月光浴
僕はただの下働きだ。商家の清掃、雑用が仕事で、長屋の狭い一室に住んでいる。偉い方とお話する機会なんてないと思っていた。でもあの初夏の日、彼は僕に話しかけてきた。廊下の掃き掃除中だった。
旦那様が離れたから暇潰しに僕の所へ来たのだと思った。文官だと言うから、出来るだけ失礼がないように気を付けようと思いながら数分程度世間話をした。
印象は朗らかで大人び、博識な青年。腰の辺りまである綺麗な白髪はさらさらで、質の良い服を着て、端正な顔立ちをしていた。対して僕は肩甲骨の辺りで適当に切ってばらばらになった髪を、頭頂部のやや下まで持ち上げている。それは少しウニに似ていて、顔だって綺麗じゃないし、着物も所々ほつれている。おまけに大した話も出来ない頭だった。
なのに、それからだ。彼はよくうちに来るようになった。そして毎回僕を見つけては話しかけてきた。何が目的なのか分からず怖くて、僕は聞いたことがある。すると彼は僕を人のない所へ連れていって、壁際にやると少し屈んで言ってきた。
「好きなんです」
その瞬間僕の世界は止まって、動き出したと共にかつてない程心臓が暴れ始めた。
水晶のように綺麗な瞳。その時から僕は完全に捉えられてしまって、彼に手を取られて異世界へと踏み込んだ。
月が冴えている。それでも彼は変わらずやって来て、今宵も僕達は月の下に舞う。
細く長く美しい指が僕の身体を伝う度、彼にまた一つ恋をする。甲斐甲斐しいのに対照的に、少年のような恋焦がれる顔で彼は僕を見つめた。
「愛しています」
「僕も、愛しています」
彼がくれる言葉は温かい。瞳はまるで星のように煌めいて、僕はそれに魅入られている。月光を背負い、時折光を漏らす長い白髪がとても美しい。
でもこんなことをしていたら、いつかみんなにバレてしまって彼が生きていけなくなるんじゃないだろうか。そう思って聞いたことがある。すると彼は「それでも構わない」と笑みを浮かべた。その言葉が嘘だとは思わない。彼は僕を遊びだと言わないし、毎夜の如く来てくれるし、手を握るそれだけでも大切にされているのが分かる。でも、結婚の出来ないこの関係に、大っぴらに出来ないこの関係に、やっぱり自由はない。僕達の関係は、そこいらの男女の睦み合いよりずっと儚いものだと思う。吐いた白い息が霧の如く消えてしまうように。
僕は強く彼の手を結んだ。
今この時は、こんなに嬉しくて愛しくて、満たされている。けれどいつか飽きられてしまう時が来るだろうか。彼が家に従う時が来るだろうか。彼との未来を強く信じられない僕は愚か者だと、沢山の人は言うんだろう。そんなのは分かっている。だから信じる為に、僕は何度も名前を呼ぶんだ。胸がはち切れてしまいそうな苦しさや恐怖を、安堵に変える為に。
本当は、叶うことなら、いつまでも彼の側にいたい。いつまでも。だから、沢山来てほしい。この恋が当たり前になるまで。僕の声が枯れるまで。僕達の命が消えるまで。
読んでくださりありがとうございます(*◡ ◡)




