9.そんな事がありまして
暗闇の中で男は震えていた。恐れていたわけでも、悲しんでいたわけでもない。寒いわけでも、心霊現象にあっていたわけでもない。
彼は怒り、震えていたのだ。
そこはオフィスだった。広いフロアには何十台ものパソコン机があり、暗闇の中でたった一台のパソコンだけが明かりを付けていた。その画面には会社の経理システムが浮かんでいて、売り上げや利益の書かれた数字がズラリと羅列されていた。
彼はその会社の末端社員だった。その会社は飲食店や小売業、介護福祉施設など多方面に渡り活動を拡げていた。近年は最も業績を伸ばしている企業として注目を集めていた。
特に会社は超ホワイト企業で、社員は残業もなく高給を受け取れると、社長はある雑誌で語っていた。しかし実態は末端社員である飲食店の店長に仕事を押し付け、限られた資金で店舗を運営させ、本社だけをホワイトに見せていた。
彼は資金運用に苦しみ、ろくにアルバイトも雇えず不眠不休で働かされ、さらに業績が悪いと給料も差っ引かれていた。
パソコン画面には彼の店舗の運用資金と売上、その他の明細が載っていた。明らかに恐ろしいほどの利益が本社に抜き取られていた。
「話と違う」
彼は怒りを露にして震える声を絞り出した。
飲食店の客入りは悪くなく、店内のコストの無駄も抑えているはずだった。仕入れや仕込み、運送などの経費は本社から要求されるから言われるままに本社へ計上するしかない。それでも彼は本部長に本社での費用を抑えられないか直談判したこともあった。
本部長は言った。
「自分の業績が上がらないからって本社のせいにするの?それっておかしいでしょ!」
簡単にはね除けられた。
彼は自分の店舗運営がうまくいかないことをお店に来る常連に相談した。以前から経営についての話が好きな客だった。
彼に話してみると、やはり会社がおかしいと言ってきた。さらにその客は世の中のブラック企業や不正を無くすための活動をしていると自分の事を紹介してきた。そしてもし会社の不正が明らかなら、そんな会社は爆破してしまえとまで言ってきた。冗談だと思い彼は笑った。
それから二人は意気投合し、仕事終りに二人で飲むことも増えていった。やがてその客は爆弾を作れると言ってきた。そしてその爆弾を渡してもいいと言ってきた。爆破の話は冗談では無かったのだ。
不眠不休の精神状態で彼が出した答えは、それをもらい、会社を爆破するという結論だった。
本社に払っていた金は、彼が聞いていたコストとは全く違うものだった。コストは僅かで、ほとんどは本社の利益に変わっていた。
「くそ!このぼったくり会社が!」
彼はそう言ってデスクを強く叩いた。そして持ってきたキャリーバックを開いた。そこには十数個ある小型爆弾が入っていた。彼はそれをまず一つパソコンデスクの上に置いた。そしていくつか取り出すとそれを運び出し、等間隔でデスクの上に置いていった。
「こんなくそ会社、爆破してやる!俺は、許さん」
彼は心から怒っていた。目の下に深く刻まれたクマが彼を悪魔に変えていった。
↓
あれはまだ桜も散ったばかりの4月の初旬だった。とっかかり二班の土黒イゾウと鶴見充は、爆弾犯がいるという情報を聞きつけ、現場に急行した。
深夜遅い時間で、オフィスビルの乱立した周辺には静けさが増していた。
「情報だと、あのビルの4階ですね。正面玄関口から入る方法もありますけど、やはり外からですかね」
充はイゾウに指示を仰いだ。
「あたぼうよ。このビルの4階は少しだけテラスがあるだろう?あそこまで登って、それから中の様子を見る。当然よ」
イゾウは大きな鍋の蓋くらいある、巨大な吸盤を両手に持っている。それでビルの入口横の壁にスタンバイする。充もすぐに同じスタイルでその後に続く。
壁に吸盤をくっ付け、握力を使うことで、吸盤が吸い付いたり離れたりする、その装置を使って4階まで壁をよじ登った。
狭いベランダに入り込み、中を覗く。
黒い人影が見えた。暗い中だが非常灯や周辺のビル明かりで、中の様子を窺うことはできた。
ガラス窓に傷を付けて穴をあけ、手を突っ込んで内側の鍵を外す。中に人がいるので警備システムは解除されている。もちろん鳴ったとしても泥棒ではないから問題ない。ただ、犯人に気づかれる前に捕まえるには静かな方がいい。
イゾウはゆっくりとオフィスの中へと入っていく。充もその後に続く。
パソコンデスクのたくさん並ぶ広いオフィスには隠れる場所がたくさんある。人影として映されていた人物はまだ二人に気づいていない。机の下に隠れながら、二人は人影の本体との距離を縮めていった。
人影を見ると、そいつはほっそりとした男であることがわかった。力は無さそうだが背丈があるし、やたらと動き回っているので下手には近づけない。
それでも充はもうすぐで捕らえられる位置まで来ていた。いつでも飛び出して、人影の男を捕まえようと準備していた。
一方、イゾウは下手に近づくより相手の動きを捉えてから捕まえるのがいいと判断していた。だからデスクの下に隠れながら壁際を迂回し出した。
充はイゾウの動きに気づいていなかった。そして飛び出した。
「まだ早い!」
イゾウは声に出したが遅かった。
「うわあ」
驚いた男は捕まえに来た充を振り払らった。
「待て!」
充は男を追いかけた。
イゾウは立ち上がり充を追おうとした。その瞬間、ガラス張りのオフィスの入口に別の人影がちらりとイゾウの目に入った。イゾウは方向転換し、そっちを向いた。
ボオーーーン!!!!
突如大きな爆発音が響いた。充の側にいた男の持っていた爆弾が爆発したのだ。充がぶっ飛び、壁に背中をぶつけた。
「みつる!」
イゾウは全速力で駆け寄り、充の肩を抱いた。そしてすぐさま、入ってきたテラスの出口へと走り、外へと抜け出て、さらに充を抱いたまま、腰に巻かれたワイヤーを引き出して手すりにかけ、てすりの外へと飛んだ。
次の瞬間、オフィス内部は轟音を響かせ爆発した。充を抱えた状態でワイヤーにしがみ付くイゾウの頭の上を物凄い熱風が吹き渡っていった。
↓
「それが、僕が入院することとなり、イゾウさんが責任をとって仕事を辞めた事件です」
充はもえみに説明した。
「イゾウさんって何も間違ってないのに、どうして辞めたんですか?」
もえみは充に尋ねる。
「僕が飛びかかるのが早かったのは自分の判断が悪かったからだと責任を取ったみたいです。間違ったのは僕の方なのに」
もえみの中で土黒イゾウという闇に包まれていた人物が実体化してきた。もえみの中で、その人物は男らしく優しい印象に変わり、今までは恐れていたけど今は会ってみたいという心情に変わっていた。
二人は静岡の富士山の麓に広がる森まで来ていた。充は筋肉増強剤盗難事件を追う一方で、土黒イゾウの行方を探っていた。
どこをどう探って突き詰めたか、もえみには不明だったけどどうやら充はこの森の中に暮らしているのを突き止めたらしい。
「こんなところにいるんですかねえ?」
不審に思うもえみだが、充には確信があるようだ。
うっそうと雑草の生い茂る森の中を歩いて進んでいる。途中までは車で来たのだが、やがて道が狭くなり歩いてしか入れない道を進むこととなった。それからすでに30分は歩いている。
充はタブレット端末を手に取り、それを確認する。
「この辺りなんですが」
そう言って辺りを見渡す。
よく目を凝らすと、道のないような森の先に木の家というか小屋が見える。
「あ、充さん、あそこですよ」
もえみは遠く指差した。充も発見し、二人は草木をかき分け、その小屋へ向かった。虫がブンブン飛び交い、蝉がジンジン鳴いている中を抜けていく。
「はっ!」
もえみは思わず変な声を上げ、身を交わした。虫ではない。気づかないところで背後から男が襲ってきて、もえみを羽交い締めにしようとしたのを感じてそれを交わしたのだ。
充ももえみの方を見た。
「イゾウさん」
そこには手足が長く、ほっそりしたスタイルの土黒イゾウが立っていた。
「見た目によらずなかなか素早いな」
イゾウはぷにぷにの身体をしたもえみの体を見回していた。今日はストレッチの効いたピチピチの洋服を着ている。
「何なんですか!」
もえみは怒ってみるが本心はさして怒っていない。イゾウという人はこの人かと顔を見ている。艶やかな長い黒髪をしたロックミュージシャンみたいな男だ。ギターでも弾きそうな感じに見える。
『悪くはない』
それがもえみのイゾウへの第一印象だ。でも正直、悪ぶれた態度の男はもえみのタイプではないので少し首を捻った。
「充の新しいバディの力を試してみたんだよ。とっかかりの仕事は危険な仕事だ。下手したら死ぬ。辞めた俺の言える立場じゃねえけど、まあ、死人が出るのは勘弁だからな」
「わたしはそんな柔じゃありませんから」
もえみはそう言われて、強気な態度で言い返した。
「イゾウさん、元気そうで良かった」
充はイゾウに近寄り、イゾウに抱擁を求めた。だがイゾウは一歩引いて握手に留めた。イゾウも充のオーバーアクションを受け入れられるわけではないらしい。
「それはおまえの方だぜ。元気になって良かった」
「僕のために責任を取って辞めてしまうなんて、僕はもうつらくて。しくしく」
今度は泣き出した。なんだかイゾウも面倒そうだ。
「それは違う。俺は、あの時の爆弾魔を追っている。警察はあの事件を被疑者死亡で終りにしたが俺は見た。共犯者がいる。いや、正しくは主謀犯だ。そいつを捕まえるって上に言ったが止められた。公安からのお達しらしい」
「じゃあ、自分で探すために?」
「ああ、俺は警察とは別の動きで自由に犯人を捕まえてやる。何の得もねえけど、俺の性分だ」
充はイゾウが自分のために辞めたのでないことを知った。もえみはさぞかし残念な顔をしているだろうと顔を覗いたが、めっちゃ笑顔だった。
「かっこいいっす。イゾウさん。俺も手伝えることあったらやりますから」
気合いを入れてそう言い放った。
「ところで、ですね」もえみが間に入る。「わたしはひなた隊長から聞いてるんですけど、あなたが筋肉増強剤の犯人だと」
実は今回、もえみが充に付いてイゾウに会いに来たには別の目的があった。筋肉増強剤の犯人探しとして目をつけていた明石博士の捜査はすぐに行き詰ままり、大地ひなたが怪しんでいたイゾウを捜査するチャンスが充の手によってやって来たのだ。こんなにあっさりと会えるチャンスはまたとない。だからもえみは思いきってストレートに切り出してみた。
「ふっ」と鼻で笑う。「バカ、ひなたの野郎、ほんとに俺を疑ってるのか。まあいい、そう思うならそう思えば」
「いや、イゾウさんじゃないって、俺はもちろん思ってます」
「わ、わたしも、捜査ですから」
本当はかなり怪しんでいるが、もえみはその態度を一旦軟化させた。
「知っていることがあったら教えてくれませんかあ?」
イゾウは何も言わない。少し考え込んでいるようにも見える。
「それなら、まずはお前たちが何を捜査してるか教えろ。それがわかったら教えてやる」
すでに職務を辞めた刑事に捜査内容を伝えるのは無理がある。守秘義務違反だ。
「はい。もちろん」
しかし充は全くお構い無しに合意した。
「えええーー、それって」
「なあに、こんな山奥、誰も聞いちゃいねえよ。まあ、ここじゃあなんだ。俺の家の中で話そう」
そう言って、イゾウは充ともえみを連れて、小屋の中に入っていった。
中は何もない小屋だった。水道と電気が通っているだけ。出されたのはお茶じゃなく水だ。でも富士山麓の生の水だけあって喉を潤すにはこれが一番良かった。一口口をつけると、もえみは一気にそれを飲み干した。充も水を飲み、それから一連の事件の流れを話し出した。
「なるほど」
一通り聞いたところで、イゾウはそう唸った。
「やはり、明石先生が何か知っているのかと思うのですが」と、充は言う。
「明石の事は俺もよく知らない。でもその事件、相当裏がありそうだな。もともと筋肉増強剤は精神を不安定にさせる。怒りのある人間はさらにその怒りを増し、人の殺戮に及ぶ可能性もある。とっかかりじゃあ精神も鍛えて、安心して使えるようになった刑事にしか使わないようにしている」
「それが適合率ってやつなんですね」
「適合率もあるが、精神とは別だ。だから恨みを持った人間が飲めば、そういった事件に繋がる。だが、薬の副作用のことを知っている人間は数少ない。アンプルの事を知っている上層部でさえ、適合率が低いだけで、打ったらすぐに死ぬものだと思ってる奴もいる」
「やけにアンプルに詳しいんですね」
もえみは少し怪しむ目をしてイゾウを見る。
「俺だけじゃねえぜ。そんな事はひなたも有馬さんも知っている。全員じゃねえが知ってるやつは知ってる。研究に関連してるやつなら尚更だ」
これはやはり明石を疑うしかない。もえみは再び明石を追うことに闘志を燃やす。だけどすでにその捜査には行き詰まっている。
「ふにゃあ」
思わず変な声が口から漏れた。
イゾウがびくりとして反射神経で椅子から立ち上がり後ろに退く。
「どうかしたましたあ」
あっけらかんと充がイゾウに尋ねる。もえみの変な声にはすでに慣れていて無反応だった。
「あ、ごめんなさい。なんでもありません。頑張ります」
自分が変な声を発したことに気づいたもえみが先に答えた。
「なんだかよくわかんねえが、頑張れ」
イゾウは額から汗をかきながらも、もえみの謝罪に応えた。
もえみのイゾウへの疑いはだいぶ薄まる。さらにいえばあまりタイプでなかったので、こんな山奥までもう来たくないと思う。それがもえみの本心なのであった。
つづく




