一度ある事は二度あるものです(下)
気が付けば、何かが増えていた。
勅使河原雅崇、と名乗るその……人?は、木崎さんの同郷らしい。
つまり、この人も魔物の世界の人なのね。人って言っていいのかどうかわからないけど、表現にも困るので、人って事で通そうかな。
などと考えていると。
「幼馴染ってやつだな」
「誰と誰が、馴染みだというのだ」
「照れるなって木崎」
「誰も照れてなどおらん!!」
照れてるっていうか、なんか、怒ってる気がするんですが。
木崎さんが結構食べるので、そこそこ用意してた年越し蕎麦を、勅使河原さんも、ずるずるとすする。
「美味いもんだな」
「そりゃあよかった……って、何落ち着いて食べてんですか」
「魔界から此処まで来ると、腹減って敵わねえよ」
「貴様! 私の分がなくなるであろうが」
「君達は突っ込みどころがずれてる!!」
「かりかりすんなよ、禿げるぜ」
「誰が禿だ!!!」
「あー、そうだな、あんた女だもんなぁ……失礼した、ふける、にしとくわ」
「そういう問題じゃねえだろ!!!」
勅使河原さんと喋ってると、なんだか血管切れそう。
見かねたのか、それとも、煩いと思ったのか……多分後者だな、木崎さんがすぱーんと、いい音をさせて、手を振り下ろした。
え?
すぱーん?
よく見ると、彼の手には、何か扇のようなものが握られていた。扇、と言いきれないのは、素材がどう見ても紙じゃないから。
何それ? もしかして、鉄扇とかいうあれ?
でも、鉄にも見えない。何でできているんだろう。
勅使河原さんが、呆れ顔で言った。
「何だよ、そんなガキの玩具持ち歩いてんのか」
「我が鉄扇は、玩具などではない、それは貴様のガラクタの事ぞ」
「ガラクタ呼ばわりすんじゃねえよ、あれにゃ俺の魂が入ってるんだぜ!」
「あーのー……」
全く、息を吸い込んで、腹の底から声を出さないと、この二人の間に入り込めやしない。
やっと気が付いた二人が、こちらを見た。
「おう、何だ?」
「何ぞ?」
「色々聞きたい事があるんですけどねぇ」
木崎さんの手の――ああやっぱり、素材はともかく名前はそうなんだなと思いつつ――鉄扇とやらはなんだとか。
ガラクタってなんの事とか。
そもそも、なんで此処に勅使河原さん来てるのかとか。
勅使河原さんは、なかなか面倒見がいいらしい。
つまりは、幼馴染で仲のいい(……には疑問があるが)木崎さんを心配して、様子を見に来ようと思った、と。
「だって、思った通りのところに来れるとは限らないって」
確か木崎さんが前にそんなような事を言っていた記憶がある。
「お、よく知ってんなぁ」
勅使河原さんはにやりとした。
「だから、勘で来てみた」
おい。
「ちょうど此処に当たってよかったぜー! まあ俺と木崎の仲だから、何とかなるとは思っていたけどな」
「仲とは何だ……貴様とはどのような仲にもなった覚えはないが」
「固い事言うなよ、だから背が伸びないんだぜ、木崎は」
「喧しい!!」
そうそう、この二人、かなり身長差がある。どちらかと言うと小柄な木崎さんに、大男の部類に入るだろう勅使河原さん。
「ま、美味いもん食って落ち着いたし、木崎の顔も見たし、そろそろ行くかな」
「え? 帰っちゃうの?」
「用は済んだからな」
勅使河原さんは、どっこらしょっと、立ち上がって、さっき引っ張り出されてきた壁の穴に向かおうとして。
棒立ちになった。
「ど、どうし……」
言いかけて途中でわかった。
あれだけ派手に開いていたはずの穴が、ふさがっている。何もなかったかのように。
「なあ、木崎」
呟くように、勅使河原さんが言った。
「ちょっと聞きたい事があるんだが」
「年なら明けたぞ」
「まじかよ」
首を振る勅使河原さん。言われてみれば、時計の針は12時を過ぎていた。余りに騒がしいんで、いつ年を越したのかわかんなかった。
「な、何事?」
確かに、せーので、明けましておめでとうはできなかったけれど、それがどうかしたっていうんだろうか。
「すまねえ」
いきなりがばっと、膝をつく勅使河原さん。驚いて私は、つられるように正座してしまった。
「次の年が終わる頃まで、帰れねえ」
……
……
……
は?
「通常移動のできる時間は決まっていてな」
木崎さんが静かに言った。
それぞれの世界によって、それは違いがあるそうで。
「年が終わる直前、そうだな、そなたにわかるように言えば、12月31日の午後11時50分から59分59秒までが、魔界と此処を行き来できる事になっておる」
「……って事は、つまり、勅使河原さんは、次の」
「ああ」
12月31日まで、帰れないって事で。
可笑しそうに、木崎さんは笑う。
「魔王ならば、即座に道を開けようが、私はまだ候補故、道を開く事はならぬな」
「ならばいますぐ、魔王になれ」
「叶えてもいいが、そなたに協力してもらわねばならぬ」
「協力?」
「忘れたか?」
……あ。
そうだった、彼の魔王になる試験とやらは、私が彼に惚れ込まない事には終わらないんだった。
「そなたが今すぐにでも我がものとなれば、試験は終了故」
「いや、まだ魂をそんな事で売れないから」
「なんだよ、あんたが木崎にぞっこんになってさえくれりゃ、全部解決だぜ」
「簡単にそういう事を言うな!」
机に置いてあったコップに、年越し用においてあった日本酒を、なみなみと注いだ。
一気に飲み干す。
食道から胃袋が、かっと燃え上がった。急な刺激に目の前がゆらりとする。
だけど。
そうでもなきゃやってられない気分だ。
「ねえ、木崎さん」
「何だ?」
くっと首を傾げる彼の動きに沿って、柔らかそうな茶の髪が揺れた。茶の瞳が、光の加減か、僅かに緑がかって、それはそれは不思議な色になる。白い肌は、部屋の暖かさの所為か、それとも、少量の酒を口にした所為か、仄かに赤みがさして。
目の前のこの人は、その姿で、薄く笑みを浮かべた。
「言いたい事があるならば、聞いてやらぬ事もない」
「……勅使河原さんのこの状態、これ幸いと利用しようとしてない?」
「当たり前だろう」
涼しい顔で、木崎さんは頷いた。
「策など臨機応変、幾らでも形を変えるもの……使えるものは使う」
……わかってはいたけどさ。
とりあえず、殴らせろ。
握りこぶしを作って、しゅっと。私の手が空気を切り裂いた瞬間だった。
ぱっと。
木崎さんが私の手を受け止める。
ああ、いらいらする。バシッと決まらないと、このもやもやは収まりそうにない。
もう一度ぐーパンチだと、手を引きぬこうとしてもがいてみるものの、木崎さんの握る力はかなり強い。おさめられてしまった私の手は、びくとも動かない。
「だが」
「何よ」
目が合うと、何故か、木崎さんはすっと瞼を伏せた。
「……まだ終わらせるには惜しい」
「は?」
キョトンとする私。
隣で勅使河原さんがにやにや笑ってる。
「つまりな……」
「黙っておれ、勅使河原」
「あー、はいはい」
「つまり、何」
焦れた私が口を挟んだ。
すると、木崎さんのあの、不思議な色の瞳が、私の瞳を射抜く。
何だろう、この感覚は。
熱いような寒いような。ドキドキとして、顔が熱いのに、指先がすうっと冷えていて。喉がひりひりとしてるけど、乾いている訳じゃない。
そして、どくどくと、頭全体が、血管になったかのように、脈打つ。
耳にその音がわずらわしい。
酷く。
何も聞こえなくなってしまいそうなそんな中で。
か細い木崎さんの声だけが、はっきりと聞こえた。
「そなたとの、此処での暮らし、悪くない、という事よ……」
ああ。
そんな顔で、そんな声で。
そんな事言われたら。
「わかったわよ……」
こう言うしかないじゃないか。
「いいよ、いて……」
此処に。まとめて、面倒みようじゃないですか。
「ぷ……く、はははは!」
張りつめていた空気を、バンと叩き割るような、豪快な笑い声が起きたのは、その後だった。
発生源は勅使河原さんである。
「おもしれえ、あんた、おもしれえよ! いい感じにずれてる!」
「私の何がずれてんのよ」
「木崎にああ言わせておいて、これか! ははは!」
何でよ。だって、まだ此処にいたいんでしょう? しかも、勅使河原さん帰るところないんだから、まとめて引き取るしかないじゃないのさ。
むっとした私と。
酷く機嫌の悪そうな木崎さんの目があう。そして、どちらからともなく、頷いた。
「煩い!」
「喧しいわ!」
すぱーんと。
勅使河原さんの頭上に、木崎さんと、私の平手が、炸裂した。
(2011/2/24)