迎撃準備
隼人が王位について三日が過ぎた。現在隼人はホトロゼナン山脈の砦にて各種の報告を聞いているところだった。
なぜ同じホトロゼナン山脈にある前魔王居城ではなくこの砦なのかというと、魔王城が半月ほど前隼人の行った戦闘によって半壊してしまっているからだった。
「言われたとおり歩兵を中心とした前衛部隊と、弓兵を中心とした援護部隊との組み分けはほぼ完了した。前衛部隊の指揮はグリミナが、援護部隊の指揮はシャナンクルがとることになっている」
「わかった。それで例の部隊は?」
手渡された報告書にから顔を上げ、リリィに訪ねる隼人の格好は今までとは全く違うものだった。
マグガディア王国を脱出した日を含め、普段はマグガディアで用意された貴族の服を着ていた隼人だったが、今は黒を基準としたシンプルな服装になっていた。黒いズボンに無地の黒シャツ。元の世界で彼が好んできていた服装なのだが、王なのだからもっと着飾れとリリィに押し付けられた金糸と銀糸で魔術印を縫い込んだ赤いコートをその上から羽織っていた。このコートというのが前魔王ネスフィアムの持ち物だったらしく素材も造りも相当高価なものらしい。これを着せられた当初はグリミナやシャナンクルにはすごい形相で睨まれたりしたが、リリィが何かを言ったらしく今ではそれもなくなっている。
「そちらの編成も急いではいるが………。何分初めてのことらしいからな」
「やっぱり手間取っているか」
隼人の問いに答えるリリィの表情は暗い。そこから察した隼人も表情を暗くする。
彼らが急いでおこなっている軍の編成。これには理由があった。
隼人が王となった翌日、マグガディア王国が白龍連峰へと軍を出したという情報が入ったのだ。
その情報をもたらしたのは剣将グリミナの異母兄である人豹族の青年ブルフグス。リゼルダの兵に囲まれたとき隼人に森へ逃げるよう指示した人豹族だった。
彼はネスフィアムの代に諜報員としてマグガディア王国へと侵入しており、あの日あの場にダロスがいたのも彼の報告によるものだった。
「魔法部隊の方は?」
「そちらは順調だ。もともと各将の下にいた者を分けるだけだからな。
言われたとおり回復魔法を扱える者は別に編成している」
「ありがとう、それだけでもだいぶ違うはずだ」
持っていた報告書をテーブルに奥のと同時にリリィから視線を逸らし、窓の外に移る景色を眺める。
この砦がある辺りは僅かな草木しか生えない岩場になっているが、少しくだった辺りからは豊かな緑に覆われており、隼人が見ている合間にもそこから野鳥が飛び立つのが見えた。
「それと、水魔族と魚人族の協力も得られた。こちらも志願者をハヤトの言ったとおりに配置している」
「………打てる手はすでに打った。後は全力でもって結果をもぎ取るだけか………」
「今まで我々は個々の将が勝手に動いていたが、それでもマグガディアを含め他国の侵略を許したことはなかったのだ。しかし此度はハヤトの立案の下全軍を上げて、それが一つの意志の下統一されて動くのだ。そうそう負けたりはせんよ」
確かに魔王軍が人間の軍に敗れたことはほとんど無いのだろう。敗れた、または軍を突破された事例は隼人のような勇者と称された者達少数による一転突破のみ。ポテンシャルのアベレージが高い魔族達に対し個々のポテンシャルがより高い者達の手によるもの。
軍同士の戦いにおいての無敗故の自信に満ちたリリィの言葉に隼人は小さく頭をふった。
人間達は魔族に対して確かにほぼ全てのポテンシャルアベレージは劣っているかもしれない。しかしそんな人間でも魔族に勝っている物があるのだ。それは人間という単一種のみで国という形態を形成できる“数”。それこそが人間達最大の武器であり、魔族には補えぬ弱点なのだと隼人は考えている。
『戦いは数』
誰言ったのだったか戦争というものをよく表している言葉ではないだろうか?そしてブルフグスの報告によれば、マグガディア王は国のほぼ全軍でもって進撃しているらしい。その数は四万。マグガディア王国の全人口が十六万であることを考えれば、実にその四分の一が動員されていることになる。これだけでもレード王の本気の程という物がよくわかる。対する魔族達の戦力は一万二千。マグガディア軍の半分にもみたないのだ。いくら魔族の個々の能力が高いとはいえこれでは数の暴力の前に呑み込まれることになるだろう。
そう考えての軍整備を急ピッチで行っているのだが、なれぬ戦い方をするという不安材料が生まれる事実に、隼人はリリィのように楽観視することができないでいた。
せめてもの救いは膨大な数の軍となったが故に全体の進行速度が遅く、ホトロゼナン山脈にたどり着くまでに時間がかかるということか。
「とにかく今はマグガディア軍がここに来るまでに、できる限りの準備をしておくことか………」
窓から視線を戻し、視界にリリィが入ったところで視線を逸らす。
先ほどからまともに自分の方を向こうとしない隼人に、リリィは首を傾げる。
「そなた、先ほどからどうしたのだ?」
「いや、べつに………」
表情が赤くなっていること自覚する隼人は、再び窓の外へと視線を移して彼女に顔を見られぬようにする。
なぜ彼がこのようなことをしているのか。当然のようにその理由はリリィ自身にあった。
隼人が先日とは違う服を着ているように、彼女も奴隷として与えられていたものから自身の私服に着替えている。そしてその服装がそもそもの原因であることに彼女は気付いているのだろうか。
彼女のの服装を説明すれば以下の通り。
とある竜種の革を使用しているというその服は、身体にピッタリと張り付き出るところがしっかりと出て引っ込むところは引っ込んでいる彼女のボディラインを強調し、彼女の背には一対の黒翼があり腰の後ろからは尻尾が生えているため背中が大きく開けられ、袖もなく首筋から肩、背中ににかけてその透き通るような白い肌がさらけ出されているうえに、その生地の色が黒いためよけいに白い肌を強調している始末。さらにその服の形状は隼人の感覚からしてみればレオタードや水着のそれで、かなり急角度のハイレグとなっており、そこから延びる両足の白さも同様に強調されている。一応腰回りはスカートのような飾りが付けられてはいるが、股下数センチもないうえに前が大きく開かれ、非常に薄いレースが申し訳程度に隠すだけとなっている。そしてその布飾りも実際はガーターベルトのようなもので、そこから延びたリボンのようなそれが腿の半ばまでを覆う黒いタイツを吊している。そして白く細い彼女の両腕は紫色のレースの手袋が肘までを覆い、何とも言えぬ色気を放っている
元の世界でもこの世界においても女性のここまで際どい姿を見たことの無かった隼人にとって、彼女の姿は刺激的すぎたのだ。
「む、そうか。だが無理はするな。今のそなたは白龍連邦に住まう魔族の王なのだからな」
それだけ告げると持ってきた報告書を手にリリィは部屋を辞して行った。それを見送った隼人は盛大にため息をついて、備え付けの水挿しで喉を潤しテーブルに突っ伏した。
「あの服装、どうにかならんかなぁ。ならないだろうなぁ」
あれには相当参っている様子の隼人だった。
風を切る。
そんな表現が生やさしく聞こえるような轟音が兵士の集まる中庭に響いている。音の主は巨大な金棒を手にしたライオックスで、現在彼の身体を包むのは十年ぶりに再会した家族から手渡された鬼族の伝統鎧だった。鬼族は成人の儀式として一人で魔獣を狩りに行き、その狩った魔獣の骨や甲殻などを使用して鎧を仕立てることができて初めて成人と認められるのだ。
彼が身にまとう鎧は胴部分を茶色い甲殻で包み、両肩には竜種の頭蓋を肩当てとして使用しており、そのほかの部位も全て竜種という他では類をみない代物。それだけでも彼の実力が伺えるというものだ。そしてそれを証明するように轟音とともに振られる金棒に、見るもの全てが頼もしそうに視線を送っていた。
「精がでるな」
「ん、グリミナ将軍ですかい」
いつの間にかそこにいたのか、金棒を振るうのをやめた彼女の背後に立ったグリミナはどことなく不機嫌そうな表情のまま彼に近づいて行く。
「お前に聞きたいことがある。少し時間を貰っても?」
「別にかまいやせんぜ。クガーザ、パルディア。ちと行ってくるから後は頼んだぁ」
どこに?という疑問は返ってこない。あるのはどこか諦めの混じった了承の返事。二人と同じく奴隷闘士として捕まっていた者達も、二人と同様に諦めたような笑みを浮かべて頷きあっていた。
そんな反応をされているとはつゆ知らず(グリミナは気付いていたが)ライオックス達は中庭から兵士の控え室へやってきた。
進められるままにソファに腰を下ろすが、巨体の彼にとって二人分のソファでも少々窮屈そうで、身じろぎするだけでも軋むソファに彼女は知らず知らず表情をひきつらせていた。
「で、俺に聞きたいことってぇと?」
席について早々にライオックスの方から口火を切られ、グリミナは表情を改めてライオックスに向きなおった。
「ハヤト王についてだ………」
隠そうにも隠しきれない険の籠もった言葉にライオックスは目を細める。それはまさしく獲物を観察する狩人の目そのものだった。
「大将が、いったい何だってんでぇ?」
控え室の空気が、まるで灼熱の業火がそこに現れたかのように変化する。
それを成すのはライオックス。隼人が彼らの王として即位したあの日より、グリミナなやシャナンクルが隼人に対していい感情を持っていないことを知っていたからの反応だった。
「私は先王陛下に実力を認められ四将の地位に着いた。私の実力を認めて下さったネスフィアム陛下は恩人だったのだ。それはシャナンクルも思いを同じくするところ。
しかしその陛下もハヤト王に討たれた。正直私もシャナンクルも今の王の即位に疑問を拭えていない。あの王が我々に何をもたらす存在なのかとな。
無論、これに私情を挟んでいないかと問われれば首を横に振らざるえないが………。
だからこそお前に聞きたい。今の王に忠誠を違うお前に。
お前と私達とでは確かにお前の方が付き合いは長い。とはいえそれも半日足らずの差でしかない。それでなぜ忠誠を誓えるまでになったのか、その理由を………」
ライオックスから発せられていた燃えるような気が抑えられ、彼は静かに目を閉じて今の言葉を反芻した。
彼が隼人について行くと決めた理由。それはマグガディア軍の将軍クルアカンとの戦いの際に彼と将軍との間で行われた遣り取りも理由の一つなのだろう。しかしそれが全てかといわれれば首を横に振る自分に気付く。ではなぜ自分は隼人に忠誠を尽くそうと思えるのか。
いくら考えても明確な答えは出てこない。だから彼は思ったことをなにも飾らずに口に出していた。
「わかりやせん」
「私は真面目に聞いているんだが?」
ライオックスの言葉に、今度はグリミナから絶対零度の殺気が発せられる。殺気を向けられたライオックスは、しかしその殺気を気にした風もなく言葉を続けた。
「なんと言われようと分からねえもんはわかりやせんよ。ただ、この人は信じられる。命を懸けたって悔いはない。そう漠然と思えたから忠誠を誓った。ただそれだけですんで。
俺は頭で考えて動くのが苦手でしてね、一々考えながら動くことより思ったままに動く方が生にあってまさ。そうやって生きてきた俺の感がそう思ったからこその忠誠なんで」
暫くのにらみ合いの末、グリミナは殺気を治めると大きくため息をついて立ち上がる。
「わかった。お前のような奴がそう言うのならば、今の王とはそのような存在なのだろう。ならば私もしばらく様子を見るとしよう。あの王を認められるか否か………。
時間をとらせて悪かったな」
「いえ、それじゃ俺は失礼しやす」
控え室を出て行くライオックスを見送り、グリミナは彼が出て行ったのとは反対側の扉から隣の部屋へと移ると、そこで優雅に紅茶を楽しんでいたシャナンクルの向かいに腰を下ろす。
「前線の隊長ならともかく、指揮官にはあまり向かない男だということがよくわかったよ………」
「ですが理屈をこねない性格の分、今の王についてもある程度収穫があったこともまた事実ですわ」
「あのような野生動物のような男に慕われているんだ。それに足るだけの物を持っているのは間違いないか」
部屋の隅に控えていたデッグアルヴのメイドがグリミナの前に紅茶を出し、それに礼を言って口を付ける。
「何人かに話は聞いたが、皆肯定的な意見ばかりだったな」
「そうですわね。となればやはり、今は様子を見る以外にありそうに無いですわね。あなたが今、彼に告げたとおりに………」
窓から差し込む日の光が室内を赤く染め上げる。
今日もまた一日の終わりたる夜が来る。
「まさか、砦の中に温泉があるとは思っても見なかったな」
砦の地下にある温泉から出た隼人は、温まり上気した身体に触れる空気を気持ちよく感じながら寝室へと向かっているところだった。
「む、ハヤトか………」
背後から声をかけられ振り返ると、彼と同じく風呂上がりらしいリリィが日中とは違い厚手のガウンを羽織った姿で近寄ってくるところだった。
「リリィも風呂上がりか」
「うむ。捕まっている間は入れなかったからな、ついつい長風呂をしてしまう」
苦笑しながら横に並んで歩くリリィの肌は温泉で温まっているためかほんのりと赤みを帯び、昼間とは別の意味で色香を発している。
それの色香に当てられ頬が熱くなるのを感じるが、温泉のせいだと無理矢理納得させて口を開く。
「元の世界では俺も風呂には毎日入っていたんだけどな。こっちの世界に来てから二年間は、風呂にはいることなんて無かったな。マグガディアにはそもそも風呂という習慣は無かったし、俺自身白龍連峰を西へ東へな感じだったしな」
「ほぉ、ハヤトの世界にも風呂の習慣はあるのか。この世界では魔族や魔族と交流のある一部の人間や王族貴族ぐらいしか入らないのだがな」
隼人の言葉に興味を持ったリリィが食いついてくる。
「ハヤト、そなたの世界とこの世界に他にどのような違いがある?」
「違い、か。まず思いつくのは、やっぱり種族か………。俺の世界に魔族はいなくて、地球上で繁栄しているのは人間ばかりさ。だからこの世界にきて魔族を見せられた時は、本当に驚いたよ」
「ほぉ、魔族はおらんのか………。ならば、この世界のように能力や容姿の違いなどで争いが起こったりということも無さそうだな」
羨ましい限りだ、と言うリリィに隼人は小さく頭を振った。
「いや、そう言う意味ではやっていることなんてこの世界とあまり違いは無いさ。
こっちの世界でも肌の色違いがあるだろう?
俺の世界ではそれが差別の原因となってたんだ。白人、黒人、黄色人種てな具合にな。それは今でも一部の人達の間で続いててね、特に白人と呼ばれる肌の白い奴らは黒人や黄色人種をさして色有り(カラード)なんて侮蔑する場合まである。
結局人間ってやつはどこに行っても些細な理由で人を分けたがるもんなんだよ」
「だが全ての人々がそうというわけではあるまい?
そなたは私やライオックス達を見た目だけで差別したりなどするまい。
それが何よりの証拠ではないのか?」
「そう、だな。ありがとう」
「礼を言われるようなことを言った覚えはないぞ」
自然と互いに笑みを浮かべ、しばらく会話もなく廊下を歩いて行くが会話が無いことへの気まずさなどもなく、心地よい沈黙に自然と表情を綻ばせていた。
そして隼人が寝室として使っている部屋がある階に着いたとき、二人は廊下の向こうから何かが駆けてくる音に気づいて眉を顰めた。
「何事だ?」
「マグガディア軍が現れたという訳でもなさそうだし………」
夜風の舞い込む窓から外を見るが、闇夜に包まれたホトロゼナン山脈に異常はまったく感じられない。
足音が聞こえる方に対して片足を引き、念のためいつ何が起きてもいいよう臨戦態勢を整える。
「さて、なにが起きているのや…ら?」
暗い廊下をわずかに照らす燭台の火に照らされて足音の主が姿を現した
しかしそれは漠然と予想していた物よりも遥かに小さく、そして二人が知る存在でもあった。
暗闇の中から飛び出してきたそれは、隼人のことを認めるや否や渾身の力で地を蹴り砲弾のごとき勢いで隼人の胸へと飛び込んできた。
「のぁ、お、お前は………」
飛びつかれた勢いに思わず仰け反ってしまった隼人にしがみつくのは、奴隷市場で彼が助けた狐の獣人の少女だった。
「この娘は………。グアラァンに任せてドワーフの村に避難させたはずだが………」
「それがなぜここにいるんだ?」
グアラァンというのは先日奴隷市場で隼人に少女を助けてくれと懇願していた人狼族の青年のことだ。元々彼は村で薬剤師の仕事をしており、戦う力が無いためホトロゼナン山脈の山頂付近にあるドワーフの村へと避難している。そのときにこの少女のことも彼に託したはずだったのだが………。
「最初のころからいやに懐かれてたしな、まさかハヤトを探して戻ってきたのか?」
抱きつく少女に顔を近づけリリィが問いかけると、少女は隼人の腹部に顔を押し付けたままコクリと頷いた。
「マジかよ………」
少女の返答についつい天を仰ぐが、それでどうこうなるわけもなく少女はより強く隼人にしがみつく。
「のぉそなた、なぜハヤトのそばにいたがる。理由を教えてはくれぬか?」
「………おなじ。このひと、わたしとおなじ………」
消え入るような小さい声で告げられた言葉に隼人とリリィは顔を見合わせた。
同じ、などと言われても一体何が同じなのかさっぱり理解できなかったからだ。
どこからどう見ても10歳前後といった風の少女に対し、隼人はすでに19才。性別も違えば身長も、ましてや体重など同じはずもない。髪の色だって黒と赤茶色と違っているのだ。そして種族など考えるまでもなく違う………。
「ん?そういえばこの娘、種族はなんだ?」
種族が違う。そこまで考えて気付いたこと事実にリリィは首を傾げた。
「種族?どこからどう見ても狐の獣人にしか見えないぞ?」
ピンと尖った耳にフサフサな大きなしっぽ。もとの世界においてはテレビなどでよく目にした狐そのものだ。
「きつね?そのような名の生き物は聞いたことがないが?」
「え?」
思いも寄らぬリリィの言葉に驚きの声を上げて少女を見下ろした。少女は隼人にしがみついたままただ無言で見上げて来るばかりだった…………。
「ふむ、見たこともない種族………か」
思わぬ事態に陥った隼人とリリィは、この砦一番の知者の助力を得るため賢将と呼ばれしダロスの下を訪れていた。
隼人にしがみついて離れぬ少女をなんとか椅子に座らせ、その正面に座ったダロスが目を細めて少女を観察する。少女は逃げ出しはしないものの隼人の手を握って離さず、不安と緊張に尻尾を大きく膨らませている。
「たしかにこのような特徴の種族はわしも聞いたことがない。人間の顔に獣の耳、何かと人のハーフのようにも思えるが、片親の種族がはっきりとせぬな。耳は尖り人狼族の物に似ているが、尻尾は全く違う。ルーガルゥのような巻き尾ではなく、人虎族や人豹族のような長くしなやかな尾でもない」
鱗に覆われながらも皺だらけとなった手が、少女に断りを入れてから尾に触れる。
「ふむ、触れた感じではルーガルゥの物に近いと言えば近いか。芯となる尾の周りに長い獣毛が生えておる」
「まぁ、狐も狼も犬科の動物だしな………」
「む、きつねとな?」
隼人がどことなく呆れた感を出しながら呟くと、ダロスはそこにでた聞き慣れぬ固有名詞に反応する。
「リリィの話を聞いた限りじゃこの世界にはいないそうだったけど、ダロスさんも知らないんじゃ確定か………。
狐っていうのは俺の世界にいた犬や狼の仲間だ。こういうふさふさの尻尾と尖った耳が特徴的なね」
椅子に座る少女をよく見れば、彼女は以前着ていた奴隷の服ではなく白い着物に赤い袴、いわゆるところの巫女装束を身に纏っている。この世界に巫女服などあるのだろうか首を傾げると、またもやリリィの口から思わぬ言葉が発せられる。
「そういえばこの娘が着ている物も見たことがないな。ハヤトは知っているか?」
「……………知ってる。少なくとも俺の生まれ育った国には同じ物があった」
「ふむ、これは興味深い。ここは一つ観てみるとするかの」
ダロスは棚に置かれた宝石箱から幾つかの宝石を取り出すと、それを少女に持たせて呪文を唱えはじめる。その様子を不安そうに見ている少女は隼人の手をより強く握りしめた。
ダロスが行っているのは過去に隼人も受けたことのある物だった。対象者資質やスキルを調べるための術式で、上位魔法の担い手でも行使できる者がなお少ない高等魔法。
「物理属性資質はアンフリュクルー(やや柔らかく平均)、魔力量はC、魔力属性資質………ほう、特異特化型とは珍しい」
この物理属性資質というのは対象者生来の成長資質を指しこの少女を例にあげて説明すると、アンフリュ(やや柔らかい)と言うのが体の柔軟性や頑健性を示し、後者のクルー(平均)というのが対象者が力と速さ、どちらが成長しやすいかを示している。ちなみに隼人の物理属性資質はノアフィス(硬く速い)で、彼のように武器ではなく己の肉体をもって戦う武闘家のような職に向いた物理属性資質だと言える。この物理属性資質を初めて聞いたとき、まるでラーメンの茹で方のようだと思ったのは本人だけの秘密であった。
そして魔力量、魔力属性資質。前者については言わずともわかると思われるが、書いて字の通り保有する魔力量を示している。そして魔力属性資質というのが火水地風光闇と系統分けされた属性のうち本人と相性のいい属性を表している。この少女の魔力属性資質である特異特化型というのは先に記した六属性には当てはまらない属性等を示し、同じ特異特化型の魔力属性資質を持つ隼人等は魔法を扱えぬ代わりに異能力《異常再生能力》を得ている。
「特異特化型とは珍しいな」
感心したように腕を組み頷くリリィだが、それが胸を強調するように下から押し上げているのは無意識のことなのだろうか?そんなことを考えながら視線を少女に戻し、強く握りしめられた彼女の手を優しく握り返してやる。
「ふむ、どうやらこの子は人ですらないようじゃな」
「どういうことだ?」
聞き捨てならないダロスの言葉に目を細め、睨むような視線を送るが睨まれた本人は気にした様子もなく羊皮紙を手に取りそこに魔力を流し込む。これは魔力の扱いに長けたものであれば行える特殊技能で、脳裏に描いたものを写す一種のコピー機のような物である。
写しの終わった羊皮紙を受け取り、それに目を通した二人の表情が変わる。
「じい、これは………」
「間違いないでしょうな。この娘はハヤト陛下と同じ来訪者じゃ」
羊皮紙に書かれた一つの単語『異能力』が表すのはまさしくその事実だけであった…………。
「異能力《妖化》、動植物に人に近い姿を与え、その他特殊な力を発現させる異能力か………」
羊皮紙に書かれた説明文を読み上げ、隼人は盛大にため息をつく。
ソファに座った彼の膝の上には、“子ぎつね”の姿に戻ったあの少女が丸くなって眠っている。恐らくこの砦にもこの姿で侵入したのだろう。
「異界者召喚儀式魔法は二百年前に一度失われ、数年前にようやくマグガディア王国で再現されたと聞く。当然あれを使えるのはマグガディア王国のみのはずであろう?しかしマグガディア王国が召喚した来訪者は今ここにいるハヤトだ。この娘が来訪者であるなどありえるのか?」
「リリィアネイラ様の疑問ももっともでありましょう。しかしそれがあり得るのですじゃ。
サモン・エトランジェは原理が解明された術ではござらん、故になにが原因で起こるのかはわかりませんが、儀式の結果その近くに別の来訪者が、それも人ではなく動物の来訪者が召喚されたと言う話が僅かではありますが存在します。
そして彼女の話では、この世界に着てから訪れた雪の季節は二回。ハヤト様が召喚された二年前の皆既日食と重なります。
このことから考えて彼女が二年前にハヤト様が召喚された《異界者召喚儀式魔法》の際、同時に召喚された来訪者である可能性は大きいかと」
「だから同じ、か………。こいつは二年間もたった一人で生きてきたってってことなのか?」
そっと頭を撫でてやると吃驚したのか一度大きく体を震わせ、しかしすぐに静かな寝息を立て始める。
羊皮紙に書かれた異能力の説明によると、《妖化》には能力会得時から老いが非常に遅くなる、つまり不老とまではいかずとも長年益寿となるという。
召喚されて二年経っても姿が子ぎつねのままなのもそれが原因なのだろう。
「《異界者召喚儀式魔法》か、なんと残酷な魔法もあったものだな………」
子ぎつねを撫でる隼人の姿に、リリィは小さくそうこぼす。
「ですな。歴代の来訪者達も同じ思いでありましたでしょう。
まぁ中には死の間際に召喚され、第二の人生じゃと楽しんでいたノブナガのような来訪者もおったものじゃが………。あやつのような来訪者は特別じゃしの」
何かを思い出し、いささかげんなりするダロスを無視し、リリィは隼人の隣に腰掛けると、子ぎつねを優しく胸に抱きかかえて背を撫でる。
「この娘にとって、そなたはようやく見つけた同胞なのだな。なれば無理に引き離すのは酷というもの。少なくともマグガディア軍が近づくまではそなたのそばにいさせてやるが良かろう。よいな?」
リリィの提案に小さく頷き、それを見たリリィは静かに笑みを浮かべる。
「しかしこの娘はそなたの同報とはいえれっきとした女子、夜は私が預かろう。
部屋を与えて一人で寝かせるよりは寂しくないだろうからな」
温もりを求めているのか、頭をリリィに押し付ける子ぎつねに苦笑しつつそう言って彼女は席を立つ。
ダロスに礼を言って部屋を辞していく彼女を見送り、隼人は大きくため息を吐いた。
「まさか、俺以外に来訪者がいたなんてな………」
もしもあの時、自分が元の世界に戻ることができていた場合、あの子はどうなっていたのか。間違いなくグアラァンが言っていたとおり、魔獣の餌にされていたはずだ。
その事実に怖気が走る。
「なぁダロスさん。召喚されたの俺と彼女だけなのか?」
「………わかりませぬな。わしの知る限り一度の儀式で召喚された来訪者は最高で二人。しかし昔は各地で儀式が行われていたことと、巻き添えで召喚された場所が儀式の場所から離れていたこと。そして必ずしも召喚されたのが人だけではなかったことを考えると、ハヤト様やあの娘以外に召喚されている可能性も0ではあるまいかと………」
「そうか………」
自分以外にも、あの子ぎつね以外にも同胞がいる。その可能性を聞いた時、彼は一体なにを思ったのか。それを知る術は無い…………。
・グリミナ
32才
人豹族と人間のハーフ。異母兄に人豹族のブルフグスがいる。魔王ネスフィアムに剣の腕を買われ、四魔将の地位についた女傑。ネスフィアムに心酔、とまではいかずとも深く忠誠を捧げていたため、それを討ち取った隼人に対していい感情は持っていないが、一対一で魔王と戦い買ったという隼人に剣を向けることは、魔王の死力を尽くした戦いに泥を塗るのと同じ行為として自らを諌めている。そんな彼女であるが本質は公明正大を旨とし、配下からの心棒も厚い。勇者時代の隼人と剣を交えたこともあり、その時彼の首から下を吹き飛ばすという功績を上げているが、その後その死の確認をせずに引き上げたりと(普通は生きてるなどと思わないが)たまにうっかりとドジを踏むことがある。
物理属性資質:ノアピア(硬い強い)
魔力量:C
魔力属性資質:火闇《二重属性者》
・固有スキル《闇炎の理》
母親の生まれがとある邪神と呼ばれる者の巫女の一族で、グリミナには生まれついてその加護を受けている。