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とっかかり ~特殊試行捜査係の事件簿~  作者: こころも りょうち
11/28

11.コンビプレイ

 青年は平坦な道を目的地へと足早に向かっていた。全体的に体が華奢(きゃしゃ)で栄養が足りてなさそうな青年だ。

 歩いているのはまっすぐ延びている通りで、時折(ときおり)車が往来するくらいの静かな道だ。

 彼がずんぐりむっくりした男から注射薬を得てからは、もうだいぶ時間が経っていた。その間、彼は何度もその注射薬をゴミ箱に捨てて、使うことは止めようとした。でも悪夢にうなされる度に、ゴミ箱からまた取り出して、恨みを晴らす準備を始めた。

 最終的には、恨みが(まさ)った。今日がその決行日だ。

 彼が恨みを持つのは学校の教師だ。その教師は小学生だった彼に、酷いいたずらをしてきた。放課後の誰もいない教室に彼は残され、裸にされて、気持ち悪い仕打ちを受けてきた。彼にはその女教師が何をしているのかわからなかった。ただ、酷く恥ずかしくて、ずっと誰にも打ち明けられないまま、大人になっていった。

 母親よりも年上の教師だった。大人になって、彼がやられていたことに気づいたとき、それがいかなる犯罪行為なのかに気づいた。それでもそれは子供の頃の思い違いか何かだと忘れてしまえば良かった。

 それでもそれは出来なかった。なぜなら彼は異常なほどの女性恐怖症になってしまっていたからだ。

 彼は生まれながらのゲイではないが、男としか付き合えなくなっていた。生まれながらの端正(たんせい)な容姿は女からももてたが、男からももてた。

 高校時代に知り合った年上の男子大学生に、自分が女を好きになれないと告白すると、その男と体な関係を持つようになった。それも彼の望みではなかった。

 している中で嫌な気持ちもたくさんあった。それでも女に恐れのような感情をその男の大学生には受けることなく、受け入れることはできた。

 その男子大学生とも長くは続かなかった。やがて自分も大学生になり、何人かの男と付き合った。

 でも彼は、本当は女性が好きであることに気づいていた。行為をしているとき、頭の中ではいつも女のことを想像していた。好きな女性もいた。本能は女と付き合って、したかった。

 あの思い出が思い返される。女は気持ち悪い。本能とは別に根付(ねづ)いてしまった女への恐怖心を、彼は消すことはできなかった。

 恨みが増していった。あの頃の嫌な思い出さえなければ、彼は今、本当に好きな女性と付き合い、普通の学生として暮らしていただろう。この(ゆが)んだ人生を作った女を許せなかった。恨みは膨らんでいった。

 独身の女教師は、今も以前と変わらない場所に住んでいた。教師は止めて、塾の講師をしていると小学校時代の別の先生に教えてもらった。

 塾は5階建てのマンションに2階にあった。外付けの階段を上り、ドアノブを回すとドアは鍵も掛かってなくすんなりと開いた。

 まだ3時頃で塾は始まっていない。

 靴を脱いでスリッパを履き、部屋の中に入る。三部屋ほどの誰もいない教室があり、その奥に講師の控え室があった。


 ガラッ

 部屋のドアを開けると、ちょうどそこにはその青年が恨んでいた女講師しかいなかった。彼女はさらにおばさんになっていた。しかしそれ以上に、この女はこんなに小さく、弱々しい姿をしていたのかと青年は驚いた。自分の記憶では、大きくて逆らえないような存在だったからだ。

「どなた?」と女講師は尋ねた。

 覚えていないのか、知らないふりをしているのか、彼にはわからなかったが、その女が小学校時代の担任であることはわかっていた。今さらこのおばさんをどうしようと、何が変わるわけでもない。そんな躊躇(ためら)いもあった。

「僕のこと、忘れてしまったんですか。先生」

 青年は尋ねた。

「あなたは」気づいたようだった。そして続けて言った。「大きくなったのね。とても素敵になって」

 そして近づいてきた。身体の側まで来て、彼は少し身震いをした。

「まあ、でもね。わたし、大きくなったら興味はないのよ。なんのつもり?わたしのが忘れられなかったの?」

 彼の身震いは怒りに変わった。

「あんた、今でも、子供を」

 青年は女講師の首に手を掛けようとした。

「何するの?」

 ガシャーーン

 殺してやろうと思った瞬間、窓ガラスが割れた。なんだと思って、外を見た。大きな石が投げ込まれて落ちていた。女講師もビックリして言葉を失っていた。


 ↓


 特殊筋肉増強ギブスを()めた氷見翔は窓より這い上がって来て、塾講師の控え室に入っていった。特殊筋肉増強ギブスは、両腕から背中を通して両腿(りょうもも)に嵌め込む伸縮性のある素材で出来ていて、筋肉の補助効果があり、重いものを持ち上げたり、投げたり、高く跳び跳ねたりできる優れものだ。

 青年が塾講師に手をかけようとして首に手を伸ばしていた。しかしその手は首を絞めるまで行かずに手を止めていた。

「そこまでだ。やめておけ。その女を殺しても君の人生は好転しない。君の人生が好転するかしないかは君次第だ」

 氷見翔はかっこつけた言葉をかける。首に掛けようとしていた手の力を緩め、塾講師は慌てて青年から離れて、氷見翔の方を振り向き逃げ寄っていった。

「助けてください」

「なんだ!ばばあかよ」と吐き捨てた。

 どうやら氷見翔は女のためにかっこつけた態度で(せま)ったようだ。しかも慌てて来たものだから情報を知らず、その女講師は若い女だと勘違いしていたようだ。

「もういいや、好きにしな」

 氷見翔は年増(としま)の女だと分かると冷たくなり、青年に人質を引き渡すかのように女講師から離れていった。

 掌返(てのひらがえ)しのヒーローに女講師はキレる。

「何なのよ。助けに来たんじゃないの?」

「やめやめ。想定と違った」

 殺害を決行しようとしていた青年は訳のわからない状況にポカンしていた。でもふと我に返り、自分の目的を果たそうと女講師に向かっていく。

 ガラガラ、ドッカン!

 机を()ぎ払い、女講師に向かう。青年は筋肉増強剤の注射を打っていたから力が(みなぎ)り、机を軽々と吹っ飛ばしていく。

 氷見翔は何もせずその様子を見ている。

 講師は驚愕(きょうがく)し、足をガタガタ震わせて動けなくなった。再び青年が講師の前に立つと、首に手をかけようとした。


 ガラガラッ!

 今度は控え室の扉が開き、巨体の男が飛び込んできた。すごい勢いで飛び込んできて、青年の手を(つか)んだ。

 だが、青年はすごい力でその手を振り払う。巨体の男は飛ばされ、壁にぶつかった。

 それでも巨体の男はすぐに立ち上がった。

 体には全身(よろい)のような防備を着けて、ダメージはたいして無かったようだ。

増高(ますたか)、来たのか?」と氷見翔が言う。

 大男(おおおとこ)はとっかかりの氷見のバディである宇郷増高(うごうますたか)である。

「何してんだ、翔。入口で話聞いてりゃあ。とっとと助けろ」

「後は増高に任せた」

 不満ながらも増高は青年に向かう。青年はこんな大男をふっ飛ばした自分の力にビックリしていた。それと同時に自信が漲ってきた。

 今度こそやってやる。そういった目をしていた。

 増高は女講師に手を掛けようとする青年の腕を掴み、首を絞めようとするのを静止させる。

「あんたたち、何者なの?なんで僕の邪魔するのさ?」

「俺たちは警察だ。理由はどうあれ、殺人を見過ごすわけにはいかない。おまえが得た薬の力はわかってる。その捜査で君を追ってやってきた」

「ずっとつけてたの?」

「いや、なんとか見つけ出して、追い付いたってところだ。間一髪」

「遅かったかもよ」

 再び青年は増高の手を振りほどく。今度は投げ飛ばされないよう、いったん力を(ゆる)めて、青年の手を振りほどかせた。

 青年は女の首に手をかけようとする。筋肉増強剤を使った筋力では一発で首の骨が折れるだろう。

「やめろ!」

 今度は肩から力いっぱい青年に体当たりした。

「うっ」

 青年は一瞬ひるんだが、青年は吹き飛ぶこともなく増高の体を受け止め、堪えていた。青年は比較的、薬をうまく使えているようだ。薬は使い方によって自分の身体を痛めるが、彼は自分の力をバランスよく制御できているみたいだ。

「すごい!こんな大男がぶつかってきたのに、大丈夫だ!」

 青年は自分の力に感心している。

 増高は拳を放つ。青年の二の腕に当たり、青年は受け止めていた体を離し、二歩三歩後ろに退いた。

「甘くみるな。俺の力はこんなもんじゃねえ」

 増高は笑みを浮かべて青年に対峙(たいじ)する。

 次の瞬間、弾丸が青年の頭を(とら)えていた。そして青年はあっという間に床へ()()()()と倒れ込んだ。麻酔銃だ。氷見翔が増高に気を取られている間に放ったのだ。

「やっぱ、こっちの方が、安全だな」と氷見翔は言った。

 増高は獲物を横取りされたことに不満そうだった。

「馬鹿力が犯人殺しちゃまずいからな」

 付け加えられた氷見翔の言葉に増高は怒る。

「おい、俺はそんな野蛮(やばん)な真似はしない。元はと言えばおまえが」

 ヒートアップ仕掛けたが、そこで自制を()かせ、犯人である青年を特殊で強固な手錠を手足に掛け拘束(こうそく)した。

「さて、連れて帰るか」

 女講師は呆然としていた。座り込んで失禁した。

「このおばさんどうする?」

「一緒に連れててって事情聴取だ」

 年増に興味のない氷見翔だが、しかたなく女講師も一緒に連れていくことにした。


 ↓


 チームとっかかりはついにアンプルによる犯行を未然に防いだ。これはわずかな成功にしか過ぎないが、ここまで続いていた重苦しいムードを打破するには十分な成果だった。

「やりましたねえ」

 もえみは喜んで、宇郷増高に駆け寄った。

「やったよ、もえみちゃん、キスして」と駆け寄ってきた氷見翔を軽く交わし、増高とハイタッチをした。

「なんだかんだ、これは有馬さんのお力ですよ」

 増高が有馬をチラ見して言う。いつもは無表情の有馬も今日ばかりは少しニヤリとしてその誉め言葉に応じていた。

 とっかかりの事務所は笑顔に溢れていた。

 ガアァ!

 そんな時、自動ドアが開き、そこから恩田シオンが姿を表した。スラッとした体型のその男は、ストライプのおしゃれなスーツを着こなしていた。しかしその表情は複雑そうで、悩ましくも見える。

 いつものように、奥の席に座る油坂係長の前へ直行して話し出す。

「あんたたちの件は聞いている。ご苦労様。こちらも進展があるから報告に来た」

 油坂は腕を組み身構えている。大きな仕事を果たした係の長として、久々に偉そうな態度が取れて、少し薄ら笑いを浮かべているようにも見える。ただじっとシオンの報告を待っている。

 シオンは油坂から向きを変え、署員全員に聞こえるように話し出した。

「千葉の外国人実習生の口を割らせた。アンプルは、殺害された農業法人の男が管理していた畑の持ち主の下に届いていた。その畑は外国人実習生が労働していた畑とは別の畑だ。残念ながらこの畑の所有者は何も知らないようだった。ただ殺害された男が酷い奴だと知っていたから、(あわ)れな実習生にはいろいろ手を貸してやっていたようだ。直接受け取ると後で捨てられてしまうようなものを一時的に受け取ったり、預かったりしていたそうだ。善意と言っていいだろう」

「つまりは、何もわからなかったってことじゃねえか」

 氷見翔は捜査に進展がないと感じ、捜査一課本部をバカにしたように言う。

「話には続きがある。その畑の持ち主はしっかりと宛先の書かれていた受取書(うけとりしょ)を残していた。我々はアンプルの送り先を特定してその場に向かった。

「やったじゃないですかあ」

 もえみは笑顔を弾かせ、カッコいいシオンの味方をする。氷見翔はそれに舌打ちをする。

「だが、発送元は出鱈目(でたらめ)だった。書かれていた住所はなかった」

「なんだ、結局ダメじゃん」と氷見翔。

「それでも、その付近の配送センターを調べ、それからさらに、発送された場所を特定した。発送された場所は世田谷区の商店街にあるお茶屋だ。それから羽田さんがそこへ向かい、お茶屋の婆さんから、発送された人物を聞き出した」

「ついに、犯人が見つかったんですね。すごーい」

 もえみはシオンに駆け寄り、大きな胸を強調させながら手を組み、輝く目で真下からイケメンの顔を見上げた。シオンは二歩後ずさりしてから話を続ける。

「まあ、待て。残念ながら、まだ犯人は特定できていない。お茶屋の婆さんは、いつも年配しか立ち寄らないその茶屋に、珍しく若い女がやって来たから覚えていると言ってたまでだ」

「若い女?」ともえみ。

「そうだ。女は身長150から160センチ。痩せ目で、年齢な20代か30代前半と見られる。髪はそれほど長くなく、その日はランニングをしていたかのようなピチッとした服で現れたそうだ。我々の調査はここまでだ」

「なんだよ。それだけかよ。本庁さんも大したことないね」

 氷見翔がそう言って笑う。シオンは反論したいが、とっかかりの活躍に比べれば弱く、あまりみっともない言い訳もしたくはないので言い返せない。

「まあまあ」そんな中で油坂が口を開く。「つまりは、その特徴のある女を、容疑者から割り出せと恩田君は言いたいわけだね?」

「そういうことです」

「その、防犯カメラとか、何か写真とか、似顔絵とか、無いのかな?」

「店にはカメラはなく、商店街のカメラを当たっているが、人が多く、今のところ、お茶屋の婆さんのいう情報にマッチする女はいない」

「じゃあ、また有馬さんにお願いしましょうよ。そのお茶屋のお婆ちゃん呼んで」

 もえみが提案する。

「それは多分無理よ」美麻が答える。「あれはその対象者が結構な意識をしていないとハッキリ見えないの。栗林広男の場合は、渡す相手を探して強く意識していたから、ハッキリと相手の顔が浮かべられたの。お茶屋の老婆は恐らくそこまで意識していない。特徴も実際は違うくらい、あやふやな記憶だと思う」

「そうなんですか?」ともえみは有馬を見て尋ねる。

「そうだな」

 有馬班長はパソコンデスクに隠れたまま、言葉少なく同意する。

「お茶屋の婆さんの話は、確かにハッキリはしていない。だがさすがに若い女をおっさんとは見間違えないだろう。およその情報だが参考になるはずだ」

 シオンは声を張り上げ言い放った。

「若い女か」

 もえみには一人の容疑者が浮かんでいた。その女がなぜそんな事をしたのか、その真相はわかっていないが、若い女でアンプルを持ち出せる人物は彼女しかいない。

「とにかく、そういうことだからよろしく頼む。千葉の事件はこれ以上、情報を得られそうにないから、俺もこれから中王子の患者から盗まれたアンプルがどこへ行ったか探すことにする。以上だ」

 そう言い残して、恩田シオンはそそくさと、とっかかりの事務所を退散していった。

 もえみには思い当たる(ふし)がある。その線を追ってみようと熱意を燃やすのであった。


 つづく

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