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悪役令嬢は引退して「おやつ屋さん」を始めます!  作者: 秋月 もみじ


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第6話 カフェ『こもれび』オープン


 魔獣ハンバーグの濃厚な旨味が記憶に新しい翌日の朝、私は不思議な音で目を覚ました。


 コン、コン、コン。

 控えめだが、意思を感じるノックの音。

 誰だろう。こんな森の奥に郵便屋さんが来るはずもない。

 私はエプロンを羽織り、玄関の扉を少しだけ開けた。


「……あら」


 そこには、行列ができていた。

 先頭にいるのは、いつもの発光するリス。その後ろにウサギ、タヌキ、見たこともないカラフルな小鳥たち。

 彼らは一様に、前足や口ばしに「何か」を持って、期待に満ちた瞳で私を見上げている。


「客だぞ」


 背後から、あくびを噛み殺したシルフィードが現れた。

 寝癖のついた銀髪を揺らし、彼は呆れたように肩をすくめる。


「昨日の肉の匂いに釣られたんだろう。森中の食いしん坊が集まったみたいだな」

「お、お客様……ですか?」


 私は瞬きをした。

 リスがとことこと歩み寄り、私の足元に「コロン」と木の実を置く。

 ついでに、キラキラと光る青い石も添えられた。

 彼は(彼女かもしれないけれど)尻尾を振り、チョンと座って、私の顔とキッチンの方向を交互に見ている。

 

 ――ご飯をください。これは代金です。


 言葉はなくとも、痛いほどに伝わってくる。

 私の胸が、ドキンと高鳴った。

 王都では「毒婦」だの「役立たず」だのと言われ、誰かに何かを求められることなんてなかった。

 けれど今、彼らは私を求めている。私の料理を待っている。


「……いらっしゃいませ!」


 私はスカートの端を摘んで、精一杯のカーテシーをした。

 喉の奥が熱くなるのをこらえて、笑顔を作る。


「ただいま準備いたしますね。テラス席へどうぞ!」


 ◇


 開店初日のメニューは、ベリーのタルトと木の実のクッキー。

 庭に急造した切り株のテーブルに、私は焼きたてのお菓子を運んでいく。


「はい、お待たせしました」


 皿を置くたびに、動物たちが嬉しそうに鼻をひくつかせた。

 リスは両手でクッキーを持ち、サクサクと音を立てる。小鳥たちはタルトの端をついばみ、さえずりで感想を言い合っているようだ。

 

 シルフィードは、少し離れた木の枝に腰掛け、その光景を頬杖をついて眺めていた。


「物好きな奴だ。木の実や石ころを集めてどうする」

「いいじゃないですか。綺麗ですよ、この石」


 私は彼らが置いていった青や赤の石をポケットの中で転がした。

 ビー玉みたいに透き通っていて、ほんのりと温かい。市場価値はなさそうだけど、彼らなりの精一杯の「宝物」なのだと思えば、宝石よりも価値がある。


 その時だった。


 ズシン。ズシン。


 地面が揺れた。

 楽しげだった動物たちが、一斉に動きを止める。

 森の奥から、重苦しい空気が押し寄せてきた。

 木々がミシミシと悲鳴を上げ、左右に割れる。


「……っ」


 現れたのは、小屋ほどもある巨大な影。

 黒い毛皮に覆われた、山のような熊だった。

 背中には小さな小熊を乗せている。

 鋭い爪はナイフのようで、口からは白い息が漏れていた。

 

 怖い。

 本能が逃げろと叫ぶ。

 足がすくみ、持っていたトレイが震えてカチャカチャと音を立てた。

 シルフィードが枝から飛び降りようと腰を浮かす気配がする。


 けれど。


 グルル……。


 熊は威嚇するように唸ったが、その視線は私ではなく、テーブルの上のタルトに釘付けだった。

 そして、背中の小熊が「きゅぅ」と弱々しい声を上げるのを、親熊が愛おしそうに舐めるのを見てしまった。


(お腹が空いているんだわ)


 子育て中で、狩りがうまくいっていないのかもしれない。

 そう思った瞬間、恐怖よりも先に「何か食べさせなきゃ」という使命感が湧き上がった。

 私は震える足に力を込め、シルフィードを目線で制する。

 大丈夫。彼らはお客様だ。


「……いらっしゃいませ。広いお席へご案内しますね」


 私は努めて明るい声を出し、一番大きな切り株を指し示した。

 親熊は一瞬ビクリとしたが、私が敵意を持っていないことを悟ったのか、のっそりと近づいてくる。

 

 私は厨房へ走った。

 取り出したのは、とっておきの蜂蜜。そして、ふわふわに焼き上げたスポンジケーキ。

 たっぷりと蜂蜜を染み込ませ、ホイップクリームを山のように盛る。


「どうぞ、特製ハニーケーキです」


 熊の前に大皿を置く。

 親熊は鼻を近づけ、匂いを嗅ぐと、大きな一口でケーキを頬張った。

 とたん、強張っていた表情筋が緩み、とろんとした顔になる。

 小熊も皿に顔を突っ込み、クリームまみれになって夢中で食べている。


「……ふふ、可愛い」


 食べている姿は、猛獣というより大きなぬいぐるみのようだった。

 私は思わず手を伸ばし、親熊の背中を撫でてしまった。

 ごわごわしているかと思った毛並みは、驚くほど柔らかく、温かかった。


 親熊は怒らなかった。

 それどころか、もっと撫でろと言わんばかりに体を寄せてくる。

 気がつけば、他の動物たちも戻ってきて、熊の周りに集まっていた。


「やれやれ。お前の店は、猛獣使いのサーカス小屋か?」


 シルフィードが呆れた声で言いながらも、彼の手にはしっかりと紅茶のカップが握られている。

 私は熊の背中にもたれかかり、木漏れ日の中で微笑んだ。


「いいえ。ここはカフェ『こもれび』。世界で一番、平和なおやつ屋さんです」


 森の風が、甘い匂いを運んでいく。

 ここなら、やっていける。

 もふもふの温もりを感じながら、私は確かな手応えを感じていた。

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