22.女どもの戦い
いつも先生は狙われている。彼はすぐに危険な場面に遭遇してしまう。彼は優しすぎるから狙われやすいのだ。誰かが守ってあげないと。
だから私は彼の危険を取り囲むあらゆる危険因子を排除する。今までのやり方では甘い。ただ危険を知らせるだけでは時間が掛かり過ぎる。彼は今日まで何とか生きてこれたけど、今度はきっと死んでしまう。すぐにでも排除しないと彼の命が危ないだろう。
夕刻雨上がりの街並みは綺麗だ。薄明かりに灯し始めた街灯のネオンが乱反射している。私は一人の女を追っていた。私は非力だけど、この薬があればあの女を排除する程度の力はあるはずだ。あの女は危険だ。早めに排除しておこう。きっとうまくいく。
追っていた女は駅前の小さな商店街から小路へと曲がった。私はそこから走り出し、急いで女を追った。今がチャンスだ。
「何が目的なの?」
曲がったところで女はこっちを見て身構えていた。私はびくついた。でもここまで来て引くわけにはいかなかった。
「あなたなの?神林香美さん。全てあなたがやったの?」
「何を言い出す。おまえの目的は何だ?なぜ明石先生に近づいた?花木華」
私が追っていた女は花木華だ。この女は金のある男をたぶらかせて、男から金品を奪い取る常習犯に違いない。まだ真相は定かでないけど、このまま華が先生に手を出すまで待っているのは危険だ。
「香美さん、いつから私を付けていたの?いつも私を怪しい目で見ていたのは知ってます。あなたは何をどこまで知っているんですか?」
「あなたが過去にやったことは知ってるわ?」
「過去にやったこと?何を言っているの?何の事?」
「白々しいわね。まあ、いいわ。別にあなたの過去を知りたいわけじゃないから。ただこれ以上、先生には近づかないでもらうわ」
私は瞬時に華の側に駆け寄った。そして胸元に隠し持っていた催涙スプレーを取り出す。彼女が瞬時に目を瞑ったのを察知する。吹き出したスプレーが彼女の顔を捉えるけど完全じゃない。彼女は私のしようとしていたことを知っていたように素早く目を瞑ってかわしたのだ。
華は格闘家がガードするような体勢をとって防御をしている。
「何?どうして?」
「香美さん、あなたこそ」
華はしゃがんだ。そして次に私の脚を払うキックが見えた。
『かわせる』
私はしゅっとジャンプする。負けるはずがない。私は知覚強化剤を自分に打ったからだ。下手な格闘家より反射神経がよく、三流の陸上選手より素早く動ける。この薬は私に適合している。
『仕方ない。じゃあこっちだ』
今度はジャケットの内ポケットに隠し持っていた注射を取り出す。彼女は格闘技をやっていたようだけど、今の私には彼女の動きの全てが読める。
私は華のパンチを避けて、彼女の背後に回る。そして肩に注射液を打ち込んだ。
華は瞬時に倒れた。相手の動きを瞬時に停止させる毒薬。個人的に開発していた。死にはしない。そして意識も残る。口も動く。
華は路上に突っ伏している。
「さあ、観念しなさい。本当の事を言って、明石研を去ると言いなさい」
私は華の顔の側に屈み込み、彼女の顔を覗く。動かない体を動かそうとしても動かず、悔しそうな顔をしている。
「ちくしょー。こんなとこでやられるなんて。私としたことが」
華は今までの丁寧な言葉遣いを止め、急に荒い声を上げる。
「本性を出したわね。さあ、白状しなさい。さもないと、今度はこっちの薬で、本当にお陀仏よ」
もう一方の赤い注射は劇薬。使うつもりはないけど、この女の回答次第では使うしかない。
「わ、わかった。そうよ。本当は、私は…」
言いかけて止める。
やはりこの女殺すしかないか。注射を彼女の腕に近づける。
「どうする?死にたい?」
「わかった。私の本名は、くさきこのは。捜査一課の刑事だ」
「へ?刑事?」
「な、何だ。私が潜入捜査をして、明石を捕まえようとしていたのを知ってるんじゃないのか?」
「美人局は?先生をたぶらかせようとしたんじゃないの?」
「な、何の事だ。いったい何を言ってる?もういいだろ?潜入捜査も終わりだ。それともお前が薬を流出させた犯人なのか?」
この女は潜入捜査の刑事で全て知っていた。だけど明石をたぶらかせようとしたわけじゃない。私は混乱した。いったい何がどうなっているのか。先生は無事だろうか。
↓
世田谷にある古びた一軒家、サザエさん一家を思い出すが、それよりは樹木が多く、日当たりが抑えられ、落ち着きのある佇まいだ。
もえみと充は再びこの家を訪れていた。明石を探る作戦に失敗したもえみは美麻に怒られ、そのフォローに回ったひなたが、もう一度兼続金雄を当たって挽回してくるよう指示を出してきたからだ。もえみはひなたから「頑張ってこい」と力強く言われ、彼の両手を握り締めて、挽回を誓った。今回は成果を出さないないわけにはいかない。
門の前で二度三度とチャイムを押したけど、内からの反応はない。今日は抜き打ちで来たから留守なのかもしれない。それとも約束のないチャイムには出ないようにしているだけかもしれない。
「やっぱ留守ですかね。出直しますか」
充はさしてやる気を起こしていない。もともと土黒イゾウの手下だから、ひなたの頼みにはやる気が湧かないのかもしれない。
「いいえ。このまま引き下がれませんよお。今日は思い切って行ってみましょう!」
いつになく強気なもえみは門の扉を押す。扉に鍵は掛かってなく、すぅっと向こうに押されて開いた。
「とりあえず玄関口まで行ってみましょう」
そして恐れることなく石畳の上を玄関まで進んでいく。まだ午後4時だが、11月の日の入りは早い。西から強い夕陽が玄関前の一角に差し込んできていた。さっきまで雨が降っていたが、西の空はすっかり晴れ上がっている。
玄関に付いてすぐに、チャイムを押してみる。
ジリリリーン!
呼び鈴の音はなるが、人が来る反応はない。
「留守ですよ。あきらめましょ」
充は抑揚のない声でもえみを諭そうとする。でももえみは引かない。西日の入り込む和風の庭園が見える方へと足を踏み入れる。そこからは家の中が窺える。
「もう止めましょうよ」
「充さん、玄関は閉まってますよね」
玄関前にいる充は入口の扉を開こうとするけど、扉は開かない。
「開かないです。やはり留守です」
その言葉を聞いて、もえみはガラス戸に手を掛ける。すると戸はガラガラと動き、開いた。
「開きましたよ!」
「いやいや、さすがに不法侵入でしょう」
いつもとんちんかんな充が珍しくまともな事を言い返してくる。
「侵入します!」
もえみは言うことを聞かない。そこから家の中へと入っていく。
ガラス戸の内は縁側になって左右に延びている。正面は障子があり部屋の中は窺えない。ただこの先の部屋は前回来たときに、もえみが通された和室があることを分かっている。もえみは縁側から玄関に戻り、玄関の鍵を解錠する。
ガラガラっと開けると、そこに充のひょろっとした姿が現れる。
「まずいですって」
そう言いつつも、充は玄関の中に入ってくる。
「玄関は開いていたので、お邪魔しました」ってことで。
もえみはそう言いながらちゃっかり縁側から靴を持ってきて、それを段差のある玄関の下に揃えて置く。
充もあきらめたのか、靴を脱いで上がってくる。
「誰かいませんか?誰もいませんよね」
そう言いながら、もえみは家の奥へと足を踏み入れていく。
玄関から正面の廊下を進んだ先にはキッチンがあるようだ。右手にも部屋があるようだけど、まずはキッチンの方へと進んでいく。
広いキッチンは整頓されていて何となく生活感が薄い。
キッチンから右手は裏口に出ると勝手口のドアがあって、左手には廊下が続いている。
もえみはその廊下を進んでいく。
その左手は前回伺ったときに入った部屋だ。右手は別の和室のようだ。部屋のふすまは全て閉まっているから中は見えない。その二つの部屋のさらに奥にも左右に部屋があり、廊下の突き当たりは洗面台になっている。洗面台のある右手には並んだ二つの開き戸があり、おそらくトイレと風呂のように思われる。
左手側は二つの部屋を通り過ぎると、左側に折れて廊下が続いている。続いている廊下の右手に二つの部屋がある。さらに突き当たりにはドアがあり、そこが廊下の終着点だ。
平屋だけどかなり広い造りになっている。もえみは廊下を進み、最後の突き当たりにあるドアまで行って、その部屋のドアを開けてみた。
「しつれいしまーす」
部屋を覗くと、始めにベッドが目に入ってきた。それから学習机があり、洋服ダンスが一つある。小学生の子供部屋のように見えるけど、おそらくここは充の部屋なのだろうと、もえみは感じる。
「ここは関係ないか」
そう独り言を呟いた。そしてこの部屋から一部屋一部屋戻っていこうと考えていた。
その部屋のドアを閉めて、後ろを振り向く。
「何をしているのかね」
もえみの心臓は大きく跳ね上がった。そこには優しい笑みだが、なんだか恐ろしい笑みにも見える体格のいい老人、兼続金雄が立っていた。
「いえ。あの、チャイムを押しても誰も出なかったんですけど、玄関が開いていたんで、物騒だなあ。空き巣でも入られてないかなあ」
「さて?玄関は閉めたと思うが、珍しいのう。みつおが閉め忘れかな?」
「すみません。お家にいらしたのに、勝手に上がり込んで」
もえみは深々と頭を下げる。
「まあ、わしも物入れの整理中で気づかずにいたのが悪かったな」
老人、兼続金雄はそれほど怒ることもなく、案外親しみやすい口調でもえみの不法侵入を許してくれた。
そこへ充がやってくる。
「あ、やっぱりいらしたんですか」
「空き巣が入ってなくて良かったね。充さん!」
もえみは充が余計なことを言う前に釘を刺す。充はポカンとしている。何とか余計な事を言わせずに済んだようだ。
「まあ、お茶でも飲みますか。用があって来なさったんでしょ」
不法侵入であったことについては全く追及しても来ず、兼続金雄は二人を客用の畳の間へ戻した。
前回来たときと部屋と同じで、またちゃぶ台を前に充ともえみは正座した。
「さて、お茶でも出しますか。何かあったかな」
金雄は座布団に座る前に、台所へと行った。
「充さん、ここは作戦です。わたしはトイレをお借りすると言って立ち上がるので、その間、兼続教授と話していてください」
「トイレですか?今、行ってきたらどうですか?」
「違いますよー!トイレに行くふりをして、物置とか調べるんです。たぶん、みつおくんの部屋の手前にあった右側の引き戸が怪しいです」
「じゃあ、兼続教授を騙すと言うことですね」
そこまでハッキリ言わんとわからんのか、というイライラした気持ちを抑えて、もえみは頷く。
「わかりました。やってみます」
それからしばらく静かな時間が流れた。老人はお茶を用意するのにだいぶ手間取っているようだ。
やがて兼続金雄はお盆にお茶を載せて、のそのそと部屋へと入ってきた。
「さあ、お茶でもどうぞ」
そう言って、ちゃぶ台の上に茶飲みを置いていく。三つ置き終えたところで、ゆっくりと二人の対面に腰を下ろした。
「さて、今日は、何だったでしょうか?」
「あ、すみません。その前に御手洗いお借りしてもよいですか?」
「ええ、まあ、良かったら、一口お茶を飲んでからでも」
兼続金雄は淹れたばかりのお茶を飲んでほしいのか、静かな目でもえみに勧める。
もえみは一口だけお茶を口にする。そして立ち上がる。
「あっと、御手洗いは?」
「そこを出て、左に行って、右側の最初のドアですよ」
「あ、ありがとうごさいます」
もえみは一礼して、部屋を出た。
部屋の中からは少しだけ充の声が漏れてくる。
「あなたは重要参考人ですので…」
もえみは彼を一人にしたことを誤りだったと感じる。何を言い出すかわからない。
とっとと調べて戻ろう。そう思ってトイレを通り過ぎ、左に曲がる。そして怪しいと思ている二番目の扉を開く。
「ここは?何?」
資料室のように沢山の書類が棚に並んでいる。書斎というのとは表現が異なる。たくさんの紙の書類が透明ケースの中に積まれているだけの部屋だからだ。本のように立てて置かれてはいない。
もえみは部屋の中に入り、薄暗い部屋を見回す。中にはアルバムやノート、CDROMが入ったケースのある棚もある。それらを見回しながらもえみは資料のある棚の一番奥まで進む。
一番奥の角には不自然に大きいクローゼットが置かれている。真ん中から左右に引いて開く観音開きのタイプで、コートやドレスを入れておくような洋服用のクローゼットのように見える。他には洋服が入っているようなタンスやケースが無いから、そのクローゼットだけがやけに浮いている。
もえみはそのクローゼットの前まで行く。
『何が入ってるのかなあ』
興味のままに扉を開く。ふと目に入ってきたのは、写真立てに飾られていたたくさんの子供の写真だ。
「みつおくんかな?」
それらの写真に写るのは小さい頃のみつおのように見える。兼続金雄は今より痩せていて少し若いが姿形は一致する。そして綺麗な、どちらかというと可愛らしいタイプの若い女性が写っている。そうは言っても、幼いわけでもない。
『きっとみつおくんの母親だろうな』と、もえみは思う。
クローゼットの中全体を見回していると、不思議な壺がある。それは骨壺のように見える。
『誰の?』
母親は別れたとは聞いていて、死んだとは聞いていない。
『みつおくんにはお兄さんがいたのだろうか?』
そんな事をふと思う。みつおにお兄さんがいて、若い時に死んでしまった。聞いたことはないけど、死んでしまっていれば話に出てこないとも考えられる。
「さて?」
そんな事を考えていると、なぜだかふと眠くなってきた。この薄暗い部屋のせいかもしれない。さらに何かを調べたいところだけれど、充の心配もある。一旦戻った方がいいかもしれない。
もえみは少しフラフラとしながら部屋の外に向かった。
部屋の外も暗くなっていた。自動で灯りが付くようになっている幾つかの外灯が唯一家の中を照らしていた。
もえみは部屋へと戻ろうと廊下に出て右へ向かう。
ドカン!
次の瞬間、後ろから何かがぶつかってきた。もえみは窓の格子にしがみつき、何とか体が倒れないように堪えている。しかしもえみの体は思うように動かない。
窓の外の玄関付近に人の姿が見える。玄関の外灯しかなく、ハッキリとは見えないが、背格好からその人物が誰かを思い出そうとする。
あれは由比三樹だ。
『何をしているの?何しに来たの?』
そう不思議に思った。けど声が出ない。やがて指先の力も失われ、もえみはその場に倒れ込んだ。
もう何も見えない。目も開けられない。何が起きたのかもわからない。
少しだけ頭が痛い。それだけがわかる。それからもえみは廊下を引き摺られていた。その感覚をわずかに残したまま、そのまま気を失ってしまった。
何者かの黒い影。そいつがもえみを連れ去っていく。彼女はどこかへ連れ去られようとしていた。
つづく




