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とっかかり ~特殊試行捜査係の事件簿~  作者: こころも りょうち
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23.そんなバカな!

「さあ、頑張れ。もう少しだ」

「うーん、うーん、あっ、はあはあ」

「大丈夫だ。もう少しだ」

 声が聞こえてくる。誰かが苦しんでいて、誰かがそれを(はげ)ましている。苦しんでいる声は女で、励ましているのは男だ。

 そして、()()()()()()()()()は、その声のする方に目をやった。

『ここは、実験室?いや病院だ。そしてここは、分娩室(ぶんべんしつ)だ』

 女は分娩台の上にいて、今にも赤子を産み落とそうとしている。ここへやってきた男は、有馬佑真(ありまゆうま)だ。そしてこれは夢の世界だ。

 分娩室で赤子を産もうと励ましている男は、その子を取り上げようとしている医者だ。縁のある眼鏡には、有馬も見覚えがある。

 有馬はふと我に返る。そしてここが、中王子(なかおうじ)の夢の世界であることを思い出す。有馬は、人が無意識に見る夢へと(もぐ)り込める装置を使って、中王子の見ている夢に潜入(せんにゅう)したのだ。

『この夢は何だろうか?』

 中王子は赤子を取り上げようとしている。彼は医師ではあるけど、産婦人科医ではなく精神科医だ。そんな彼がどうして赤子を取り上げようとしているのだろう。

 明石は疑問を感じる。

 赤子を産もうとしている女性の横にはもう一人、別の人物がいた。使い捨ての感染症予防マスクと帽子をしているけど、その人物が年配の男であることが、目尻の(しわ)や背格好から分かる。年配の男は赤子が生まれるのを見守っているようだ。

 他に誰もいない。看護士もいない。少し不自然な状況にある。

「いったい誰の子を産もうとしているんだ?」

 有馬は分娩台に近づいて、中王子に尋ねる。

「誰だ?」

「今、生まれようとしている子について教えてくれ」

「バカな!あんた何者だ!」

 中王子は夢の中でも簡単に真実を口にはしてくれない。有馬は聞く相手を()え、近くで見守る年配の男に尋ねる。

「誰の子を生もうとしている?」

「私の子だ。私のただ一人の息子だ」

「あなたは?」

「先生。そんな奴の質問に答えなくていいですよ。この子は無事に生まれますから」

 中王子が間に割って年配の男の口を止める。

「あなたは、兼続金雄(かねつぐかねお)教授か。ということは、彼女は兼続月子(かねつぐつきこ)、そして赤子は、兼続みつお?」

「なぜ?なぜ子の名を知っている」

 兼続金雄は驚いた様子だ。まだ生まれてもいない子の名前を口にしたのだから当然だろう。でも彼だけでなく、中王子までも驚いている。

「おまえ、何を知っている?何者だ?」

 中王子は有馬を(にら)み付けてくる。

 有馬は違和感を覚える。何かがおかしい。いったいこの夢は何なのだろう。

「あ、あ、もうだめー」

 女が苦しそうにもがく。

「おぎゃあ、おぎゃあ」

 次の瞬間、赤子が中王子の手に落ちてきた。生まれたばかりのまさに赤い子が彼の手の中にある。男の子だ。

「話は後だ。良かった。無事に生まれました」

「成功だな」

 兼続金雄はそう言って、笑みを浮かべた。

『成功だな』という不思議な表現にも、有馬は違和感を覚える。

 中王子は生まれたばかりの子を母親の兼続月子に抱かせる。

「良かったですね」

 中王子の声を掛けられ、月子は我が子を抱きながら幸せそうな笑みを浮かべた。

「少しだけ、こうしてていいかしら」

「ええ、少しだけなら」

 中王子は安堵の笑みを浮かべていた。兼続金雄も月子の肩に手を添えて、赤子を優しく見つめていた。

 少しずつ夢が(せば)まろうしている。

 現実で中王子が目を()まそうとしているのだろう。これ以上は無理だと、有馬は感じる。その夢の中でまだ知りたいことがたくさんあった。それでも夢はいつまでも続いてくれない。中王子は夢の中でも口を(すべ)らさなかった。

 夢の世界は消え、有馬は中王子の夢から排除された。


 ↓


 近頃、明石博士の帰り道には誰かがやってくる。今までよく現れたのは神林香美(かんばやしこうみ)だ。彼女は明石に好意を抱いていて少し遠目から彼に近づいてくる。ストーカーのようでもあるが、明石の助手で、彼が嫌がっていないのでこの場合はストーカーとは言わなくていいだろう。

 それから何度かやってきたのが蓮見(はすみ)もえみだ。彼女は警視庁捜査一課特殊試行捜査係、通称とっかかりの刑事で、半年前にその部署に配属になったばかりの新米刑事だ。彼女は今、とっかかりの刑事だけが使える異常能力強化薬を流出させた犯人を追っている。蓮見もえみは明石にとって少し面倒な存在だけど、適当にあしらえばなんとかなる存在だ。

 だがしかし、今日彼の下を訪れた人物はそう簡単にはあしらえそうにない。その男は坂道を下ったところにある十字路で、明石の行く手を遮って現れた。日が暮れた帰り道で暗かったから誰だかわからなかった。

「明石博士。こんばんは」

 しかしその声に明石はすぐに相手を理解した。

「やあ、ひなたくん。今日はこんなところでどうしたのですか?」

 とっかかり一班班長の大地ひなただ。彼はじっと明石を見つめている。質問にはすぐに答えようとしない。

 嫌なプレッシャーを明石は受ける。

「何か、用かな?」と、もう一度聞いてみる。

「そろそろ、教えてもらってもいいですか?本当の事を」

「さて、何の事でしょう?」

 明石がそう答えると、ひなたは軽くため息を付いて少し項垂れた。そして、もう一度顔を上げた。

「じゃあ、ちょっと付き合ってもらっていいですか。なあに、アルコールはありませんよ。何もない場所です。最も、アルコールがあろうがなかろうがどっちでもいいんですけど」

「今日は、ちょっと」

 明石はひなたの誘いを即座(そくざ)に断ろうとする。

「じゃあ、ここで話しますか」

 ひなたのその言葉に、明石は周りを見渡す。人通りの少ない通りではある。それでも一人の若い女性が二人を見て通り過ぎていった。さらに車のヘッドライトも右の方に見える。それから遠くに二人組の若い男性が歩いている。立ち話をするには目立つ場所だ。

「わかりました。少しなら」

 明石はあきらめて、ひなたの誘いを受けた。


 ひなたは明石を後に引き連れて歩いた。そしてそこからそう遠くないところにある貸ビルを見上げた。そこの外階段を二階へ上がっていく。明石もそれに付いていく。

 そこには扉が一つしかない。ひなたは脇にある郵便受けを開け、そこから鍵を取り出した。

 扉に鍵を差し込むと、鍵は開錠された。彼は先行して中に入っていく。

「さあ、どうぞ。何もありませんから」

 扉が閉まりかけたところでひなたは明石に声を掛けた。明石は扉のノブを掴んで引き、中へと入っていった。

 ひなたが照明を付ける。するとカウンターだけしかないバーの姿が現れた。

「昨年店を畳んだばかりのバーです。それからはずっとこの状態で、たまに使わせてもらってます。まあ座ってください」

 足の高い椅子だけは並んでいた。明石の足の長さでさえ、座ると足先がやっと付く高さの椅子だ。その椅子につま先を地面に付けた状態で、明石は座った。

 ひなたはぐるりとカウンターを回り込み、店員側の方へと入っていった。そして明石の前でカウンターに肘を付いた状態で前かがみに構えた。

 その直後、ひなたは話し出した。

「先日、博士の助手である出流原(いずるはら)ゆづるさんに会ってきました。彼は言ってました。博士は研究の最も大切な部分を隠している。大切な部分とは、全ての異常能力強化薬を作る際に使われる主成分についてだと」

 明石はひなたの目を反らし、下を向いて、もじもじしていて答えない。

「まあ、いいでしょう。研究の話です。博士は蓮見くんにも研究の事は簡単に喋れないと言ってましたよね。まあ、酔ったふりは、ひどく下手な芝居だったみたいですけど。いや、蓮見くんは気づいてなかったから、いい芝居だったのかもしれませんね」

 ひなたは流暢(りゅうちょう)に語り、明石はそれを否定することも肯定することもなく聞き続けている。

「もう一つ、伝えておくことがあります。兼続教授です。先日、蓮見君が彼にあったところ、教授は明石先生の研究を何も知らないと言っていたそうです。果たしてそれは本当だろうか?息子のみつおをあなたに(あず)けるのに、研究については全く知らないと言っていた」

「それは、本当に知らなかったのかもしれません」

 初めて明石が反応した。

「なぜ?そう言えるんですか」

「兼続教授とは、だいぶ長い間、話していません。教授は私の研究を知らなくても不自然では無いかと」

「ではなぜ、みつおくんをあなたの研究へと、わざわざ卒論の為だけにやってこさせたのですか?明石博士は、不思議に思わなかったんですか?」

「ですよね。それはまあ、そう思いますけど、あまり深くは考えていなかったんですよ」

 明石は愛想(あいそう)笑いを少しだけ浮かべ、やっと顔を上げた。そこにはさっきまでの余裕のない表情とは明らな違いが見られた。(しら)を切りとおせると思ったのだろう。

「まあ、いいでしょう。兼続教授が博士の研究については知らなかったと、あなたは思っているということにしましょう。ただ、兼続教授は意図してあなたに息子を預けた。俺はそう思う」

「そうですか。それはそれでいいじゃないですか。そろそろ、いいですかね。帰してもらっても」

 まだ話し出してそれほど経っていないが、明石は帰ろうとする。ひなたはまだ重要な何かを(つか)んでいないと、明石が感じたのかもしれない。

「先生、話を変えましょう。これはとっかかりの始まり物語です」

 明石は面倒そうな顔をした。それでもノーとは言わなかった。ノーと言ったところで彼は離してはくれないだろうと感じてたからだ。

「これは我々の特殊試行捜査係ができる前の話です。警察はかねてより公安大学院大学の在り方について協議していました。だいぶ前の話です。特に理工学部は、一部の、たとえば科捜研の補助などを除いては、使われない研究ばかりがされていて、役に立っていなかったそうです。そこで警察は新たに部署を立ち上げようとした。理工学部の研究成果を実用化させようという発想です。しかしそこには一つ問題があった。この部署を作るにあたって、どういった人材を集めるか。極めて単純な問題ですが、とても難しい問題でした。テスト部署だから、警察署のエリートを選ぶわけにもいかないが、全く役に立たない人材ばかりになっても結局はうまくいかなくなる。成功はさせたいが、そこまで人材を割くわけにもいかない。そういったジレンマが警察上層部にはありました」

 明石は何の話をし始めたのかというような戸惑(とまど)った目をしてひなたの顔を見ていた。ひなたはニヤリとして話を続ける。

「そんな中、あなたの研究に目が止まった。研究は動物の能力に関してだったが、その中から人間に応用の効く薬が開発された。つまりは、異常能力強化薬の開発だった。そしてその薬品には、適合する人間と適合しにくい人間がいる。警察上層部としては、これに基づけば、実にわかりやすい人選をできると考えた」

「いったい何の話でしょうか?」

 明石はいったん話を(さえぎ)った。彼はとぼけているわけではなく、実際にこのあたりの内容を知らない。明石には事件とは全く関連のない話に聞こえていた。

「ただの話の導入ですよ。ここからが本題です」

 ひなたは明石をじっと見つめ、それから服の内ポケットから一つの薬品を取り出した。

「アンプルです。これは何種類かの動物の体液や保有ウィルスを混合させて出来ている。出流原ゆづるくんは博士のデータを調べて、ほぼそれらが何から出来ているかを知っていると言っていた。ただ一つの成分を除いては」

「それはさっきも聞きました。ゆづる君は主成分だけは、何か知らなかったという話ですね」

「明石博士は大学時代、二重橋大学の兼続研に選び入りました。兼続教授は遺伝子研究の権威(けんい)で、明石博士もそこで遺伝子の研究をされてましたね」

 明石は何も言わずにそれに頷く。

「そして兼続研で、そのまま大学から大学院に進学し、博士号を取得して、兼続教授の助手となった。博士は今に繋がる動物の遺伝子について研究していて、遺伝子のどの箇所がどんな特性を持っているかを調べていた。そういった種類の論文が次から次へと発表された。まだ20代のあなたはあっという間に兼続教授の推薦(すいせん)を得て准教授(じゅんきょうじゅ)となり、まだ出来て間もない公安大学院大学に研究室を与えられた」

「ええまあ、運が良かったのかもしれませんね。ちょうどいいタイミングで、二重橋大学から公安大学院大学に研究員を何人か推薦してほしいとの話があったらしいですね」

 明石の話口調が早まる。少し慌てているように感じられる。そこには一つのキーワードが含まれていると、ひなたは受け取る。

「明石博士はここへ来てから今までの遺伝子の研究を止め、動物の体液や保有ウィルスを調べる研究に変えたようですね。なぜでしょうか?せっかくここまで積み重ねてきた研究を止めたのでしょう?」

「それは簡単ですよ。ここには二重橋大学のような設備がない。遺伝子を研究するにはたくさんの新しい機器とそれを買うための資金が必要です。ここにもある程度の資金はありますが二重橋大学のようにはいきませんから」

「そうですよね。それはわかります。ただそのせいで、それからしばらくは研究も思うように進まなかったようですね。公安大学院大学に来てからは、しばらくの間、論文での発表も見られなかった」

「ええ、まだ新しい研究には不馴れでしたから」

「でもある年に、異常能力強化薬が完成した。そしてその成果が警察署の上層部に知れ渡る。そしてそれから様々な動物の能力についての研究が加速する。そもそものきっかけは何だったのでしょう?」

 明石は下をうつむいたまま、話し出す。

「研究者というのは、突如思い付くものです。様々な予測から実験を積み重ね、時には失敗から得ることもあります。いや、失敗から得るものの方が大半です。全ては研究の積み重ねから、急に芽が出るものなんですよ」

「俺は、そう思っていない」

 ひなたがすぐさま否定する。そしてバーカウンターをばっと飛び越え、明石がいる客側の床に着地した。そして明石の座る椅子の後ろに回り込んだ。

「これはまだ推理ですが、あなたは兼続教授から、異常能力強化薬の(もと)となる何かを受け取った。そしてそれを分析することで気づいた。何か人に応用できるものになると」

 ひなたの推理に明石の背中がびくりと動いた。

「な、何を言い出すんですか、急に。兼続教授は私の研究は何も知らないと言ってたんですよね」

「明石博士は兼続教授とはしばらく会っていないと言ってましたが、結構前には会ってましたよね」

 明石は後ろを振り向き、少し苛立ったような顔をしてひなたを見た。

「まあ、それは、二重橋大学を辞めて数年は会ってましたよ」

 この男は根本的には正直者だ。心からの嘘は付けない。誤魔化(ごまか)すことはあっても嘘をでっち上げはしない。ひなたは明石の性格を知っている。

「その時に、話さなかったんですか?あなたの研究について」

「いや、まあ、その、少しは話したかもしれませんけど。だからそれは、きっと兼続教授も覚えてないんですよ」

「しかし、研究の材料となる物を受け取ったんですよね」

 その言葉に明石の動揺が増す。部屋は寒いくらいなのに、(ひたい)からは汗が流れた。

「し、知りません。研究については何度も言うように秘密です。これ以上は言えない」

 彼は下を向き、頭を上げようとはしなかった。

「では、推理を続けます。今回のアンプル流出により起きた事件の犯人は、兼続金雄(かねつぐかねお)と予測している。兼続金雄は異常能力強化薬の主成分となる動物の体液を、あなたに渡しました。おそらくそれは兼続研にて発見された遺伝子、さらにいえば遺伝子操作によって作られた違法な物であった。だから口外(こうがい)は決してできない。そして兼続金雄はあなたが生み出した研究成果を実験したくなり、何らかの方法でアンプルを入手した。ひょっとしたら、みつおくんかもしれないが、これが誰であったかはあまり重要ではない。ただあなたは、兼続教授が自分の研究成果を使って、実験として治験体(ちけんたい)となる人物にアンプルを渡していたことを知っていたんじゃないですか?兼続教授なら、その権力で研究者や関係者を使って、アンプルをばらまくことも可能だ。この推理、間違ってますかね」

「知らない!僕は知らない。本当に知らないんだ!」

 明石はそう言って、さらに深く項垂(うなだ)れた。そして最終的には椅子から体をずり落とし、床にぺたんとかがみ込んでしまった。

 この行動をどう読めばいいか、ひなたにもわからなかった。明石は本当に知らないのかもしれない。ただ何かを隠している。ひなたはそれを見抜いている。

「教えて下さい。明石博士!あなたは」

「違う。兼続教授はそんな人じゃない。研究熱心で、時には動物に対して冷酷な実験も行った。でも、人に対する実験、まして人を(あや)めるような実験をするはずがない。ただ、世のため、人のために尽くしてきただけだ」

 明石は吐き捨てるようにそう言い放った。

 ひなたは何も声を掛けず、ただ項垂れる明石を上から見下ろしていた。震える明石に掛ける言葉が見つからなかった。

 そしてこの姿は、言い得る事は全て言ったのだと、ひなたは判断した。

 明石は真犯人を知らない。ただ、兼続金雄から受け取った違法な遺伝子物質により異常能力強化薬を作った。その態度はそう語っていた。


 つづく

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