犬猿の仲だと思っていた幼馴染の王子が、捨てられた犬みたいな顔をしている
第一王子エルドレッドが十八歳を迎えた春、王宮から一つの発表がなされた。
『エルドレッド王子の婚約者を、半年以内に決定する』
王族の男子は十八歳を迎えると、婚約者選定を開始する。それはこの国に古くから伝わる王家の慣習だった。とりわけ第一王子の婚姻は、王位継承に関わる重要な問題である。王家と一つの家門だけが強く結びつけば、他の貴族たちの反発を招きかねない。そのため婚約者候補は、国内の有力貴族から広く選ばれることになっていた。
発表がなされると、有力貴族たちは一斉に動き始めた。王宮には候補者の名が次々と届けられ、社交界では有力な令嬢のうわさが飛び交う。この春、王都はその話題で持ち切りとなった。
選定は続き、候補者は三名に絞られていた。公爵家の令嬢、侯爵家の令嬢、伯爵家の令嬢。いずれも由緒ある家に生まれ、十分な教養と品格を備えている。人格についても申し分なく、未来の王妃にふさわしい令嬢として選ばれた。
そして、その三人の中に――。
「……どうして私がいるんです?」
公爵家の令嬢スカーレットの名前もあった。
王宮の大広間。三人の令嬢が並ぶ中で、スカーレットだけが明らかに不満そうな顔をしている。
背中まで流れる金色の髪に、珍しい琥珀色の瞳。どちらも母譲りのものだ。スカーレットの母は、年齢を重ねた今なお誰もが目を奪われるほどの美貌の持ち主で、スカーレットもその面影を色濃く受け継いでいる。もっとも、本人は自分の容姿にさほど興味がない。興味があるのは、もっと別のことだった。
隣に立つ父に恨めしそうな視線を向けると、父は小声で答える。
「家門の決定だ。しかも最終候補者にまで残った。今さら文句を言ってくれるな」
「辞退は?」
「できると思うか?」
「お父様に娘の幸せを願う気持ちがあるのなら」
「願っているからここにいる」
「私は騎士団に入って、ゆくゆくは騎士団長になりたいと、ずっと言っていましたよね? ようやく学院を卒業したのだから、正式に入団しようと思っていたのに……」
「公爵家の長女が騎士団に入ることなど許さん」
「そのうち家出してやりますから」
「お前はエルドレッド殿下とは幼馴染で、小さな頃から仲が良かったはずだろう? 好きな相手と一緒になれることほど、贅沢なことはないぞ」
「好きな相手? 誰が、誰を?」
スカーレットはハッと呆れたように笑った。
確かにエルドレッドとは同じ年で、母が王妃と親しい友人であったので、幼馴染として育った。だが、幼い頃から考えるより先に口が出る手が出る(手が出るのは成長とともになくなった!)スカーレットと、泣き虫なくせに負けず嫌いのエルドレッドは衝突することが多く、とても仲が良いとはいえないと思うのだが、この父は一体何を見ていたのだろう。
「どちらかというと、犬猿の仲だと思いますが」
その時、大広間に両陛下とエルドレッドが入ってきた。その場にいた全員が一斉に礼をすると、顔を上げるようにと国王は言った。
「よく来てくれた。令嬢たちには、エルドレッドの婚約者候補として、しばらく王宮で過ごしてもらいたい。令嬢たちが未来の王妃としての才覚を備えていることはすでに理解している。あとはエルドレッドと生涯をともにできるかどうか――それを確認させてほしい」
両陛下の前だ。さすがのスカーレットも大人しく話を聞いていると、エルドレッドと目が合った。淡い銀色の髪に、湖の色をした瞳。黙っていれば、非常に見目麗しい青年だ。頭だって良いし、剣の腕も超一流。ただスカーレットにとっては、単なる幼馴染でしかない。
(何でこっち見るの? もしかして、私がいるのが不満?)
そう解釈して、スカーレットはふいっと目を逸らした。左右にいる侯爵家の令嬢オードリーと、伯爵家の令嬢クリスタルの横顔をちらりと見る。学年が違うため親しく話したことはなかったが、二人とも穏やかで品のある令嬢だと記憶している。
(安心してよ。間違っても婚約者になりたいなんて言わないから。この素敵な二人から選びなさい)
と、内心で思っているうちに、謁見は終わった。
父は、二人きりになると途端に不満を全開にするスカーレットから逃げるように公爵家に戻ってしまい、スカーレットは二人の令嬢たちと一緒に、王宮に滞在することになった。
◇――◇――◇
しかし王宮での滞在は、スカーレットにとって良いこともあった。
広い王宮の敷地内にある、騎士団の施設が見学し放題だった。令嬢たちとの交流(誰が婚約者に選ばれたとしても、将来は国を支える貴婦人同士、助け合っていくことになる。ということらしい)もそこそこに、スカーレットは訓練場を訪れていた。
美しいドレスを脱ぎ捨てて、公爵家からひそかに持ち込んだ軽装で現れたスカーレットに、騎士団員たちは目を丸くしていた。
「参加させてください」
「ご令嬢、危険ですのでどうかご見学は離れたところで――」
「大丈夫ですから、参加させてください。私、学院の卒業前に入団試験には合格していたんです。春からの入団は父に阻まれてしまいましたが、せっかく王宮に来たのですから、参加させてください」
スカーレットはおろおろする騎士団員たちを尻目に、立てかけてあったロングスピアを手に取り、軽々と振り回す。
「うん。これ、借ります」
「ご令嬢、もし怪我でもされては――」
その瞬間、スカーレットの魔力がバチッと弾け、雷光となってロングスピアに伝わった。
「大丈夫ですから、どうぞお気になさらず」
「お前が大丈夫でも、周りが大丈夫じゃないんだ」
背後から降ってきた声に、スカーレットは振り返る。苦々しい顔をしたエルドレッドが腕を組んで立っていた。大広間で見せていた王子らしい澄ました顔とは随分な変わりようだ。
「……エルドレッド王子殿下に、ご挨拶申し上げます」
騎士団員たちがざっと頭を下げたのを見て、一拍遅れてスカーレットも頭を下げた。
「気持ちの入っていない挨拶などいらない」
「あ、そう。じゃあ遠慮なく」
可愛げのないエルドレッドには、可愛げがなく返してもいいだろう。あっさりとスカーレットは顔を上げ、手をひらひらと振った。『バイバイ』ではなく『シッシッ』である。
「お前、卒業してしばらく会わなかったから、少しは令嬢らしくなったかと思えば……」
「しばらく? たった一カ月でしょ。こんな風に呼び出されて、本当に迷惑」
「……俺の婚約者を決めるんだぞ。何か言うことはないのか」
「何かって何よ。オードリー様もクリスタル様も、素晴らしい女性じゃない。安心してよ、騎士団に入って、あなたの婚約者は守ってあげるわ」
「…………」
はあ、とエルドレッドは片手を額にあててわざとらしくため息をついた。
「お前、本当に変わらないな」
「あなたこそ。いちいち突っかかってこないで。何か用?」
「――公爵から聞いた。他国から縁談がきたんだろう」
「ああ、まあね。ここに来る前に、父が断ったけど。条件が悪くなかったから、家に戻ったら再考してもいいかなって――」
「はあ?」
エルドレッドは険しい顔をして、スカーレットのロングスピアの柄を強く握った。
「何でそうなる。お前、この国を出るつもりなのか?」
「だって結婚したら、新設する騎士団をひとつ、任せてもいいって言われたもの」
「…………」
「かなり魅力的よね」
「……お前は王子妃の座よりも、騎士団を選ぶのか?」
「何言ってるの? 向こうだって王子様よ。第三王子だけど」
「待て、そもそも祖国に対してだな――」
「あーもう分かった分かった。父と同じようなことを言わないで。私だってこの国のことは大切に思っているわよ。だから言ったじゃない、騎士団に入ってあなたの婚約者を守ってあげるって」
「……騎士団に入るという目標は変わらないんだな」
「昔っからそう言ってるでしょ? 実力で騎士団長まで登り詰めてやるから、見ててよ。――で、そろそろ手、離して。訓練に参加させてもらうんだから」
「……だったら」
ロングスピアの柄からは手を離さず、エルドレッドはなぜか決意したようなまなざしを向けてきた。
「お前が騎士団に入るのを許可するよう、俺から公爵に頼んでやる。王子妃になった後も、騎士団で活動できるようにする」
「え?」
スカーレットは驚いた。
「……それ、本当?」
「ああ」
「…………」
そんな提案を受けるとは思っていなかったスカーレットは考える。その提案はなかなかに魅力的だ。なにしろ父はスカーレットが騎士団に入ることを断固として反対している。
「だから本気で、婚約者候補として向き合ってくれ」
そう言ったエルドレッドは、幼い頃の彼を思い起こさせた。意地っ張りで、負けず嫌いで、泣き虫だった幼少期の姿。
(何でそんなに必死なの? 私のこと、そんなに買ってくれてる? まあ私って、強いから)
自画自賛して、スカーレットは悪くない気分になった。
「分かったわ」
「……本当か?」
「ええ。でもね、昔から変わらない気持ちがもう一つあるの。結婚相手に、自分より弱い男は嫌だってことよ」
バチッと再び電撃がロングスピアを伝うと、エルドレッドは突然の痛みに少し顔をしかめ、手を離した。
「……俺がお前より弱いと?」
「そうは言ってない。学生時代は五分だった。せっかくだから、今の実力を確かめてあげる」
スカーレットが口の端を上げると、エルドレッドは周りでハラハラしている騎士団員に、剣を持ってくるように言った。
「危ないから、下がるように」
エルドレッドが周囲に指示する。スカーレットは待ちきれないとばかりに、目を輝かせた。
◇――◇――◇
結果、訓練場は悲惨なことになった。
ボロボロになったエルドレッドとスカーレットは、見かねて仲裁に入った騎士団長に、無理やりに引き離された。スカーレットは雷を、エルドレッドは氷を操るので、属性の相性でいえばスカーレットに分があるはずだが、エルドレッドは押し負けなかった。魔力では勝っても、ロングスピアと剣がぶつかる接近戦では、身体能力で劣るのは否めない。
次はどうしてやろうかと、そんなことを考えているボロボロのスカーレットを治療してくれているのは、侯爵家の令嬢オードリーだ。淡い光の魔力が、スカーレットを癒していく。
「申し訳ありません、オードリー様」
「お気になさらないでください。エルドレッド殿下の治療を優先いたしましたので、お待たせして申し訳ありません」
「いいえ、ありがたいです。オードリー様のような方がそばにいれば、エルドレッド殿下も安心でしょうね」
「そう思われますか?」
オードリーはそう言ってふふっと笑う。
「でも、エルドレッド殿下は、はじめからスカーレット様しか見ていらっしゃいませんよ?」
「え?」
「わたくしもクリスタル様も、お二人の間に割って入ろうとは思っておりません。ここまで候補者として残れたことは大変な名誉ですし、そのおかげでこれから良い縁談をいただけるでしょう」
その時ちょうど、クリスタルが部屋に姿を現した。落ち着いていて大人っぽいオードリーとは対照的に、クリスタルは童顔で愛らしい。
「スカーレット様、お体は大丈夫ですか?」
「ありがとうございます、クリスタル様。オードリー様のおかげで、すっかり」
「オードリー様の魔法がうらやましいです。スカーレット様のお役に立てるなんて」
(……ん?)
「これ、我が家から取り寄せた回復ポーションです。良かったらお使いください」
クリスタルが差し出したポーションは、王都で流通している最高級品だ。確かクリスタルの生家である伯爵家が製造し、独占販売しているものだ。
「嬉しい。使ってみたかったんです。大切に取っておいて、いざというときに使いますね」
本心からそう言うと、クリスタルはふるふると首を横に振った。
「どうぞいくらでもお使いください。スカーレット様のためなら、いつでもお持ちしますから!」
(んん……?)
疑問符を頭に浮かべて、首をかしげるスカーレットに、オードリーが教えてくれる。
「クリスタル様は、スカーレット様が在学中からファンだそうです」
そう言ったオードリーの言葉に、頬を染めてクリスタルがこくこくと首を振った。オードリーは穏やかにほほえんだ。
「わたくしたちは、スカーレット様をお支えしたいと思っています」
「……待ってください、オードリー様。さっきのお話ですが、エルドレッド殿下が私しか見ていないって何のことでしょう?」
するとオードリーは、隣のクリスタルと顔を見合わせた。クリスタルがおそるおそる言う。
「スカーレット様。エルドレッド殿下のお気持ちに、お気づきでなかったのですか?」
「……えっと。私は戦力になるので、そばに置いておきたいとか、そういうことでしょうか」
オードリーとクリスタルはもう一度顔を見合わせると、深刻そうに小声でやり取りをした。
「これは……エルドレッド殿下がおかわいそうですね」
「わたしとしては、そんな鈍感なスカーレット様もギャップがあってときめきます」
「かわいそう? 鈍感……?」
スカーレットの声に、二人は上品なほほえみを浮かべた。オードリーが最後に言った。
「ぜひエルドレッド殿下に、お聞きになってみてください」
◇――◇――◇
傷を癒してもらい、侍女たちの手によって身支度を整え、すっかり綺麗になったスカーレットは夕食会に臨んだ。スカーレットも、一応は公爵家の令嬢としての教養とマナーは身につけているので、公の場でそつなく振る舞うことくらいはできる。が、好きではないので疲れはする。
夕食会を終えて、スカーレットは息抜きのためにひとりバルコニーで外を見ていた。オードリーとクリスタルと話した内容を思い出す。あそこまで言われたら、さすがにスカーレットにも察しがつく。
「大丈夫か?」
振り返ると、エルドレッドがそこにいた。夕食会ではお互いに何事もなかったように過ごしたが、こうして心配そうなまなざしを向けてくるエルドレッドはどこかしおらしい。
「傷のこと?」
「ああ」
「大丈夫よ、オードリー様のおかげで。それより、聞きたいんだけど」
「何だ」
スカーレットはまだ半信半疑だった。
「あなたって、私と結婚したいと思ってるの? 婚約者候補として向き合ってほしいって、そういうことよね」
「……それ以外にないだろ」
「それって私が強いから?」
「何でだ。戦力なら足りてる」
「幼馴染だから楽だとか、そういう理由?」
「……そういう理由じゃない。だいいち、幼馴染だから楽だなんてこと、一度もなかった。お前はいつも激しいし」
「だったら穏やかなオードリー様かクリスタル様に婚約者になってもらえばいいのに」
そう言うと、エルドレッドはぐっと言葉に詰まった。
「それは――」
エルドレッドが目を泳がせている。スカーレットは直球を投げた。
「もしかして私のこと、好きなの?」
「……っ」
途端に、エルドレッドが普段見せないほど動揺した。月明かりの下でも分かる。顔が赤くなっている。それが答えだった。
「俺は、その――」
エルドレッドは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いた。やがて意を決したように視線を上げる。
「お前がいたからここまでやってこれたと思ってる。切磋琢磨して、時々は笑いあって、そういう関係が好きだ」
「それって婚約者じゃなくて、仲間の感覚じゃない?」
「違う! 仲間でもそうかもしれないが、お前は時々――」
「時々?」
「……つまり、その。本当に時々――」
「うん」
「――褒めてくれたから」
白状した途端、エルドレッドはカアッとさらに顔を赤くし、拳で口元を抑えて顔を逸らした。
(何それ。そんなこと、あった? ……言われてみれば、あったかな。こんな風に――)
遠い昔を思い出しながら、スカーレットは手を伸ばし――柔らかな彼の銀髪を、よしよしと撫でていた。
「っ、な……」
「いいこいいこ」
「――!」
「……背が高くなったわね」
カアッから、ボボボッといっそう顔を真っ赤にしたエルドレッドは、けれどスカーレットの手を振り払わずに、されるがままになっていた。
「弱かったくせに、強くなったね」
「……お前」
「いつも頑張ってるよ、エルディは」
「…………」
幼少期の愛称で呼ぶと、弱かったくせにと言われてキッとスカーレットをにらんでいた(そんな赤い顔ですごまれても、まったく効果はない)エルドレッドはすっかり大人しくなった。
「……スカーレット。俺は、お前がいいんだ」
「そうなんだ。さっさとそう言えば良かったのに。あなたの好意、伝わってなかったから。むしろ私を嫌いなのかと」
「……嫌いじゃない」
「驚きだわ」
この間ずっと、スカーレットはいいこいいこしていた。そろそろ疲れたのでぱっと手を離すと、エルドレッドは捨てられた犬みたいな目をした。その表情を見て、まあいいかと思ったスカーレットは、さらりと口にした。
「じゃあ、結婚する?」
「えっ」
エルドレッドは目を丸くした。
「……いいのか?」
「騎士団に入ってもいいんでしょ? だったらいいわよ」
「本当に?」
「だからいいって言ってるじゃない」
「え、抱きしめてもいいか」
「何でそうなるのよ。ダメにきまってるでしょ」
「…………」
「そういうのは、ちゃんと婚約してから」
「分かった。すぐに父上と母上に報告に行く。最終的には父上が大臣たちと決めるが、俺の意見は考慮されるはずだ」
「もう遅いわよ。明日でいいじゃない」
「明日になって、お前の気が変わったら困る」
「さすがにそんなに失礼なことはしないわ」
「……もう一回聞かせてくれ。本当に、俺と――生涯をともにしてくれるのか?」
請うように言われてスカーレットは、小さく苦笑した。
「いいわよ」
「俺のこと、好きか?」
「え?」
「好きか?」
「ちょっと、求めるものが多いわね。さっきまで、あなたは私を嫌ってると思ってたって言ったでしょ?」
「いや俺は、お前が好きだ」
「何なのよ。大丈夫?」
「大丈夫じゃない。正直、舞い上がってる。俺のことも、好きになってくれ」
「はあ」
スカーレットは呆れたようにため息をついて、それでも自分で決めたのだからと腹をくくる。
「幼馴染だもの、嫌いじゃなかったわよ。突っかかってくるから時々鬱陶しかったけど」
「鬱陶しい……」
「でも、忘れないでね。自分より弱い男と結婚するのは嫌。あなたはいずれ王になるんだから、なおのことね」
「分かった。常に強くある」
素直なエルドレッドに、もう一度スカーレットは銀色の髪に手を伸ばす。
「いいこ」
これだけで大人しくなるのだから、まあ可愛いのかもしれない。とスカーレットは苦笑した。
◇――◇――◇
それから、正式な婚約が成立した。エルドレッドの強い意向に加え、侯爵家と伯爵家もスカーレットならばと納得(オードリーとクリスタルの意見も考慮されたのだろう)したので、異例の速さでの決定となった。
婚約者となったスカーレットには、王子妃としての教育が始まった。同時に、スカーレットは念願だった騎士団への入団も認められた。スカーレットは女性騎士専用の宿舎に入ると言ったのだが、それは父とエルドレッドに却下され、結婚前にもかかわらず特別に王宮に部屋が用意された。騎士団には学院時代からの友人たちも在籍していて、スカーレットは忙しくも充実した毎日を送ることができている。
婚約発表が終わってからのエルドレッドは、隙あらばスカーレットに近づいてくるようになった。
「……ちょっと、邪魔」
「休憩」
今日もしっかり後ろから抱きすくめられ、スカーレットはややうんざりとした声を出した。侍女たちは何も見なかったように、スッと部屋を出て行ってしまった。
「私は休憩中じゃないの。早く離れて」
エルドレッドがしぶしぶ体を離すと、スカーレットは大きく息をついて、正面から向き合った。
「明日から、騎士団の遠征で東部に行くの。しばらく会えないわよ」
「聞いた。気をつけて行け。明日は朝から重要な公務が入っていて、見送ることができない」
案外あっさりとそう言われたので、引き止められるとばかり思っていたスカーレットは毒気を抜かれてしまった。
「意外ね。行くなって言うと思ってたわ」
「……お前が嫌がることはしない」
「そっか」
エルドレッドは、それ以上何も言わなかった。ただ、その表情を見れば、我慢して物分かりのいいふりをしているものの、本音では離れたくないのだということが痛いほど伝わってくる。スカーレットは思わず笑って、エルドレッドの銀髪を撫でた。すると、エルドレッドは耐えきれなくなったように、今度は正面からぎゅっとスカーレットを抱きしめ、その首元に深く顔をうずめてきた。
「……好きだよ、レティ」
ずっと昔の愛称で呼ばれ、スカーレットの胸が少しだけくすぐったくなる。今の苛烈な(否定はできない)スカーレットに、父や母ですら、もうそうは呼ばなくなったというのに。
「うん、ありがとう」
ぽんぽんと背中を優しく叩いてあげると、エルドレッドは体を離して不満そうに言った。
「……それだけか?」
「それだけって何よ」
「他に言うことはないのか」
「別にないけど」
「…………」
「ほらまた、そんな顔しないの」
「どんな顔だ」
「捨てられた犬みたいな顔」
「……一国の王子を犬扱いするのは、お前くらいだ」
「そうかもね」
スカーレットはふっと笑って、それから少し背伸びをした。そして――。
エルドレッドの唇のすぐそば。彼の頬に、一瞬のキスをした。
「…………」
エルドレッドは目を見開いたまま固まった。やがて、ボッと顔どころか耳の先まで真っ赤になった。
「送り出してくれてありがとう。我慢できたご褒美よ」
「っ、レティ」
「さ、休憩は終わり。次に会うのは、私がここに戻ってきてからね」
部屋から追い出すようにして、扉の外で待機していた近衛騎士にエルドレッドを引き渡す。
スカーレットはひらひらと手を振り(今回はもちろん『バイバイ』のほうだ)ながら、名残惜しそうに二度ほど振り返ったエルドレッドを見送った。
実のところスカーレットは、遠征が終わったら、そのまま休暇をとって一度公爵家に帰る予定にしていた。けれど――。
「やれやれ」
スカーレットは小さく笑った。
「しかたがない。遠征が終わったら、まっすぐに戻ってきてあげる」
(THE END)
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