滅亡
マグガディア軍への奇襲を行った翌日。隼人はブルフグスよりもたらされた報告に一瞬耳を疑ってしまった。
「マグガディア軍が、撤退?」
「それは本当なのか?」
同じ思いなのだろう、いっしょに報告を聞いたリリィも信じられない様子で聞き返すがやはり返ってくる報告に変化は無かった。
「原因は分かるのかの」
「原因は簡単だ。昨晩の奇襲、あれによる被害が大きすげて戦いどころじゃなくなったからだ。
物質の大半は消失し、死者こそ少なかったが重傷者は全体の半数を超え、負傷者に至っては………。無傷の者を探す方が大変なぐらいだ。これを受け水と風の両将は撤退を決め、昼過ぎにはこの地を離れるはずだ」
「まさか、あの奇襲がこれほどの戦果を上げるとは………。
じい、私の記憶違いでなければこれほどの大勝利は白龍連峰に魔族が住み始めて初めてのことなのでは?」
「うむ、それどころか有史以来百にも満たぬ寡兵で四万の軍勢を撃退したという話は有りませぬな」
百にも満たぬ寡兵。たしかにその通りである。
しかし。
「たったあれだけの数で出来たのは偶然だ。奴らの警戒がもう少し高ければそこまでの被害は出てなかったはず。今度のようなことは二度と無いと思っておけよ。
それよりブルフグス、リティブルにはどれだけ兵が残っている?」
一応釘を差しながらブルフグスに問いかけると、彼は目を閉じて何かを考えた後に答える。
「マグガディア軍は今度の遠征を短期間かつ確実に成功させるためにほぼ全戦力を注ぎ込んできた。おそらく首都には千も残っていればいい方だろう。各地の都市にしてもリティブルを超える数の兵は残っていないはずだ」
「ありがとう。ダロス、マグガディアに今撤退中の軍を受け入れられる都市はどれだけある?」
「首都リティブルを除けば二つじゃな。
近いのは都市でコーラル湖の畔にあるジェラハル。ここから二日の場所じゃが、今のマグガディア軍の状態なら三日から四日はかかるじゃろう」
彼らが囲むテーブル上に広げられた地図に記された場所を確認し、隼人は小さく頷くとホトロゼナン山脈から首都リティブルを結ぶライン上の一点。マグガディア王国のほぼ中心ともいえる場所を指差した。
「撤退中のマグガディア軍よりも早く、こちらの全軍をこの地点に輸送することは可能か?」
無茶な話である。マグガディア軍がジェラハルに立ち寄ることを考慮したとしても、万を越す軍を先回りさせるなどどうやったら出来るというのか。
しかしダロスは顎に手を当てて思案すると、なんと条件付きなればと首を縦に振って見せた。
「どれくらい早く輸送できる」
「準備に一日かかりますが、準備さえ整えば一瞬で」
「よし、ならば……………!!」
隼人の口から無謀ともとれる命令が発せられる。
この世界の歴史上初めての魔族による大規模軍事行動が始まった。
コーラル湖はマグガディア王国にとって貴重な財源の一つである魔珠の産地である。魔珠というのはノロル貝という貝からとれる魔力の篭もった真珠で、魔結晶と並ぶ魔術補助具の一つとして知られていた。理由は解明されていないがノロル貝はコーラル湖のみに生息する魔獣であり性格は極めて温厚。すくなくとも過去百年ノロル貝が人を襲ったという報告は出ていない。
このノロル貝の精製する魔珠を目的として造られた都市が繁栄しないわけもなく、マグガディア王国でもリティブルに次ぐ、または比肩する都市に成長している。そんな都市に配備される兵の質も量も本来ならば他の都市と比べられる筈もないのだが、今度の遠征ばかりはそうも言っていられなかった。レード王の命により兵の九割が連れてゆかれ、過去最悪ともいえる警備状況。そんな状況で空と湖から襲いかかる魔族に抵抗することは事実上不可能であった。
「まさか、こんなにも早く遠征軍が敗北したとは………」
水中と空からの強襲。警備兵は瞬く間に制圧され、敵将から告げられる先の奇襲の結果にジェラハルの領主は力無く椅子に倒れ込んだ。告げられた情報の真贋を確かめる方法は無く、しかし真実であれば遠征軍に力が残っていないことは明白。例え虚偽であってもそれならば当面ジェラハルへと戻ってくることはない。結局今の彼らに魔族軍に抵抗する力はなく領主は降伏すること決意。湖畔都市ジェラハルは都市、魔族どちらにも対した被害を出すこともなく白龍連峰の魔族達の支配下に下ることとなった。
そしてその翌日。マグガディア王国中央に広がるカナート平原に大規模な空間の歪みが発生し、そこから魔族軍一万が出現する。行進する彼らの背後の大規模な空間の歪みの先にはホトロゼナン砦へと繋がっているのが見て取れた。
「まさかあの時の魔法でこれだけの数を移動させられるとはな………」
自分で命令しておきながら呆れたように呟く隼人に、同じ様に呆然としたリリィが同意する。
「じぃが大陸でも五指に入る魔導師だとは知っていたが………、まさかこのようなことまで」
彼らの視線の先では額に脂汗を滲ませながら呪文を唱え続けるダロスの姿がある。当然とはいえこれだけの術の維持は相当な重労働のようだ。彼の周囲では彼の部下である魔導師が十人、五つの頂点を抱く大規模魔力増幅陣を多重に展開することでダロスのサポートを行っているほどだ。
「これだけやってるんだ、失敗なんて絶対に許されないな」
次々ともたらされる報告を聞きながら次の指示を出し、その隼人の指示に従い出立する中隊達。
この世界の中隊とは千人規模の軍を指す。十人で一小隊としてそれが十小隊で小連隊。その小連隊が十小連隊で中隊となり、中隊が五つで中連隊。中連隊が四つで大隊に至る。さらにその五大隊で大連隊となるのだが、大連隊を組める国などレントリシア大陸では僅か一国、メダクトリ帝国だけである。大概の国が三大隊、を揃えるのがやっとというのがこの世界の軍事状況なのである。
出立して行く中隊を見送った隼人は、全軍の輸送が終わったことで閉じられる空間の歪みを背に、目の前に並ぶ三中隊に向き合う。
すでにそこが定位置となった左背後に立つリリィに頷き、軍へと号令を下す。向かう先はマグガディア王国首都リティブル。
魔族の手による史上初の侵略戦争が幕を開ける。
「なぜ、なぜだ………。なぜこのようなことになった!!」
レード王の悲鳴じみた叫びに答えることができる者はいなかった。
今の叫びが嘘のように脱力して玉座に崩れ落ちたレード王は、一体どこで何を間違えたのか考え始める。
すぐに行き着くのはたった今この都市を攻める魔族を率いる男の存在だ。
来訪者という圧倒的戦力を得るために呼び出された祭隼人とという男。マグガディア王国の勇者の地位を与えられながらも、国を侮辱し国賊となった男。
あの男を召喚するために自分は、マグガディア王国はどれだけの費用を、時間を消費したのか………。しかしせっかく召喚した男は言うこと聞くことはなく、なんとか利用しようとあらゆる手を使ったが、結果はこの様である。
マグガディア王国の滅亡。それが目の前に迫ってきている。自分達が召喚した男の手によって。
そう、全てはあの男が原因ではないのか。
何度も繰り返される思考は常に隼人へと辿り着き、そこでループを繰り返す。
あの男さえ、あの男さえ召喚されなければと。
自分達が召喚したことを棚に上げ、レード王は隼人へと憎悪を募らせる。
そんなところに兵士が駆け込み、都市の門が破られたとの報告が入る。謁見の間から出られるテラスの向こうになるほど街へと雪崩れ込み、城へと向かってくる魔族の姿が見える。首都に残された兵士のほぼ全ては正面の城門へと纏めて配備されており、そこを破られたとあれば後はこの城まで連中を遮る物はなにも無い。
レード王は城へと進撃する魔族の中にいるだろう隼人へと憎悪にまみれた視線を送る。
あの男、あの男だけは許せぬと。
およそ半月ぶりのエルメティア城の廊下を歩く隼人は、城の各所を制圧したという報告を聞きながら謁見の間を目指す。
護衛としてついてきているのはリリィとライオックス、グリミナの三人。グリミナは名目上隼人の護衛だが、もしもの時は隼人よりもリリィを護るだろうことが容易く想像できてしまい。そのことに苦笑してしまいそうになるのを抑えながら、彼らは漸く謁見の間へと辿り着く。
本来ならば扉の前に並んでいる衛兵が仕掛けを動かすことで開かれる巨大な扉を、ライオックスは己の膂力のみで軽々と開いてみせる。
「久しぶりだな、レード」
「無礼者っ、陛下に向かってなんて口を!」
室内にいた護衛の騎士が剣を抜く。数は十人と多いが、それは決して彼らにとって有利となれる数では無かった。
最初に向かってきた騎士は、ライオックスが振るう金棒により一撃で絶命し、続く二人目も同様の末路を迎える。
逆の方向から同時に襲いかかる三人の騎士の前にグリミナが立ちふさがり、背負っていた大剣をまるで小枝のように操り瞬く間に惨殺してみせる。残る五人は武器を構えるも、リリィが唱えた魔法により闇に呑まれて事切れる。彼女がどうして捕まってしまったのか非常に疑問を覚えざるをえない強さである。
玉座に座るレード王の前に立った隼人は、能面のような無表情で彼を見下ろす。拳を握るでも何を言うでもなく無言で見下ろした。
「何か、言ったらどうだ………!」
痺れを切らしたレード王の悲鳴のような声にも、隼人は動かず只見下ろす。
今彼の内心で何を思っているのか誰にもわからないだろう。ただただ無言で見下ろす彼にレード王の神経が保たなかった。
懐から引き抜かれた短剣が、レード王の悲鳴混じりの叫び声とともに隼人の心臓目掛けて突き出される。
護衛としてついて来た三人が間に合う間合いではない。
短剣の切っ先が隼人に突き刺さる寸前、ようやく彼が動いた。ほんの僅か前にでれば傷つけられるかというギリギリのところで手首を掴んで短剣を止める。つかむ手に相当な力が込められているのか、レード王は悲鳴を上げながら手を離し短剣が床に転がる。
「リゼルダには伝えろと言ったが、それが届く前に滅ぼすことになったな」
少しの感情も込めず呟かれた言葉はすぐそばにいたレード王の耳にも届かずに消えていった。
隼人の右腕が閃く。全身の力を身体を捻ることで最大限に使用した右の肘打ち。鈍い音とともにサッカーボール大の“何か”が宙を舞い、謁見の間に赤い雨が降り注いだ。
この翌日、マグガディア王国の主要都市が全て魔族の手により制圧されることとなる。各都市に大きな被害を出すことなく、実にあっけない一国の滅亡劇は瞬く間に終劇を迎えた。
湖畔都市ジェラハルに辿り着いた元マグガディア軍に届けられたら王家の滅亡に、軍を率いていた水と風の両将軍は一体何の冗談かと耳を疑った。自分達が撤退を開始して僅か四日。その僅か四日の内に起きた事態に彼らはただ混乱するばかりだったが、各地から次々に届く報によりそれが真実だと理解させられることとなった。
間をおかずして魔族軍から降伏勧告を受けた両将軍は自軍の状態、そして何よりも首都より送り届けられたらレード王の生首を前にこれ以上の戦いは無意味と降伏を受け入れた。
帝国前歴五十二年、七月八日。
マグガディア王国滅亡。
マグガディア王国領全土が白龍連峰の魔族の土地となる。
同年、七月十八日。
帝国の前身となる魔族の国、スカイル王国建国。
白龍連峰に君臨した初代魔王の名を冠するこの王国の初代国王マツリハヤト。彼の物語はまだプロローグにすぎない。
・ブルフグス
65才。
前魔王ネスフィアムの配下だった人豹族の青年。魔族軍の密偵であり、情報収集のため常に世界を駆け回っている。剣将グリミナの異母兄。兄妹仲は良好。
物理属性資質:フリュフィズ(柔らかい速い)
魔力量:C
魔力属性資質:闇
・固有スキル《シャドウウォーカー》
影から影へと渡り歩く固有スキル。先天性スキルであり、祖先に闇の下位精霊族であるシャドウの特異個体を持つ者のみが低確率でえることができる。このスキルの使用条件は深夜であることのみであり、移動距離はスキル保持者の力量次第。