軌道に乗るまでが勝負です
意外と適応力がある? なんてちょっと見直してなんかいないけれど。
木崎さんと暮らし始めて、月単位で数えられるようになった。
驚く事に、本当に彼はバイトを見つけてきて、お仕事をしている。さらに驚く事に、仕事先での評価は悪くないらしい。
「一体、何の仕事してるの?」
「その時によって様々」
そう言って、何の仕事をしているのか、どの辺なのかすらも、教えてはくれないのだけど。
あれか。私が仕事先に押しかけて、見物するとか、そう考えているのか。
そう思っていたから。
朝出かける時に、今日仕事を終えたら此処で待て、と簡素な略図を手渡された時は、一体何が起こるのかと思った。
指定場所は地下鉄の入口の一つである。
風が当たらないように、階段を少し降りたところで立っていると。
「結城」
名前を呼ぶ声に、はっと振り返り、そして気が付いた。
二人称が、『そなた』か『貴様』の木崎さんが、それ以外に私を示す固有名詞を――名字とはいえ――呼ぶのが初めてだ、という事を。
久しぶりに一緒に歩いている。
頭一つ分とまではいかないけど、少しだけ高い背。
その横顔を見ながら、この間彼と話した事を思い出していた。
「クリスマス、だと」
先日の事だった。テレビから流れる言葉に、首を傾げる彼に、魔界にはそういう行事がないのか尋ねたところ。
「あると思うか?」
あっさり聞き返された。
考えてみたら、魔界ってところに、神がどうこう、天使がどうこう、なんて関係あるとは思えないですね……なんとなくイメージだけど。
「で、クリスマスとは何だ」
「うんとですねえ、サンタクロースがプレゼントくれる日です」
間違った事は言っていないのだが、かなり省略された説明に、木崎さんは眉を顰めた。
「簡素すぎるのではないか」
「そうかなー、一番大事なところを押さえたんだけど」
「フン」
あれ?
「……って事は、木崎さんクリスマス知ってるんじゃないの?」
「神の子だかなんかが生まれた日であろう?」
わかってるんじゃん。
「じゃあなんで聞くの」
「そなたらの言うクリスマスとやらの扱いが、少々違うように思えた」
結構鋭いかもしれませんね。それ。
「うんそうだねー、それにかこつけてごちそう食べたりして、家族や大事な人と過ごす日かも」
「ふむ」
少し考え込んでいた彼。その時は、どうしたのと聞いても、なんでもない、さっさと食事にしろって怒られたんだったっけ。
「木崎さん何処まで行くの?」
「もう少し先だな」
街は、クリスマスから新年にかけて特有の、浮足立った華やかさを持っている。しんと冷えた空気に、イルミネーションが煌めく。歩いているだけで、うきうきとしてくるのだから、不思議なものだ。
空の星は、宝石に喩えられるけれど、地上の星も、なかなかどうして、負けてはいない。
「綺麗だねえ」
思わず呟くと、隣で、フンという、返事ともつかぬ返事があった。
「此処だ」
彼が立ち止ったのは、川べりの遊歩道。きっと昼間ならば、犬の散歩などで人が歩いているんだろうけど、暗くなった今は、殆ど人気がない。
一人で来たら、流石に怖いな。
「何があるの?」
「あちらだ」
指差す方向に。
「……あ」
少し遠めだけど、聳え立つ光の塔。
その高さでよく話題になっている、建設中のタワーが、見えていた。
「綺麗……」
青みがかった、小さな光。
それは、さっきまでの街並みに比べたら、色とりどりという訳にはいかないけれど。近くに、他に高いものが見当たらないので、すっきりとタワーの灯りが見える。
仰々しくはない。だけど、地味でもない。
……好ましい、と思った。
暫く二人とも黙って、塔を見つめていた。
「でもどうして?」
帰り道。あれきり、何も言わない木崎さんを見上げて、初めて私は口を開いた。
「……先日、たまたまあそこを通って、あの光景を見た」
夜に帰ってきていた事もあるので、そういう日もあったんだろう。木崎さんの仕事場って、この近くなんだろうか。
「……見せたいと、そう思った」
「へ?」
誰に?
そういう視線を向けていたのだろう。
「な……! 何でもない! それ以上聞くな」
「だって気になる」
「ええい、黙って歩け!」
やがて、ぽつりと、歩きながら彼は言った。
「我ながら、わからぬ……何故そのように思ったのか……」
「綺麗だなって思ったんだよ」
「何?」
此方を見る彼の顔は、なんだか、戸惑ったような色の瞳。そんな表情をしていると、子供のようにも見えて、不思議と、自分の声が柔らかくなった。
「綺麗だなって思って、誰かと見たいな、そういう感情を共有したいなって、そう思ったんじゃないかな……」
「……フン」
くだらぬ、というその声は。少しだけ元気がなくて。
「木崎さん?」
彼は、頭を振った。
「何でもないわ」
(2011/2/23)