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よろしい腹をくくりましょう

 訳もわからず連れてこられたナイトレイ公爵家は、圧倒されるほど立派であった。

 ルイゼリナが本で得た知識によると、王族の血も流れる由緒ある家門であった気がする。それを見事に体現したような屋敷。


 使用人たちはアランだけでなくルイゼリナにも深々と礼をしてくれ、応接室に通されるのかと思いきやまさかのアランの私室へ連れ込まれて――今や男と向かい合わせに座り、目の前のテーブルには温かいお茶と美味しそうな菓子が並べられている。

 どう考えても破格の対応。じわじわと迫りくる実感に、ここにきてルイゼリナは恐ろしくなってきた。

 使用人の人たちがちょくちょく「奥様」と言っているのを聞かなかったことにしていたが、いい加減無視もできまい。

 ごくりと唾を呑みこむ。


「あの、アラン……すでに私とあなたは……」


 意を決して切り出したところで、ノックの音が響いた。

 アランが許可すれば、入って来たのはラード家で見た従僕らしき黒髪青年。


「失礼いたします。アランデリン様、書類は無事に受理されました」

「ああご苦労だったな。まあ、お前に任せた以上心配はしてなかったけど」

「光栄です」


 青年を労うと、アランは満足そうな顔でルイゼリナを向いた。


「というわけで、俺たちは正式に夫婦だ」

「どういうわけなんですか!?」


 ついに堪えきれず声を荒げてしまった。

 知らないうちにすべてがポンポンと進んでいく。説明を促すように見据えれば、どうやらその怒りの視線すらこの男を悦ばせるらしい。変態なのか? と、蔑みの感情を抱いたら、紫の瞳をさらに期待で輝かせる様が目に入ったので、ただただ引いた。


「ラード家の道連れとなる前に、ルイーゼと結婚しておこうと思って。拘束する前にラード伯爵……いや、もう元ラード伯爵でいいか、ははっ。とにかくあいつに支度金として目の前に金積んで結婚書類にサインさせた」

「それを私が先ほど届けてまいりましたので、お二人はすでにご夫婦です」


 突っ込みたいところは多々あるが、つまり金にものをいわせて強引に婚姻を結んだということか。そんな馬鹿なと思いつつも、いや、あの父親ならあり得る。大金を前にすれば疎ましい娘の一人くらいあっさりと差し出す。と、納得してしまう自分自身に頭を抱える。

 そこでふと、屋敷の玄関ホールですれ違った従僕青年の姿を思い出した。そういえば彼はやけに急いで出て行った気がする。


「あのとき……っ! ホールで会ったあのとき、まさに結婚書類を届けに行くところだったのね!?」

「全力で馬を飛ばして行ってまいりました」

「こいつの仕事は早いからなぁ」

「そんな良いことをしました! みたいに!」

「実際にルイーゼは助かっただろうが」


 アランの言葉に、ルイゼリナは声を詰まらせる。同意したくはないがその通りでもあった。

 結婚していなければ、あのときルイゼリナも家族と一緒に床で這いつくばっていたことだろう。ギリッと唇を噛むと――。


「とか言っちゃってな! 元々ルイーゼを誰かに渡す気はなかったから安心しろ。お前は俺の妻だから」


 どうだとばかりに言われても、安心できる材料はなにひとつないというのに。

 すでに『妻』は決定事項とでも言うように、おどけた男はニヤリと笑った。事実、すでに妻らしいが。


「仕事のついででもあったし、あの家は潰れた方が都合良さそうだったからな。だって正直……あの面子では、無い方がマシだろ」


 ひやりと腹の底が冷えるような光を宿して、アランは紫の瞳を細めた。


「アランの仕事、というのは……」

「なんか国に対してやましいことをしてる奴らを叩き潰す感じのやつ」

「驚きのザックリさですね」


 なんとなく予想はしていたが、当たりだったらしい。

 なにより、この男は人の弱みを握りなおかつそれを悪用することに長けていそうだ。言動見たまんまだ。天職なんじゃない? いやむしろ、それしか任せられる仕事がなかったのでは? なんて思いすら湧く。


「……父は、一体なにをしでかしたのですか」


 意を決して尋ねれば、答えはやはりザックリとしたノリで返された。


「違法賭博にハマるどころかその経営側にも少し噛んでた。まあ、あの程度の頭では所詮下っ端だけどな。あとはラード領の鉱山だ。鉱山の数と採取量を詐称してたのは、無い頭振り絞ってなかなか頑張って懐肥やしてたんじゃないか?」

「なっ、鉱山を……っ!?」


(思った以上に重罪犯してたあの強欲っ!)


 ここにきて判明した継母と異母妹の豪遊資金の出どころに頭を抱えながらも、つい拳でテーブルを叩いてしまった。ガチャンとカップが跳ねたけれど、怒りに戦慄くルイゼリナにはそんなことに構う余裕はない。

 ダメだダメだとは思っていたが本当にダメな父親だったのだ。


「ラード領の鉱山で採れる鉱石に興味があるだなんだ言いくるめたら、あっさり屋敷に招待されて笑いそうになったな。妻と娘のせいでよほど金に困窮してたんだろ」


 と言いつつも、今まさに腹を抱えんばかりに笑っている。ルイゼリナの家に訪れて初めて対面したあの日、わざわざ公爵が来ていたのはそれが理由だったらしい。


「でもおかげで最高の妻を見つけられた」

「良かったですね、アランデリン様。まさかあなた様がご結婚できるとは思いませんでした」

「だよな。俺もだ」

「結婚ではなくほぼ攫われたようなものですが」


 そんな穏やかに語れるいい話ではない。

 知らぬ間に夫婦となり、家族は捕らえられ、帰る家がなくなったのでここにいる。

 めでたく結婚して家を出たとは到底いえない状況にルイゼリナは咎めるような目を向けるものの、直後それはこの男を喜ばすだけだったんだと後悔した。歓喜だか興奮だかで身震いしている夫の姿に思わず天を仰ぐ。


「どちらにせよ治める者が捕まっては、我が家は没落でしょうね」

「潔いな、ルイーゼ」


 ため息とともに諦めを滲ませて言えば、アランが噴き出した。重ね重ね失礼な男だ。


「呑気に笑っていますけど、没落した家の者が公爵の妻でいいのですか?」


 周囲からの目は厳しいものになるのではないか? との思いで問えば、アランもルイゼリナの言葉の意図を正しく理解したらしい。


「そりゃあ、うるさく言う奴はいるだろう。ここぞとばかりに盾突いてくるだろうな。でも俺にとっては大した問題でもない。まんまと出てきた害虫など逆に食ってやる」


 口元が凶悪に笑んだ。そうなることを心待ちにするように。

 ソファに深く腰を沈めて手足を組む姿からは、想像した事態を本心から楽しんでいることが伺えた。それだけの余裕を見せる態度で、アランは逆にルイゼリナへ問いかける。わざとらしく首を傾げて。


「なのに、お前はそれしきのことが不安なのか?」


 そんな奴らに潰される程度なのか? 嘘だろう? とでも続きそうな顔は、心底……心底憎らしい相手を煽るような笑顔であった。ルイゼリナはこめかみにミシリと浮かぶ青筋をはっきりと感じた。

 この男、人に不快感を与えることに関しては天才的ではないだろうか。


「まさか。そんな害虫の羽音、煩わしいだけですね。叩き落としましょう」


 引きつる口元から、歯ぎしりとともに言葉を絞り出した。

 売り言葉に買い言葉ではあるが、ここでこの男に折れるのだけは矜持が許さない。それほどとにかく、とんでもなく腹立たしい顔で笑っている。


(ああ、やっぱりこいつ嫌い)


 けれど、同時に。

 これほどまでに、ルイゼリナという人間そのものを認めてくれる相手は初めてでもあった。


 父親と継母、異母妹からは当然のように疎まれて日々貶されるだけであった。

 死別した母も、確かに愛情は注いでくれたものの、頼りない父の存在もあってか愛情を感じる以上に教育がスパルタだった。


 ルイゼリナ自身を顧みるより、娘もラード家のために、という思いが強かったのだろう。愛人にうつつを抜かす無能な父親の代わりに奮闘していた母を思えば、それも当然だった。

 周囲の使用人には恵まれたものの、どうしても主従関係がある限り弁えなければならないものはある。

 つまりそういう背景もあり、ルイゼリナの内面まるっと受け入れてもらう。なんていう経験は今まで皆無であった。


 わずかに疼いた心を見なかったことにして、パン! と自身の頬を叩いて気合を入れ直した。


 そんな奇行を目の当たりにしてもアランは愉快そうに笑うだけだ。それどころか満足そうに目を細める。少しの疎ましさも浮かべない顔に、なんとも言えないムズムズとした居心地の悪さを感じたが、その気持ちをギュギュッと奥底に押し込めて蓋をした。

 それなのに。


「俺はルイーゼを前にしてこれまでにない興奮と胸の高鳴りを感じているし、これ以上の思いはこの先もありえないだろう。ということで、絶対に逃がさない」


 うっとりとした最高にいい笑顔で、そんな恐ろしいことを言った。

 横の従僕青年なんて、完全に引いた目をして主人であるはずの男を見ている。


 それなのに、ルイーゼときたらせっかく蓋をしたものがガタガタと音を立てて飛び出しそうになるのを抑え込めるのに、精一杯だった。


 だってアランの言葉は、裏を返せば生涯にルイーゼただ一人であると宣言するも同義であったから。

 政略とはいえ妻がいる身で、囲った愛人にばかりうつつを抜かす父。――もしかしたら継母以外にも遊び相手はいたのかもしれない。しかも、そういう貴族の男は少なからず他にも存在するだろう。

 ルイゼリナの父親が突出して珍しいわけではない。


 アランだって言っていた。ルイゼリナの境遇を「典型的な」と。

 なのに、そういった男たちのようにはなりえない。という宣言にすら、ルイゼリナには聞こえてしまったのだ。


「……っ!」


 思わず、ギュウッと胸元を握りしめる。

 ほんの少し熱くなった頬を感じて向かいの男を伺い見たら――即座に目を背けてしまうほど恍惚とした顔で見つめられていて、やはりこいつはやばい。と背筋は寒くなったのに、心臓の鼓動はひと際大きく跳ねた。激しい情緒の高低差にルイゼリナ自身ついていけず戸惑ってしまう。


 そんなルイゼリナの内心を知ってか知らずか、アランが畳みかけるように追い打ちをかけてくる。


「ラード領は国に返還されるだろうな」

「それは……そうなるでしょうね」


 没落してしまう以上は仕方がない。母が必死に守ってきたラード家と領地の末路に、チクリと胸が痛む。

 そうして目を伏せたルイゼリナの様子に構わず、アランは続けた。


「けどそこは追々また手に入れてやる。それと使用人については、良さそうな奴リストアップしてくれ。うちで雇う」

「……え? いいのですか?」


 驚くルイゼリナとは反対に、アランこそなにを言っているんだとばかりに首を傾げた。


「あの地はなかなかの穴場だぞ? あの能無しが馬鹿な統治してたおかげで目立たなかったけどな。他の狸爺たちに目を付けられる前に取る」


 なにやら色々と巡らせているだろう男が、やけに楽しそうな顔で口角を上げた。


「あと使用人は、単に人手不足だ」

「ほぼアランデリン様のせいですけどね」

「だよなー、知ってる」

「自覚があるのならなんとかしてください」


 うんざりしたように従僕青年が言う。


「……あ、奥様。確かに激務ですし当主がこのように癖の強い人物ではありますが、報酬は確実に上がりますのでラード家で使用人をされていた方々にも悪い話ではないと思います」

「大抵のことは金出しとけば解決するからな」


 ぼうっと呆けてしまったルイゼリナをどう思ったか、従僕の青年がフォローを入れてくれるがアランが身も蓋もないことを言う。これがまた善意や良心からくる言葉などでは欠片も無く、きっとすべて彼の本心なのだろう。端々から性格の悪さが滲み出るのは、逆に感心する。

 ――だが、すでにこれがルイゼリナの夫らしい。

 元来思い切りの良い彼女は、グッと拳を握って心を決めた。


 夫がやばい奴ならば、それに並び立てるほど自分も恐れられる公爵夫人となればいい。


「わかりました」


 家令のセドリックをはじめとした、世話になった使用人たちの行く末を憂う必要もなくなった。もう思い残すことなどないではないか。

 迷いをすべて断ち切って、腹をくくったルイゼリナは背筋を伸ばしてアランと向き合った。


 改めて見ると、整った顔の造形に透き通るようなシルバーの髪と紫色の瞳は、やはり見惚れるほどの美丈夫である。

 涼やかな雰囲気は鋭利さを兼ね備えた知性を感じさせるのに、本性はゲスで無神経を通り越して神経が存在しないサディストだ。正しく生きてきたルイゼリナにとっては、人として嫌悪感を抱くほど褒めようがない男である。


 だがきっと彼は、ルイゼリナという存在を内面までこのまま嬉々として受け入れるのだろう。

 家族にひたすら疎まれていたルイゼリナを、生涯逃がさず求めるのだろう。


「領地と使用人たちの件、感謝いたします。そして私もすでにナイトレイ公爵家に嫁いだ身、なれば精一杯務めさせていただきましょう!」


 言い切ったら、なぜかアランがテーブルに突っ伏した。


「あああっ、もおおおぉっ、ルイーゼええぇぇっ!」

「…………え」


 身悶える夫のつむじを驚愕の眼差して見下ろしていたら、従僕青年のため息が聞こえた。


「申し訳ありません。奥様のお可愛らしさに喜びを抑えきれなかったようです」


 まったくそのようには見えないけれど、とルイゼリナが呆れ果てていると、持ち直したアランがむくりと起き上がった。両肘をテーブルについて、組んだ指に顎を乗せると微笑みを浮かべる。


「今夜が楽しみだなぁ、ルイーゼ」


 欲望滾らせた目を剥き出しにして。

 

「よろしい。受けて立ちましょう」


 どうしてもゾワッとしたものが身体を駆け抜けるが、すでにこの最低としか言いようのない男の妻である。

 ――そして、嫌いではあるが困ったことに悪い気もしない。

 ドンと胸を叩き受けて立てば、もう一度「うっ」と呻くような声とともに悶えられた。



 以降、ナイトレイ公爵夫妻は知らぬ者がいないほどにその名を轟かせる。

 ただでさえ一目置かれていたナイトレイ公爵が、ひとつの伯爵家を潰してでも娶ったと噂された妻は、夫に負けず劣らず苛烈であったからだ。噂にたがわず公爵の溺愛ぶりは人目をはばからなかったが、あしらう妻の冷淡さは周囲が恐れるほどであったという。


 そんな夫婦共通の敵と見做されれば震えるほど容赦がなく、強制労働となった妻の父親、厳しい修道院に投げ込まれた妻の継母と異母妹といった家族の末路も噂の追い風となり、夫妻の名を轟かせた。

 妻の元家族たちは何度か恩情を求めて縋ったらしいが、少しの情けも無くことごとく跳ね返されたらしい。


 しまいには悪魔の公爵夫妻とまで呼ばれたのだが――彼らの子供たちが揃ってまっとうに育った紳士淑女であったということは、意外と知られていない。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

短編のつもりが思った以上にあれれ?となり、一度はざまぁ系を書いてみたいと思って勢いで挑んでみたものの、予想以上に難しい!と打ちのめされただけのような気がします……難しい……

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