夜襲
会議を終え天幕から外へ出たリゼルダは空を見上げて小さく舌打ちした。
「満の白月か、嫌なタイミングだぜ………」
優しい光を振り下ろす丸い月。しかしこの月が登る翌晩からは魔族に力を与える満の赤月が三日も続く。
四万もの大軍である自軍がその程度のことで敗れるなど毛頭も思っていないが、それでも普段以上の力を振るう魔族に対してどれだけの被害を受けるかと思うと胃が痛くなりそうだ。
「リゼルダ様」
名前を呼ばれて背後を振り返れば、そこには緑色のライトメイルに身を包んだ若い女性の姿があった。
リゼルダと同じ風を司る四将軍の一人であるサリュアナ。二十そこそこという若さで今の地位についた王国一の弓の使い手は、不安そうな表情を隠すことなく近づいて来た。
「どうしたんだ?上が不安がってたら下も意味なく不安を覚えることになるって以前にも教えたはずだが?」
「すみません。ですがこの戦い、嫌な予感がするんです」
空に浮かぶ白い月に、彼女も彼と同じように明日から続く赤月のことを思っているのだろうか。
「………とは言っても陛下の命令だ。俺らの判断で勝手に軍を退くわけにもいくまい。
それにそう心配するな。奴らは今魔王を失った烏合の衆だ。元々組織だって動くことのない魔族が、今更一丸となって向かってくるわけが無い。
そんな連中に我が四万の軍が負ける理由も無いだろう」
おどけたように肩を竦めてみせるがサリュアナの表情が変わることは無く、落ち着かなそうに白龍連峰の方を見上げる。
「もしかしてあの来訪者のことを考えているのか?」
その考えが正しいと確信しているのかどこか呆れたように問うと、サリュアナは表情を変えることなく小さく頷く。
「彼は、私達の都合で家族や愛する者と引き離された。だというのに私達は………」
「今更だろう。儀式を行う際にそれを止めようとしなかった時点で俺達は同罪だ。それこそ同情する資格すらない。ならば俺達が同情すること事態が罪だろう?
同情するくらいなら儀式なんて止めるべきだったんだからな」
それだけ言うとリゼルダは馬鹿馬鹿しいとばかりに彼女に背を向ける。
「彼は今どうしているのだろうか?」
「さぁな。あの数の魔族を逃がしたんだ、行き先は白龍連峰だろうが、奴は魔王を殺しているんだ。快く迎え入れられることだけは無いだろう。よくて白龍連峰を追い出されるか、最悪動くことが出来ないように牢かどこかに張り付けられてるだろうな。ハヤトに普通の拘束は意味がないからな」
それだけ言うとリゼルダは自分のテントへと去って行く。
サリュアナはそれを見送り唇を噛んだ。
「国のためとはいえ、私達がしていることは正しいのだろうか………」
あの日、もとの世界へ帰ることができないと知った時の彼の絶望に満ちた表情を思い返す度に彼女の胸に痛みが走る。
リゼルダが言うようにそれが当然のように異世界者召喚儀式魔法を見守っていた彼女に、彼に同情する資格は無いだろう。しかし召喚された彼の運命を思うと、自分達の行った罪の大きさに潰されそうになる。
「もし、リゼルダ様の予想が当たっているのなら…………。
真にその場にあるべきは私達の方だ………」
満の白月が白龍連峰にかかる。
明日はついにその白龍連峰に攻め入ることになる。サリュアナは思考を切り換えようと頭を振り、それに失敗しながらテントへと戻っていった。
「いよいよだな」
月夜のテラスから見下ろす広場では準備を整えた隊から山を降りて行く様が見える。
今日の昼過ぎ、マグガディア軍がホトロゼナン山脈の麓に天幕を張っているという報告がブルフグスによりもたらされたのだ。恐らくマグガディア軍はそこを拠点に各山脈を制圧して行くつもりなのだろう。
さらに受けた報告によれば敵は当然ではあるが隼人が王位に着いたとは夢にも思っておらず魔王不在の統率のとれていない内に攻める気でいるらしく、襲撃に対する警戒心も薄いらしい。
その報告を受けた隼人は即座に夜襲を行うことを決め、急遽夜襲の為に軍を動かし始めたのだ。
「奴らは油断しきっている。今は数で圧倒的に勝る奴らに大打撃を与えるチャンスだ。
だが奴らに大打撃を与えたとしても、こちらまでダメージを受けては元も子もない。役目を果たしたら速やかに撤収する事を徹底してくれ」
「わかった」
最後の部隊が出発するのを見送りながらの言葉に鎧姿のリリィは静かに頷いた。
彼女の姿は普段着ている服とあまり違いはなく、例のレオタードのようなそれに胸元を守る胸当てに籠手を着け鉄製のブーツを履くという軽装である。
「しかし、この奇襲に王であるそなたまで出撃する必要はあるのか?
夜襲の成功の報をここで待っていてもよいではないか?」
隼人の身を案ずる言葉に彼は頭を振りながら振り返った。
今の彼はリリィの言葉通り完全武装の状態であった。完全武装といっても戦闘スタイルがスタイルのため、動きやすいよう軽量の胸当てや手甲をしているだけなのだが、それこそが魔王ネスフィアムと闘った時の姿なのだ。
「俺が全ての将兵に認められているんならそうなんだろうな。けど実際のところ、俺を王として認めているのはお前やライオックス、ダロスといった一握りだけだ。だから俺はより多くの皆に認められ信用を得るためにも大きな功績を打ち立てて見せなきゃいけない」
テラスから室内へと入り彼のベッドで寝息をたてる来訪者たる子ぎつねの背を撫でれば一瞬びくりと反応するものの、害意がないことがわかるのかすぐに静かな寝息を立て始める。
この子が来訪者だと分かった翌日、この子ぎつねに名前を聞いたが逆に名前とは何かと問い返されたことを思い出す。もとの世界ではただの狐でありこの世界に来てからもほとんど一人で生きてきたらしいことを考えれば、名前が無いのも当然なのかもしれない。
リリィの提案で隼人が名付け親になることになったのだが、そこで自分のネーミングセンスの無さに愕然としたのを思い出し、少々陰鬱な気分になりかけるがこの後のことを思い無理矢理思考をそこから引き剥がす。
何にしてもこの子にまだ名前はない。この戦闘が終わったら、今度こそ名前を付けてやらなくてはと心に決める。
彼女のおかげで自分がなにをすべきか、それが朧気にだがわかったような気がするのだ。そしてそれをちゃんとした形にするためにも、自分はこの戦いでより多くの人に認めてもらわなければいけない。
子ぎつねから手を離して隼人は寝室を出る。リリィを引き連れて階段を上って行き砦の屋上へと出ると、そこには数頭の竜と武装した魔族が十五人ほど整列して待っていた。
「準備は?」
「はっ、ご命令があればいつでも出撃できます」
答えたのは戦闘で槍を持つ純潔の竜魔族だった。暗いため見た目では判別しづらいが、声の高さからいっておそらくは女性だろう。
彼女の背後には同じように飛行能力を持つ鳥人族や鳥獣族、素早い動きが特徴の人豹族やデックアルヴ達が黒など闇に溶け込みやすい色彩の鎧を着て整列している。
礼を告げてから彼らを見回すと、隊列の中にはパルディアなど知った顔もあり目が合った時には静かに頷き返してきた。
「皆聞いているとは思うが、俺達はこれから麓で野営をしているマグガディア軍に奇襲をかける。
この奇襲は連中を倒すためのものではなく、確実に力を削ぐことが目的であることを胸に刻み込んでくれ。向かってくるならばともかく、逃げる敵を無理に追って殺す必要は無い」
そこで言葉を切ると案の定兵士達の中から不満の声や戸惑いの声が挙がる。今までの魔族の戦い方との違い故だろう。
「この中に狩りを行ったことの有る者は?」
隼人の質問に兵士の半数以上が手を挙げ、その中の一人を前に呼び出す。
それは隼人の言葉に不満を挙げていたデックアルヴの一人だった。
「名前は?」
「べ、ベラルです………」
不満を挙げたことで罰せられるのではないか、という様子の彼に苦笑しながら質問する。
「ベラル、一筋縄でいかない獲物をしとめる時まずどうする?」
「え、狩り、でですか?」
「そうだ。獲物だって馬鹿じゃない、ただ狩られるわけじゃないだろう」
「そ、うですね。罠へ追い込んだり、繰り返し攻め立てて体力を奪うとか………」
「それと同じだと思え。マグガディア軍という獣の体力を、反撃能力を奪い確実に仕留めるための攻撃だと」
隼人は満足そうに頷いて言葉を続けた。
「今回の奇襲で重視することは奴らを確実に弱体化させること。
敵を殺すことよりも物資を始末すること重視しろ。物資を破壊し使えなくし、食料を燃やして食べる物を奪ってやれ!」
狩りを例に出したことが効いたのか、全員が納得したわけではないにしろ不満の声は少なくなった。
「いいな、退き際を間違えるな」
そしてベラルを列に戻し再び一同を見回して告げる。
「いいな、これは命令だ。絶対に死ぬな。
そのためにも退き際を間違えるな」
隊長らしき先ほどの竜魔族の女性に目配せし、それを受けた彼女の命令で飛行能力を持たない者達が竜に騎乗して行く。
隼人もリリィに一頭の雷竜の下へと連れられる。
「ヒュートゥ、またそなたと飛べることを嬉しく思うぞ」
リリィが微笑を浮かべて下ろされた雷竜の首を撫でると、ヒュートゥと呼ばれた雷竜は嬉しそうに目を細め背中に設けられたら鞍に乗りやすいようにと身体を低くする。
「リリィの竜なのか?」
「うむ、卵のころから私が世話をしてきたからな。有る意味、息子か弟のようなものだ」
先にヒュートゥの背に乗ったリリィに手伝ってもらって隼人も彼女の後ろへと座り、鞍につけられたベルトで身体を固定して号令を発した。
「出撃!」
号令への返答は大気を叩く幾つもの翼の音。
ヒュートゥを先頭に砦の屋上にいた者達が次々と月夜に舞い上がる。
風を切り空を飛んでいることに少なからずの高揚を覚えながらも、隼人の意識はこれから行われる戦闘へと向けられている。
僅かな月星の光が注がれる暗闇の中、遠くに小さく見えるマグガディア軍の陣地へ向けて彼らは空を駆けた。
見張りの兵が一番最初に知覚したのは目を焼き尽くさんばかりの光だった。
とっさに目を庇うこともできずに次の瞬間には轟音が耳を突き抜け、遅れてやってきた衝撃に地面に転がされる。
突然の出来事になにがなんだかわからない兵士は、それでも緊急事態であることは理解したのか身体をふらつかせながらも立ち上がり腰の剣を引き抜いていた。
しかし直後生まれる灼熱感は一体何だったのだろうか?
自身の胸元、いやこれは体内だろうか?
胸の奥からこみ上げた何かを口から吐き出し、見張りの兵士はその生涯を終えた。
事切れた兵士の身体から剣を引き抜き、ベラルは頭上を見上げた。そこでは彼をここまで運んできた火竜の姿があり、彼と同じように運ばれてきた仲間たちが地面へと飛び降りるところだった。
そして敵陣のさらに奥の方ではこの場所にあった篝火に雷撃のブレスを放った雷竜が、その身を地面すれすれにまで降ろすのが見える。おそらくあの竜に乗っていた人間の魔王が地面に降りようとしているのだろう。
つい先ほどのことを思い出し複雑な気分になる。
ベラルの兄は魔王ネスフィアムの居城の兵士の一人だった。そのたった一人の兄弟の死が伝えられたのが二週間ほど前。今の王が勇者として城に突入したとき、その前に立ちふさがり命を落としたという。
それを聞いて当然彼は隼人のことを憎んだ。そして今も彼を憎む気持ちは確かにある。しかし先ほど間近で彼の姿を見たとき、その気持ちが揺らいだ。正確にはその目を見たときだ。
デックアルヴはリョースアルヴと同じ様にランクBの《精霊対話》を種族スキルとして持っている。それ故に見えた彼を取り巻く精霊の姿。孤独と後悔を司る名も無き精神精霊、怒りや決意、激情を司る精霊が彼の周囲を取り巻いていたのだ。そして通常ではあり得ない数の孤独と後悔の精霊達はそのまま彼の孤独感、後悔の大きさを表している。
だというのにともにある正反対の質を持つともいえる激情の精霊は?
隼人は怒っているわけでも激情に駆られているわけでもなさそうなのだ。
ならばあの精霊は彼の決意の表れなのか?
それならばそれは何の決意なのか?
あれほど大きな後悔を背負いながら、いったい何を決意したのか?
ベラルはそれが知りたくなった。兄を殺したあの王がなにを後悔し、そのうえで何を決意したのか………。
ベラルはそこで思考を止める。今行る場所は戦場だ、余計なことに考えている場合ではない。
ベラルは目の前のテントに剣を振るい布を切り裂き中を確認する。運良く彼が着地した場所はマグガディア軍の食糧を保管しているテントの前だったらしく、それを確認した彼はうっすらと笑みを浮かべて革製の籠手に唯一装飾品のようにはめ込まれたルビーに触れる。
「出番だぞ、サラマンドラ」
その呼び声に応えてルビーが赤く煌めき、そこから全身が青い炎で構成された蜥蜴が出現した。
《精霊対話》のスキルを持つ者のみが扱える精霊術。彼は精霊術を扱う精霊師の一人なのだ。
ベラルの頼みに答えてサラマンドラが地を駆ける。たったそれだけでテント内の食糧は燃え上がり、その日は直ぐにテントそのものを業火で包み込んで行く。
ここまで燃やせばちょっとやそっとでは消すことはできないと判断し、ベラルはサラマンドラを呼び戻した。
近寄っただけで食糧を燃やすほどの高温を放っているはずが何でもないように肩に乗せると、ベラルは次のテントへと走る。後二つか三つも燃やせば十分だろうと、こことは違う場所で仲間達が同じ様に成果を上げているのを見ながらそう思った。
マグガディア軍の陣地はホトロゼナン山脈から流れる川のそばに作られていた。
「おい、なんだよありゃ!」
「ドラゴンだ!ドラゴンの襲撃だ!」
川で見張りをしていた兵士やちょっと水を汲みに来ていた兵士達は、突如襲いかかった音に一斉に振り返り、そして見た物は燃え上がる陣を眼下に夜空を舞うドラゴンの姿だった。
「なんでだ、何でこんなところにドラゴンがいるんだ!奴らの餌場は北の平原のはずだろ!」
怯えの混じった声を上げながらも見張りの兵士は武器を手に陣へと戻ろうとし、ふとつい今までそばで騒いでいた仲間の声がしないことに気づく。
もしや恐れをなして逃げ出したのだろうか?
ドラゴンという存在に恐怖を覚えているのは自分も同じであるが、今燃えているあそこには仲間がいるのだ。それを救出しなくては。
そう思い仲間に振り返り、彼は見た。つい今まで騒いでいた仲間達が百舌鳥の早贄のごとく槍に突き上げられている姿を。
「な………!?」
そしてその槍を持つ魔族の姿に身体が硬直し、それが致命的な隙となって彼を襲った。
「まったく恐れ入ったな」
槍を振るって血を払うと魚人族の男-ジャウラは目の前に転がるマグガディア軍の兵士を見下ろす
「えぇ、最初は何を言っているのかとも思いましたが、確かにこれは効果的なようです」
共に川から上がった水魔族の女性、ジャウラの相棒のネリアシュは混乱状態に陥っているマグガディア軍を見ながら同意した。
「たしか俺らの仕事は、奴らが落ち着きを取り戻したときに背後から一当てすることだったな」
総勢五十人からなる魚人族と水魔族の混成部隊を率いることになったジャウラは、この部隊を編成させた新しき魔王の知恵に感心する。
彼らはこの奇襲が決まる前からこの部隊の編成を行っていた。それは今回と同様に川からの奇襲を行うことを考えていたのだろう。彼もその仲間も戦うとすれば如何に自分達のテリトリーに引き込むか、それか他の仲間に混じって真っ正面からぶつかることしか考えたことがなかったためこの戦い方は非常に新鮮な物だった。
最初は自分達だけでわざわざ敵のテリトリーに突撃することに不安を覚えていたのだが、今の敵の状態を見ているとその不安はいくらか解消していた。むろん今でも多少の不安が有ることに変わりはないが、突然のことに対する敵の混乱ぶりを見ればそれもそこまで心配することでは無いように思えてくるのだ。
「一当てといってもやることは彼らとあまり変わらないことを忘れないで下さいよ?」
「わかってるよ。ちょいとつついて反転。テントに火を放ちながら川へと撤退だろ?
新しい陛下にも生き残ることを優先しろと言われてるんだ。余計な欲だして死ぬなんて馬鹿な真似できるかよ」
彼の言葉に同意するように仲間達も頷き、それに満足したのかネリアシュは引き下がった。
「それじゃ俺達はもう少し様子見させてもらいますか」
ジャウラの不適な笑みを浮かべながらの言葉に全員が頷いた。
「くそ、一体どうなってるんだ!」
各所から上がる火の手にリゼルダは苦々しげに怒鳴り声を上げる。専用のテントの中で寝ていた彼は突然の爆発音で目を覚ました。鎧も着けずに飛び出した彼が見たのは頭上を飛びすぎて行く火竜の姿だった。
そしてさらに彼を襲う熱気に彼らの陣が燃えていることに気付かされた。
「リゼルダ様!」
「サリュアナか!」
声に振り返ると思ったとおりの人物が駆けてくるのが目に入る。こちらは寝ていなかったのか鎧を着け、得物の弓を手にしている。
「何が起きた!」
「襲撃です!
先ほどドラゴンの背から魔族が飛び下りるのが見えました。まさか魔族が夜襲を仕掛けてくるなんて………」
陣を燃やされたことにか、それとも夜襲を警戒していなかった自身の油断についてかは分からないが悔しそうに表情を歪める彼女にリゼルダも苦々しげに吐き捨てる。
「くそ、油断していたな。
連中はなまじ俺達よりも強ぇ連中が多いからこういう手に出るなんて考えもしないって聞いてたんだが………」
「私も魔族が夜襲や奇襲を仕掛けて来たと言う話は聞いたことが………。
とにかく兵を集めて事態の収集を………!」
「サリュアナ、どうし……た………」
表情を驚きに固めて自分の背後を見つめる彼女にリゼルダは訝しげに背後を振り返り、そこに思わぬ姿を認めて言葉を失う。
「この間の晩は世話になったな。
それとサリュアナは久しぶりっていうべきか」
テントを燃やす炎に照らされ、マグガディア王国の元勇者祭隼人が姿を現したのだ。その背後にリリィを従えて対峙する隼人に二人は自分達が幻を見ているのかと動きが止まる。
「………お、お前があの魔族達を率いているのか?」
「あぁそうだ。俺が白龍連峰の魔族達を率いている」
やっと絞り出された問いに世間話でもするかのように答えた隼人は二人に順に視線をやると、静かに口を開いた。
「この夜襲はほんの挨拶代わりだ。
王に伝えておけ、マグガディア王国は俺が、白龍連峰の魔王ハヤトが滅ぼすとな」
その言葉にサリュアナはビクリと身体を振るわせる。無表情でありながら彼の言葉から滲み出る殺気を肌で感じ取ったから。
彼女はたしかに隼人をこの世界に呼び出したことを悔いていた。自分達のせいで彼の人生を歪めてしまったと。それでも彼女にとってその言葉は見逃せるものではない。彼女にとってマグガディア王国とは何物にも代え難い故郷だからだ。
故に彼女は気付いたときには、無防備にも自分達に背を向けた隼人に弓を向けていた。流石はその若さで風の将の地位に就いたと思わせる素早く綺麗な動きで矢を構え弓を引いた彼女は間を置くことなくその矢放っていた。
空気を引き裂き飛ぶ矢に、隼人は反応することもできずに胸を貫かれた。
「ぐっ!」
「ハヤト!」
隼人のうめき声でそれに気付いたリリィは、素早く隼人の背から矢を引き抜き腕を振るう。
呪文を紡ぐこともなく完成されるのは闇属性下位攻勢魔法。魔力で生み出した闇の魔弾はまるでショットガンのごとくサリュアナ達に襲いかかった。
「ちぃっ!」
サリュアナとリリィの間に身を割り込ませたリゼルダのタワーシールドに防がれ、闇色の魔力が虚しく空に散った。
「ちっ、背後から仕掛けてくるとは思ってたけど、まさかサリュアナの方とはな」
油断したと口端から垂れる血を拭いながら振り返る。背から貫かれた傷はリリィが矢を抜いたことですでに《異常再生能力》が完治させている。
周囲を見回し陣の様子を探り、未だマグガディア軍が混乱のさなかにあることを確認すると構えをとりながらリリィの前に出る。
「なら、もう少し時間を稼いでいくか」
「そうはさせません。マツリハヤト、あなたはここで討ち取らせていただきます」
サリュアナが第二矢と第三矢をほぼ同時に放ち、隼人はそれを拳で打ち払う。その隙をついてリゼルダが魔法で凍らせた地面を滑ってチャージを敢行し、突き出されたランスを脇に掠らせながらも回避する。
そして回避した隙を狙って矢を放とうとするサリュアナにリリィが光弾と闇弾を放って牽制する。
「ふん、そなたらごときにハヤトをやらせはせぬよ」
「貴女は、魔王ネスフィアムの………。まさか父親を殺した勇者につくとは思っても見ませんでした」
挑発するようなサリュアナの言葉に不機嫌そうに眉をしかめると、早口に呪を紡ぎ掌の上にバスケットボール大の火球を作り出す。
「何を言うかと思えば………。もとより魔族は力持つ者が頂点となる力社会。父が敗れた以上は勝者たるハヤトが王の地位に就くのが自然の流れ。
そなたらこそ無理矢理召喚したハヤトを騙し利用した罪、その身に刻むがよい!」
「っ!?」
リリィの言葉に動揺を見せたサリュアナに火球が放たれる。
表情を歪めながら、魔力を込めた矢を火球へと放つ。魔矢は火球を貫くも一瞬で焼失し、貫かれた火球もゴルフボール大の小さな球となってサリュアナの周りに降り注ぎ周りを炎に囲まれる。
「しまった!?」
自身を囲む炎の熱気に顔をしかめながら、サリュアナは火の勢いの弱いところへと飛び込んで炎の囲いから脱出する。
硬い物を殴りつける音とともにリゼルダの身体が地を滑りサリュアナの傍へと後退してくる。盾で受けた隼人の蹴りの威力に舌打ちし、リゼルダは再び槍を構えた。
「サリュアナ、大丈夫か?」
「はい、しかしこのままでは………」
「ちっ、他の連中は何してんだ。報告も何も回ってきやがらねぇ」
表情を歪めて悪態をつきながら盾を構えるリゼルダの背後からサリュアナが矢継ぎ早に矢を放つ。しかしそれはリリィの操る風の壁に散らされ何にも刺さることなく地に落とされた。
「リゼルダ将軍、サリュアナ将軍!!」
「やっと来やがったか!」
炎の向こうから数人の兵士が駆けてくるのを見た隼人はリリィとともに大きく後方へと跳び退る。
「将軍、魔族が………!ここにまで!?」
口早に報告しようとした隊長らしき兵士が隼人に気付き、兵士達は一斉に武器を構える。兵士達の中には鎧を着けていない者もあり、寝起きからそのまま飛び出してきたことを伺わせる。
「リリィ退くぞ」
小声でそう告げられたリリィが指笛を吹くと、頭上を旋回していたヒュートゥが二人の背後へと着陸する。目の前に現れたドラゴンに兵士達が動揺するが、リゼルダが一括し逃げ出す者は出ない。サリュアナが最後の矢をヒュートゥ目掛けて放つが、それはヒュートゥ自身が放った雷撃のブレスに撃ち落とされた。
隼人とリリィは素早くその背に飛び乗り、二人が乗ったことを感じたヒュートゥは即座に空へと舞い上がる。
「レードに伝えろ!首を洗って待ってろとな!」
空へと登る雷竜の背からそれだけ告げると、ハヤト達は他のドラゴンと魔族を引き連れ飛び去って行く。
「い、今のは勇者ハヤト!なぜ彼が魔族と一緒に!?」
兵士の一人が飛び去る隼人に気付き悲鳴に近い声を上げる。
「奴がマグガディアを裏切ったのは周知の事実だ。誰と一緒にいたところで不思議はない。まぁ、その“誰”が魔族だったのは俺も驚いたが………」
「それよりも、今の状況はどうなってますか?」
「は、はい!
現在各所で上がっている火の手は魔族の手による物と判明、その魔族達は飛行能力を持つ者は空に逃れ、それ以外はホトロゼナン山脈へと逃走!
大半の兵は火事の消化に掛かり切りの状態です!」
サリュアナは兵士を落ち着かせるように自身の動揺を隠して静かに報告を促し、兵士も急いで姿勢を正して現状を報告する。
「今動ける兵は」
「混乱のため正確な数はわかりませんが、ここにいる以外にも隊長各の者が兵を集めています!」
報告を聞いたリゼルダはあまりに散々たる状況に舌打ちしたくなるのを抑えて兵士達に指示をだした。
「わかった。お前達は他の隊長各に連絡を入れて至急二、三小隊分兵を集めろ。
サリュアナ、集まった兵を連れて逃げる魔族を追撃しろ。さすがにやられっぱなしじゃ志気に関わる」
「は!」
「俺はこのまま消火の指揮をとる。そっちは頼んだぞ」
「わかりました」
伝令のために散って行く兵士を見送り、サリュアナも兵を集めに走り出す。
「さて、俺は消火に移るわけだが………。
ちっ、川の水を使うしかないか」
川へと向かう道すがら、兵に指示を出しながら走るリゼルダ。
しかしそんな彼らをあざ笑うかのように川の方から雄叫びがあがる。
「今度は一体なんだ!」
半ばやけくそ気味怒鳴った彼が見たのは、およそ五十人ほどの魔族の群れだった。魚人族や水魔族で構成されたその群れは、手に武器と松明を持ってようやく当初の混乱から立ち直りかけていたマグガディア軍の中に飛び込み、たちまちマグガディア軍を再度混乱の坩堝へと叩き込んだのだった。
この再度の混乱によりマグガディア軍は消火活動は致命的な遅れをとることとなり、持ってきた物質、食料の八割を失うこととなった。
さらに人的被害も甚大で、死者の数こそ四百人ほどと全体の1%だったものの、火傷などの負傷者の中で重傷を負った者は約二万五千人と全体の半数以上に上ることとなった。
「将軍、敵を補足しました!」
「全軍突撃!敵を逃がさないで下さい!」
兵士の声に前方を睨みつけるサリュアナの目にも月明かりの下を走る敵の姿が見つけられた。
矢を補充できなかったため置いてきた弓の代わりに、敵に近づかれた時に使用するレイピアを掲げ、なんとか揃えることの出来た五十人の兵士に命令を下した。
それに答えた兵士達が雄叫びを上げて逃げる魔族の背目掛けて走り出す。
しかし彼らが最後尾を走る魔族に追いつくよりも早く、前方の岩場から雨のように矢が降り注ぎ、運の悪い二人が喉に矢を受け息絶える。
「な、全軍止まれ!」
再度サリュアナの下した命令に足を止めた兵士達は闇夜に紛れて放たれる矢に後ずさり、盾を持つ兵が前に出てそれを構えて矢が降り止むまで耐えるが、矢が止む頃には追っていた魔族は見失い悔しさに歯を食いしばる。
「サリュアナ将軍………」
「悔しいですが退きます。このまま追ってもあの矢の雨に討たれるだけです」
苦渋に満ちた表情で下された命令。それに従い彼らは先の矢に倒れた仲間の死体を回収して引きあげるのだった。
・シャナンクル
百二十四才
リョースアルヴの女性であり、前魔王ネスフィアム配下四魔将の一人で妖将の地位に就いていた。
稀代の精霊使いであり、平時は常にデックアルヴのメイドをそばに侍らすレズビアン。グリミナ同様、ネスフィアムには召し上げて頂いたことに恩義を感じ強い忠誠を捧げている(レズであるがネスフィアムになら抱かれてもいいと思ってるほど)。ネスフィアムの娘であるリリィアネイラのことは敬愛すると同時に“女”としても見ることがあり、ネスフィアムを殺したことと合わせて、よくそばにいる隼人に対していい感情を持っていない。
物質属性資質:フリュアンフィス(柔らかいやや早い)
魔力量:A
魔力属性資質:風
・種族スキル《精霊対話》
ランクS
リョースアルヴとしての種族スキルである《精霊対話》だが彼女の資質と修業によて最高ランクのSにまで高まっている。