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とっかかり ~特殊試行捜査係の事件簿~  作者: こころも りょうち
14/28

14.何が見えてるんですか?

 暑い夏の日だった。俺は女を追っていた。

 その女は中王子医師から例の注射薬を処方されていた。俺は女の住むアパートに忍び込んだ。

 狭い一人暮らしの部屋を(くま)なく調べたが薬は無かった。捨ててなければ持ち出した可能性が高い。

 女は手帳を残していて、その手帳には日々の予定と日記のような内容が、事細かに記されていた。そこからだいたいのところは推測できた。

 仕事への悩み、会社への不満、(うつ)になり、中王子の診療内科へ行ったという流れも見て取れた。会社へはしばらく行っていない。もう二週間近くになる。捜索願いが出されていてもおかしくない。

 手帳には、毎日のように行先と時間が書かれている。誰かに探してほしいと思っているのかもしれない。今日は三浦海岸と書かれていた。誰かに会い、薬を使う可能性もある。細かい内容はわからないが、誰かに恨みがあるようなことも日記には書かれていた。

『あいつを殺したい』

 そんな内容だ。

 俺は薬を持つ女を、手帳の予定に書かれていた三浦海岸まで追うことにした。


 女は三浦海岸にいた。背の高い美人だ。部屋の写真を写メしてきたし、そのスタイルの良さはひと際目立った。誰かに会うつもりなのか、ビーチにキャミソールと短パンの姿で(たたず)んでいる。

 平日ではあるが夏休みに入っていて、周囲には若い中高生の海水浴客が結構いる。特にライフセイバーの目は気になる。

 俺は一度、女の傍まで近づいてその姿を確認した。その後は、少し離れた木の生えた崖下から状況を(うかが)っていた。

 しかし女は誰に会うこともなく、結局ビーチを離れていこうとしていた。

 女はこちらの方へと向かって進んできた。俺は知らないふりをして目を反らし、女が通りすぎるの待ってから、女の後に付いていた。

 女は崖にある急な階段を上がり出すと突如走り出した。どうやら俺に気づいたらしい。

 俺も走って追った。崖を上り切ると、女は民家の脇にある道へと逃げていった。俺はひたすら後を追った。

 女は崖の手前で立ち止まった。どうやら行き止まりだったようだ。

「何なの?あなた?私が憎いの?私を恨んでいる人?」

「待て。何の事だ?」

「何って?いつもわたしを付けているんでしょ?ストーカー?何なの?」

 どうやらストーカーに追われているのか、ただの被害妄想か、わからないが俺をそのストーカーと勘違いしているようだ。女はずっとその人物から逃げていた。いや、そいつに恨みを晴らそうとしていたのだろう。

 俺は女に近づく。

「違う。ただあんたの持っている薬を渡してほしい。そうすれば帰る」

「いやよ!あれは私が使うの。そうよ。今、今使って、あなたを追い払えば、私は自由になれるわ」

 女はハンドバッグから薬を出そうとする。

 やはり持っていたのだ。そのストーカーを殺すために。だが使わすわけにはいかない。

 俺は女に近づいていく。女は崖のギリギリまで後退(あとずさ)りする。

「おい。あきらめろ。いいから渡せ」

「いやよ。来ないで」

 俺は女に手を伸ばし、その腕を掴んだ。しかし女はそれを力強く振り払おうと体を動かす。

 ガラッ!

「危ない!」

 地面の石が崖下に落ちて女の体勢が崩れた。俺は女の手を引いたが、女の重みが手に掛かる。

 腕をしっかりとは掴めていなかった。手から女の腕がするりと抜けていく。すると女はそのまま後ろ向きに崖の下へと落ちていった。

 俺は慌てて崖から降りられそうな道なき道を滑り降り、下の岩場まで着いた。

 女は頭から落ちたようで、頭部から血を流していた。

 ハンドバッグは腕に(から)まっていて、中身も飛び散ってはいなかった。

 海水浴客のいるビーチからは少し離れていて、落ちた場所は飛び出た岬の反対側になっているため、人の姿は見えなかった。

 運がいい。誰も気づいてはいない。だが、女は落ちるときに悲鳴を上げていた。誰か人が来るまで時間は(わず)かだろう。

 俺は女のハンドバッグを奪い、すぐに人のいない方へと逃げた。ハンドバッグは小さかったから、背中に背負っていたリュックの中に閉まった。

 そして登れそうなところを選んで崖の上へと登った。人のいない民家の裏から表へ出る。仲間の車はちょうどいいタイミングでやって来た。

「おい。何があった?」

「女が崖の上から落ちた。面倒な事になりそうだ」

 先に呼んでいた仲間の車に乗り込むと、すぐにそう伝えた。

 仲間は何も答えなかった。少し不安を感じているようだが、俺に文句を付けられるような奴じゃない。それにしっかり物は手に入れた。

 これで三つ。後は決行のタイミングを待つだけだ。


 ↓


 ビーチにいたサーファーの写真には、崖から転落した女とそのすぐ傍を歩く怪しい黒服の男の姿があった。男は長袖のシャツに長ズボンで、サングラスを掛け、リュックを肩に掛けている。靴は革靴だ。

 それだけでは怪しむ理由にはならないかもしれない。だが8月のビーチには不似合いな姿だ。

 その写真を撮ったサーファーの男は8月の平日に、波の具合を写真に写していたら、その男が写り込んでいたという。

 九州出身の大学生で、夏休みは実家に帰っていた。今日は戻ってきて久々にサーフィンをやろうと、お気に入りのこのビーチを訪れていたそうだ。

 神奈川県警の風見爽也(かざみそうや)はしつこくビーチに通い続けていた。そのかいあって、その写真を手に入れられた。

 サーファーの大学生と別れた後、爽也はとっかかりの大地ひなたと落ち合った。

「どう思いますか?」

 爽也は会うなり早々にその写真をひなたに見せた。

「単純に犯人だと決め付けるには時期早々(じきそうそう)だが、調べてみる価値はあるな」

「でもさあ、この写真だけでどうやって調べるのさ?身元を割り当てるにはピント合ってないし、遠いし、難しすぎだろ?」

 一緒に来ていた由比三樹が疑問視する。

「俺は、情報屋に当たってみる。奴らはこれだけでも十分に調べられる。後は有馬さんに送れば画像処理もしてくれるし、多少の情報は得られるだろう」

 ひなたには自信があるようだった。その眼を見て、由比三樹も心配を払拭(ふっしょく)してやる気を取り戻した。

「ラジャーっす。さすがひなたさん」

「じゃあ、この写真の件は任せますよ。俺はまたビーチで情報集め続けます」

 風見爽也はそう言って白い歯を見せるとすぐさまビーチへと戻っていった。


 ひなたと由比三樹は横浜の繁華街にやって来た。店の建ち並ぶ中央の商店街から一本細い脇道に入る。大通りに繋がる小道の途中に情報屋の店はある。普段は占い師をしている女だ。

 カランコロン!

「おや、珍しいお客だこと」

 入口の鈴が鳴って店の中に入ると、インドの踊り子みたいな姿をした年増の女がそう言った。

 由比三樹は暗くて怪しく、しかもまだ9月だというのにひんやりする店内に、少し身震いした。なんかヤバそう。そういう雰囲気を(かも)し出している。

「すまんな。姉やん。実は人を探しているんだ。こいつなんだが」

 ひなたはこの雰囲気に何も恐れず、年増(としま)の女の前に携帯の画面を見せる。

「まあまあ、早速、用件なんて。お願いする前に、まずは占いよ」

「そうだったな。じゃあ」

 ひなたが占い師の前に腰掛ける。

「あなたじゃつまらないわ。あっちの坊やがいいわ」

 由比三樹は恐怖を感じて顔を強張(こわば)らせる。彼は得体の知れないものに弱い。

「なんなんすか?大丈夫っすか?」

「まあ、当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦さ」

 ひなた先輩の前では拒否もできず、ひなたに入れ替わり、年増の女の真向かいにある椅子に座る。化粧が濃く、口紅が紫のおばさんは鋭く(とが)った目で、由比三樹を見つめる。

 オレンジ色のマニキュアをした指が、由比三樹の顔に近づき、頬に触れ、やがて女の掌が彼の顔の全てを包んだ。

「ひええ」

 思わず変な声が由比三樹の口から漏れる。

「ふむふむ。伝わってくるぞ。その記憶。過去に会った人たちの声が」

 由比三樹は暗い闇の中にいるかのようだった。そしてそこにかつての友人や幼い頃の家族の姿が現れては消えていった。

「だいぶ問題のある坊やね。少し自分を見つめ直さんと、結婚もできんし、出世もできんな」

「何を、勝手に」

 バカにされて抵抗しようとする。けどそれを女の人差し指がそれを(さえぎ)る。

「まあ、よく聞きなさい。坊やは恵まれている。才能にも、家族にも、友人にも、女性にも。ただ、そこにある自信が(あだ)となって、成長が留まり、人から信用されなくなる。その日が来たらその時は、すぐに自分を見つめ直し、その無駄な自信を捨てることじゃ。良いな」

「うっ、うるせえ。ごちゃごちゃ()かすな!」

 由比三樹は強く反発する。

 占い師は反発など聞く耳持たず彼にあれやこれやと忠告を続けた。由比三樹はもはや聞きたくはないという目をして、そこに座って黙っていた。

「以上じゃ。それじゃあもらおうか。五万円」

「五万円!ぼったくりじゃねえか」

「ぼったくりとは失礼な。そこに書いてあるだろう」

『一分=五千円』

 薄暗い部屋の柱には、確かにそう書かれた貼り紙がある。

「いいの。いいの。俺が払うから」

 不服そうな由比三樹の間に入って、ひなたが気前よく現金で五万円を払う。

「さあ、姉やん。この男だけど」

 そのまま携帯画面を見せて、占い師に質問する。

 占い師は眉間(みけん)(しわ)を寄せて画像を見て、今一つ見えないとなるとデカい虫メガネでその画像を覗く。

「この女は死んでるね。かわいそうに。まだ若いのにねえ」

「いや、そっちじゃなくて、後ろに写ってる。黒い服の男の方よ」

「うーん、そうだねえ。わかるような、わからんような」

「おい!何でその女が死んでるってわかった?」

 隣から驚いた声を上げて、由比三樹が占い師に尋ねる。けどそれには反応しない。

「どうかな?姉やん?わかんねえか?」

 ひなたが再び尋ねる。

「とても危険な臭いがする。おそらく、犯罪には関わっている男だね。まだ一度も捕まってはいないと思うが」

「やっぱりそうか。捕まってないとなると、警察の犯罪データじゃ出てこないな」

「この女を殺したのか?」

「さあ、どうだろう?それも含めて知りたいところだけどね」

「あたしにもわかんないねえ。この男は、もともと人殺しの目的はないんだろうね。どっちかって言うと、テロ目的って感じだね」

「テロリストって訳か?」

「いや、でもただの盗人(ぬすっと)にも見えなくもねえねえ」

「泥棒か」

「佑真は何て言ってるの?」

「いや、まだ見てもらえてない。画像を送っただけさ」

「佑真?って有馬さん?」

 二人の話に由比三樹が一瞬入り込む。

「ああ、姉やんは、有馬さんの姉だ」

 由比三樹は再び驚く。先輩の姉に少し無礼な態度を取り過ぎたと感じたのか、彼は急に姿勢を正した。

「あたしのわかるところは、そんなところだね。足を洗った盗人か、追っているテロリストのお仲間でも捜してみたら、見つかるんじゃないかね」

「ありがとよ。姉やん」

 その回答に満足した様子で、ひなたはその店を出た。


 店を出るとそこには意外な人物が立っていた。細くスラッとしたスタイルの男だ。その男も黒服を着ているが画像に写る犯人とおぼしき人物ではない。その男は元とっかかりの土黒イゾウだ。

「珍しいところを訪れるな。ここは俺のなじみの店なんだがな」

「イゾウ、お前はもう警察じゃねえ。個人で何をしている?何を隠して、何をしようとしている?」

 ひなたは質問をする。

「土黒さん、あなたの思うようにはさせませんよ」

 後から出てきた由比三樹も続いて、イゾウの突然の攻撃に(そな)えて(かま)える。

「イゾウ、ちょうどいい。おまえに聞きたいことがある」

「ふふ、簡単におまえに教える話なんてねえよ。ひなた。一戦(まじ)えるか?おまえが勝ったら教えてやってもいいがな」

「いや、ここは繁華街だ。まずい。それに、おまえに情報を聞くってことは、おまえも情報を得られるかもしれないってことだ。本来なら、この件についてはおまえにはもう聞かないつもりだったが、ここで会ったのも何かの(えん)だろう」

 イゾウは(あご)に手をあて、少し考えてから答えた。

「いいだろう。その条件飲もう。まずはおまえの情報を出せ」

 少し距離の離れたところにいたイゾウがゆっくりとひなたに近づいてくる。ひなたは無防備に携帯を取り出す。ひなたの後ろでは由比三樹がいつでも戦えるよう構えている。

 二人は仲のいい友達のように寄り()って、ひなたの画像を見合う。

「こいつについて、知らないか?」

「なるほど、こいつか。例のアンプルを奪った男ってことだな」

「それは違うかもしれないが、おまえ、こいつを知っているか?」

「さあ、どうだかな?なぜ、この男を追っている?」

「近くにいるこの女を殺した犯人だと(にら)んでいる」

「ただの人殺しで、とっかかりがわざわざ神奈川まで乗り込んでくるはずもあるまい。合同捜査をするにしたってもっと大掛かりな事件が起きているはずだ」

 イゾウはひなたが何を調べているのか探りを入れるが、ひなたはそれには答えない。

「知らないならいい。別の口を当たる」

「その方がいい」

 ひなたはイゾウのしゅっとした顔を見た。イゾウは眼をそらし、ひなたから離れ、手を振って遠ざかっていく。

「役には立たなかったな。今日は失礼するが、今度会うときはお前をぶちのめしてやるよ」

「姉やんに用があったんじゃねえのか?」

「いや、今日はやめておくわ。金もあまりないからな」

 そしてイゾウは細い路地から商店街の通りへと消えていった。

「いいんですか?ひなたさん。情報をもらしただけで、何も手に入らなかったじゃないですか」

 由比三樹が急かすように言うが、ひなたは余裕の笑みを浮かべていた。

「いや。あいつはこの男を知っている。おそらく、何かに気づいた。だから姉やんに会わずに帰っていったんだ」

「じゃあ追わなくちゃ」

「いや、今はまだいい。あいつはまだ答えには至っていない。でもこの写真の男を探し出すだろう。あいつの経路はもう読めている」

 ひなたには自信があるようだった。

 由比三樹はこの事件の解決に一本近づいた予感がした。しかし彼にはまだ何がなんだかまるでわかっていない。


 つづく

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