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夢で逢えたら

作者: 王政復古

 最近になって推しという言葉をよく聞くようになった。僕にも好きなキャラがいる。そんな言葉が使われるずっと前から好きだったキャラだ。

 星野夜空。彼女は大ヒットした恋愛趣味レーションゲーム「りとる・はぴねす・うぃっちーず」のメインヒロインである。ゲームの中の彼女は魔法使いだ。魔法使いと言っても、炎の魔法で悪を倒したり、回復魔法で傷ついた人を助けるヒーローではない。彼女は「握った掌からおもちゃを生み出す」そんなささやかな魔法しか使えない。だけど、その魔法のおかげで彼女周りは子どもたちの笑顔で溢れていた。

 初めてゲームをプレイしたころ、僕は人生のどん底だった。家にも学校にも、自分の手が届く範囲に一つも幸せがない。だから、自分の手が届く範囲を必ず幸せにする彼女に惹かれたのだろう。僕もあなたの手が届く範囲に行きたいです、って。

 僕のこの気持ちを「推し」などと言う言葉で片づけて良いのだろうか。この気持ちは愛ではないのか。

 

 そんなことを考えながら僕は電車に揺られていた。気分が落ち込んだ時にいつも考える。要するに現実逃避だ。

 今、僕の目の前にはまるで見たことがない風景が広がっている。会社帰りに電車の揺れと温かさに身を委ねていたらいつの間にか最寄り駅を通り過ぎていた。しかも寝ぼけ半分まるで何かに操られるように何度か乗り換えをした覚えもある。

 時計を見ると日付が変わってもう一時間近くが経とうとしていた。この電車がどこに向かっているのかは分からないが、帰りの電車はないだろう。今夜は野宿か、と覚悟を決めると同時に鳴り響くアナウンス。

「まもなく終点XX駅です。本日はご乗車いただきありがとうございました。」

 

 駅舎を出ると、幸いにもそこは閑静な住宅街だった。所々に街灯の明かりが見えると何とも言えない安心感が湧いてくる。良かった。たどり着いた場所が明かり一つない山の中だったら、恥も外聞もなく泣き叫んでいたところだ。どうせ誰にも聞こえやしないだろうし。

 落ち着いた僕は少しだけこの辺りを散策してみることにした。どうせ朝まで帰れないのだから、何かの間違いで宿が見つかればラッキーだ。

 住宅街であることを考慮してもやけに静かなその街をしばらく歩いていると、遠くにぼんやりとした赤い光が見えてきた。もう少し近づいてよく見てみると、デカデカと書かれた「おでん」の文字。今時屋台だなんてずいぶん珍しいと思ったが、今日はまだ夕食を食べていない。食欲には勝てず、結局僕は暖簾をくぐることにした。


「まだ大丈夫ですか?」

「いらっしゃい。嬉しいねえ、今日初めてのお客さんだ」

 控えめにかけた声に帰ってきたのはそんな言葉だった。この時間で一人目の客ということは、よほど流行っていないらしい。今までとは違う不安が一気に押し寄せてくる。

「えーっと、じゃあ適当におすすめのものを」

「はいよ、飲み物は何にする?酒でいいかい?」

「いえ、僕お酒は。お茶をもらえますか」

 お酒を断ったにも関わらず、はいよ、と同じトーンで返事をしてくれた。良い人だ。おでんの味に多少難があっても許そう。大根、卵、ちくわぶ、こんにゃくと、定番のタネが一通りつぎ分けられる。匂いは、良い。味も意外と、いや、かなり美味しかった。どれも味がしっかりと染みていて、それなのに刺々しいところが少しもない。まさに理想の味だ。空腹も手伝って、僕はあっという間におでんをたいらげてしまった。

「いやー、美味しかったです。最初一人目のお客さんって言われたときは正直ふあん......あっ」

「はっはっは、気にしないでくれ。ウチは見つけるのが難しいからな。なかなか客は来ないんだ。......それより兄さん、お酒はダメだって言ってたのは重々承知なんだがね、一つ呑んでみないかい?兄さんにどうしても吞んでほしい酒があるんだ」

 朗らかな様子が一変、店主が声を潜めてそう言ったとき、周りの空気がガラリと変わったような気がした。都会の喧騒から遠く離れた住宅街の澄んだ空気が、まるで濃霧に包まれたようにドロリと重い空気に。思えばこの時僕はもう呑まれていたのかもしれない。

 店主の豹変ぶりに何も答えられずにいる僕に続けて言葉が降ってくる。

「一酔の夢って酒なんだけどね、こいつには不思議な力があるんだ。逢えるんだよ。一人だけだが、吞んだ人間が心から会いたいと思ってる人にね。相手が生きていなくったって関係ない」

 荒唐無稽な話を真に迫った様子でする店主に気おされる。無意識に喉が鳴る。

「......残念ですけど、僕にそんな人はいませんよ。幸い家族だってまだ健在ですし」

 大きく息をつき返事をする僕に、店主は分かっているさとばかりに言う。本当かい?と。

「これは説明がうまく伝わらなかったかな。俺はこういったんだ。“生きていなくたって”関係ないってな。」

 (“生きていなくたって関係ない”?死んだ人にも会えるってことじゃないのか?)

 なかなか答えに辿り着けない僕に向かって、店主が爆弾を落とす。

「分からないかい?物語の登場人物にだって会えるって事さ。つまり、その星野何某ってやつにだって会えるのさ」

「ありえない!!!」

 考えるより先に僕は叫んでいた。だってそれは、

「それは僕だって考えたことはあるさ。もし彼女に逢えたらって。別に受け入れてもらう必要なんてない。想いを、そして感謝を伝えられるなら僕の人生全部差し出しても良いとすら思ってる。でも無理なんだ!彼女は作り物で、現実にはいないんだから。......あまり僕たちを馬鹿にしないでくれ」

 突然叫びだした僕を、店主は表情を変えずに見ている。人を喰ったような振る舞いに苛立ちを抑えられず、席を立とうとする僕の肩に店主の手が伸びる。

「本当なんだよ」

 ゾクリ、と。その一言から、肩に置かれた手から伝わる圧倒的な神威。この相手は自分とは格が違うものなのだという事実を見せつけられたことによる畏怖と崇敬。半ば崩れ落ちるように僕は椅子へと崩れ落ちる。

「まあ神様からのプレゼント、いや、取引だと思ってくれ」

「......僕は何を差し出すことになるんですか?」

「なに、そんなに大層なもんじゃねえよ。兄さんには天寿を全うするまで生きていてもらう。ま、分かりやすく言えば、生きていく上で自殺するって選択肢が思い浮かばなくなるってことだ。俺たち神様にとって人間ってのはペットみたいなものだからな。人間だって犬を飼うし、飼った犬にはできるだけ長く生きていて欲しいだろう?俺たちだって自分がちょっかいかけた人間には長生きして貰いたいのさ」

 何とも拍子抜けする条件に、僕は少し落ち着きを取り戻していた。今のところ自殺する予定なんてない。僕から差し出すものほほとんど無いと言って良いだろう。ペット扱いが気に入らないと言えば気に入らないが、神様から人間を見たらまあそんなものなのかもしれない。

「分かりました。呑ませてもらいます」

「良いね。そうこなくちゃ」

 断れるような状況じゃないのに何が“そうこなくちゃ”だ、という不満を少しも表に出さずにいる僕の前に何の変哲もないお猪口が置かれる。それに向かって店主が徳利から酒を注ぐようなしぐさをすると、虚空からお猪口に液体が注がれていった。それは星をちりばめたような濃紺から白んだ紫色に、透き通った水色になったかと思えば焼けるようなオレンジ色を経てまた濃紺に。目まぐるしく移り変わる色に心を奪われていた僕を、店主の声が現実に引き戻した。

「じゃあルールを説明しよう。一つ、逢える時間は五分だけ。二つ、彼女と逢ったところからは何一つ持ち帰れない。三つ、これはルールと言うより忠告なんだが、相手は兄さんのことを知らないぜ。初対面の相手だってことは重々承知しておきなよ」

 五分も会えるのなら上等だ。相手が僕のことを知らないのだって問題ない。僕が何度となく夢見たシチュエーションだってそうだった。おもむろにお猪口を持つと、迷いや不安を断ち切るように、一息にそれを飲み干した。

「じゃあな、兄さん。幸せを祈ってるぜ」

 そんな神様の言葉が聞こえてくる中、僕の意識は霞のように散っていった。


 意識を取り戻した僕の目に飛び込んできたものは、世界を黄色で塗りつぶさんばかりの銀杏並木。レンガ敷きのプロムナード。長い長いその道の果てに見える校門は学校の門と言うより豪邸のそれに見える。間違いない。りとる・はぴねす・うぃっちーずの舞台、日和見学園の通学路だ。この長いプロムナードを皆で愚痴りながら登校したことを、昨日のことのように思い出せる。

 この景色を少しでも多く目に焼き付けたいと、振り向いた僕は、それが目に入った瞬間、呼吸も忘れただただ涙を流していた。

 夜空のように深い紺色の髪を耳にかかるくらいの長さで切りそろえた女の子。その瞳はお月様みたいに黄色く、妖しく輝いている。現実離れして美しいその容姿は、当然だ。だって彼女は、現実の存在じゃないのだから。だけど今、彼女は、星野夜空は、僕が想い続けた女性は、確かに目の前にいる。

 何か話しかけなければ、道の真ん中で号泣してたら気持ち悪いよな、時間は五分しかない、まずは涙を止めないと。彼女を目の前にすると思っていた言葉なんて何一つ出てこない。そうこうしているうちに彼女が近づいてきた。僕の様子にも気づかれている。

「あら、あなた。どうして泣いているの?それも、こんなところで」

 ......そうだ、彼女は優しいんだ。泣いている人間を決して放っておきはしない。優しい正義の魔法使いだ。星野夜空は星野夜空である、と言う事実にますます涙が溢れてくる。

「ぼ、僕はただ、嬉しくて。願いが、子供のころからずっと願っていたことが叶ったんです」

「そうなの。てっきり悲しくて泣いているのかと、勘違いしちゃったわ。でも......ふふっ、そうね。あなた、とっても幸せそう」

「初対面の方に申し訳ないんですが、一つお願いがあるんです。僕の話を聞いていてくれませんか。あなたにとって意味が分からないかもしれないけれど、ただ、白昼夢でも見たと思って」

 相手の返事も聞かずに僕は話し続ける。

「感謝してるんです、その人に。もし彼女と出会わなければ僕の人生はもっとつまらないものでした。或いは、もう終わっていたかもしれない。人生の中で彼女だけが輝いていて、僕はそこに向かって走っていました。もしかしたら、そのせいで失ってきたものもあるかもしれません。それでも、彼女は僕の全てで、僕の全てを差し出しても良いと思える人だったんです。ただ、それだけ伝えたくて」

 全部だ。全部伝えた。もう後悔はない。

「ふふっ、その人、あなたにとってとても大切な人だったのね。そう言うことは直接伝えてあげれば良いのに」

「いえ、いいんです。僕にそんな勇気はないし、」

 それに、伝えてもあなたを困らせるだけだから。

「あらあら、子供みたいなことを言うのね。じゃあこれは、そんなあなたに私からの贈り物よ」

 彼女はそういうと胸の前で握った右の掌を左の掌で包み込むと祈るように目を瞑った。ああ......彼女は使ってくれたんだ。僕なんかのために。

 祈りを終えた彼女が右の掌を開くと安っぽくキラキラと輝くおもちゃの指輪が乗っていた。

「ほら、右手を出して。知ってる?指輪ってつける場所によって意味が変わるのよ。右手の中指は勇気の指輪。私があなたに少しだけ勇気を上げるわ。ってあれ、入らないわね」

 僕の右手の中指に指輪をはめようとしながら悪戦苦闘する彼女を見てつい顔が綻んでしまう。

「あははっ、当たり前でしょう。夜空さんが出せるのは子どものためのおもちゃなんだから、僕の指に入るわけありませんよ。......でも、小指なら入る。ありがとうございます。一生大切にしますね」

「? どうして私の魔法のこと、それに名前も。あなたもしかして......」

 そう問いかける彼女の言葉を最後まで聞くことはできなかった。


「まもなく終点〇〇〇駅です。本日はご乗車いただきありがとうございました。」

 車内アナウンスで目を覚ます。目が覚めたばかりだと言うのに、頭の中はずいぶんスッキリとしていた。

 正直に言えば迷っていた。現実にいない相手を想い続けることに意味はあるのか、と。けれど、彼女と話すことができて思ったのだ。亡くなった相手を想い続けることが美談なら、現実にいない相手を思い続けることだって美談じゃないか。

 僕は今日、思い出があれば生きていけると言う言葉の意味を初めて理解できた気がした。僕も生きて行こう。終わらない夢を見ることができるようになるその日まで。彼女がくれた指輪の感触はここに残っているのだから。

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