりも頭ひとつ背の低いカオルとぴたり横に並べば、当然、見下ろす形になる。女の子らしい格好に頓着しないカオルは、今日も当然、ラフに制服のシャツのボタンを外して着崩している。見えるのですが、下着。でも、指摘したら怒るだろうし――いや、待てよ。


 怒らせた方がいいんじゃね。


 なんだか部屋の中に充満している、ラブコメオーラとでも呼ぶべき淫靡な雰囲気を、俺はどうにかして打ち破らなければいけない。そのためには、笑いだ。怒りだ。はあ、なに云ってるんだよ、バカ――そんな風に殴られて、ワハハ。


 完璧だ。


「お前、見えてるぞ」


「え?」


 完璧なる作戦を、早速、実行に移した。


 でも、俺の狙った通りにはならなかった。


 カオルは顔を真っ赤にして、慌てたように胸元を隠したのである。それから、ちょっと涙目になって、非難するような困ったような、でも、見たければ見てもいいよ――みたいな目で、俺を見るのである。


 はい。


 すいません。


「敗北しました」


「え?」


 俺はカオルに抱きついた。




 

 少女Dは困惑した。


 混乱と云ってもいい。


「ええ、待って。やだ、待ってよ」


 ――あ、ダメだ。これ、逆効果。


 頭の中、どこか冷静な部分でそう悟った。


 これまで多数の作品で、凌辱されたり手籠めにされたりするシーンを背景から眺めてきた。弱気な悲鳴で、女性の側が助かる確率は皆無である。むしろ、そうした台詞は相手の劣情を煽るために存在する。


 少女Dがヨゴレ役専門のような立場で仕事をするようになって、キャリアはそれなりに長い。もちろん、背景キャラクターであるから、純粋な意味での行為に及んだことはなく、知識と裏腹に経験値は空っぽである。


 だからと云って、ウブを気取るわけではない。


 必要があれば、そうした経験も必要だろうなと思っているけれど、それは絶対に今ではないはずだ。全年齢対象のちょっとエッチな程度の作品で、過激な描写に及んでいいわけがない。加えて、少女Dの未来にも関わる。


 ここが大きな分岐点。


 少女Dは、自分の人生を賭けて、必死だった。


 でも、悲しいかな、少女Dは小柄で非力だ。同年代の平均的な少年を相手にしては、絶対に力で勝つことはできない。互いに汗だくになって、息も荒く――やがて、ベッドの上で押さえ込まれてしまった。


「カオル、いいよな?」


 ――よくないよ。


 少女Dは必死に泣こうとしていた。この場面を急転換させる必殺技はそれしかない。女の子が泣けば、これは青春作品――気まずさで終わる。それは甘酸っぱい思い出として昇華され、ふたりの今後の成長につながるという展開が可能になる。


 だが、駄目。


 少女Dはヨゴレ役の経験が長すぎて、この程度の修羅場では泣けなかった。実際、心は冷めている。冷静なのだ。慌てているし、混乱しているけれど、感情的にはなっていない。理詰めで物を考えられてしまうことが逆に悲しい。


 ならば。


 本当の意味での奥義――朝チュン。


 だが、これも駄目。


 ヨゴレ役のキャリアばかり長く、ラブコメなんて健全な作品に出たことのない少女Dは、そもそもヒロインクラスが覚えるべき《朝チュン》なんて高等技術、会得していない。


 万事休す。


 万策尽きた。


 そして、所詮は背景キャラクターであり、主人公でもヒロインでもない少女Dに劇的な展開なんて待っていなかった。勢いのまま、彼は胸をまさぐってくる。平たい胸なんか触って何が楽しいのか。やがて興奮は高まり、相手の手は下腹部へ――。


 そして。


 少女Dは、彼を突き飛ばした。


 呆然と固まる相手を、今度こそ本当に涙をこぼしながら見つめた。いつかモヒカン雑魚先輩に慰められた時と同じく、人目も気にせず、わんわんと泣いた。泣きながら、制服のボタンを外す。乱暴に脱ぎ捨て、下着も外してしまう。スカートも、下も、全部脱いでしまって、本当に綺麗に、全裸になって見せる。


 ――ああ、これで終わりだ。


 少女Dは理不尽なこの世界に対する恨みと何者にも慣れない自分の無力に対する呪い――何もかもの感情を込めて、作品世界に叩きつけるように、ベッドの上、仁王立ちした。


「僕、男だよ。バカ」





 少女Dは美少年だった。


 小柄で綺麗な肌を持ち、さらさらの髪をしていた。小鳥のような声色。ほっそりとした痩せ気味の身体も、胸がないことを不自然に見せなかった。どれだけ男の格好をしても、一見すれば、美しい少女にしか見えない。


 それは、強烈な個性。


 下手をすれば、主人公やヒロインを上回るアクの強さ。


 だから、少女Dは無数に広がる作品世界を前にして、自分を少女として売り込む手段を取った。美少女にしか見えない美少年――そんな飛び道具のようなキャラクターは背景に向かない。逆に、ただ美しいだけの少女ならば需要はある。


 モヒカン雑魚先輩は云ったものだ。


 ――お前ならば、メインキャラクターになれる。


 少女Dはその言葉に青ざめてしまった。自分みたいなキャラクターが、物語の中心に立つなんて恐れ多い。そんな自信もなかった。少女Dはずっと、物語の背景のどこかに、自分の居場所を探して来たのだから。


 ラブコメのサブヒロイン。


 それだけでも、少女Dにとっては天上の世界だった。


 少年っぽい少女というキャラクターに、少女Dは確かに未来を夢見た。そこが自分の居場所になるかもしれないと、分不相応な希望を抱いた。だから、これは罰なのだと思う。思い上がった自分に対する罰だ。


 物語を壊した。


 作品世界を壊した。


 それは一人のキャラクターが犯す罪として、おそらく最悪のものだ。作者の意図を外れて、キャラクターが独り歩きする――それ自体は珍しいことではないけれど、そこには作者と登場人物の信頼関係が必要になる。


 責任を背負い、物語に向き合う。


 それは決して、暴走することではない。


 少女Dがやったことは、作者が求めていたキャラクターの枠を外れるどころか、作品全体を不条理な世界観に吹き飛ばす行為だ。物語の根幹を揺るがし、下手をすれば、ラブコメというジャンルからも外れてしまう。


 だから、少女Dはあきらめに似た覚悟を抱く。


 自分は作品から、物語から、永久に追放されるだろう。キャラクターとして受け入れてくれる作品はもはや存在しないだろうし、このまま誰に思い出されることもなく、消えていく運命だ。つまり、キャラクターにとっての死。少女Dは、死を受け入れようとしていた。


 諦念の中で、ぎゅっと瞳を閉ざした。


 でも、少女Dは知らなかった。


 主人公やヒロインに求められるものが何か。メインキャラクターに必要な資質が何か。キャラクターにとって必要なもの、そのキャラクターでしか表現できない《何か》の存在。教科書をなぞるようなテンプレートには存在しない、時に自己矛盾を抱え、時に理屈ではわからない暴走もする――そんな《何か》を、自分が作品に叩きつけたこと。


 瞳を開く。


 万雷の拍手が、少女Dを迎えた。





 そして、彼は伝説となる。





 蠱惑的な笑みが、少年の心を溶かした。


「ねえ、私のこと、好き?」


 頬にさした赤み、ちょっとかすれた細い声。いつもは《僕》と自称するのに、今この時、《私》と云ってみせるのは、はたして試しているのだろうか。少年は、わからなくなる。物心ついた頃からの幼なじみ、いっしょの布団で寝て、何度もお風呂に入った。そんな親友が、ひらりとしたスカートの裾をつまみ、ゆっくりたくし上げながら、もう一度、ささやきかける。


「私のこと、好き?」





「あれ、僕、結局ヨゴレ役じゃない?」


 主人公やらヒロインやら、何はともあれメインキャラクターに引っ張りだこ――そんな多忙な生活を送る中で、少女Dは唐突に悟ってしまった事実に衝撃を受けた。


 今や、少女Dのキャラクターは多種多様。


 男役を求められることも、女役を求められることもあるけれど――ほぼ全ての作品で、男性から言い寄られる。あるいは、男性を誘惑する。そうして混沌に陥った世界観の中で、少女Dは様々な心を辿ってみせるのだけど。


 最初こそ色モノとして、目新しく迎え入れられたと感じていた。それがいつしか《女装美少年》少女Dというジャンルを確立し、様々なキャッチフレーズまで付加されるようになってしまった。


 正統派美少女に迫る勢いと、巷では評判。


 戸惑っているのは、他でもない少女D自身である。


「チーズバーガー、ふたつ」


 流行というものがある。


 キャラクターとして定着すればいいけれど、ブームが去れば忘れ去られるキャラクターはたくさん存在する。だから、少女Dも今は良くても、いつか落ちぶれる可能性はあるだろう。


「でも、そんなもんだろうな」


 夜道、一人で行儀悪く食べ歩きながら、ぶらぶら歩く。男だと云うのに、可憐な容姿ゆえに時折ナンパされる。繁華街のできるだけ人目がある場所を選びながら、心は自由に、気ままに歩く。


 どうやら、作品と云うものには悩んでも仕方ない部分が存在するようだ。それを最近、少女Dもわかってきた。作者やキャラクターがどれだけ苦労しても、結局、受け手が楽しんでくれなければ意味がない。そして、受け手は常に変化し続ける。


 少女Dもなるべく変化に合わせようと思うけれど、努力ではどうにもならないことは存在する。少女Dは男であるし、望まれた所で、女にはなれない。


 いつか見たように、今日も満月。


 遠く彼方にある満月に手を伸ばしてみるけれど、今も当然、そこに届くというようなことはないし、ドラマティックな何かが起こることもない。夜道は静けさに満ちているし、少女Dは一人で、ただ滑稽なだけだ。


 公園のゴミ箱にファーストフードの袋を捨てる。


 頬を勢いよく叩いて、かけ声をひとつ。


「明日も仕事、がんばろう」


 大きく気合いを入れた後で、ちょっとだけ本音。


「かわいい女の子といちゃいちゃする役が欲しいよ」


 仕事に対する愚痴をこぼしつつ、少女Dというキャラクターは未知なる物語へ踏み出していく。それはもちろん、何処にでも存在する平凡な日常であり、語られることのない気高き物語だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 迷宮都市のブラッド・ハーレムから来ました。 少女Dに惚れかけ…ゲフンゲフン。 男の娘に惚れる。そんな悪夢を見たのさ!
[良い点] 「少女D」の魅力 根幹の隠し方(なかなか巧妙だったと思います) [気になる点] 特になし [一言] すばらしい
[良い点] なんて着眼点……!と、度肝を抜かれました(笑) モヒカン雑魚はやられ役として日本中を駆け回ってますよね(笑) 女装美少年は……。知らないですね……。男装美少女に見せ掛けた美少年なら思い…
2012/05/27 21:22 退会済み
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