人、眠り、春、来たる(2)
最後はハッピーエンド、でありたいと思っているのだけど?
「しかしさ、よくもまあ」
そこまで思い出して、ちろりと、隣の人を睨む。
「あんなもの、飲ませてくれたわねえ……」
「何を言う、進んで飲みこんだのはそなたぞ」
「だって、知らなかったもの」
封印の術を使う前に木崎さんに訊ねた、赤い石の正体。
彼は、私の額に手を置いたまま、少しだけ困ったように笑み、そうして、口を開いた。
「我が、心の臓」
そうしてすぐさま、記憶を封じやがったのだ、この男は!
「おかげで、私は怪我一つなく反乱を治める事が出来た」
木崎さんについて言えば、心臓が離れていても、普段の行動に問題は出ないらしい。つまり、健やかに何処かに隠されていれば、むしろ傷つけられる心配もないので、その方がいいのだという。
彼にとっての致命傷は心臓に何かしらの傷を負う事なのだ。
最も、これが勅使河原さんにも適用するのかというとまた違う。
魔界の生物のウィークポイントは種族によって違い、たまたま木崎さんは、それが心臓だったという事だ。内臓だけでなく、中には掌だったり、指だったりという話もあるらしいが、勿論ウィークポイントなので、他人には明かせないので、詳しくはわからない。
そして、私がそれを飲んだというのは、ずっと二人だけの秘密だった。契約だからと勅使河原さんが席を外したのは、そういう意味。自分の急所は誰にも知られる訳に行かない。
そうして、彼の心臓は長い事、私が人の世界でずっと守っていた訳で。急所に当たるものだからこそ、そのものが私を守る力も絶大で。
おかげでどちらも無事。
めでたしめでたし……な訳はなく。
「ゲテモノ食わされた意識は消えないんだけど」
「まあそう言うな、あれでも私には大事なものだからな、故にそなたに預けた」
「生涯とんでもないものを腹におかれた乙女の気持ちを返せ」
そりゃあ、きらきらする宝石みたいで。
ゲテモノって感じは全くなかったけれど。
そんな訳で、木崎さんの一部を体に取り入れた私は、人として過ごしつつも、体は少しづつ、魔界に適応するように長い時間をかけてゆっくりと変化して。
歳経た今。
私は、人の世界での寿命を終えて、木崎さん達に出会った姿となって、魔界に降り立っていた。
「いい加減、その気にならぬか?」
聞かれているのは、つまりあれだ。
ずっと昔から言われていた事だ。
木崎さんにいい加減惚れてくれないかどうか、とそういう話。
「さあね」
別に私を落とさなくても既に、彼は魔界のトップだ。反乱を抑え、その手でつかみ取った地位。彼が魔王になる事に反対意見は全くなかったと聞く。
なのに、いまだ試験の結果にこだわる。
「私絡まなくても、既に魔王になってるじゃん」
「始めた事を全うせぬのは好かぬ」
「だからって、そんな理由で再度の結婚を勧められても困るんだよね」
そう言うと、少しだけ木崎さんの顔が歪む。
わかってはいた事だけど。
人の生を全うしてきた以上、私には向こうで夫もいたし、子供もいた。孫も。
そして、それは木崎さんが望んだ事でもあった。彼は私に、人として生きる道を奪いたくなかったのだという。
それなのに。
いやそれだからか。
殆ど表には出さないのだけど、私が人としていた頃の異性絡みの話に、もやもやとした気持ちを抱えているようなのだ。
勅使河原さん曰く、木崎さんはかなり前から、私を意識していたのだという。
私が人の世で幸せで健やかにあるのが願いだと言いながら、本当は、魔界に来る日を心待ちにしていたらしいのだ。でも、あまり早すぎても私が向こうで不幸だったのではないかと心配になる。
そんな相反する気持ちをずっと持て余していたらしい。
そうして、現れた私は。
元気でぴんぴん。見てすぐわかる、心まで健康という具合で。
そりゃあそうだ、私はいい人生を送ったのだもの。
しかし、木崎さんはこれでまた複雑らしい。
私が思った通りに幸せなのはいいのだが、その背景を思うと、どうにも穏やかでいられない、という。
「まあ、よい」
溜息交じりに、木崎さんは話を終わらせた。
「魔界の命は長い――待つ時間なぞたっぷりあるわ」
馬鹿だねえ。
こっそりと笑う。
木崎さんのウィークポイント、つまり心臓は今も私の中にある。何でも持っていれば丈夫でいられるというので有難く利用させてもらっている。
取り出して返してもいいのだが、その話になるとさりげなく話題を変えて、いまだ私はそれを握っている。
その意味を考えればすぐわかる事なのに。
勅使河原さんが教えてくれた。
魔王の急所は、その伴侶しか知らない。そうして、伴侶は魔王のそれを、守る為にあるのだと。急所故にそのものの魔力は絶大であって、伴侶を守る効果もあるのだと。
互いに相手を守護する。
それは木崎さんだって知っている筈だと、勅使河原さんは笑っていた。
私は、あなたの命を握っている。
あなたを守っている。
その意味を考えたら、すぐに、わかる事なのに。
可笑しいったらありゃしない。
くすくす笑って、隣に立つ男の横顔を見上げる。
酷く華奢で整っていて。
感情がつかめない上に、鈍感で。
でも、世界を抱えるその手は、とても頼りになる。
じわじわとこの男に、私は浸食された、身も心も。そうして。
今となっては。
彼なしで、生きていけないくらいには。
溺れている。
(2011/3/7)
此処までお付き合いいただき、ありがとうございました。