02.『Roman house』からの挑戦状
(これまでのあらすじ)
小児白血病の発作で三途の川を渡ろうとした並木知美は、7歳で死んだノマショウタに止められる。ショウタは30年間、自分の死で苦しんでいる両親をずっと見守っていた。何もできない自分を責めながら。
その上、病気が見つかったのに、父は病院に行こうとせず、諦めていた。
辛いショウタは、藁にもすがる思いで知美に頼む。
「ぼくのメッセージをパパとママに伝えて」と。
いつからだろう。テレビや広告で、“夢”と見聞きする度に、「押し売りか」と怒鳴りたい衝動に駆られるようになったのは。
夢と言いさえすれば、格好いいと思っているのか。バカバカしい。それは魔法でもロマンでもない。現実逃避なのだ。夢を見た分、現実から置いてきぼりをくった浦島太郎になってしまう。
長い間、野間健太はそう思っていた。
ところが、1年前のある日、健太はバカバカしい夢が奇跡に変わる瞬間に立ち会ってしまった。
健太は今でも不思議でならない。
頭はそんなことありえないと嘲笑しているのに、心が奇跡だと言ってきかないのだ。駄々っ子のような心に手を焼いた頭は、仕方なく認めざるを得ないのだろう。
「わかった。そういうことにしてやる。ただし、奇跡は奇跡でも、バカバカしい奇跡だ」と。
頭の嫌味が心に通じたかどうかはわからない。
ただ、そのバカバカしい奇跡のお陰で、健太が残り少ない第二の人生をスタートできたのは、まぎれもない事実である。
すべては1年前、突然、自宅に届けられた一枚のはがきから始まった。
♢ ♢ ♢ ♢
野間健太
様
野間翔子
♢ ♢ ♢ ♢
招待状
あなたの夢を、素敵なストーリーと音楽で、芝居仕立てで叶えます。
あなたの劇団『Roman House
』。
今回は自主映画にしました。上映会を行いますので、お越しください。
会える日を楽しみにしています。
日時:9月1日 13時から。
場所:劇団『Roman House
』
(詳しくは、下記の地図をご覧くだい。)
団長 並木知美
♢ ♢ ♢ ♢
それはなかなか年金生活に馴染めず、時間を持て余していた平日のことである。
居間のテーブル上に置かれたはがきを確認した健太は、心中で毒づく。
「他人の夢を芝居仕立てで叶えるだと。バカバカしい。そんなことで誰が喜ぶ? 大体、そこまでして夢にすがりつかなければならないのか。所詮夢は世の中が作り出した幻想だ。騙されるな!」
健太自身、血圧の急上昇に気づく。心の中が息苦しい。だから、
「バカにするな!」
と、遂に怒鳴ってしまった。
よりによって、夢を憎む自分の家に送り届けるとは、まるで挑戦状だ。
いや、待てよ、と健太は考え直す。
いい年をした老人が、こんなダイレクトメールごときに目くじらを立てるのはみっともない。それでは敵の思う壺ではないか。
そう思い直した健太が挑戦状をひねりつぶし、ライターで火あぶりの刑に処す、その直前だった。
「わたしが頼んだの」
健太の手からはがきを奪い取ったのは、妻の翔子だった。丁寧に、テーブルの上で伸ばし始める。
ん? と健太は首を傾げた。
今まで、妻に夢があるなど聞いたことがない。年金生活の老夫婦に、なんの夢があるというのだ。
健康か?
長寿か?
バカバカしい。年寄りの弱みにつけ込んだ詐欺事件が横行しているというのに、そんなこともわからなくなったのか。
そこまで心の中で呟いた健太は、遂に口を開く。
「いくら払ったんだ?」
健太の質問に、え? と不思議そうに振り向いた妻も、やっと理解できたのか、
「まだ、劇団を立ち上げる前の準備期間だから、代金はいらないって」
と説明した。
”只より高いものはない”という諺を知らないのか。
健太が心中で毒づいていると、妻が、
「その劇団の女団長さん、並木知美さんっていうんだけど、19歳の大学2年生なんだって。この前わざわざ自宅に来てくれて、すごくしっかりしてたのよ」
と、鼻歌でも口ずさみそうな表情で、はがきを伸ばし続けている。
「知美さんから、その劇団を始めると聞いて、わたしの夢を叶えてって頼んだの」
「だから、おまえの夢ってなんなんだ?」
手を止めた妻が、健太をしっかりと見つめ返す。
「もう一度だけでいいから、翔太に会わせてほしいって」
一瞬、健太は自分の耳を疑った。
今、妻はなんと言ったんだ……?
そんな、まさか。
「バカなことを言うな!」
健太は思わず怒鳴っていた。
妻が口に出したのは、30年前に死んだ息子の名前だった。
♢ ♢ ♢ ♢
健太の脳の海馬が、古い記憶を探しだす。
当時は死んだ息子の年を数えるのも辛かったのに、いつの間に四半世紀以上も経ってしまったのか。
正直、悲し過ぎて忘れたいと思ったこともある。忘れた振りをしたこともある。それでも、忘れることなどありえない事故だったはずなのに、いつの間にか記憶の中で埃を被っていたというのか……。
結婚5年目で、やっとできたひとり息子は当時7歳。自転車に慣れた時期で、どこに行くにも乗りたがった。
あの日も、息子は妻と共に公園に向かう車道沿いの歩道を、自転車で走っていたという。
その途中、幼児連れの近所の奥さんと出会った。妻が挨拶をしている間、息子は自転車に跨がったまま待っていたらしい。
突然、幼児の手から紙袋を奪い取ったのは、突風だった。紙袋を取り戻そうと、幼児が車道に向かって駆けだす。そのことに気づいた息子が、幼児を止めるために反射的に自転車を走らせた。
ブレーキをかけるのが遅かったのか、利きが悪かったのか。息子の乗った自転車が車道に飛び出してしまったのだ。
急ブレーキの音。ガシャーンと何かがぶつかる音。いくつも重なり響くクラクション。
妻が気づいて振り向いたときには、息子も自転車も車道で倒れていたらしい。
一方、幼児はというと……。
突然目の前に飛び出してきた息子の自転車に驚いたのだろう。車道に出る寸前のところで、尻餅をついたまま泣いていた、という話だった。
♢ ♢ ♢ ♢
『リアル育成ゲーム』(51.昔見た夢)も12:20から投稿予定です。是非、読んでみて下さい。