幻聴じゃなかった
ナイトレイ公爵の再訪日。
身支度を整えたルイゼリナの前に現れたミシェリアは、勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「あらお姉様。公爵様がいらっしゃるというのに、そんな装いでよろしいの?」
そう言うミシェリアの姿は輝いていた。
比喩でもなく、眩く飾りつけられた異母妹を前にルイゼリナは目をシパシパと瞬かせる。
先日の豪遊で手に入れたらしい王都の最先端ファッションとやらの真っ赤なドレスは、これでもかと上半身のラインを強調するものだった。キュッと締め上げられた細い腰に、大きく開いた胸元からは妹の豊満な胸を見せつけるようにこれでもかと寄せた谷間が見える。そしてその膨らみにはたかれたラメの輝きが、否が応でも胸元に目を釘付ける。
まとめ上げたローズゴールドの髪も、絶妙な加減でたれている後毛が、顔立ちゆえに愛らしさが目立つミシェリアに女性の色気を感じさせた。
念入りに施された化粧からも、彼女とそのメイドたちが力を入れまくった渾身の仕上がりであろうことが伺える。
そんな妹の前に立つルイゼリナは淡い水色のかっちりとしたドレスに、黒髪には控えめな髪留めを付けた程度。化粧も薄いながら施されているが、まあそれなりの仕上がりとなっていた。
着飾ってはいるし身に着けている装飾品も上質なのだが、どこかパッとしない装いのルイゼリナを見てミシェリアの周りのメイド達までもがクスクスと笑い声をこぼしている。ふふんと鼻を鳴らして満足したように通り過ぎていく一団を見送るなり――ルイゼリナも瑠璃色の目を輝かせて笑みを浮かべた。
「バッチリよ。みんな良くやってくれたわ!」
嬉々として言えば、背後に控えていた二人のメイドが口を尖らせる。
「でも悔しいです」
「お嬢様はこれでいいんですか?」
「大っ満足よ!」
ええー。と綺麗に重なる声を引き連れて、ルイゼリナも玄関ホールを目指した。
縁談の申し込みとナイトレイ公爵の再訪を聞いて、ルイゼリナは先程口を尖らせたメイドたちへひとつのお願いをしていた。
――ミシェリアに付いているメイドたちに、これ見よがしに自慢してきてくれる?
二人は今までにない指示を受けて首を傾げていたが、お願いは完璧にこなしてくれた。
公爵様が訪れる日はルイゼリナお嬢様が主役である。
思う存分着飾らせてあげられる。
当主様からも許しが出ている。
ああ、楽しみだわぁ。
そのようなことを、ミシェリアのメイドたちがいる場でキャーキャー騒いでくれたのだ。
突然だが、ラード家では現在『第二次使用人大戦』が勃発している。
継母&ミシェリア派と前妻&ルイゼリナ派の者たちが日々バチバチと火花を散らしていた。
ちなみに、第一次は継母たちがこの屋敷にやって来た頃だ。どちらに付くかという派閥割れで大いに揉めていた。
本来ならば、元々愛人だった継母たちを連れて来た当主たる父親が上手く振る舞うべきなのだろうが、残念ながらそんな細やかな気遣いができる男ではない。そうであればルイゼリナと一歳しか違わない異母妹などいるわけがないし、そもそも誰も父親にそんなことは期待していなかった。
現在は継母&ミシェリア派が優勢である。どうしようもないが一応当主である父親がそちら側に付いているのだから、まあ仕方がない結果ともいえる。
だからこそ、それでもルイゼリナに良くしてくれるメイドや使用人たちは、もはや家族以上に大切な存在だった。
とまあ、このような事情の中、敵陣営のルイゼリナ派メイドがキャッキャウフフと浮かれていれば、ミシェリアたちがどう出るかなど――先程の目に痛いほど眩い、渾身の仕上がりが答えだ。
(煽ったとはいえ、主役である姉が霞むほど着飾ってくる神経は改めてどうかと思うけれど……今だけはさすがだわ。思った以上の輝きを放ってくれたわねミシェリア!)
念のため落ち着いた衣装を選んだルイゼリナではあったが、そのような心配は杞憂であったらしい。
発光体のような一団に続いて玄関ホールへ向かう道すがら、妹の眩い背中のなんと安心できることか。
こんなにもミシェリアを頼もしいと思えたことは初めてだった。
自分も負けずに気合を入れねば! とルイゼリナはフンッと気合いの鼻息を鳴らした。
「こんにちはラード伯爵。無理を言ってお時間をいただき申し訳ない」
「…………え」
にこやかに父親と挨拶を交わす公爵を見て、横に立つ妹から聞こえた熱を含んだ呟きに、ルイゼリナは内心「よしきたぁっ!」と叫ばずにはいられなかった。
ナイトレイ公爵は今日も変わらずやはり美形だ。背も高い。足も長い。とにもかくにも見目が良い。となれば……と、ルイゼリナはチラリと横を見やる。
そこには頬を赤く染めて、驚愕したように目と口をかっ開くミシェリアの顔があった。
「先日はご挨拶できませんでしたが、こちらは妻と、娘のミシェリアです」
ここぞとばかりに父親が紹介をすれば、その期待に応えるようにミシェリアはズズイッと前に出る。その瞳は間違いなくうっとりと潤んでいた。
(恐ろしいほどに予想通り)
いいぞ父。もっとやれ。ミシェリアを売り込むのよ! と引き締めた表情の裏で密かに声援を送る。
「そうですか。ああ……っ! ルイゼリナ嬢、またお目にかかれて光栄です」
――だというのに、ナイトレイ公爵は発光するほど可愛らしい輝きを放つミシェリアを一瞥しただけで、即座にルイゼリナの前に立つと手を取ってきた。鳥肌が立った。
(嘘でしょう? 本当にこの人なんなのかしら!?)
私が一体なにをした。と腰が引けたが、同じだけナイトレイ公爵が間を詰めてくる。
それを、これでもかと恐ろしい目つきで睨みつけてくるミシェリアの視線が肌に突き刺さる。
ならばどうぞ代わってくれと切に願った。
「せっかくですから、我が家の庭園でも見ていかれませんか? 娘たちに案内させましょう」
「ええ、ぜひとも」
揉み手で父親がお伺いを立てれば、公爵はにこりと快諾した。娘たちと言いながら、その言葉が差す人物と目的は明らかだ。
案の定、ルイゼリナの前に進み出たミシェリアはさっそくナイトレイ公爵に突撃した。
しなだれかかるように並び「庭園はこちらですわ」なんて可愛らしく手を引いている。ふふんと姉へ勝ち誇った視線を送るのも忘れない。爛々と獰猛な光を放つ目は狙いを定めたようだ。さすがミシェリア。
だが後ろに続くルイゼリナこそ、無表情の心の中では「いいわミシェリア。やっておしまい! もっといけるわ! 今こそ攻めるのよ!」と太鼓をドンドコ打ち鳴らしながら、あらん限りの雄叫びで声援を送っている。
そんな熱い応援のかいあってか、庭園ではミシェリアの独壇場となった。
ナイトレイ公爵の腕を離すことなく、ピッタリと横に張り付いている。しかし、この妹が庭園に咲いている花の種類など知っているはずがないので、後ろからルイゼリナが説明をするたびに「綺麗ですわよね。わたしお花が大好きですの!」だなんて、可愛い笑顔で乗っかってきた。
傍目から見ても、その笑みは天使のごとき極上の愛らしさである。
このような最中、ルイゼリナの視線はミシェリアが絡みつく公爵の腕に釘付けだった。
その意味を勘違いしただろうミシェリアが愉悦を隠しきれない目でチラチラと見てくるが、そんなものに構っていられない。ルイゼリナが見ていたのは妹の強力な武器であるたわわな胸元。
(もっと強く押し付けなさいよ! その胸はなんのためにあるの!? ここで使わないでどうするのミシェリア! ほらどうですか公爵様! うちの妹の胸大きくてたまらないでしょう!?)
力強く凝視する目に念を込める。どうかこのまま妹を見初めてくださいと。
――しかし、なかなかどうも……そう簡単にはいかなかった。
こんなにも男受け抜群な妹に縋りつかれているというのに……いやむしろ、縋りつかれるほど公爵の表情筋が死んでいく。気付いた瞬間ルイゼリナはゾッとしたのだが、ミシェリアは気付いていないらしくさらに迫った。
「ねえ公爵様、よろしければ庭のガゼボでお茶でもいかがですか? わたし公爵様ともっとお話しした――」
「うるさい」
その瞬間、場が凍った。
ブリザードが吹雪いたようにとんでもなく低く冷たい声が周囲の温度を一気に下げる。
「え…………」
姉妹の呟きは見事に重なり、おそるおそる視線は声のした方へ向いた。
そして。
「ひぃ……っ」
悲鳴までも綺麗に重なった。
そこにはすでに、にこやかなナイトレイ公爵などいなかった。心底汚らわしそうにミシェリアの手を払うと、汚物でもついたのかと思えるほどの表情でパンパンと服を叩いている。
冷ややかな紫色の瞳は忌々しそうに今まで縋りついていたミシェリアを捉えた。
「お前みたいに、顔のいい男を見るや否や尻尾を振って寄ってくる馬鹿な女が一番つまらん」
(馬鹿な女!?)
なんだって? 思考が一瞬停止した。
幻聴かとも思ったが、ミシェリアを見下ろす虫の死骸を視界に入れてしまったかのような目を見てしまっては、とても幻聴には思えなかった。
「ルイゼリナ嬢の妹というから期待していたのに、とんだ雌犬で残念だ」
(雌犬!?)
この美丈夫の唇が紡いだ言葉とは思えない台詞の連続に、開いた口が塞がらない。
そもそも期待とはなんだ。そしてその期待にミシェリアが応えていたらどうするつもりだったのか。
ギョッと目を剥いたまま唖然とするルイゼリナの前で、謎の怒りをあらわにする公爵が止まらない。
「最初から雌犬ではなんの面白みもないだろうが」
(面白み!?)
つまりどういう意味だ。考えるの怖い。と慄いている間に、男はシッシッとそれこそ虫を追い払うように妹へ向かって手を振った。ミシェリアは愛らしさなどすっかり吹き飛んだ怒りの形相で立っていたが、すでに公爵の興味は完全に失せたらしい。
「邪魔だ。どけ」
視線すら向けず、ミシェリアの身体を脇に押しやった。
おかげで、恨みの込められたなんとも恐ろしく吊り上がった目がルイゼリナに向けられる。
やめてよ、私のせいじゃないんだけど……なんて遠い目をしていたら、雌犬と罵られた妹の目の前で掬うように手を取られた。
見上げれば、恍惚としたように情熱的な――でも奥にはギラギラとした凶悪さを孕んだ瞳で見下ろしてくる、ナイトレイ公爵。
「さあルイゼリナ嬢。ゆっくりとお茶でもしよう」
(嫌です)
内心では即答だ。言えなどしないけれど。
雌犬発言のあとで誰がこの男と喜んでお茶などするか。
そんなもの嫌に決まっているだろう。
ルイゼリナの表情筋こそ今死んでいる。