第1章:はじまりの音
最初の一曲は、まるで風に紛れて落ちてきたようだった。
夜のSNSに、ひっそりと投稿された一本の動画。
映像は、薄暗い部屋の中でピアノを弾く少女のシルエット。
顔は見えない。ただ、月の光に髪が白く透けて、指先が鍵盤を優しくなぞる。
歌声は、驚くほどに繊細だった。
震えるような語尾。吐息の混じるウィスパーボイス。
そして、まるで遠い誰かに語りかけるような、優しい言葉。
「たったひとつ 願いが叶うなら
もういちど 名前を呼んで――」
この歌が、誰のために、なぜ生まれたのか。
誰も知らない。ただ、聴いた者の胸の奥に、微かなざわめきだけが残った。
最初に気づいたのは、ある音楽マニアの若者だった。
「これ……やばくない?」という投稿が、ほんの少しだけバズった。
そのリプライに、“LUNA”という名前が浮上した。
「新人?」「いや、検索しても出てこない」
「顔出しなし?」「ってかこの声、プロじゃね?」
情報がないこと自体が、逆に人々の興味を引いた。
見つからない、届かない、でも確かにそこにある“歌”。
フォロワーが、千を超え、五千になり、二週間後には一万を超えていた。
──それでも、“彼女”のことは何ひとつわからない。
ただ一つ、誰もが共通して言った。
「LUNAの歌には、“心”がある」と。
彼女の2作目の投稿は、それから4日後だった。
曲のタイトルは『モノクロームの花』。
前作のしっとりとしたバラードとは打って変わって、アップテンポのギターロック。
疾走感のあるリズムに、突き抜けるようなハイトーン。
でも、歌詞はどこか寂しさを含んでいた。
「光だけじゃ 咲けない花がある
影の中で やっと咲いたんだ」
歌の中に描かれるのは、どこか“自分自身の物語”のようでいて、
聴く人の心に、まるで自分のことを歌われているかのように響いた。
この2作目で、LUNAは一気にバズった。
「新人のレベル超えてる」「これガチでプロ」
「誰がこの子を見つけたんだよ天才か」
「MVもシンプルなのにセンスある」
音楽レビュー系YouTuberが取り上げたのをきっかけに、再生数は跳ね上がり、
“正体不明の天才”という肩書きが、彼女に定着し始める。
三曲目『イチジクと記憶』では、アコースティックギターと語りのような歌が話題になった。
とくに中盤に入るセリフパートが、「自然すぎる」「泣いた」と反響を呼ぶ。
「好きだった匂いも、風景も、時間が全部さらっていく。
でも、忘れられない記憶がひとつあるの。
あのとき、“ありがとう”って言えなかったこと。」
フォロワー数は十万を超え、コメント欄には
「声に救われた」「また聴きたくなる」「何者なの…?」という言葉が並ぶ。