12.ちょっと覗いてみた
西東京のとある街にある駅前ロータリーは、夕暮れ前で帰宅する人々に溢れていた。
長袖長ズボンにフードを被った若い男は西日の影に姿を隠して、しばらく佇んでいた。酷く汗をかいていた。その格好ならばそうだろう。9月に入ったとはいえ、まだ日差しのある時間は蒸し暑い。
男は徐々に人が増えてくる駅の出口をじっと見ていた。誰かが来るのを待っているのだろうか。しかしその目線はある対象に向けられているのではなく、人を物色しているように見える。
そして次の瞬間、男はてくてくと駅の出口に向かって歩み出した。両手をパーカーの両脇にあるポケットに突っ込んで、異様な早足で歩んでいく。
その先にはスマホをいじって歩くミニスカートの女性がいた。男はその女に駆け寄り、体ごとぶつかった。女はその弾みで後ろに転び、スマホが飛んだ。
「何すんのよ!いたっ」
怒っていた女だがそれから自分の腹部を見て、悲鳴を上げた。
いやああーー!
大きな声が辺りに響き渡った。女は腹の腹からは血が滴り落ちていた。
フードを被った男はナイフを持っていた。
瞬時に女の方へとスーツ姿のサラリーマンが駆け寄っていった。
だがパーカー姿の男は横からサラリーマンにぶつかっていく。
ドサッ!!
するとそのサラリーマンも倒れてしまった。辺りはたくさんの人がいて、その光景に気づいて騒然とし出した。
周囲はざわつき始め、今度はナイフを持つ男から距離を取り、逃げる人が続出した。
「ナイフ持ってるぞ!」
「逃げろ!」
「こっちに近づくな!」
「警察、警察!」等との叫び声が辺りに響き渡った。
そんな中、腕に覚えのある大男がナイフを持つ男に向かっていった。大男はナイフの男の前に対峙すると、すぐに後ろへ回り込み、男を羽交い締めにした。しかし大男はすぐに苦しみ出し、地面に倒れ込んだ。ナイフで首を刺されたのだ。
ナイフの男はナイフの扱いに慣れているかのように、大男さえも殺害して見せた。
周囲にはまだ数人の人々が残っていたが誰もがナイフの男を止められそうにないと感じ取り、あわてて逃げ出した。
そこへ交番から警察官が駆け付けてきた。凛々しい顔の警官は銃を抜いて構えた。ナイフの男は警官に躊躇せず向かってきた。警官は発砲したがその威嚇射撃は無意味だった。警官は頭をナイフで刺され倒れた。そしてナイフの男は倒れた警官の拳銃を奪った。
傍にはもう一人の女警官がいた。そしてすぐさま殺人犯に発砲した。それは当たったように見えたが致命傷ではないようだった。殺人犯は銃を構えると拳銃を警官の胸に打ち返し、女警官はその場に倒れ込んだ。
パトカーのサイレンが鳴り響き、数台のパトカーが駅前を覆った。駅前のロータリーにはもう、人っ子一人残っていなかった。
男は遠くに何発かの銃弾を発砲した。しかしパトカーの後ろに隠れた警官には当たらなかった。
それから唐突に拳銃を自分の額に当て、自分の頭を撃ち抜いた。
辺りは騒然としていた。警官が倒れた犯人に駆け寄っていった。他の警官は数人の被害者に駆け寄っていった。
すでに全員息を引き取っていた。
↓
無惨な事件の知らせが、とっかかりの事務所にもまもなく届いた。その男の顔写真は有馬が書いた似顔絵の男に瓜二つだった。
「何やってんだ!今までの事件の比じゃないぞ!何の罪もない人間が5人も殺されたんだ!」
捜査一課から飛び込んできたシオンはいつものクールさもなく激情的に怒っていた。
「いや、でもよ、有馬さんの夢じゃ、渋谷で起こるって言ってたし、まさかそっちの方で起こるなんて考えてなかったし」
氷見翔がシオンの怒りに対し抵抗した。
「言い訳すんな!だいたい有馬さんの夢の捜査っていうのに頼りすぎだろ」
ガシャン!
シオンの言葉に端っこの机で聞いていた有馬が机を叩いて起き上がった。いつも物静かなおじさんが怖い顔で若造のシオンを睨んでいる。
「な、なんすか!なんか」
シオンはたじろぐ。周囲にも緊迫感が増す。
「すまなかった」
有馬はそのまま机の上に深々と頭を下げて謝った。
「違いますよお。有馬さんのせいじゃないですよお」
ぎすぎすした空気を和らげようと、もえみはキャピキャピした動きで立ち上がり、有馬に駆け寄り、その背中を擦るように叩いた。
「渋谷で起こると夢の中で男から聞き出したのは俺だ。あれはまずかった。もっと別の情報を聞き出していれば、犯行前に捕まえられたはずだ」
有馬は頭を下げたまましきりに反省の態度を取る。
ガアァ!!
そんなところへ、とっかかり事務所のドアが開いて、羽田蝶が入ってきた。相変わらずスラッとしたルックスで、パンツスーツがお似合いだ。シトラスの香りを漂わせ、さらりとした髪を翻してシオンの隣へとやって来た。
「シオン君、もう終わった?行くわよ」
重苦しい雰囲気なのはわかっていたはずだが、羽田蝶はあえてその場の雰囲気を破壊するような空気を読まない態度を取った。
「もう、有馬さんも頭上げてください。シオン君も彼に何言ったの?」
羽田蝶は有馬をフォローしてから、シオンの方を向き直す。
「いや、俺はただ…」
言い訳しようとしてきたシオンに羽田蝶は冷たい視線を送り、そしてボソッと呟く。
「あんた、飛ばすからね」
シオンの額から汗が流れ落ちる。彼女は警察署内上層部に口が聞く。だからそれを恐れて、優秀な一課の面々も彼女の言うことには逆らえない。
「有馬さん、いいですよ。今回はあなたのせいじゃないですよ」
羽田蝶が有馬を庇う行動を取ったのは謎だが、シオンのその一言で、その場の雰囲気は一変して和やかになった。
「今回の件は、すでに犯人死亡で解決済み。誰にもそれを止められなかった。引き続き、千葉の実習生に送られたアンプルの犯人を探すこと」
羽田蝶が強い口調でそう言い渡すと、周囲の面々も気持ちが引き締まり、各自は一斉に動き出した。自分の部署を奪われてしまったようで立場のない油坂係長は周りの様子をあたふたと見回しているだけだった。
有馬はまた席に座り込み、いつものようにパソコン仕事を始めた。
「それで、あの件ですけど、その後どうなりました?」
そう尋ねたのは有馬の側に駆け寄っていたもえみだった。
有馬のパソコンに美麻と充も近寄る。
「ああ、集めておいたよ」
有馬はそう言って、パソコンのエンターキーを押す。パソコンのモニターには明石研の研究室が映し出された。
もえみはお茶屋を訪れた女が神林ではないかと怪しみ、研究室を盗撮できないか提案していた。そしてうまく仕掛け、その様子を一週間観察してきた。今日はその撮影した動画の怪しい部分だけを抜き取り、解析する予定の日だった。
状況は無差別殺人で一変してしまったが、またいつもの様子に戻って、仕事の続きに入った。
研究室に仕掛けた盗撮カメラの映像は、仕掛けた日から早回しして流れていく。怪しい動きのある場合は自動でストップするAI機能が付いている。
仕掛けた土曜日、翌日曜日は休みで誰も訪れずに過ぎていった。最初に止まったのは3日目の夜だ。
映像は研究室全体が広角で撮影されていた。明石博士が中央にある実験台の回りをくるくると歩き回っている。何かを探しているようだ。
残念ながら音は聞こえない。このカメラにはマイク機能が付いていない。
頭をかいて、台の下を見たり、机の横を見たり、あちこち見回している。
「何を探しているんでしょうね?」
充が不思議がって尋ねるが、誰もその質問に答えられない。
やがて明石はあきらめたのか、実験台の椅子に腰を下ろし、頭を抱え、そのまま動かなくなった。
そして再び早回しが始まった。
翌朝には明石はいなくなっていた。助手の神林香美と出流原ゆづる、兼続みつおが時間をおいて順番に入ってくる。その瞬間だけカメラは通常速度になるが、何事もないとすぐに早送りされ、3人が目まぐるしく動いている姿だけが流れていく。
「あれ?明石先生どうしちゃったんだろう?」
もえみの疑問に、美麻が調べてから答える。
「明石博士はこの日から2日間出張の予定ね」
納得して再びカメラの映像に目を移す。3人しか映らない映像は早回しで展開されていく。
そして再び通常スピードに戻る。
隅っこの席座にはひょろっとした白衣姿の男性が座っている。その姿出流原ゆづるだ。その手前にパーマを掛けた白衣の女性美が立っている。神林香美だ。
香美は書類らしきものを持っていて、それをゆづるが座る机の上に置いた。みつおはこの部屋にはいないようだ。
それから何やら剣幕な様子で、香美がゆづるを責めているようにも見える。やはり何を言っているかまではわからない。盗撮カメラは高画質で高性能だが、音が録音されない欠点がある。
やがて香美はゆづるの椅子を激しく揺すり出した。ゆづるが立ち上がり、香美の鎖骨の辺りを強く押した。香美は後ろに二歩三歩下がるが、すぐに体勢を立て直し、ゆづるを押し返して仁王立ちになる。
二人はもみ合いになる。しかしすぐにゆづるは香美の腕をはね除け、研究室を出ていった。
「何やらもめているようね」美麻が不審そうに言い、「研究内容の相違とか、そういうことって研究室とかにあるのかなあ?」と、もえみが付け加える。
それからは再び早回しとなり、今度は4日目の夜に止まった。
暗闇の中に現れたのは、ゆづるだった。彼はパソコン画面に照されて作業をしている。時間は夜中の2時過ぎだ。こんな時間に何をしているのかはわからない。映像からパソコンの画面までは見えない。
また早回しされ、5日目の夜になって、明石が帰って来た。
今度は香美と明石しかいない時間になって通常スピードになった。香美が先生に何やら訴えかけている様子だ。明石は見向きもせず、実験台の上で試験管をいじり、何やら作業をしている様子だった。
そこから早回しされ、その日の夜中に、今度は香美が再び一人で現れた。
彼女はずっと暗い部屋の中で一人いる。そのまま朝までいた。
朝になってやってきたみつおに挨拶をして、やがて何事もなかったように、香美は出ていった。
後は、人の出入りで早回しは止まったが、特に気になる出来事はなく、6日目は過ぎ、映像は終わった。
本日は盗撮を始めてから7日目だ。
「さて、どうしましょうか?」
充が誰にともなく尋ねる。
「結局ぅ、何もわかんないから、何もしようがないかもしれませんねえ」
もえみは何も考えていないように答える。
「何もないことないでしょ!何かトラブルがあったのよ!それを探ってきなさい!」
美麻がシャキッとする強い一言を、もえみに浴びせた。
「あわわ」ともえみは驚いてから、「でも、誰に何を聞いたらいいんですかねえ?盗撮してたって言うのはまずいですもんねえ」
「大丈夫よ。まずは勘の鈍い明石先生がいいわ。神林香美の様子がおかしかったけど、最近何かもめてなかったかって聞いてみなさい」
「なあるほど。了解しました」
もえみは美麻に敬礼し、即行動へと移っていった。
運のいいことに、昼休みで、明石博士は一人、食堂でラーメンを食べていた。
明石の革靴には、いつからかずっと探知機が付いていて、彼はいまだに同じ革靴を履き続けている。だから明石の居場所を発見するのは簡単だ。
もえみと充は偶然を装い、明石に接触する。
「明石先生、今お昼ですか。一緒にいいですか?」
「やあ、こんなところで珍しいですね。どうぞ」
明石の快い応対に、二人は対面の席に座る。
「ラーメンですかあ。わたしはカレーですよ。ここは比較的辛くないから私、好みなんです」
そんな他愛ない話から入る。明石博士は特に返答することなく、ラーメンを食べ続けた。
「あの、神林さんともめてるって聞きました」
何の前触れもないど直球の質問を投げたのは、充だ。彼には会話の流れとか、空気を読むとか、そういう気の利いたまねはできない。それはまずいだろ、と肝を冷やしたもえみだが、明石は特に怪しんでいない様子だ。
「いやあ、彼女からゆづる君のことで責められてね、困っちゃったよ」
「どうされたんですか?」
もえみはすかさず話を促す。
「ゆづる君が僕の資料を隠して、僕の学会での発表を失敗させたって言うんだよ」
「どういう事ですか?」
「僕も何だかよくわからないんだけど、神林さんは、ゆづる君が僕をおとしめようとしてるって言うんだ。彼がそんなするはずはないと僕は言ったんだけど、彼女は全然信じてくれなくて」
もえみは盗撮の映像を思い出す。出張前に明石博士は机の回りで慌ててた。そして出張の日となって明石博士がいなくなった。それから数日後に香美がゆづるに問い詰めていた。あれはそういう事だったのかと、もえみは理解する。そして尋ねる。
「どんな風におとしめようとしたんですかあ?」
「ああ、今週出張だったんだけど、資料を失くしちゃって、学会はほとんど口頭で説明するだけになっちゃってね」
出張の前日、夜中に明石は学会の資料を探していたようだ。
「それは大変でしたねえ。それを出流原ゆづるさんが隠したんですか?」
「いやいや、僕の勘違いか何かだよ。出張から帰ってきたら資料はちゃんとパソコンの中に入ってたからね。プリントアウトした資料もあったと思ったけど、すっかりどこかへ行っちゃってて」
「それ、大丈夫なんですかあ!?大切な資料ですよね?」
もえみは明石に言い迫る。明石を見ているとなぜか責めたい気持ちにさせられる。自分は真逆のタイプのはずなのに、明石の前ではそうはいかない。
「ごめんなさい。でも、その資料は動物たちが飼育されている部屋で、神林君が見つけてくれたから大丈夫だったですよ。失くしてはないんです。だから許してください」
明石は自分の責任を深く詫び、解決済みであることを、何とか伝えようと必死な表情をした。
「わかりました。それはいいんです。わたしたちは例の事件の捜査をしてるだけなんで、関係なければそれでいいです」
もえみは明石に対して自分の上司でも何でもないからそんなに詫びなくてもいいという気持ちになって、明石の頭を上げさせた。
「すみません」
明石はもう一回謝ってから、再びラーメンを食べ始めた。そこからは一気に食べきり、少し落胆した様子で、二人の前を去っていった。
資料をゆづるが隠した件は、アンプル事件とは何ら関係なさそうだが、盗み出したという共通点からゆづるがアンプルも持ち出した可能性も考えられる。ひょっとしたら研究資料とアンプル、その二つには何らかの関係性があるのかもしれない。
もえみはゆづるがアンプル流出事件の真相をしっているのではないかとターゲットを変えてみることにした。
「ところで、今回の調査って、神林香美を怪しんでの盗撮でしたよね」
充が忘れていた今回の調査の根本をぶり返す。そもそもが外国人実習生に送ったアンプルの差出人が女性だったというところから研究室の盗撮は始まっているが、それを神林香美と決めつけるにはあまりに安易な考えだ。
「あれは無しね。そんなのそもそも簡単すぎじゃあないですかあ。自分が犯人だと見つからないように、別の人物に頼むのが普通じゃないですか?女性が犯人なんて決めつけるのは安易です!」
もえみは自分で考えた案をあっさり否定して見せた。
「よし、じゃあ、次いってみよう」
能天気な充はそんなもえみの態度を悪く捉えず、すぐに受け入れて、切り替えてくれるのであった。
つづく




