病気の時って甘えてみたくなるものです
「都」
低いが、よく通る声が、私を呼んだ。
「あ……」
ゆらりと、水底から浮上するように、意識が戻って。目を開けば、ぼんやりと薄闇に見慣れた天井。
魘されていたらしい。
じわりと湿る額に手をやって、溜め息をついた。首筋が、しっとりとしている。たった今まで、体温と同じはずだったそれが、意識した途端に、どんどんと冷えていき、ぶるっと、背筋に震えが走った。
不快感に耐えかねて、あたりを見回す。
此方を覗きこんでいる目は、何時もの色。
見慣れた光景。
その事に、酷く安堵して。
「ね……」
水が飲みたい、と。
まるで弱っているような事を言ってみた。
「フン」
呆れたように鼻を鳴らして、でも。
木崎さんは、すっと立ち上がる。
「その前に着替えの方が先ではないのか?」
「……かもしれない」
「さっさと済ませておけ」
それだけ言い残して、後姿が、薄暗い部屋の中消える。
もぞもぞと起き上がり、乾いた布地に腕を通せば、肌に張り付かぬそれが、想像以上に気持ちがいい。襟足の髪がしっとりしているのを、弾き飛ばすように外に出せば、やっと人心地ついた。
枕にタオル敷いておいてよかった。
そんな事が頭を巡って。
ぺらりと、枕から、水分を含んでしまったタオルを外して、脱いだものとまとめて、立ち上がろうとすると。
「……全く」
世話の焼ける、と冷たい声がして。
手の中にあったものがばさりと消えた。
「え? 木崎、さ……」
「病人なら病人らしくおとなしくしておけ」
「で、でも」
言い返そうとした私の頭に、乱暴にかぶされたのは、大き目なタオル。もしかして、バスタオルだろうか?
枕にかけるには大きすぎだけど、つまりこれで汗ふけって事?
とはいえ、大きなタオルにすっぽりと視界が塞がれて、じたばたとしていれば。
しばらくして、タオルは取り除かれて、部屋の光景が戻ってきた。
「私の言う事を聞いていなかったと見える」
「いや、その、あのね」
言いかけた言葉を封じたのは。
ひやりと冷たい手、額に当たって。
ぞくり、とした。でも肌が粟立っているのに、それは気持ちのよい温度。思わず目を閉じてしまいたくなるような。
「……まだ熱い」
「うん……そうかも、ちょっとくらっとする」
「ならば、己のすべき事はわかるな?」
ちょっと考えて。
「……寝る?」
「わかっているなら最初からそうすればよかろう」
「……ん」
僅かに不機嫌そうに見える木崎さん。
それでも、持ってきてくれたコップを受け取り、飲み干した水は、ぬるすぎず冷たからず、美味しくて。
「美味し」
「フン」
「……ありがと」
すっと背けられた顔。でも。
あれ?
なんか、白い彼の頬が少しだけ、赤みさしてるようにも思えて。思わず口走っていた。
「……もしかして、照れてる?」
「喧しい、下らぬ事を言っている暇があれば、さっさと寝てしまえ」
冷たく響く声。
可笑しいね。冷たいのに、その声が酷く心地いいなんて。
きっと、熱の所為で、体だけじゃなくて、気持ちが弱っているに違いない。
木崎さんの言う通り、さっさと寝て、治してしまうに限る。
そう思って、目を閉じて。
でも、見慣れた部屋が、あの人が。
見えなくなってしまうのが少しだけ寂しくて。
片手であたりを探ると、自分のものじゃない何かにぶつかった……手。
「何ぞ?」
「……なんでもない」
「……そうか」
口を閉じれば、辺りは静まり返る。
だけど、触れた先。
少しひやりとしたあの手は、まだ其処にあって。用が済んだらさっさと自分の場所に戻ってしまうかと思ったのに。
黙って、其処にいる気配。
もしかして、ばれているのかな。今の、人恋しい気持ち。
それで、こうしていてくれるのだとしたら。
だとしたら。
(……ありがと)
直接伝えてもきっと、照れてしまって受け取ってくれない。
だから。
心の中でそっと、感謝を。
(2011/3/11)