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とっかかり ~特殊試行捜査係の事件簿~  作者: こころも りょうち
25/28

24.死人に口無し

 五十過ぎの男に愛を誓ったのは、財産目当てではありません。その人に魅力なんてありません。

 あるのは確かに、地位と名誉と、ある程度の財産でした。でも私が彼の何に()かれて、不器用に言い寄ってくる彼を受け入れたか、それは誰にわかることでもないでしょう。

 兼続金雄との結婚生活は幸せそのものでした。私が求めていたものは、その幸せだったのかもしれません。彼ははにかんで笑う可愛いおじさんでした。傲慢(ごうまん)さもなく、(えら)ぶる素振りもありませんでした。私は幸せを感じました。

 やがて私に子が宿(やど)りました。その時やっと気づきました。その子はお腹の中ですくすく育ち、私の丸々となったお腹からやがて巣立ち、その顔を私の前に見せてくれました。私は気づきました。この子のため、この子に出会うために、私は彼と結婚したのだと。

 それからの生活は私にとっての幸せそのものでした。みつおは本当に可愛い子でした。優しい笑みと優しい声、表情も豊かで、虫に驚き、新しい朝に笑い、見えない暗闇に泣きました。その一つ一つ表情が私のかけがけのない宝物でした。

 でもまさか、あんなことになるとは思いもしませんでした。みつおはお風呂の事故で死にました。ほんの些細(ささい)な事故だったのです。一人でお風呂に入れるようになった小学生の悪ふざけで、排水溝に流れるヒモの付いたおもちゃに首が引っ掛かり、死んでしまったのです。

 でも兼続金雄は言いました。彼を生き返らせようと。そして、あの忌々(いまいま)しい実験に(たずさ)わることになりました。

 私は再びみつおを産んだのです。二度目のみつおはみつおではありませんでした。見た目はみつおに似てましたけど、中身は全くみつおではなかったのです。

 私は()えきれず家を飛び出しました。もう10年も前の話です。


 杵築月子(きづきつきこ)は思い出していた。今は一人、海辺の見える漁村に暮らしている。静かな生活はかつての事を忘れるためだったけど、思うように忘れることはできなかった。その忘れられない思い出は月子の中で、何度も何度も反芻(はんすう)され、今では人生の大半を奪ってしまっていた。

 今、あの子はどうしているだろう。月子は思った。でももうどうすることもできない。その苦しみを胸に抱えたまま生きていくしかないのだ。


 ↓


 由比三樹は迷っていた。

 バディのひなたは明石と二人で話がしたいと言って一人行ってしまった。その際には由比三樹に兼続みつおを尾行するように指示していた。

 公安大学院大学から電車を乗り継いで兼続みつおの家までの50分程度の道のりを追ってきたが、その小柄な男はどこへ立ち寄ることもなく、真っ直ぐ家に帰っていった。そしてそれから一時間近く経つが、そのまま家から出る気配はない。

『もう帰るか、もう少し様子を見るか』

 もう辺りは真っ暗で、住宅街に一人突っ立っているのは物凄く落ち着かない。

 今日は鶴見充と蓮見もえみが兼続金雄に接見(せっけん)すると、由比三樹は聞いている。彼らが出てくる気配もない。聴取(ちょうしゅ)はとっくに終わっていて、もう帰ったのだろうと、由比三樹はそう感じている。なぜなら家の中から人の話し声が全くしないからだ。

 それでも由比三樹はこのまま帰る気にはなれなかった。

「まだ、本当の事を誰も知らない」

 由比三樹は誰も聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。

「兼続さん。お邪魔しますよ」

 彼は家を囲う塀の外で様子を(うかが)っていたが、門扉(もんぴ)を開けて玄関前まで入ってきて、チャイムも鳴らさずゆっくりと玄関の戸を開けた。


 ガラリガラリ

 小さな音が響いた。中にいる者に聞こえたかもしれない。由比三樹は心配して耳をそばだて様子を窺った。

 誰も玄関にはやってこない。大丈夫だ。気づいていない。靴を脱ぎ、それを目立たなよう、靴の並ぶ横に置くと、ゆっくりと家の中へと侵入した。

 左の縁側では、障子の部屋から明かりが()れているのがわかる。正面廊下の向こうにある扉が半分開いていて、そこからも明かり漏れている。

 どちらかの部屋、もしくは両方の部屋に誰かいるはずだ。由比三樹はそう察する。だけどやけに静かだ。話し声だけでなく、物音やテレビの音も聞こえない。

 正面の廊下を進む。少し開いた扉から中を覗く。その先は台所だ。明かりは付いているがテーブル付近にも、流しやガスレンジの辺りにも人は見えない。冷蔵庫の音だけがブオーンと鳴っている。

 由比三樹は思いきって扉を引き開けた。さらに左右を見渡す。やはり誰もいない。右側は少し広めのダイニングがあるけど、人の姿はない。左は廊下だが、廊下に人影はない。

 そのまま廊下の続く左に曲がる。最初の部屋は格子戸(こうしど)になっていて、やはり明かりが漏れている。兼続金雄かみつおがそこにいてもおかしくない。由比三樹は身を隠しながら廊下を進む。

 明かりの漏れる擦りガラスの格子扉の前をさっと過ぎ去り、奥へと進む。物音はしていない。誰かが自分の存在は分からなかったろう。

 右手の(ふすま)は閉まっていて何の部屋かはわからない。少し迷うがそこは開かずに奥へと進む。

 廊下は電器が付いてないためかなり暗い。台所からの明かりだけが頼りだ。

 次の曲がり角を左に曲がろうとした時、足元に何かを踏んだ感触があった。湿り気のあるものだ。由比三樹はしゃがみ、靴下の床をじっと目を凝らして見る。暗くて何かわからないが、何かの液体が(こぼ)れたままになっているようだ。

 暗くて見えてはいないが直感でそれは血だと感じた。心がざわつく。ここで何かが起きていた。廊下の先にある右手のドアが空いていて、部屋の明かりが漏れている。彼はこそこそするのをやめて、そのドアの方へと一気に向かう。

 ポケットに手を突っ込み、アンプルを確認し、いつでも()てるように注射にセットした。

 ドアの空いていた部屋は書庫になっていた。たくさんの(ひも)(つづ)られた論文らしき用紙が山積みになっている部屋だ。

「ここか」

 由比三樹はぼそりと呟いた。


 ギュル、ギー

 その時、何か異様な音が響いた。書庫の奥の方だ。何かの香りが立ち込める。線香の香りだ。

 由比三樹はその方へと足を踏み入れる。

 次の瞬間、彼が目にしたものは、首を(なわ)に吊られた人の姿だった。

 由比三樹の心臓は跳び跳ねたが、冷静に落ち着いてその首吊り男を見る。

「兼続金雄、教授」

 そして手首の脈を確認する。脈はない。手も冷たくなっている。まだ体は硬くない。死んでからさして時間は立っていない。

「みつおは何してるんだ」

 もはや不法侵入してきたことは気にしてられない。

「おーい。大変だ!兼続教授が死んでる」

 声を発して、家の中にいるはずの兼続みつおを探す。しかし声は返ってこない。由比三樹は奥の部屋まで来る途中で明かりのあった格子戸の部屋へと戻る。

 その格子戸を開ける。

 しかしそこにみつおはいない。大きなちゃぶ台の上には、3つの茶碗が並んでいて人の姿はない。

「みつお!」

 由比三樹は声を上げた。だがどこからも声は返ってこない。玄関に戻り、右手にあった扉を開ける。そこは応接間だ。革張りのソファーがあり、漆黒(しっこく)の棚は整理整頓されている。壁にはいくつもの表彰状があり、棚の上にはトロフィーのような物が飾られている。

 そこからさらに台所へ向かい、また左の廊下を進んで右手の襖を開ける。六畳ほどの和室で特に何もない部屋だ。部屋は綺麗に片付いていて誰もいない。その隣の部屋も閉じているが襖で繋がっているようだ。ばっと開いてみたけどやはり整然とした畳六畳の部屋があっただけだ。人はいない。

 そこから廊下に戻って、トイレのドア、風呂場の扉をガタガタと続け様に開けた。

「どこだ?どうしていない?」

 みつおはどこかへ消えてしまったのか、由比三樹は想像が付かなかった。


 とっかかりの事務所に電話が鳴った。もう夜も更けていたが、有馬はまだ部屋のパソコンとにらめっこをしていた。この時間に事務所への電話は珍しい。

 ガチャ

「はい。特殊試行捜査係です」

 有馬は落ち着いたトーンで電話に出た。

「あんた、有馬さんか」

「ああ、そうだが」

「他には誰もいないのか?」

「ああ、外に出てるか、家に帰ったか、今は私しかいない。ところで、あなたはどなたで、どんなご用件でしょうか?」

「ああ、捜査一課本部の恩田シオンだ」

「どうした?」

「とっかかりには内緒だったんだけど、こちらは明石研で潜入捜査をしていた。その捜査員が襲われた。犯人は神林香美だ」

「何?」

 予想外の事態を、有馬は飲み込めていない。有馬は兼続金雄が犯人だと推理していたから神林香美が刑事を襲うのは予想していなかった。

「まあ、神林香美はすぐにおとなしくなって、俺たちが捕まえた。だから心配はない」

「それで、流出の犯人なのか?」

「いや、それがさ、明石先生の邪魔だの、誘惑だの、訳のわからないこと言ってて、全く話にならない」

 有馬はそこでまた冷静さを取り戻す。

「神林香美は犯人ではない。ただ、彼女から事情を聴きたい。今すぐ桜田門へ向かう。そこで会わせてくれ」

「あ、ええ、わかりました」

「すぐに向かう」

「いいですか。羽田さん」

 そんなシオンの声が聞こえて電話は切れた。そしてすぐにパソコンの電源を切り、ビジネスバッグを手に取り、事務所を出ていこうとした。

 部屋の電気を消したとき、再び電話が鳴った。有馬は迷ったがその電話に出てみた。

「はい。特殊試行捜査係です」

「由比です」

「どうした、三樹くん」

「有馬さんですか?係長は?」

「もう帰った。私もこれから出掛けないとならない。事情は後で説明する。それで?」

「いや、実は、兼続金雄が自殺しました」

「何?今どこにいる?」

「兼続の家です。ひなたさんに、兼続みつおを付けるように言われてて、それでまあ」

「兼続みつおくんは?いや、ひなたはどうした?」

「それが別行動になってしまって。まだひなたさんは携帯に繋がらなくて。ああ、みつおは行方(ゆくえ)がわかりません。とにかく異常な状況です」

所轄(しょかつ)の警察に連絡しなさい。彼の自殺と私たちの捜査は別問題になる」

「じゃあ、羽田さんあたりにも連絡しておきますか」

「いや、彼女は今、別問題が起きている。私がこれから会うから、私の方から説明しておく」

「ん?こんな時間に何があったんですか?」

「今は後だ。ひなたと繋がるのを待て。駄目なら、美麻でもいい」

「了解です」

「後は、まだ何か裏があるかもしれない。警察を呼んでから調べられる限り調べてみなさい。周りにはよく注意しなさい」

「ラジャー」

 有馬は暗い部屋の中で電話を切り、とっかかりの事務所を出発した。


 由比三樹は警察を呼んだ後、まだ調べきれていない部屋を調べたがどこにもみつおはいなかった。

 代わりに遺書を発見した。それは格子戸の部屋の奥にある部屋、そこは床の間だったのだが、その部屋に入ってすぐに小さなちゃぶ台の上にポツリと置いてある封筒を発見した。

「自殺。そしてこれは」

 由比三樹はそれを手にした。封筒を開け、中身を読もうとした。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。彼はそれでも急いで便箋(びんせん)を取り出すと、さっと全体を眺め、すぐに封筒に戻した。そして即座にジャケットの内ポケットに隠した。

 パトカーのサイレンがしてからわずか後に玄関のチャイムが鳴った。由比三樹は間髪入れずに玄関へ駆け戻り、戸を開けた。

 グレーの淵付き眼鏡を掛けた白髪の刑事が現れた。

「どうも。世田谷西署の宇内(うない)です。自殺とお伺いしましたが、お邪魔してもよろしいでしょうか」

「ああ、こっちこっち」

 由比三樹はかなり軽い感じで宇内を案内する。宇内に続いて数人の刑事と警官が上がり込んでくる。

 由比三樹が奥の書庫まで案内すると、宇内は早速、現場検証に取り掛かる。

 大柄の男が太いロープに首を吊って死んでいる。宇内はあちらこちらを見回し、やがて頷いた。

「うむ。なるほど。これは自殺だな」

「そりゃ、そうだろ。明らかに」

 由比三樹はあまりにくだらない考察に、所轄の宇内をバカにする。

「いやいや、自殺と言っても簡単じゃない。これだけ大きな体だ。体重100キロくらいはあるだろう。こういう人間が首を吊るんだ。簡単じゃない」

「だからそれがなんだっていうの?」

「つまり、他殺の線も考えたときに、これだけの巨体を持ち上げなければならない。犯人も相当な力持ちでなければ、二人は必要だ。だがこのスペースは二人入るには狭い。それに何より、ロープを吊るしてある場所だ」

 宇内は上を見上げ、懐中電灯を照らす。ロープは天井に開いている屋根裏への通用口のさらに上から吊るされている。

「あそこは鉄筋で出来ている。この家は全体として木造建築だが、おそらく耐震のために鉄骨を入れて補強している。それは家主(やぬし)施工者(せこうしゃ)くらいしか知らないはずだ。君は、兼続宅の兼続金雄さんが自殺したと電話で説明してきたね。彼はここの家主なんだろう?」

「ああ、そうだよ」

「ここで首が吊れると考えていたのだろう。ロープも頑丈(がんじょう)だし、脚立(きゃたつ)もあそこに用意されている。さらに倒れている椅子は、彼が踏み台にしたものだ。それから首には引っ掻き傷がある。人間とは自分が自殺するとわかっていてもその苦しさからもがき、縄を外そうとする。誰かに眠らされていたら、それは残らない」

「なるほど。おっちゃん、けっこういろいろ見てるんだな」

 由比三樹が感心する。

「おいおい。おっちゃんって。ところで、君は仏さんとどういうご関係で」

「ああ、俺も刑事だ」

「何?君、高校生じゃないのか?」

「まあ、高校生でもあるんだけど、刑事でもあるんだよね」

 由比三樹はそういって胸ポケットから警察手帳を出す。

「それ、本物か?」

 宇内は疑う。高校生でも警察とかいう訳のわからない人物は、一般的な警官には通用しない。いつもはひなたと一緒だからそこまで気にされないが、単独行動では怪しまれてしまう。

「本当だって。どう説明しようかな」


 トゥルルルル

 そこにちょうど由比三樹の携帯へ電話が掛かってくる。

「あ、もしもし、由比です。え、ああ、どうも。ええ、お願いします」

 由比は誰かと話している。

「ちょうど良かった。おっちゃん、ちょっと代わってくれ」

 宇内は半信半疑で由比三樹から携帯を受け取る。

「はい。宇内です」

「警視庁捜査一課長の宇島(うじま)だ」

「え、あ、ええと、すみません。本当に、捜査一課の宇島課長でしょうか」

 宇内はまだ信用していない。逆にあまりに大物から掛かってきたので疑いを増す。

「宇内刑事と言ったね。私を信用できないのかね」

 宇内は重厚な声が信用を求めてくる事に恐れを感じる。

「そういうわけではないのですが、ええと、彼は」

「由比くんは私たち捜査一課が預かっている特認刑事だ。西東京の通り魔事件で捜査してもらっている」

「ええ、あの件はすでに犯人も逮捕されていて、もう終わったのでは?」

「何が言いたい。まだ信用しないのか」

「いえ、すみません」

 宇内はもう何も言えなかった。由比三樹は宇内から携帯を取り返した。

「すみませーん」

 謝ったのかと思ったが、それは別の刑事が別の部屋から声を張り上げたものだった。由比三樹と宇内は慌てて、そっちへ向かう。

「すみませーん」

 その声は隣の物置の奥から聞こえてきた。

 部屋に入ると、一人の男が倒れている。スーツ姿の男、由比三樹には見覚えがある。

「充さん?」

「おい、どうした?」

 尋ねたのは宇島だ。まだ電話が繋がったままだ。

 宇内は倒れている鶴見充に近づき、首元に手を当てる。

「大丈夫だ。脈はある。眠らされているだけだ」

「宇島課長、鶴見充警部です」由比三樹は充には近づかずに一旦部屋を出た。そして、口に手をやり、周りにいる警官には聞こえないように、宇島に話す。「彼は事件の事で兼続金雄宅を事情聴取のために訪れていました。彼は誰かに眠らされたと思われます」

「睡眠薬か、何かか?」

「そういえば、茶の間にお茶が出されたままになってました」

「すぐにそれを調べてもらえ」

 由比三樹は近くにいた鑑識(かんしき)を呼んで、茶の間のお茶を調べるように指示した。鑑識の男は由比三樹のことを少し不審に思いながらもその指示に従った。

「由比くん」宇島が電話から声を放つ。「鶴見くんを起こして確認しろ。誰がお茶を入れたか」

「あの、それと、充さんは蓮見もえみと一緒だったはずです。彼女の姿もありません。それから、僕はここに兼続みつおを追ってやって来たのですが彼の姿もありません」

「うーむ、どこかに同じように眠らされているんじゃないのか?もう一度、家の中、後はその周辺を当たってみなさい。それと、世田谷西署にあまりあれこれ調べられても面倒だ。ある程度、状況をつかんだら引き上げさせるよう指示する。さっきの宇内とかいう男に替わってくれ」

 宇内は充の体を揺すったり叩いたりして起こそうとしている。しかし充はイビキをぐうぐうかいていて、まったく起きそうにない。

「あの、宇内さん、ちょっと」

 宇内は立ち上がり、由比三樹の側まで来た。

「宇島課長から」

 そう言われて電話を受け取る。

「あ、はい、もしもし。え、しかし、えーと、あ、はい、では、了解しました」

 宇内は少し困った顔をしていたが、携帯電話を由比三樹に返すと、大声を放つ。

「宇島課長の指示だ!この後、警視庁捜査一課の刑事がやってくる。それまで我々は、他に倒れている人物がいないかを探索し、兼続金雄を司法解剖(しほうかいぼう)とし、後は退散する!余計なものにはいっさい触れるな!」

 その声は家中(いえじゅう)にいる警察官全員に伝わった。少しざわつきも起きた。最後の一言が引っ掛かったのだろう。普通なら自殺を断定するため、遺書や自殺に至ったことを記した日記等を探すからだ。

 宇島としては、そこにアンプルの事を事細かに書かれていて、それを発見されたら困る。だから宇内たち世田谷西署の所轄刑事を先に制したのだ。

 それから世田谷西署の刑事たちが隈無(くまな)く部屋を調べたが、もえみもみつおはどこにもいなかった。

 ただ一つだけ何者かが誰かを引き摺り、勝手口から出ていった痕跡(こんせき)だけが見つかった。血と長い髪、それが引き摺られた痕跡だ。

「蓮見もえみ?」

 由比三樹は小さく声を出して、その引き摺られた人物を推測した。

「なら、みつおは?」

 救急車のサイレンが近づく。やがて救急隊がやって来て、茶の間に寝かされていた充を抱え、担架(たんか)に移そうとした。


 ガバッ

 そこで充が目を覚ました。

「あれ?ここは?えーと、皆さん何が?」

 充は状況を飲み込めていない。

「充さん。大丈夫か」

「やあ、三樹くん。どうした?何があったんですか?」

「兼続教授が自殺しました。あなたは物置部屋で寝かされていたんです」

「そんな事があったのか」

 充は他人事のように呑気(のんき)に答える。この男は眠らされたまま何も記憶していない。充を起こしたところで、何があったのか謎は深まるばかりだ。

 その時、再び由比三樹の携帯が鳴る。

「はい、由比です」

「有馬だ。今すぐそっちへ行く。ひなたも向かっている。何となく状況がつかめた」

「えーと、というのは?」

「みつおくんはまだ行方知れずか?」

「ええ、蓮見もえみもいません」

「蓮見くんも?まずい」

「どういうことですか?」

「おそらく、蓮見くんをみつるが連れ去った。私の推理が正しければ、彼女は危険な状況にある」

「な、なんで。どういうことですか?」

「とにかくできる限り、彼女の行方を探せ。それが先決だ」

 そして電話は切れた。

 もうすぐ答えが出ようとしていた。この事件の全てが明らかになる時が近づいている。


 つづく

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