18.一回整理してみよ
カタン、カタン
と、音は響いていた。
ここは深い地下の牢獄だ。特別な凶悪犯のみが移送される施設で、360度を壁に囲まれている。皆久保空馬はこの部屋に隔離されている。
壁の5メーター上に閉ざされた鉄の扉と開かない強化ガラスの窓がある。
カタン、カタン
音は皆久保空馬がパイプ椅子にもたれ掛かり、前後に揺れて椅子が床を叩く音だ。
「アンプルはどこにある?」
捜査一課の恩田シオンはガラス越しに皆久保を見下ろして、何度目かの同じ質問を繰り返した。捜査一課は事件の犯行動機や爆弾の製造に関してはノータッチだ。あくまで筋肉増強剤の残りの行き先を探している。
「俺は、もう持っちゃあいねえよ。さっきも言ったように、全部使用済みだ」
皆久保が中王子の患者から筋肉増強剤を奪い取ったのは、すでに確証を得ている。そしてそれらが三人の犯罪者によって使い切られたのは既に調べ上げられている。ただ他にも持っている可能性が高いと、シオンは読んでいる。
そんな凶悪犯のいる施設に、有馬班長と佐久間美麻がやっていた。
「私たちもいいですか?」
美麻はシオンに尋ねる。
「あんたたち、来たって無駄だよ。あいつはなかなか口を割らない。ここは俺に任せておけ」
シオンは自信に満ちた様子だが中身は無さそうだ。同じ質問を繰り返すことしかできず返答もほぼ同じだ。
「いいわ。有馬さんなら、話してみて」
傍にいた羽田蝶が艶やかな髪をかきあげて、有馬の尋問を許す。
「あんたは駄目よ」と、佐久間美麻を見て付け加えて言う。
「余計な一言だ。あんたに言われなくても、ここは有馬さんの出番よ」
羽田蝶と犬猿の仲である美麻は腹を立てるが、今は争っている時ではない。残りのアンプルの行方を知ることが第一優先だ。
「いいかな」
「仕方ない。10分だけですよ」
有馬の一言に、立場の弱いシオンは認めて引く。有馬は5メートル下にいる皆久保へマイクを介して話しかける。
「君の目的は社会貢献だったはずだ。薬は手段にしか過ぎないですよね。ネット規制法案は、一日延期されたが結局、通ってしまった。君の活動は残念ながら報われなかった」
皆久保は初めて上を見上げた。そこにいる年配の刑事を見つめていた。
「君は持っていないのだね。私は君が中王子医師の患者からのみ、筋肉増強剤を奪ったと信じよう」
有馬の言葉に、シオンが顔色を変える。
「あんた、あんな奴の言うこと信じるのか?馬鹿げてる」
有馬は手で、シオンの声を制止する。すると、皆久保が喋り出した。
「少しは話のわかる奴が来たようだな。俺はいつ、ここから出れる?」
「それは、俺にはわからない。ただ、君は正義の人間だ。救い出すのは、その味方となる者だけだろう。そして君の正義に荷担した者が、君に筋肉増強剤の話を持ちかけてきた。そうだね?」
皆久保は有馬の質問に否定をせず、にこりと笑みを浮かべた。
「いいだろう。教えてやろう。確かに俺はあの薬についてある人に教えてもらった。ある日、メールが届いたのさ。もちろん、すでにメールは消去されている。そして俺はその人物が何者かは知らない」
「そんな人物、いませんよ」
シオンが不貞腐れるように否定するが、有馬は犯人の声に頷く。
「君は薬についてかなり詳しいところまで知っている。それを知る者は僅かしかいない。現に私たちも薬の件に関しては、ここにいる限られたメンバーで君を取り調べている」
「有馬さん、それはこちらの情報ですよ」
警察内の機密情報を話し出したことに美麻がビックリして、珍しく有馬の話を制止しようとする。でも有馬は気にしない。
「どう思う?君はどこに、君の支援者がいたと考える」
「なるほど。あんたたちの内部に俺を支援したものがいるって考えてるのか?おもしろいな。そしてその人物なら俺をここから出してくれるかもしれない」
皆久保は少し考え込む。
「その人物は、恨みを持っている。俺たちと同一の価値を持っている。社会を憎んでいる。その人物は決してそんな事はメールに書き込んでこなかった。でも俺にはわかる。とても凶悪で、危険な人物だ」
「そんな奴が警察の内部にいるわけねえだろ!」
シオンが怒鳴り付ける。有馬は再び制止する。
「情報をありがとう。その人物が残りのアンプルを持っているというわけだね」
「いや、彼はもうアンプルを持っていないと言っていた。だから中王子の患者を紹介して、俺らに奪わせたのさ。俺らの目的を叶えさせるためにね」
「ちくしょー。本当だとしたら、まだ犯罪はどこかですぐに起きる。すでに全てのアンプルはばら蒔かれてる」
再びシオンが大声を上げる。
有馬は静かに考え込んでいた。可能性を探る。そしてアンプルを流出させた真犯人へと迫ろうとしている。
↓
ここは公安大学院大学内の捜査一課特殊試行捜査係(通称とっかかり)である。この係の任務は、公安大学院大学理工学研究室で発案された特殊な発明品を使って、犯人逮捕や犯罪抑止に繋げることにあった。
ここで使用される機器は、通常の社会では使用されない特別な物ばかりで、決して外部に漏らしてはならない。ところが、その中で最も危険であるとされる薬物、異常能力強化薬が流出してしまった。しかも犯罪に使われ、多数の犠牲者が出ている。
皆久保空馬が実行した国会議事堂襲撃作戦は、政府をも巻き込んだ事件となった。事件の原因は警察上層部のみに収まらず公安トップまでおよび、もはやこの組織そのものの存在意義が問われ、一気に係の解散も囁かれ始めた。
この事件の主原因がアンプル流出であることは、警察上層部と警視庁内の一部の刑事しか知らない。その事実を知る通称とっかかりのメンバーは自らの事務所に集結した。
油坂係長、大地陽太、由比三樹、氷見翔、有馬佑真、佐久間美麻、鶴見充、蓮見もえみの7名は、捜査一課本部の宇島課長、羽田蝶、恩田シオンを含め、特殊試行捜査係の事務所で再び捜査会議を開き、この失態の後始末を付けようとしていた。
「今回は、これまでの事件をもう一度見直し、残された流出アンプルを取り戻すことに専念することを目的とする」
頭てかてかの油坂係長がホワイトボードを前にして、そう会議を切り出す。まずはこれ以上の事件を起こさせないこと、それが最大の課題となっている。
「では、私から説明致します」
佐久間美麻が係長の横で指し棒を手にして説明を始める。
「まず、事件は、明石研究所からアンプル15個が研究室より盗み出されたことに端を発します。
このアンプルは筋肉増強剤として極めて強い力を発揮する注射薬なのは皆さんご承知の通りです。流出経路はいまだ不明。経路については今も追っていますが、まずは使われたアンプルを見直してみます」
美麻はホワイトボードに書かれた事件を読み上げていく。
『1.自動車事故で娘を失い、事故の加害者を殺害した母親。
2.いじめられた恨みで、いじめっこを殺害した高校生。
3.会社の不当解雇に怒り、高層ビルで社長を襲った元契約社員。
4.千葉の農業団体職員の対応に怒り、職員を殺害した海外実習生。
5.不倫相手に遊ばれ恨みを持ち、交際相手を殺害しようとした女会社員。自死。
6.幼い頃の性的虐待に恨みを持ち、塾の女講師を襲った大学生。未遂。
7.西東京のとある駅前で無差別殺人を起こし、5人を殺傷したニート。自殺。
「これらは皆、単独犯であり、薬の仲介者を経て筋肉増強剤を入手して、薬を使用した犯罪者たちです。死亡した5例目の会社員と7例目の無差別殺人犯を別とすれば、皆、逮捕されて、刑務所等に移送されています。それから…」
『8.国会議事堂争闘事件。
主犯、皆久保空馬。共犯、薄口影朗、岸貴士。
岸貴士、死亡。皆久保空馬と薄口影朗、逮捕。
美麻はホワイトボードを叩く。
「ここで3人がアンプルを使用しています。使用されたアンプルは先ほどの7つの事件も含めて10個です。ここまではいいですね」
特に口を挟む者はいない。皆、真面目な顔して事件の流れを聞いている。
「さて、次にこのアンプルを仲介した人物について話を進めていきます」
ここに出てくる人物は二人だ。
『精神科医の中王子
フリーターの栗田広男』
栗田が仲介したアンプル5個は先ほどの事件1、2、5、6、7で使用されて残っていない。中王子の仲介したアンプルも、事件3と8の計4人に使用され、1個は中王子逮捕時に回収されたので残っていない。
そして千葉の実習生の仲介者についてはクエスチョンマークが付いていて、さらに皆久保空馬への支援者という部分にもクエスチョンマークが付いている。
皆久保の入手したアンプルは中王子医師が処方箋として患者に出した薬だが、皆久保らが患者から奪ったことがわかっている。皆久保に薬を持っている患者を教えたのは中王子医師ではない。彼はすでに逮捕されていたからだ。
何者かが皆久保に薬を持つ患者の情報を流したのだ。この人物をここで支援者とする。
「重要なのは、千葉の海外実習生に薬を渡した仲介者と、皆久保空馬の支援者との関連よ。この2つの関係者が同一人物である可能性を考えると、残されたアンプルはこの人物が持っている」
「皆久保空馬はすでに持っていないと言ってたけどね」と羽田蝶が付け加える。
「彼の言うことを信じるのは安易だわ」
「有馬さんがそう吐かせたんでしょ!自分の上司でしょ!」
二人が険悪なムードになる。
「はいはい」そこで蓮見もえみが手を上げる。「その人物は、千葉の実習生へのアンプルをお茶屋から配送した女と中王子医師の自宅に届けた女。その人物がまだ特定できていませんよね」
恩田シオンが手を上げる。
「千葉の実習生にお茶屋から配送した女だが、さらに続きがある。近くで聞き込みをしていたところ、その女は都内に住む美容師だと断定した。だがその美容師は、その荷物は知らない人物から受け取ったものだと話している。自分と同じくらいの背の女に突然渡されたそうだ。それから、急いでいるからそれを送ってほしいと言われたそうだ。その謎の女はすぐに立ち去ってしまい、荷物だけを渡されて仕方なく、お茶屋から発送したという話だ」
「じゃあ、どっちにしても謎の女が渡したってことですよね。中王子医師に渡した宅配業者を装った女を探すべきですね」
もえみが言う。さらに氷見翔が声を出す。
「しかし、何でわざわざ自分でお茶屋から送らずに美容師の女を通したんだ?嘘じゃねえか?」
「美容師は裏も調べたがやはり白だ。説明は省くが、彼女が犯人だとするにはあまりに矛盾が多すぎる。犯人は単純な時間稼ぎとして美容師の女に渡した可能性もある。直接よりも探されるリスクもが減ると思ったのかもな」
シオンが答える。
「それで、美容師はどんな女だと言ってた?」
「残念ながらよく覚えていないみたいだ。突然のことですぐに去ってしまったからだと言っていた」
「やはり女か」
氷見翔は女という言葉に嬉しそうな顔を浮かべた。この男には女であればどんな犯罪者でもいいようだ。
「お茶屋の女がそうだとすると、中王子医師の方も防犯カメラに映っていた女ではない可能性もあるありますね」
中王子医師のクリニックに宅配業者を装った女が映っていた。その女はまだ解明されていない。
何人かが、その犯人を想像してそれぞれに独り言を始める。
「はい、はい、静かに。ちょっと、皆いい?まだ話は途中よ」
美麻がそれぞれに話し出した雑談を止めて、皆を再びホワイトボードに注目させる。
「私たちはもう一方からも捜査をしているのを忘れないでね。流出は明石研究室にある。そして容疑者はこの8人よ」
『1.明石音麿。明石研の研究室長。
2.出流原結弦。明石研の元助手。
3.神林香美。明石研の助手。
4.兼続光生。明石研の研究生。
5.大地陽太。とっかかり一班班長。
6.鶴見充。とっかかり二班刑事。
7.由比三樹。とっかり一班刑事。高校生。
8.土黒韋造。とっかり二班元刑事』
「明石研究室の4人と。とっかかりの4人」
「俺たちも入ってるのが心外だな」
高校生刑事の由比三樹が不満の声を漏らす。
「念の為よ。ここで捜査している分にはその可能性は無いと思ってる。それにこの8人以外、ここに集まっている全員だって可能性が無いわけでもない。アンプルの存在を知っている全員が容疑者になるわ」
「つまりまずは、そこに特定された明石研の容疑者の誰かが、残りのアンプルを持ってるかもしれないかどうか、皆久保の支援者かどうか、それを調べる必要があるって話ね」
羽田蝶が美麻に問いかける。
「そうよ。今言おうとしたところだけどね」
美麻は犬猿の中の羽田蝶に言おうとしていたことを言われ、少しムッとする。でも一旦苛立ちを抑えて話を続ける。
「だけど、私たちはずっと研究室の4人を追っている。私は彼ら自身が皆久保の支援者とはどうしても思えないの。支援者は別の何者かで、それと繋がっている人物が明石研にいて、何らかの事情で支援者の手にアンプルを渡したんじゃないかと、私は想像しているわ」
「さて、どうかな?あんたたちが仲間内をかばったり、明石研から犯人を見つけられずにいたりすることで、事件が解決していないだけじゃないか?」
捜査一課のシオンがとっかかりのメンバーを疑う。
「おいおい。そりゃいくらなんでもねえだろ!こっちだって怪我人だしてんだよ!何が楽しくて皆久保の味方をしたっていうんだよ」
氷見翔がシオンに怒鳴り付ける。国会議事堂で、皆久保空馬の爆弾を食らった宇郷増高は一命を取り止めたが、全身に火傷を追い今も入院中だ。命に別状はなくとも全治3ヶ月は大怪我だ。
それでもシオンは疑いの目を崩さない。
「土黒イゾウはどうしたんですか?野放しにしてるわけじゃないだろう?」
「彼もしっかり拘置所に入ってもらってるよ。この件が済むまではおとなしくさせてる」
油坂が答える。土黒イゾウは油坂の判断で充に捕まえさせた。今はとっかかり預かりで、周りが彼を忘れる頃に内々に釈放させようとはしている。
「彼とて容疑者だ。怪しむ必要がある」
シオンが強気に言い張る。
「私は疑ってはいない。警察の仲間を疑うのは、正義の警察組織として不和が生じる。そういう考えは無い方がいい」
そう発言したのは、ここまで黙っていた宇島捜査一課長だ。
シオンは思わぬところからの反対意見に額から冷や汗をかき、宇島の目を見る。
「いや、可能性としてあるという話でして、もちろん、心から疑ってるってわけではないのです」
シオンは言い訳を考えながら黙り込む。威勢はいいけど上下関係には弱い一面が出る。
「ここは仲間割れしている場合ではない。一丸となって犯人を捕まえなければ、警察組織のメンツが丸潰れだ!」
宇島の声に皆がシンとする。宇島課長はあくまで上層部のしっぽだ。組織に問題が出るのを一番に嫌っているだけだ。
「それで、目ぼしい容疑者はいるのか?」
宇島の視線は有馬班長を見ていた。説明は美麻がしていたが、その説明のまとめ役が誰なのか、宇島は気づいている。
有馬は前髪をかき分け、説明を始める。
「いいでしょう。私から説明しましょう。今回の事件のキーマンは、兼続金雄。つまり兼続みつおの父親だと推測する。彼は明石教授の恩師でもあり、アンプルを仲介した中王子医師とも関係が深い。今のところ皆久保との関係は不明だ。ただ彼は何かを知っていると考えている」
「となると、兼続みつお君のお父さんが犯人ってことお!?」
もえみはいつも笑顔で優しそうな少年のようなみつおの可愛らしさを思い出して、驚いた声を上げた。
「まだそこまで断定はできない。少なくとも兼続教授が何らかの事情を知っている可能性がある。たとえば彼の他の教え子が犯人である可能性もある。この事件は必ず筋肉増強剤の研究に関連する何者かが起こしている。神林香美や出流原ゆづるもまだ容疑が晴れたわけではない。明石博士と兼続みつおも含め、4人の誰かがアンプルを流出させたと考えるのなら、まずは兼続金雄を調べるべきだろう」
有馬の考えに宇島課長は頷いた。
「わかった。では、我々本部一課も一緒に明石研をもう一度調べるようにしてみよう」
「では、ここからは各パートに別れて捜査を開始する。一課長、とっかかりのチームは私が指示する形で構いませんか?」
油坂が宇島に確認し、宇島は「構わない」と答えた。
「兼続金雄の調査だが、蓮見君と充に当たってもらう。君たちの方が、あくまで参考人の調査という感じで兼続教授も応じやすいだろう。氷見君は宇郷君が戻るまで佐久間君と組んでもらう。有馬班長の指示に従って動きたまえ」
「あんた!わたしに変なまねしたら承知しないからね!」
「いやあ、姉さんにはもう勘弁」
氷見翔は無類の女好きだが、美麻にはかつて手を出そうとして痛め付けられているで、もう二度と手を出さないことにしている。
「ひなたと由比君は、九州に行ってほしい。出流原ゆづるは一時行方不明だったが、自宅に戻ってきたのを発見されて、その後、明石博士の温情を受けて、地元九州の大学の研究室にいる。無関係だとは思うが、変な動きがないか確認を頼む。皆、いいか」
「はーい」「おう」「オッケー」などそれぞれが声を上げる。
「さて、私たちはどうしようか」
その様子を見ていた羽田蝶がシオンに尋ねる。
「本来なら俺たちが兼続教授の捜査をした方がいいと思うが」
「ポジションチェンジだよ」
油坂係長が二人の間に割り込んで、そう一言言った。
「つまりは、羽田君と恩田が明石研の捜査をしていいってわけだな」
宇島課長もそこに入ってきて、油坂係長に尋ねるように言った。
「そうそう。そんなに彼らの捜査が信用ならないのなら、君たちはうちのメンバーも含めて、この公安大学院大学内を捜査してみるといい。何か出てくれば君たちの手柄だ」
「そういうことか。まあ、いいでしょう。その方が犯人逮捕に近づけそうですし」
シオンは勝手に指示されたことには不服のようだが、捜査内容には納得した様子だ。そして自信満々という笑みを浮かべた。
「では捜査に移れ」
宇島が声を発して、羽田蝶とシオンは敬礼してから捜査に移っていった。
捜査は最終局面を迎えようとしている。
つづく




