03.劇団『Roman House』
挑戦状が届いてから1週間後、野間健太は妻とともに外出した。はがきに記された地図を頼りに、倉庫街にある劇団『Roman House』を尋ねたのである。
辺りを見回しながら、健太は首を傾げる。確かに、周囲に対して大きな音を出しても気にならないが、人が集まるようには思えない。
何故、健太がここに来る羽目になったのか。それは、今まで従順だった妻の翔子が一週間前、珍しく自己主張したからだった。
少なくともこの30年間、健太は妻の口からしたいことがあると聞いた記憶はない。かといって、自分が精神的に縛りつけていたわけでもない。
仕事人間で、 寝る以外ほとんど家にいなかった健太は、 妻を自由にさせていた方だと自覚している。だから、妻は控えめな性格だと、勝手に決めつけていたのだろう。
ところが、劇団『Roman House』から挑戦状が届いたあの日は違った。どうしてもこの劇団の自主映画を見にいくと、妻は主張してきかなかったのだ。
仕方なく、妻が一人で行くぶんには構わないと譲歩してみたものの、あなたも一緒に行くの、と譲らなかった。
面食らった健太は、素直に疑問をぶつけた。
なぜ、そこまでしてこの劇団に拘るのかと。
「知美さんね、小児白血病なんだって。ある日、発作が起こってあの世とこの世の狭間を彷徨っていたら、翔太が帰りなさいって助けてあげたらしいの。そのとき翔太から、わたしたち宛のメッセージを預かったって言うのよ」
どう考えても、胡散臭いだろ、と頭の中で一喝したあと、健太は追求せずにはいられなかった。
「そんなバカバカしい話を信じたのか?」
「信じたわけじゃないけど、久しぶりに翔太の話ができて嬉しかったのよ」
「じゃ、俺に話せばいいじゃないか」
「だって、あなた、翔太の話をすると怒るでしょ」
「どうして息子の話を聞いて怒るんだ!」
「ほら、やっぱり怒ってるじゃない」
そんなはずはない、と健太は反論しようとしたが、声が出なかった。
確かに、頭の中で鼓動がドラムのようにドンドン響いていたし、喉もカラカラだった。今から思えば、めまいもしていたような気がする。
それが何故なのかわからないから、健太は今ここにいる。
もちろん、こんなバカバカしい劇団を信じているわけではない。ただ、妻の気が済めばいいと、健太は思っているだけだった。
劇場の表で、女子大生風の若い女が待ち構えていた。
「まだ、劇団の看板もないんですよ」
そう微笑んで自己紹介したのが、団長の並木知美だった。年寄りを食い物にしている詐欺グループの女ボスという健太の想像とはかなり違い、薄い黄色のワンピースドレスに長めの髪を結び、好印象である。
いや、待てよ、と健太はすぐに思い直す。善人を装うのが奴らの手口だと思い出し、危ない危ない、と自分に言い聞かせた。
団長の後ろに立っている女に気づいた健太は、ん? と眉間に皺を寄せた。目前の女性二人の顔がそっくりだからだ。
健太の疑問はあっさり読まれたのだろう。団長から、双子の妹の愛合だと紹介があった。確かに顔は似ているが、 妹の方はジーンズ姿に短めの髪、それ以上にアクティブな印象で 、双子とは思いづらい。
それはともかく、何故か彼女の爽やかさも健太をがっかりさせた 。
劇場内に案内された野間夫婦は、女団長から説明を受けた。ここも以前倉庫だった建物を劇場兼練習場に使っていると言う。
続いて、健太は音楽担当の山根聡と脚本担当の木戸浩二という男を紹介された。山根はまだ新入生という初々しい印象が残っていた。一方、木戸を見た健太は、やっと安心することができた。大学4回生の22歳という若さなのに、一癖も二癖もありそうな陰鬱さを漂わせていたからだ。猜疑心が甦り、何故かほっとした。
野間夫婦は、大きなスクリーンの前にある客席最前列の椅子に、並んで座らされた。
町並み外れた埠頭。倉庫の中。客は老夫婦の二人だけ。いかにも怪しい 。
健太の指は、ポケットの中の携帯電話を握っていた。ワン切りで、知り合いの弁護士が警察に連絡してくれることになっている。
劇場内のライトが消え、スクリーンが白く光った。反射する薄い明かりのせいで、隣りに座っている妻の横顔が、ぼんやりと見えた。
年をとったな、と健太は思う。それは実年齢だけではなく、バカバカしい夢を見ては裏切られ続けたせいなのだ。
そんな年寄りの弱みにつけ込もうとしている奴らが許せない。たとえ詐欺ではなかったとしても、期待を持たせておいて、やはりダメでした、では済まされないのだ。体だけではなく、心の傷に対する抵抗力も衰えているのだから。
健太がそんなことを考えているうちに、自主映画の上映会が始まった。
スクリーンに題名が表示される。
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『天国からのメッセージ』
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題名からして、子ども騙しのにおいがプンプンする。
既に、健太は臨戦態勢に入っていた。