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02

 新しい同僚と出会った頃の寒気は次第に暑気へと上塗りされていく。そのゆるやかな流れに沿うようにミオも慣れぬ環境に適応していった。

 最初こそ段取りの不備や物忘れの多さで使用人頭に渋い顔をさせ、落ち込み、ときに腹を撫でて辛そうにしていることもあったが、今ではある程度仕事成果を信用されるようになった。仕事を順調に運べると人間関係に裂くゆとりも増えたのか、最近では彼女以外の仕事仲間と打ち解けて話している姿も見かける。その姿に若干の寂しさと多大な安堵とを感じながら、彼女は自らもミオ達の広げる話の輪に加わるべく歩を進めた。

 いくら誘っても外に出たがらないミオの行動範囲は狭かったが、それでも公私ともに日々充実しているためかミオはいつも楽しそうにいろいろな話をした。ほかの使用人仲間から聞いた宮内の噂話に始まり仕事での失敗、極偶に遠くに住むと言う家族のことをそれは嬉しそうに彼女へ伝えた。彼女は彼女でそんなミオを故郷においてきた既知の友人と重ねては懐かしく思った。だからだろうか、彼女はミオが時折ダルそうにしたり無表情で呆ける間隔が短くなっていることに気付いた。聞けば疲れやすい体質のようだと眉を下げて笑うミオになるべく無理は避けるように苦言した。同時に、次の休みには気が休まると仲間内で人気の茶葉を買って来ようと決めた。しかしそれは実現しなかった。ミオが突然宮を去ったのだ。

 急すぎるそれに彼女は使用人頭に説明を求めた。暫しの沈黙ののちに返されたのは小さな一言だった。それは宮仕えする子女を稀に見舞う嵐だった。ミオは貴人に見染められたのだ。ゆっくりその事実を飲み込み、ミオの様子に思いいたると彼女は祈らずにいられなかった。

 貴族にとって戯れに手を出した、それも身分の低いものが優遇されることはまれだと彼女は知っていた。それでもどうか、ミオの進む途に光があふれるように。ミオとミオの腹に宿った子供の平穏であることを、彼女は願った。




 今世王の御代に粒盛期が来た。記録によれば前会の巡りよりやや早い訪れに、官吏らは進めていた準備を更にいそがせた。

 法技が遅れたことにより力ある粒子の増加に伴う被害報告が幾件も報告された。個々は取るに足らぬ小さな問題だが、その数と留まらぬ粒子が増加するにつれ、添うように深刻さを増す害はやはり異常としか言えない。

 建国以前よりほぼ一定の間隔で起こり続ける力ある粒子の増加の波の原因は今をもってしても解明されていない。わかっているのは粒子は微弱ながら魔の性を帯び、増えすぎたそれは人の意識を犯すと言うただそれのみ。一時的とはいえ打開案を見つけ出したかつての統治者たちに報いるべく、我々は粒子の研究をより発達させるべきであろう。

 法技の仕度がすべて整ったと報告を受けてすぐに儀を執り行った。力ある粒子が増加するのであれば、その力を大量に消費する術を執り行えばいいのだ。それには平素ならばまず起動さえ出来ぬと言う召喚術は、まさにこの大事のために生み出された技なのだ。大きすぎる力の暴走は召喚の発案より二代後から執り行われ始めた通り媒体となる一人を用意することで抑えた。そして貧相な身なりの娘が現れた。陛下御自ら娘の容姿を確認したのち、資格ありと判ぜられた娘に種子を注がれたことで法技の成功をおさめた。

 遡ること数代。ある酔狂な統治者が召喚した娘を娶った。それまで目立った功績のなかった統治者は娘を娶って以降広げた国土は当時継いだ国土とほぼ等しい。その勲功にあやかるためにと、娘と似通った容姿の娘が召喚された折は妻に据えることが慣例化された。

 しかし今期召喚されたのは娘と同じ瞳と肌を持ってはいたが、暗がりで見誤った髪色は黒ではなく瞳と同じく濃茶であった。間をおかず開かれた談合で娘の処遇を決める間、陛下はたびたび席を外した。不審を覚え調べさせれば行先はかの娘に一時的に与えた居室であったことに危機感が募った。まさか、陛下はあの娘に傀儡とされているのではないか。考えてみれば不思議はない。どことも知れぬ異界から迎えた存在だ、これまでの召喚者に関する記述は多くないが、彼らが我々には計り知れぬ何かを宿している危険さえないとは言えないのだ。そう察してからは、娘をそのまま妃に据えようと言う主張に猛然と反対した。国の先を見据えての私の主張はけれど頑迷な陛下の崇拝者と臆病者どもの同意は得られなかった。それでも慣例通りかの娘の御子を後継者とすることは認めど、娘を妃に据えぬことだけは承服させた。

 天の采配か娘は精神に異常をきたし長い妊娠期の殆どを伏せて過ごすも、しぶとく次代を生み落としたのち内々に処理を命じた。


 長く続いた王国の最後の王に仕えた、ある臣下の手記より――




 昔話をしよう。愚かな少女の話だ。


 ぬるま湯の中で生まれ育った少女はそれがどんなに得難い僥倖とのめぐりあわせかを自覚することはなかった。ただ甘えることしか知らない少女は自分の意思が無視され、もののように扱われ続ける現実から逃げ出した。守られるだけの平穏な頃にも似た夢の中で笑いながら、けれど少女は夜毎現実に引き戻されては逃避が叶わないことを徐々に思い知らされていった。己の体に現れた変化もそれを助長した。違和感と嫌悪の対象だった腹はけれど膨らんで反応を感じるたびに少女の心をぬるく撫でた。少女はそれが愛情だとは思わなかった。なぜならそれを齎すのはほかならぬ己を苦境に落しこんだ一人だからだ。しかし変わらず少女の心を撫でるそれを、時を経ほど少女は腹の中の異物を嫌悪することができなくなっていった。ならばそれはもう自分にはどうしようもない、本能なのだと少女は受け入れた。枷を一つ外した少女の精神は早急とは言えないまでも遅いとは言えない早さで本来のそれへ戻っていった。

 少女、いや、ミオにとって子供は生まれる以前もその以後もかけがえのない大切な存在だった。だからこそ子を奪われ再び外と隔絶されようとした時には、以前のようにされるがままではいなかった。もともとの体力の差も、己の体が疲弊しきっていることもその時のミオには関係なかった。抵抗は長くは続かず、ミオから子を奪いに来たうちの一人が衛士のような風体の一人にミオを屠るよう命じた。迫る衛士に身の危険を感じたが、それ以上に子と引き離される怒りがミオを突き動かした。

 それからの怒濤のような展開をミオが直接見ることはなかった。寸前までミオを囲んで静観していた誰かの声が上がると同時に、どこから湧いてきたのか大勢の見たことのない服装の兵士たちに唖然とした。そして間をおかず、ミオの面前には見たことのない部屋が映っていたのだから。驚いて辺りを伺えば、すぐ後ろに立つ人影に気づいた。一目見れば忘れないだろうこの人を、ミオはおぼろげながら確かに覚えていた。呆けたミオが声を出すより先に忽然と消えた彼を見て、ミオはやっと自分が踏みしめる大地そのものが故郷とは違うのだと思い知った。


 その後、ミオの人として最低限の尊厳を踏みにじったかの国が滅ぼされたことを世話係についてくれた女性から、ミオの今後の身の振り様や特に知りたくはなかったがかの国の隠された所業とあの時の兵士たちの属する機関、ミオをここへ連れてきたオリアの役職などをオリア本人から聞かされた。けれどそのどれもがミオにはどうでもよかった。その時のミオにとって必要なのはただひとつだけ。その唯一をミオから引き離すと言うのなら非道を繰り返してきた亡国も、制裁を与えミオを救い出してくれたと嘯くオリア達審問機関も、どちらも敵的でしかなかった。そうとは悟らせないよう、けれど一方的に告げられたそれに再度取り乱すことがなかったのは、単に起き上がる体力すらその時の体調では賄うことができなかったからだ。けれどその感情も弧を描くように降下し、底辺張り付いたように何事にも心を動かすことがなくなった。

 そこでの暮らしはあちらほどひどくはないが、故郷ほどミオを満たしもしなかった。体調が快復して後与えられたオリアの身の回りの世話を淡々とこなす澪の心には、埋まらないウロがぽかりと口を開けていた。それなりに打ち解けて話せる友人、好意を寄せてくれる者、冷徹さを滲ませていたオリアにさえ必要以上に気遣われたが、感情にかかった薄い靄と喪失感だけは長く埋まらなかった。ひたすら平坦にすぎる時間に身を任せた。

 元いた地で過ごしたよりも長い時間をここで過ごす間、いろいろなことがあった。新しい友人ができ、些細な諍いに巻き込まれ、友人たちの門出を見送り、見送られた。オリアの視察という名の世界を股にかける放浪に付き合わされるうちに処世を覚え強かさを身につけた。長年使っていなかった残念なおつむを揶揄されて薄らとむず痒い熱を感じた。ひそかに鍛錬しその成果でもって報復とすれば滅多にない苦笑を見つけ居心地の悪さを覚えた。治安の悪いところへでも赴けるよう身につけた護身術と一緒にオリアが視察先で教え広めている奇術も学んだ。一見何もない場所から火や水を生むそれは最初こそ手品や奇術に思えたが、難易度をあげもっと発展させた不可思議さは手品や奇術よりもむしろ魔法のようだった。原理を尋ねるミオに、オリアは力ある粒子を利用するのだと言った。これが広く使われるようになれば、誰を犠牲にしなくても粒盛期を越えられるようになるだろう、と。

 力ある粒子は世界中のどこにでもあり、他のどんな物からも影響を受けることはないが、逆に他のどんなものにも影響を及ぼした。粒子はあちこちの地で増減を繰り返す。溢れることはないがなくなることもまたなかった。増えすぎれば害になる粒子への対処はどの地方のどの国でも重要な問題で、各々が各々の方法で対処法を編み出していた。その結果の一つがミオであり、オリアだった。

 ミオがこの地へ来てどれほどの時が経っただろう。欠けてしまった心の機微を取り戻し、心の底で懐かしみ帰りたがっていた故郷への郷愁も消えた。引き離され、生涯を幽閉され、ついに会うことが叶わなかった子供も年老いて天寿を全うして尚有り余る時をかけて、ミオはゆっくり少女から女性へと成長した。それが元の世界との時差によるものか、力ある粒子によって召喚された者への宿命なのかはわからない。けれどミオが老いたその後もオリアは生き続けるだろう。ミオに会うずっと以前から粒盛期が訪れる度一身にそれらを受け入れてきたオリアは、出会った頃と変わらない容姿をたたえていた。

 魔法の普及はきっと次のミオとオリアを作らせない有効な手段となる。それがどのような意図で使われようと二人は関心を持たない。ただ一人の犠牲の上に成り立っていた平穏が発展しようと衰退しようとそれによって動かされるには人から長く離れすぎた。


 ミオは己の心を動かす今は唯一の存在となった傍らの男を見上げる。それに気付いてかこちらへ視線を返したオリアとの距離は出会った頃よりほんの少しだけ近づいた。

「どうした」

「…何でもない」

 ミオは確実にオリアより早く世を去るだろう。今はまだ遠いその時残されるオリアを思うとかすかに胸が痛んだ。その痛みによって、まだ自分の内には人の心が残っていることを確認する。それが自己満足だろうと同族への憐憫だろうと、ミオがミオとしてここにいることを確かめられるのならばかまわなかった。

「なに?」

「ううん。…寒いね」

 熱を求めるようにすり寄るミオに脱いだ上着を貸し与え、オリアは適所に火をおこした。大気に溶けた粒子ではなく、オリアの体に溶け込んだほんの一部を消費して燃える火だ。

「早く暖かくなるといいね」

「…そうだな」

 薪のはぜる音もなく静かに揺れる炎が、辺りに満ちていく闇を退けた。













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