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夜の橋  作者: 坂本梧朗
4/11

その4

 駅前に着くと駅ビルの電光時計は14:22となっていた 。少し早すぎたなと竹夫は思った。駅前のロータリーに沿ってゆっくり迂回した。途中の書店で立ち止まって、並べられた雑誌をぺらぺらとめくってみた。 自分では精一杯時間をかけたつもりだったが、二時半前に約束の喫茶店についてしまった。それでも約束の時間より三十分近く遅れてきたのは竹夫にとって初めての経験だった。竹夫は、ふう、と息を抜きながらガラスドアを押した。この高まりは何だろう、と竹夫は思った。光子に会う前はいつもこの切ない胸苦しさが襲ってくる。そして切なさは肩すかしを食わされてにがい空しさに変わるのだった。竹夫は二階への階段をのぼり始めた。のぼりながら、今が、光子に会う前の今が一番幸福なのかも知れないと思った。


 室内を泳いだ竹夫の視野に光子の姿は映らなかった。自嘲の感情に捉われながら、竹夫は急に重くなった体を窓際の席まで運んだ。光子は窓際の席を好んだ。ぼんやり人の往来を眺めているのが好き、と言った。二人はどの喫茶店に入っても窓際のテーブルを選んで座っていた。


 窓からは駅前の風景が一望だった。竹夫は襲ってくるみじめさを押し返しながら、窓の外を眺めた。ロータリーの中央の円形の緑地には外縁に棕梠の木が植えられている。正面の二本は成長を終えた大きなものだが、他のは添木に結わえられた幼木だ。差がありすぎていかにも応急措置という感じがする。そのちぐはぐな感じはK市の玄関にふさわしい。竹夫が来る途中立寄った書店の前は相変らず人盛りがしている。自分がぺらぺらめくった雑誌を中年の男か手にするのを竹夫は見た。その前の黄色い電話ポックスの中で、さっきから若い男が頭をふったり笑ったりしながら電話をしている。恋人とでも話しているのか、と竹夫はその男の楽しそうな顔を眺めた。そして、馬鹿が、と呟いた。眼下の通りを駅へ向かう人々、駅から出てくる人々が流れている。若い男や女の顔がどこか花やいで見えるのは、仕事から解放された土曜日の午後のせいか。竹夫は以前、雨の日に、ひとつ隣りの席で光子を待っていた時のことを思い出した。流れるさまざまな色の傘の中に、見覚えのある光子のそれを探していた自分を。思い出は竹夫の気持をさらに沈みこませた。竹夫は暗い気持をふり払うように、見るのを避けていた駅ビルの電光時計に眼をやった。14:50。少しずつ飲んでいたコーヒーもすでになくなった。平静な気持で光子を迎えたかったのだが、と竹夫は思った。我慢しようかとも思う。しか し押さえ切れない憎しみのような感情が竹夫の中に育っていた。煙草を吸いたいと思った、が、ない。買いに行こうか、そしてそのまま帰ろう、と竹夫は思った。まあ待て、という声が一方でする。もう終りだな、という低い囁きが胸の中でシンと響いた。もう一度窓の下の在来に眼をやると、光子が歩いていた。一歩一歩確かめるように足先を見つめて歩いてくる。ホッと竹夫の気持が緩んだ。思わず浮かんだ笑みを慌てて消した。喜ぶ場合か、と自分に舌打ちした。


 光子はテーブルの横に立って、「ごめんなさい、遅くなって」と言った。白いセーターに草色のフレアスカートを穿いている。向き合って腰を下ろすと、片手で髪を掻き上げて、竹夫を見た。竹夫は黙って光子を見返した。光子は微笑むような口許をして俯いた。中央の髪はバックさせ、頭頂で赤い髪止めでとめてある。両側にそのまま垂らした髪がうつむいた頬にかかる。眺める光子を竹夫は愛しいと思った。その愛しさがまた竹夫の憎しみのような感情を煽った。「遅かったね」ようやくその 一言を言った。 怒鳴りつけたい気持を抑えていた。「ちょっと組合の用事があって」光子は言いにくそうにそう言った。そして竹夫の顔を見守った。 竹夫はもっ と光子が釈明するものと思っていたのだが、そのまま何も言わないので「組合って」と尖った声で尋ねた。同時に不幸だな、と思った。「ハイキングの打合せがあったの」光子はポツリと言った。ウェイ トレスが光子の注文をとりに来たので話は中断した。竹夫はコーヒーのおかわりを注文した。


「組合、組合、いつも組合だな」ウェイトレスが去ると竹夫は吐き出すように言 った。「また怒るの」光子は小さくため息をついた。 「一時間も遅れるなんて度が過ぎてるよ」俺との約束をどう思っているんだ、という言葉は言わずに呑みこんだ。「悪かったわ。ごめんなさい」光子は頭を下げた。「残業もあったの。それにハイキングは明日だから、今日打合せしておくし かないし……わかってくれないの」光子は竹夫の目を覗きこむようにした。光子に理解を求められると竹夫は優しい言葉をかけてやりたい気が動く。しかし今度ばかりは「わからないな。いつもそうじゃないか」と突っぱねた。



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