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05.絶望と希望

 いよいよ、Scenarioシナリオ fileファイル ①『天国からのメッセージ』の上映が始まった。


(スクリーンの中)


男が真正面を向き、照れている。


男 「親父、お袋、俺たち、子供がいるんだ」



♢  ♢  ♢  ♢



(う、と束の間、野間健太は息ができなかった。呼吸を忘れるほど、脳が驚いていたのだろう。

 これは芝居だ。所詮、不意打ちだ。そんなことがあってたまるか、と健太は自分に言い聞かせようとした。が、無駄な抵抗だった。少しでも想像した時点で、負けは決まっていたに違いない。 完敗だった。ついに、健太は思い出してしまったのだ。


 30年前、幼児を救おうとした、否救った息子の死は、近所で美談として話題になった。息子が救った幼児の両親からも、礼と詫びを言われた。

 誰かが投稿したのだろう、新聞やテレビでも紹介された。

 野間夫婦も、素晴らしい子どもを育てた親として賞賛を浴びた。

 だが、その度に息苦しさが増していったのはなぜなのか。親として名誉なはずなのに。その理由だけは、どうしても思い出すことができなかった。)



♢  ♢  ♢  ♢



(スクリーン上)


女は一度画面から出ていき、赤ちゃんを抱いて戻ってくる。


男 「親父とお袋もじいさんとばあさんだ。年取るはずだよな」


女は赤ちゃんに話しかける。


女 「おじいちゃんとおばあちゃんに挨拶は?」


女は赤ちゃんの顔を真正面に向けさせる。


赤ちゃん「ジィ、バァ」


女は老夫婦に苦笑する。


女 「まだよく喋れなくて。すみません」



♢  ♢  ♢  ♢ 



 既に健太は、スクリーンの世界と現実の区別が曖昧になっていた。夢の中で、夢だと気づいていない状態に近い。

 スクリーンを見ていた妻が嬉しそうに、「そんなぁ……」と呟いた。

 そういえば、と健太は思い出した。

 随分昔 、自分も想像した世界だったような気がする。

 息子の横に嫁と孫もいる家族団欒の様子。

「俺は絶対孫に甘くならないからな」

 と健太が断言すると、妻は面倒くさそうに、はいはい、と相槌を打った後、息子と嫁にしかめっ面で首を左右に振ってみせる。

 健太が「信じていないのか?」と軽く叱責すると、妻は「だってねぇ!?」と息子に同意を求め、軽い夫婦喧嘩になる。

「親父には絶対無理だな」と息子が口を挟み、軽い親子喧嘩にも発展する。

 そこへ、

「厳しさも愛情ですから、お父さん、よろしくお願いします」 と嫁が笑顔で仲裁に入る。

 健太はデレデレの気持ちを隠すために、わざと仏頂面で、「じゃぁ、仕方ないな」と言い捨てる。

  一方、健太の気持ちをすっかり読んでいる妻と息子は、視線で合図を送り合いながら笑いを嚙み殺している。

 他人からすると、なんと平凡な想像だと笑われるかもしれないが、当時の自分にとっては最高に楽しい世界だったはずだ。なのに、どうして夢を憎むようになったのか?

 そんなことを考えていた健太は、息子の声で現実に連れ戻される。

「親父、お袋、俺たち、そろそろ行かなきゃ」

 健太は驚愕した。

 芝居であることは、嫌というほどわかっている。頭はバカバカしいと嘲笑しているのに、心は悲鳴のように叫んでいた。

「もう少しでいいから、息子を、孫を見せてくれ」と。

 そういえば、あの日も同じだった、と健太は思い出した。

 30年前、 病院に向かうタクシーの中で、 健太の心は叫んでいた。

「神様、どうか息子を助けてください。俺の命と引き換えでいいから、五体満足でなくてもいいから、どんな状態になっても支え抜くと誓いますから、どうか命だけは奪わないで下さい」

 それでも、健太が病室に駆け込んだとき、すでに息子は息絶えていた。なのに、運命は再び、俺から息子を取り上げるというのか。

 悲しみが恨みに変わりそうな直前だった。

 健太の手は温もりを感じた。震えるほど力いっぱい握りしめていた健太の拳を、優しく包み込んだのは妻の掌だった。

「あなた、やっと翔太に会えてよかったですね」

 まさか、と健太はやっと理解できた。

 妻は自分のためではなく、俺に息子を会わせてやってくれと頼んだのだ。だから、俺の同伴を譲らなかったに違いない、と。


 健太はやっと長く暗いトンネルを抜けだせた気がした。すべてを思い出したのだ。あの頃の自分にも夢があったのだ、と。

 もう一度だけでいいから、例え幽霊でもいいから、どうしても息子に会いたい。そして、「よくぞ、俺の子として生まれてきてくれた」と礼を言い、「守ってやれなくて、すまなかった」と詫びを入れたい。

 比喩ではなく、健太は真剣に叶うと思っていたのだ。

 勿論、そんなバカな夢が叶うはずもなく、結局健太は愚かな自分を責めた挙句、泣くまいと決心した。一度泣き出してしまうと、嘆きが憎しみに変わりそうで怖かったのだ。

 息子が助けようとした幼児を憎むわけにはいかない。もちろん、その両親も、だ。

 では、何を憎めばいい。世の中か? 運命か? それとも、神か? 

 そんなことしか考えられない自分が、情けなかった。惨めだった。 

 こんな弱い父親を、世間が知ったらどう思う? 親の俺が、息子の美談を汚すわけにはいかないのだ。

 それから夢を捨てた健太は、その分夢自体を憎むようになってしまったのだ。

 同僚から息子の話を振られても、息子は……と話した。本名を口にすると、あまりにもリアルすぎて怖かったのだ。

 それは同時に……。

「俺は、お前のことを忘れたいと思った。お前を捨てたんだ」

 健太はスクリーン上の息子に懺悔しながら、必死で涙だけはこらえた。

 こんな最低な父親に、そんな権利はない。父親であれば当然、

「ずっとお前を愛し続けていた」

 と断言できるはずなのに、口に出せない自分が 、ただただ悔しいだけだった。

 それでも、息子は優しく微笑んでくれた。

「親父、お袋、悲しませて悪かったよ。でもさ、そんな顔をするなって。あと、何百年も生きるつもりじゃないだろ。また、すぐ会えるさ。それまで、幸せな思い出をたくさん作っておいてくれよな。そっちの世界で生まれることができなかったこの子に聞かせてやるために。だってほら、俺、そっちの思い出少ないからさ」

 こんな老いぼれにも、できることがあるというのか。

 こんな最低の父親にも、まだ生きる価値があるというのか。

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