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とっかかり ~特殊試行捜査係の事件簿~  作者: こころも りょうち
21/28

20.お話ししましょ

 都内の拘置所(こうちじょ)にやってきたのは、佐久間美麻と氷見翔だった。二人は拘置所内の一室へ直接通され、畳の上に胡座(あぐら)をかいて座っている男のいる部屋へと入っていった。

「さすがに逃げ出すまねはしなかったわけね」

 美麻は身体が細く手足の長い男に尋ねた。

「珍しい組み合わせでお出ましだな」

 長い髪の隙間から鋭い眼光(がんこう)を突き付ける男は二人を見てそう答えた。

「増高は大怪我だよ。俺だって望んじゃいねえ。今日は一応ボディーガードだ。あんたが何するかわからねえからな」

 氷見翔は答える。

 鋭い目付き、首筋から肩あたりの盛り上がった筋肉、いかにも危険そうな男だ。そこに座っている男は、土黒イゾウだ。

 彼は充に逮捕され、この四畳半の畳一室の拘置所に入れられた。罪名は、銃刀法違反だ。

「充はどうした?」

「彼は蓮見さんと捜査中よ」

「ああ、あのムチムチした女か。頼りないチームだな。というか、どうなんだろうな?」

「何か知ってるの?私たちだってあなたを捕まえたくて捕まえたわけじゃないわ。何か知ってるなら、教えてほしい」

 美麻はイゾウに迫る。

「筋肉増強剤の流出。おまえらはそれを調べているんだろう?俺も容疑者として、ここに足留(あしど)めされている。もちろん、俺は犯人なんて知らねえ。だがどうかな?俺が動くと面倒だと考えた奴がここに俺を縛り付けたってことも考えられる」

「何が言いたい?」

「犯人は、本当のところ、真犯人をあの爆弾魔に仕立てあげたかったんじゃねえかな。捕まらずに逃げてくれれば、今もあいつを追っていたはずだ。でも俺が出てきたおかげで爆弾魔は捕まった。流出させた犯人は爆弾魔と関係ないってわかっちまった」

「おいおい。皆久保を捕らえたのは俺の麻酔銃だぜ。それなら俺だって足を留められるだろ」

 爆弾魔の皆久保の逃げ口を(ふさ)いだのはイゾウだが、皆久保は氷見翔が放った新開発の麻酔銃の一撃で仕留められたのだ。

「皆久保を探し回って、国会でのテロを阻止(そし)したのは、実質、俺だ」

「皆久保はそもそも三浦の転落死した女性の殺人犯として私たちが追っていたのよ。ひなたや三樹が中心になってね。あなた一人の手柄でもないわ。それに、いったい誰が爆弾魔を真犯人に仕立て上げるなんてまねをするって言うの?」

 美麻は呆れ顔で、イゾウの意見を否定する。

「俺を捕まえた、充はどうだ?」

「あんたねえ、何を言い出しているの?皆久保の爆弾被害に受けて、あなただって、その(かたき)を取ろうとして、あいつを追ってたんでしょ?」

「それに、皆久保が爆弾のスイッチを拳銃で撃って、すっ飛ばしたのも充だし、そもそも皆久保を追い込むために、充と連絡を取ってたのはあんただろ?」

 美麻に続き、氷見翔も否定する。

 イゾウは片ひじを机につき、考え込む。

「わからねえ。わからねえけど、俺は誰一人信用していねえ。許されることと許されないこととはある。だけど友情ごっこみたいな話なら無しだ。犯人は、味方の中にいるかもしれねえ。それも考えんとな」

「ふざけんじゃねえ!俺たちはチームとっかかりだ!真犯人がうちの中にいるわけねえだろ!」

 氷見翔は熱くイゾウに食いかかったが、イゾウはそれには応えず黙っていた。

 しかしとっかかりから離れて、少し中立的な立場から見れるイゾウの意見を、美麻は無視できないと感じ取っていた。

 チーム内に真犯人がいるかもしれない。その意見を胸に止めた。


 ↓


 蓮見もえみは明石研から兼続みつおを大学の裏にある公園に呼び出した。日当たりも良くなく、人の少ない公園で、まるで告白の場面のように使われそうな場所だ。

 だけどそんなわけもなく、呼び出した理由は事情聴取のためだ。明石研は捜査一課の恩田シオンたちが調べるから、変に近寄ると何言われるかわからない。もえみはみつおの父親である兼続金雄に近づきたいだけだど、焦らずに用意周到に進めていく必要がある。

 二人は比較的日当たりのいい公園の真ん中付近で立ったまま話をし始めた。

「今日は呼び出してごめんね」

「いえ、今少し気分転換したいところだったんでちょうどよかったです」

 みつおは優しい言葉をもえみに掛けてにこりと微笑んだ。もえみはその童顔の笑みに母性本能のくすぐられキュンとする。でも今はしっかり仕事をしないといけない。

「聞きたかったことはね、中王子って医師のことなんだけど」

「ええ、この間、研究室で皆さんが話してるを聞いてました。すみません」

 出流原ゆづるを問い詰めている時に有馬班長らが来て、アンプルを処方していた中王子医師が明石博士と知り合いであることを問い詰めた話だ。

「みつおくんは中王子さんのこと、知らなかったの?お父さんの研究室によく来てたっていうから」

「知りません。僕は父の大学に行ったこともありませんし、家も学校も別のところですから」

「お父さんから話で聞いたとか?」

「いえ、父は学問についてはいろいろ教えてくれましたけど、大学でどんな人と会って、どんな話をしたかなんて話は全然しませんでした。明石先生でさえここに来るとなって、初めて知りました」

「そうかあ。ひょっとしたら、みつおくんは何か知ってるかな?と思ったんだけどなあ」

「はあ、申し訳ありません」

「別に謝らなくてもいいよお。それより、ねえ、お父さんには会えるかな?」

「さて、どうでしょう?父はたいてい家で過ごしているから、もし父がオーケーだったら、うちに来てみますか?」

「おうち?」

「ええ、父は出不精(でぶしょう)なんです。呼び出されて外へ行くのは嫌がります。でも家なら会ってくれると思いますよ」

「じゃあ、今度おうちに伺いますね」

 もえみはみつおと、みつおの父親である兼続金雄と会う約束を取り付けた。みつおからの事情聴取は、本丸である兼続金雄の事情聴取のためでもあり、兼続金雄の家にいきなり押し寄せるのも不自然だったからだ。


 それから数日後の休日。もえみは充と一緒にまた同じ公園に来ていた。みつおと公園側のパーキングで待ち合わせた後、充の運転で兼続宅へと向かった。

 車をみつおの家近くのパーキングに止めてから、歩いてみつおの家に向かった。

 みつおの家は世田谷の外れにある古民家といえるような古い家だった。木造の立派な門をくぐり、和風の庭園を横目に玄関まで進み、ガラガラと入口の扉を開けた。

「どうぞ、上がってください」

 もえみと充は、みつおに案内されて、家に上がった。

「お邪魔しまーす」

 少し広目の玄関を上がる。左手に縁側(えんがわ)が延びている。縁側に入って、最初の(ふすま)を開けると和式の居間があり、二人はそこに通された。

 大きなちゃぶ台を前にして座布団に腰掛け、みつおが用意してくれたお茶をいただいた。

 すると、体ががっしりしているが少し腰が曲がった感じの老人が入ってきた。

「父です」

「どうも今日はお邪魔しまして申し訳ありません」

 もえみは立ち上がり、社交辞令の挨拶をする。

「いえいえ、もうほとんど大学の方には行ってなく、週のほとんどはこっちにいますから」

 兼続金雄はそう答えて、ちゃぶ台の対面(たいめん)に座った。

 すでに75歳で二重橋大学の名誉教授(めいよきょうじゅ)となっている。ほとんど退官しているに等しく、多くの時間を家で過ごしている。みつおは50代半ばでできた子で、金雄の3人目の妻が産んだ子だ。その妻とももう離婚していて、今はみつおと二人暮らしをしている。それがもえみの知る前情報だ。

「それで、今日は、どのようなご用件で?」

 金雄は柔らかい笑みを浮かべる。威厳(いげん)のある教授というよりは、人の良さそうな老人のように見える。

「兼続先生は、不正薬物禁止法違反で逮捕された中王子医師と深い付き合いがあり、明石博士の担当教官でありましたよね」

 オブラートに包むという言葉を知らない充がいきなり本題へと迫っていく。

「あ、まあ、その、いろいろと捜査中でしてえ、、、」

 もえみは充が兼続を疑っていることをはぐらかそうと、カバーしようとするけど、都合のいい理由が続けて出てこない。充の突っ走りを止められそうにない。

「少し関係についてお尋ねしたいのですが」

 充は突っ走る。

「ええ、中王子君は残念でしたねえ。彼は私を(した)ってくれてて、昔はよく研究室で会ってましたから」

「最近は会ってないですか?連絡は?電話やメールとか」

 充が攻めまくる。

「はて?さあ、しばらく連絡も取ってないなあ。いつからだったか」

「本当ですか?」

「いやいや、そうですよねえ。まあ、明石先生とは息子さんとの関係もあって、たまには連絡を取ってるんでしょうけど」

 充があまりにストレートに疑るものだから、もえみは額に汗をかきながら、話を明石博士に()らしてみた。

「まあ、明石君とはね。大学の教え子ですから」

「では、彼が今、どのような研究をしているかもご存じで」

 金雄は攻めてくる充の目を見返す。

「どうだったかね。詳しい話は知らないねえ。明石君とも、みつおの世話を頼んでから連絡していないからね。会ったのもいつだったか、もう何年も会ってないねえ」

 老人の話に少しぶれが生じているようだ。そこへみつおが口を出す。

「父は明石先生の研究をよくは知らないと思いますよ。僕も研究の話はしてませんし」

「あれだねえ。研究というのは、かつての師弟関係があっても一度研究室から出てしまうと話さないものなんだよね。あまり知られると研究成果がどこで漏れるかわからないからねえ。それはこの世界ではよくある話だねえ」

 明石の筋肉増強剤と中王子の禁止薬物が同一のものであることを、兼続金雄が知っているかいないのか、そこが充の聞き出したいポイントだった。少しでも知っているような言葉が出てくれば、金雄が犯行に関わっていた可能性がある。しかし彼は何も知らないようで筋肉増強剤の話は全く出てこなかった。


 それからも話は続いたが、話はどんどん逸れていった。

 話は、明石が兼続研でどんな実験をしていたかという昔話となり、それからは自分の研究の話を始めた。動物実験やら遺伝子やらの話だが、結構エグい解剖の話まで入り込んでいった。

 もえみは少しずつ気分が悪くなっていった。吐きそうな口を押さえてギブアップ。

「あの、もういいです。だいたいわかりましたんでえ」

 それから今日は攻めに攻めていた充の顔を覗いた。だが彼は真顔のような喪心(そうしん)したような顔をしていて、もえみには彼の心が伺えない。

「あの?充さん」

「はあ、そうですか。何のことだかさっぱりわからなかったです。とにかく明石先生とは全く会ってなく、研究については知らないと」

「ええ、何かお役に立てなかったみたいで。申し訳ありません」

 兼続金雄はそう言って深々頭を下げた。

「いえいえ、大丈夫です。こちらこそありがとうございました」

 もえみは充のあまりにストレートに、研究の話に興味のない態度が、兼続教授を怒らないか、気にしながら礼を返した。

 充は研究の内容が全く理解できなかったみたいで、後半はほとんど何も聞いてなかったみたいだ。

「つまらない話で残念でした」

 そして最後に、ほぼ役に立たない話でしたねと言わんばかりの一言を上げる。もえみはそのフォローに慌てふためいていた。

 兼続金雄は困り果てるだけで怒ってはいないようだった。

 充が残念がるとおり、重要人物と位置付けた兼続金雄からは何の話も得られそうになかった。もえみは今日一日を無駄にしたことを落胆するしかなかった。


 ※


 一方、ひなたは一人で九州に出向いていた。いつも一緒の由比三樹は高校のテストで出張はできずに置いてきた。単独行動は禁止されているけど、ひなたはこれ以上事件を広めるわけにはいかないと、違反して動いていた。

 田んぼだらけの平野の中にポツンとある大学に、出流原(いずるはら)ゆづるは勤務している。大学は自由な校風で、かなり遊び(ほう)けたような学生がキャンパス内のあちこちで見られた。ギターを弾く学生もいれば、スケボーを練習する学生もいる。勉強しに学校へ来ている学生はいないようにも見える。

 建物は比較的新しいけれど、これといった特徴のある大学ではない。工業大学という名が付いていて、基本的には理系の大学ではある。生物学が専門のゆづるには工業は関係がないが、それでも多種多様な世の中にあって工業大学でも生物を教えている先生がいるのである。その先生の下でゆづるは助手を勤めている。

 綺麗な校舎の入口からエレベーターを三階に上がり、吹き抜けで一階まで見下ろせる通路を歩いて、奥まったところにある生物学の研究室にお邪魔した。

 研究室に入ると、白髪で眼鏡を掛け、口髭(くちひげ)を綺麗に(そろ)えた博士が姿を現した。

「こんにちは。警察の方だとお聞きしました。いったいどのようなご用件なのでしょうか?」

 御手洗(みたらい)博士は急に訪れた刑事を不審(ふしん)に思っている様子だった。

「いえ、特に事件ではないんです。こちらに以前、公安大学院大学に勤務されていた出流原さんが勤めていると聞いていまして、その関係で用がありましてお伺いしました」

「そうですか。出流原君の知り合いですか。彼は今、講義中で出ています」

「ええ、そうですか。少し待たせてもらってもいいですか?」

「ええ、もちろん」

「少し、御手洗教授ともお話しできればと嬉しいのですが」

「ええ?まあ」

 御手洗はコーヒーカップにインスタントコーヒーを作って、部屋の窓際にあるテーブルの上に置いた。

「こちらへどうぞ」

 ひなたはパイプ椅子に腰かける。

「出流原くんはどうですか?仕事とか、普段の生活とか、問題なく送れていますか」

「ええ、勤務態度は真面目ですよ。少し話ベタなところはありますけどね。理系の人間にはよくあることです」

「先生は、明石教授と、かつて一緒に仕事していたとお聞きしました」

「ええ、彼とは兼続研で近い作業をしてまして、出流原くんも彼の頼みで、こっちへ。まあ、ちょうど私も前の助手が企業に就職してしまって、一人作業で大変だったので、こちらからお願いしたいところだったので」

「明石先生は昔からなんというか、少しドジなところとかありましたか?」

「ああ、彼は確かに。没頭すると周りが見えないタイプですね。研究者向きなんですけど、もう少し社交性もほしいこところではありますね。出流原くんも少し似てますかね」

「なるほど」

 ひなたはゆづるが明石を嫌っていたことを知っているけど、この先生はその情報を知らないらしい。ゆづるがここに異動となった理由は秘密であり、その理由をゆづるからも聞いていないようだ。

「出流原くんは特に休みなく、毎日来てますかね?」

 ひなたの質問に御手洗博士は(まゆ)(ひそ)めた。

「何か?彼に問題でも?」

「何か、おかしな点が、彼にありましたか?」

 ひなたは質問を質問で返す。

「い、いえ。彼はいたって真面目に仕事をしてくれてますよ」

「最近のニュースや事件に興味を持っているとか、いうことはないですか?」

 御手洗博士は首を(ひね)る。

「全く。そんな興味なんて。あの?やはり何か事件なんですか?」

 ひなたの質問攻めに、御手洗は不安を感じ、怪訝(けげん)な顔をしている。ひなたはそれに動じず、姿勢正し座っている。


 ガラガラ

 そこへタイミングよく、度のきつい眼鏡を掛けたひょろりとした男が帰って来た。

「ム、だいちひなた?なぜここに」

 ゆづるはひなたの姿にすぐ気づいてたじろいだ。ひなたは立ち上がり、ゆづるの方に近寄っていった。

「御手洗教授、ありがとうございました」

 ひなたは御手洗に礼を言って、そのまま戻ってきたゆづるを連れて部屋の外に出て行った。

 そして誰もいない通路の端まで移動して、付いてきたゆづるに話し出した。

「元気だったか?久しぶりだね。例のアンプルだけどね」

「なんだ。何の話だ?まさか、また無くなったのか?明石ならやりえるか」

 アンプルはあれ以来無くなっていない。もちろん誰かが嘘を付いていれば、無くなったということもあるのかもしれない。

「アンプルが無くなったのか?」

 ひなたはゆづるが何か知っているのか、逆に質問を返してみる。

「なんだ。違うのか。誰かが持っていたのか?やはり明石か」

 彼はとんちんかんな質問を返してくる。

「君は、明石先生だと疑っているようだね。他に誰かいないのか」

「香美か?あの女、いや、あいつはないか。あいつが明石の研究で問題を起こすはずもない。あいつは明石にほの字だからな。みつお?いや、みつおはあの頃、研究所に来たばかりだ。あれが何かも知らなかったはずだ」

 ゆづるは推理をし出す。しかし彼は対して何も知りそうにない。そして自分が疑われている可能性についてはまるで考えようとしない。その態度は、犯人でない人物が取る一般的言動だと、ひなたは察知(さっち)する。

「しかし、これだけ()()()()()になった。ただの流出事件では済まされない」

「中王子って医師だろ?俺はよく知らんが、明石とはどんな関係だったんだ?」

 ゆづるは明石と中王子が知り合いであったことを研究室で聞いていた。しかし、それが国会でのテロ事件にまで発展したことには気づいていないようだ。

 ひなたは()えて何の事件か言わずに筋肉増強剤が大きな事件に発展したことを匂わせたが、ゆづるの口からテロ事件に関わるワードは全く出てこなかった。

「確かに、二人は知り合いだった。けど、あれは中王子の単独行動で明石博士は関係ないようだ」

 ひなたはゆづるに()()()真実を伝える。

「それで真犯人がいまだにわからず、俺のとこまで来たわけか。ご苦労なことですね。俺は何も知りませんよ。まあ、明石以外は考えられないな」

 ゆづるは嫌みっぽく言って、にやついた。バカにするような態度だが、ひなたは特に苛ちもせず、手を(あご)にやり何かを考え出した。

「出流原君、君はなぜそこまで明石博士を疑うんだ。彼の性格もあるが、それだけなのか?」

 ゆづるはそれに対して少し沈黙する。ゆづるはただ単に、彼に犯人にしたいだけで理由はないのかもしれない。

「これは俺から聞いたって言うなよ」

 ひそひそ声で、ひなたに耳打ちする。

「あいつは秘密を持っている。アンプルに関することだ。嘘じゃない」

 ひなたは耳許(みみもと)(ささや)くゆづるの顔を外し、その目を見つめる。度の強いメガネで見にくいが、その奥にある瞳に嘘は感じられない。

「何を、隠している」

「俺から聞いたって言うなよ。研究の事だ。こういうのは()らしちゃいけない」

「わかっている。もちろんだ。約束する」

 今度はゆづるがひなたの顔を見る。

「まあ、あんたなら信用するよ。研究の話だ。アンプルに関することだ。あれは、いくつかの動物の体液を混ぜ合わせて出来ている。明石は、その体液についてどの動物の液かを秘密にしている。配合率(はいごうりつ)や配合方法は、俺らも手伝ってるから知ってる。でも俺はその動物が何か、明石の秘密のファイルから調べた。悪魔鳥やにんにく小豚、あそこで飼っている何匹かの動物の体液だ。ただ、ただ一つの成分、それについては秘密にされていた。成分(エックス)とあった。しかもそれは、強化薬の主成分だ。なのに明石はそれを秘密にしている。あれには何かある」

 ゆづるは何かに追われるように一気にそこまで話しきった。

「それは、君と明石しか知らないのか?」

「ああ、たぶん。香美も知らない。気にはなっているだろうがな」

 ひなたは考える。

 この情報と流出事件との関連性は考えにくい。研究者ならではの気になる情報を口にしただけのように思える。しかしひなたはこの情報が引っ掛かる。

 それは別として、一つわかったこととして、ゆづるが犯人である可能性が低くなったということだ。

 彼が自分の犯行を明石のせいにしている可能性はあるが、もし何かをやっていれば、刑事がこの場所に来た時点で自分の犯行がばれたと感じるはずだ。

 ゆづるはひなたがここへ来るなり、自分以外の誰が犯人かを勝手に推理し始めた。こういった行動を取る一般人はよくいて、殺人事件にちょっと関わるだけで探偵気取りになってしまうタイプの人間だ。

 ひなたはこれまでの刑事としての経験からこういった人物が犯人でないことを知っている。ひなたはゆづるを犯人である可能性から除外していいという答えに至った。

「了解しました」

 ひなたは突如そう言って、敬礼した。

「何が?」

 ゆづるはポカンとする。

「俺は君の潔白を確認しに来ただけだ。俺にはそれがわかる」

「何?俺、疑われてたの?」

「でも俺は君がやったことではないと確信した」

「ああ、そうですか。それはどうも」

 なんだか納得いかない様子のゆづるだが、とりあえず問題が起きてまたどこかに飛ばされるようなことがないとわかった様子でホッとしてみせた。

 ひなたの今回の目的は出流原ゆづるの行動だ。彼に怪しい点は見られなかった。しかし犯人には近づいている。ゆづるの口にしていた成分X、いっけん関連性はないように思えるが、ひなたは何か引っかかるものを感じている。

 それでも今は一人一人の犯行の可能性を(つぶ)していくしかない。ひなたは次の行動を考えながら九州にある工業大学を(あと)にした。


 つづく

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