推しが結婚するらしい
ネタ
久しぶりに戻ってきた友人クリスに呼び出され、女性ばかりが集うティーサロンへと脚を運ぶ。
店員に名を告げれば人気の無い奥に通され、中にはすでにクリスが長い足を優雅に組み待ってきた。
思わず見惚れていると気配に気がついたのか伏せられていた切れ長な目が俺へと向けられる。
「セオ!」
嬉しさを滲ませ、立ち上がると勢いよく俺へ近づくと少しだけ背の高いクリスは被さるように抱きしめてきた。傭兵という過酷な生活を過ごしてきたためか力強く苦しくほどの抱擁をうける。
限界を伝えるために背中を叩けば悪かったと告げ席へとエスコートをしてくる、女性の様な扱いに恥ずかしさを覚えるが学生時代からこんな感じだったことを思い出す。
対面に座り合うとなれた手つきでクリスがティーポットから紅茶を注ぐ、給仕がいないことに気がつき姿を探す。
「久しぶりだから二人きりにして欲しいと頼んだんだ。それにこれくらいなら私も出来るからね」
温かい紅茶からは好きな香りが漂ってきた、思わずクリスを見つめればイタズラを成功させた子どものように目を細め笑う。
「好きだと言ってただろ。好みが変わっていたら申し訳ないが」
「いや、むしろ覚えてたんだな。もう7年も前のことを」
思わず本音が溢れる、友人と言っても共に過ごしたのは学生時代くらいのもので卒業すると同時に傭兵として旅に出てしまったクリスと会うのは7年ぶりで面影はあるもののより洗練され、かつて狼卿と呼ばれていたクリスの父親にそっくりだ。
「そうか、そんなにも経ったんだな。けど、心外だな唯一の友人の好みを忘れるほど薄情になった覚えはないんだがな」
「悪かった、お前はそうやっていつも気にかけてくれてたよな。俺だってお前の好みは忘れてないさ」
少しバツが悪くなり紅茶を口に含むと華やかでありながらスッキリとした香りが鼻を抜けていく、昔は好んで飲むものではなかったがまるでクリスの様だと思う様になってからは愛飲している。
「それにしても幸せそうに飲むな、出会った頃は好んでいる印象は無かったがきっかけでも?」
「別にいいだろ、たまたま気に入ったんだよ。で、渡したいもんがあるんだろ」
わざとらしく話を逸らすがクリスは気にすることなく内ポケットから美しい装飾の施された手紙を差し出す。
「そうだな。これから会う機会があるんだ、その時に聞かせてもらうよ。ここからが本題だが、受け取ってくれるか」
先に伝えられていたがやはり実感が湧かない、いずれ訪れることだと分かっていたがこんなにもアッサリ決まってしまうなんて思ってなかった。
「当然だろ。・・・本当にするんだな、結婚」
「驚いただろ。私自身も驚いてるよ、こんなにもトントン拍子で決まるだなんてな」
本人にも実感がないのかどこか他人事のように言ってみせる。招待状を受け取り中を確認する、記載されたクリスと社交界でよく耳にした名を目にして思わず眉を顰める。
「大丈夫なのか?本当に」
「心配もわかるが問題ないさ。知ってるだろ、私が負け戦に挑まないことは」
焼き菓子をつまみ口へと放り込むと少し顔を顰めた、食べたはいいがやはり好みではなかったのだろう。用意された品を見れば俺が好きだと言ったものばかりが並べられていた、それに気がつき顔を緩ませずにはいられなかった。
「随分と嬉しそうだな、何かあったか?」
「嬉しいに決まってるだろ、お前に久しぶりに会えたんだから」
「まぁ、含みを感じるがいいだろ。今回も誤魔化されてやるさ」
好きだっただろと言いながら皿に取り分け俺の前へと置いた、ただの再会だけであれば手放しに喜んだだろうが手に持ったままの招待状が心を重くする。
「お前は簡単に言うけどな、大公の恋人と結婚するんだ邪魔が入らない訳ないだろ」
「そこに関して大公と婚約者殿では認識の齟齬があるみたいでな。婚約者殿は別れたと言っているんだが、大公からは恋人との愛のメモリーが複数回に渡って送られてきていてな」
「大公は別れてないと思っているってことか」
あの大公がと思わずにはいられないがクリスが嘘を吐くはずはない。
「こちらでも話が上がっていると思うが大公が婚約を発表しただろ」
「あぁ、他国の侯爵令嬢だろ」
こちらでは大公が更に力をつけることを危惧した貴族連中が騒いでいたのが記憶に新しい。
「大公曰く婚約者殿は身を引いたと考えているらしくてな。私も最初はそう思っていたんだが婚約者殿は好きとかではなく一番愛してくれたから付き合っていたと言っていてな、だから大公の婚約はきっかけに過ぎずいつか別れる予定だったらしい」
開いた口が塞がらない、あの大公相手にそんな理由で選んでいるだなんて思いもしなかった身分や立場という障害が多いからこそ恋人という何の確約もない関係で甘んじているのだと思っていた。
「で、どうやって勝つんだ?身分だけ考えれば大公に勝てるはずもないだろ。それに相手が愛を求めているのであれば契約結婚なんて成立しないだろ」
「だと、思うだろ。私もさっぱりなんだが一目惚れしたらしい」
「婚約者がお前にか?帰ってきた時に初めて会ったんだよな」
「あぁ、そこなんだが実は一度だけ顔を合わせたことはあってな」
「あちこち行ってたお前に会うタイミングなんて、もしかして大公領とかか?」
「さすが、いい読みをしてるな。大公からの依頼があって立ち寄った時に一度だけな」
「よく会わせたな、大公も」
クリスはとにかくモテる父親によく似た端正な顔立ちに母親の教育による美しく所作や出立も相まって学生時代にはファンクラブが存在していた。
そんなクリスに紹介しようとした大公の気持ちが理解できなかった。
「その時に一目惚れされたのか」
「らしいな。正直、ろくに顔を合わせてなければ話しもしてないから実感がなくてな」
何となく相手のことが想像できる、照れて何もできなかったんだろう。クリスは周囲の顔面偏差が高すぎるが故に容姿に対して頓着がない、最たるものが両親であれだけの美貌を持ちながら相思相愛かつ顔見知りばかりの辺境という環境は美的感覚を鈍らせるには十分だった。
「それはいいとして相手が一目惚れしてるからと言って勝算は言い過ぎじゃないか?」
「そうか?大公は愛し合っていると思っているが実際はそうではなかったというのはかなりの打撃になるだろ」
「心を折ったところで引くような奴か?少なくとも更に憎しみを募らせそうだけどな」
大公は酷くクリスを嫌っていた一つ上の先輩で何でも一番で人当たりのいい人であったのだが俺が高等部に上がると同時に編入してきたクリスの存在が全てを変えた。
「彼も飽きないものだな、今だに剣術と実地訓練で負けたことを根に持ってるとは」
クリスは唯一大公に膝をつかせたのだ。
あの時はひどく驚いたが今思えば傭兵王と呼ばれる父を持ち最強と名高い傭兵団と共に過ごし学んでいたのであれば実践を知らない人間が負けたとしても不思議ではない。
しかし大公はそれが許せなかったらしくクリスが卒業するまで間、何度も挑んでは負けを繰り返し日に日に恨みを募らせていった。
「卒業後、手合わせはしたのか?会えば剣を構えてた大公なんだ何も無いはずないだろ」
「もちろん呼び出されて何度か勝負したさ」
やはりかと思ってしまう。あれだけ執着をしていたのだから時が経った程度で容易く消える感情ではないだろう。
「何となくわかるが結果は?」
「さすがに大公が相手とは言え常に戦場に立つ私が負けるわけにはいかないだろ」
「だよなぁ、その婚約者は見てたのか」
「いや、二人きりだったよ。そのおかげで何度も挑まれてね、滞在が一日延ばさざるおえなかったくらいさ」
俺が思っているよりも数十倍、いや数百倍拗らせているらしい。あれだけの立ち回りと弁が立つにも関わらずクリスの前でだけ思春期のガキそのものだ。
「今更なんだがどうしてコイツだったんだ。社交デビューして半年で有望な男どもを骨抜きにし気が付けば大公の恋人になってたとんでもない奴だぞ」
「現在我が家には大量の婚姻の申し込みが兄上に届いている。それも他国の王族や皇族、有力貴族からだ。それを知って焦った王が我々を繋ぎ止めるために未婚かつ騎士団を保有している貴族との婚姻をということで気が付けば婚約数ヶ月後には婚姻をすることになっていた」
俺は思わずクリスの手を握った。
「なれるのか」
「ああ、思いがけない幸運だ。私の率いる傭兵団が騎士として認められる。散々身分などで退けられてきたが父の悲願が我々、家族の願いが叶う時が来た」
クリスの父親であるクライドは平民の出でありながら傭兵としての武勲を讃えられ男爵の地位を授けられたが与えられた領地は出身である国境沿いの小さな村のみで常に戦果の前線に晒される村に潤沢な資金はなく名ばかりの貧乏貴族にも関わらず安い褒賞で国防を任せるという酷い扱いを受けてきた、しかし村を守ために身動きが取れず悔しい思いをしてきたことを知っていた俺は思わず涙ぐむ。
「ありがとう、セオ」
クリスはグッと堪えるようの感謝を伝える。お互いに目尻に涙を浮かべ友情を確かめ合っていると開くはずもない扉が力強く開け放たれる。
「何、手を握っているんですか!離してください、クリスティーナさんは僕のお嫁さんです!」
突然の来訪者に驚いていると手を引き剥がされる。
クリスことクリスティーナは落ち着いた様子で来訪者を引き寄せると慣れたように膝に座らせた。
「本日もお元気ですね、ノエル殿。屋敷のものには伝えていたはずですが友人と会ってくると」
子どもを諭すように落ち着いた口調のクリスにノエルは縮こまっていく。
ノエル・レプス、レプス伯爵家次男にして可愛らしい容姿に箱入りゆえの純真無垢な性格でありとあらゆる男を虜にした魔性である。
「そうかもしれませんが男性が友人とは聞いていません!」
さすが数多の高位な男を相手にしてきているだけあってクリフの圧を押し退け喰ってかかっていく。
「以前、お話いたしましたが私の通っていた学園は共学でしたが専攻した騎士科は私以外は男しかいなかったと伝えていたはずですが。それにそれを言い始めたら我が傭兵団も男ばかりではありませんか」
「そうゆうことではないんです!僕に事前に全て伝えて欲しかったんです」
「そうしたら許可しましたか」
「する訳ないじゃないですか、クリスティーナさんはすごく魅力的なんです。他の人に盗られたくないし、好きになって欲しくないんです!」
思わず口角の上がってしまいそうな口元を隠す。
勝ち戦しか挑まないと言っていた理由が分かった、一目惚れと言っていたがここまでゾッコンだとは思いもしていなかった。かつて男を振り回していたはずの男がクリスにこんなにも振り回されているとはいい気味だ。
「セオ、騒がしくしてすまなかった。悪いが今日はここまでにしよう、また会えそうな日があれば連絡する」
「また会う気ですか!!ダメに決まってます、あなたも来ないでください」
どれだけ騒いでもクリスから離れようとしないノエルに呆れながら、ほとんど口を付けれなかった紅茶を流し込み手早く手紙を懐に仕舞いクリスが俺のために取り分けた皿を持ち立ち上がる。
「ああ、また連絡をくれ。せっかくだから次は手合わせでもしてくれよ」
「僕を無視しないで下さい、ダメって言ってるじゃないですか」
「先ほどから随分と私の友人に失礼なことを言ってますが分かっていますね。今までは甘やかされてきたかもしれませんが帰ったらもう一度作法の勉強のやり直しをしましょう」
クリスと家族となる以上避けられないことだ、今まで許されてきた分大変だろうがクリスのために頑張って欲しいと心の中で手を合わせる。
すでに勉強会が行われていたのか顔を青ざめさせ目には涙が浮かんでいた。
思っていたよりも良好な関係に安堵をしながら俺は最後にクリスの目を見つめる。
「クリス、何かあったら言えよ。俺はお前が望むならいつでも手を貸すからな」
あの時、伝えられなかった気持ちを伝え扉へと向かう。クリスは振り向かない俺を引き止めることなくただ感謝の言葉を投げかけた、推しの言葉に卒倒しかけるが何とか踏ん張り何でもないように右手をあげ部屋を後にする。
手に持っていた皿を店員に渡すと同時に足から力が抜け崩れ落ちる。
初めて出会った日からクリスは美しく強く強かで何よりも俺が読み込んできた本の主人公のようで憧れの存在なのだ、身分故に孤立していたクリスに声をかけて親友という地位まで登り詰めた。かつては認識されることに悩みましたがクリスの助けとなる為であれば些事である。
共に学生時代を過ごし友情をはぶくんだ相手であり推しが結婚をすることになりどこか嫉妬のような悲しいような気持ちになっていたが楽しそうな姿を目をしたことによって気持ちは少し払拭された、結婚したとしても友情が失われるわけはなく推しの美しいウェディング姿を見られるのであれば安いものである。
いつか訪れる推しの晴れ姿を想像し店員から手渡されたクリス手ずから取り分けた菓子を詰めた箱を受け取り参列のための服を仕立てるために街に繰り出した。