図書館にて
登場人物:
ヴェスカード: 獅子斬りと呼ばれた斧槍使い
フィオレ: かつて王立図書館で働いていた女魔法剣士
パジャ:老人の暗黒魔導師
スッパガール: 斧戦士の女傑
セバスチャン:騎士風の甲冑剣士
モンド:侍見習いの若者
セイラ:優男風の野伏
ミーナ:美しき回復術師
ヴァント:快活な長刀使い
*
10
「ホラ!ヴァント君!早くしないと!」
「は、ふぁい!」
朝涼のあいだの街を二人の若い男女が駆ける。
フィオレとヴァントだ。
朝の目抜通りを多く占める荷馬車や野菜や果物、ワイン樽を積んだ手押し車の間を避けるように彼等は汗が吹き出さんばかりに走っていた。
昨晩の古文書の解読の続きをする為にフィオレは開館時刻と同時にバレーナの図書館に行く予定だった。だが同行者のヴァントが目を覚したのは約束の時刻から一刻あまりも過ぎた時刻だった。
置いて行こうかとも思ったが昨晩山男に一人行動を咎めたばかりである。必至に起こして寝ぼけ眼のヴァントを連れて図書館に向かった。
歳上の山男に気を遣わなくてはならないと思っていたら、二十歳にも満たないヴァントのような歳下にも気を配らなくてはならない。自分は今回の依頼で実は一番の貧乏くじを引いているのではないだろうか……との思いが頭を一瞬掠める。
「ね、姐さんあそこっス!」
いつの間にかフィオレを追い越した長刀使いが、指先に大理石の柱に支えられた歴史を感じさせる図書館を指し示す。この青年はモンドとはまた違った性格で、まあ抜けているところはあるが実直なのだ。それにしたって姐さんと呼ばれるほど歳を取っているわけでも歳が離れすぎているわけでもないような気はするが。
「ハァハァ……あ、当たり前だけれどももう開館しているわね。さあ中に入ってサンヴァルト語の辞典を探しましょう」
フィオレは息を整えると中に入っていった。
*
昨晩のエマ婆の孫リリの述懐はヴェスカードとフィオレに衝撃をもたらした。
クリラの手紙から察するに、たまたまリリだけが運悪くオークに攫われてしまったのだと思っていた。しかしリリの言葉によれば、他にも街から攫われた者はいたのだという。そして、初めは数人いた虜囚は、一人、また一人とオークに連れ去られ戻ってこなかった――。
リリはそのことの意味を考えると妖魔の足音が近づく度に耐え難い恐怖にさらされたのだった。
「――バレーナの住民が秘密裏に、少しずつ、攫われているというのか、彼奴等の何かの企みの為に……」
山男は静かに怒りを抱いていた。
これまでは戦友のクリラを救う事が最優先でその為にバレーナとオーク砦の問題を解決するというような気持ちでもあった。だがこうして今影が忍び寄るように故郷バレーナを侵食している事を目の当たりにすると、かつての己の故郷、それに伴う想い出が蹂躙されているような想いを抱くのだ。
「……リリだけでなく他の者も攫われているのだとすると、これは街の防衛隊にも話を通しておいた方がよかろうな。元々バレーナの防衛隊は東のオーク砦への対策として設置されているのだからな。無論我々は我々で少なくともクリラの毒の中和剤を手に入れなくてはならぬが。しかし――」
山男は怪訝そうな顔をして言った。
「この堅牢な城壁に囲まれた街のどこからどう入ってきて彼奴等は人を攫いそして外に運んでゆくのだ。それも解せぬ」
フィオレはそう訝しむ山男の顔が忘れられない。自分の故郷で同じような事件がもし起こらば、やはり同じような感情を抱くやもしれぬ。そうでなくともまだ幼いリリに恐ろしい精神的苦痛を与えたオーク共にはフィオレも憤りを感じざるを得なかった。
「サンヴァルト語の辞典、あるといいっスねえ」
若い長刀使いが広々とした図書館の無数の棚の中から意外にも素早く言語辞典のコーナーを発見した。姐さん、さあさあ、と言われてハッとフィオレは我に帰った。
棚いくつ分も並ぶ言語辞典の中から探すが、しかしサンヴァルト語の辞典がない。サンヴァルト語よりもマニアックな言語の辞典が置かれている時点で品揃え的には問題のないはずなのだが、いくら探してもサンヴァルト語辞典だけは見当たらなかった。
「変ね、このラインナップならば置いてありそうなものだけれど――ヴァント君、館の蔵書帳を確認してみましょう」
そうしてフロント横の分厚い蔵書帳を閲覧してみると、確かにこの図書館にサンヴァルト語辞典はただ一冊置かれていた。
「――となると、誰かが閲覧中って事ですかね。困りましたね」
「……そうね、事が事だけにあまりのんびり待ってもいられない。館内で読んでいる方を探し出して、その方に読み終わった次に貸してもらえるか交渉してみましょう」
と、いうことで二人で手分けをして広い館内の閲覧者を探すことになった。
閲覧者を見つけたのはヴァントだった。
その男は汚れたローブに目深くフードを被っていた。
フードが陰になってよく目元は見えぬがその下から灰色の無精髭が伸びた口元が見える。
男の腰掛ける机には分厚く古びた、だが立派な装丁の背にサンヴァルト語辞典という金箔の文字が刻まれている辞書が置かれていた。
不思議なことに男は寝ているようでもなく、かといって本を開くでもなく辞典を読むでもなくそこに佇んでいた。
「あのう――」
ヴァントが声を掛けると男は首だけこちらを振り向く。
(うっなんか臭ぇな……浮浪者か?辞典を枕に寝てて今起きたのか?)
「その辞典なんスけど、もし読んでないのでしたらお借りしちゃダメですかね」と腰を低くして頼んでみた。
「…………」
(うっ怒らせたか?)
と思ったヴァントだが、男は辞典を向き直ると無造作に手で取りヴァントに差し出した。
「あっ、なんだかスイマセンでしたね、申し訳ない。お借りします。お礼と言ってはなんですが、これよかったら食べてくださいっス」
辞典を受け取ると、懐に後で食べようと入れておいた小さな焼き菓子の袋を取り出して男に手渡した。
男は少し首を傾げる。
「た、多分美味しいと思うっスよ。俺も好きな味のやつなんで。でっ、では!ありがとうございます!」
と、半ば逃げるようにしてその場を離れたのだった。
(涎とか、ついてないよな……?)
「姐さん!見つけましたよ!」
ヴァントは得意げに両手で辞典を掲げてフィオレの前に現れた。
「まあ!ありがとうヴァント君!助かったよー!」
フィオレが花を咲かせたような笑顔をした。
「いえいえ、できる男だなんて言っていただいて!男ヴァント、課せられた仕事はキッチリやり遂げる男ッすよ!」
(で、できる男だなんて口にしていないけれども、けれども本当に助かったわ。置いていかなくてよかった。やはり根が真面目で実直なのね)
背はヴァントの方が高いが、なんとなく、一瞬だけ頭を撫でてあげたいような気がした。やらないけれども。
「――さて、これでもう少し解読ができると思うのだけれど――」
机に辞典と古文書を広げたフィオレは、持っていた眼鏡を取り出し真剣に二つを見比べた。




