1.とっかかりって何?
私は人を殺したいと思った。
私は憎しみという感情を持たない人間だと思っていた。
それは嘘だ。
私は殺す。
今、これから人を殺す。
娘の命が奪われたことに理由などない。
ただの身勝手な運転が横断歩道を渡る娘を跳ねた。
運転中の携帯電話の操作による前方不注意。
その男は煙草を吹かしながら、携帯ゲームをして、押しボタン式の信号機が赤に変わったのに気づかず娘を跳ねたのだ。
速度超過。
歩行者用の信号機しか見ていなかった娘は青に変わった瞬時に走り渡ろうとし、跳ね飛ばされた。
ブロック塀の角に頭を打ち、即死した。
飛び出してきたのは子供の方だ、と男は言っていた。
娘の味方は横断歩道の反対斜線にいた友達の舞ちゃんだけ。小学2年生の言い分は弱い。このままでは男の無実が確定してしまう。
無実かどうか。
それは問題ではない。
あんな愚かな男に娘の命は奪われた。それが憎いだけ。
わたしは包丁をかざした。
男はいつもながら無警戒。
その無警戒さが娘の命を奪った。
今度は自分の命が奪われる番だ。
ズサッ!!
その包丁は男のわき腹に確かに刺さった。
女の力で男を殺すのは難しいと、インターネットでは書いてあった。
そのサイトから力を増強する注射薬を買った。
その効果は定かではないけど、包丁は男によく突き刺さった。
男の顔は青ざめて、こっちを見ていた。
包丁を引き抜き、さらに一刺し。
ズサッ!!
「おまえ、何やってんだ?」
男の震える弱い声が聞こえた。
でもそれが男のせいぜいだった。
その場に男は倒れ込んだ。
人のいない住宅街の路地だった。
逃げるつもりはない。仇は果たせた。
私は携帯電話を取り出し、警察に電話した。
「今、人を殺しました。どうしようもなく、みにくい人間でした」
↓
もえみはまだシワひとつもないピチピチのパンツスーツを穿いて、そのたわわなボディをスーツに隠し、赤い顔をしていた。
『こんな所にあるのかな?』
最先端のビルディングの入口で、もえみは足を止めた。
「あの、すみません。こちらのビルに特殊試行捜査係という部署があると聞いてやって来たのですが」
警備服に身を纏った固い実直な警備員は、もえみの出した警察手帳を目にして敬礼する。それに対してもえみもフニャッとした敬礼を返した。
「特殊試行捜査係?ああ、とっかかりですね。でしたら正面玄関口から3階へエレベーターで上がり、職員口を通過して、通路を歩いて進み階段で2階に降り、さらに奥に歩いて抜けた、その端にあります」
「は、はあ」
警備員は一通り説明すると、ビシッと両足を開き、腕を後ろに組んだ。そして辺りに怪しい人物がいないか、鋭い眼で威圧感のある視線で周囲を見渡した。
『こわ~い』
もえみはもう一回聞き返したかった。だけどとても話しかけられる顔には見えない。
あきらめてビルの内部に足を踏み入れた。
正面ロビーは広く清潔で広々としたモダンな建物だ。通勤通学時間だけあって、たくさんの人がビル内のあちこちへと足を進めている。戸惑い立ち止まっているのはもえみだけだ。
「どうかしたの?」
ふと後ろから声が聞こえる。
『イケメン天使?』
もえみは振り返る。
残念ながらそこにいたのは掃除員のおじちゃんだった。よれよれの清掃服にブカブカの帽子、顔は無表情でその心は読み取りにくいけど下心は無さそうだ。いったん落胆しかけた気持ちを引き締める。
「あの、特殊試行捜査係という部署を探しているんですけど」
「ああ、とっかかりね」
おじちゃんは腰を曲げた格好で歩き出す。
「ついておいで」
どうやら案内してくれるらしい。
「あ、はい」
もえみはお得意の男殺しの笑みを浮かべておじちゃんの跡を追った。
正面口のモダンな造りとはうってかわって、ビルの中は迷路のように複雑な造りをしていた。そこへ行き着くまでも、もえみは2回のカードによるIC承認を得なくてはならなかった。
「ところで、とっかかりってなんですか?」
「ああ、特殊の『と』と係、それからとっかかりは解決の糸口って意味もあるでしょ?そんなようなところだっていうから、皆長い名前の特殊試行捜査係を通称でとっかかりって呼んでんのよ」
「ああ、そうなんですか。わたしもそう呼ぼうっと。あ、わたしはそこに配属になった新米刑事なんですけどね」
「はあ、それはどうも」
とっかかりの部署に着くまで、もえみは自分が新米警官である話をおじちゃんにしながら歩いていった。
「ああ、ここ、ここ」
その部署の入口には、『特殊試行捜査係』と書かれたネームプレートが貼られていた。
「ひえ~」
もえみは変な声を漏らす。ここに来るまでの複雑な経路を覚えきれる自信がない。明日もまたおじちゃんに案内してもらわないと出社もできそうにない。
「明日も、助けてもらえますか?」
もえみは目を潤ませおじちゃんに訴えかける。なんなら少しだけ乳も寄せてみる。でもおじちゃんは見ていない。あさっての方を見ている。
「いやねえ、本当はあそこにある端の出入口からは直接出入りすると簡単なんだよね。その通用口はとっかかりしか使えないから。通用口の外は公園になってて、後で確認してみれば簡単だから」
おじちゃんは通路の行き止まりにある扉を指差してそう説明してくれた。
確認をしたいところではあるけれど、今はそんな余裕もない。まずは配属となった係に挨拶が先だ。
「うんじゃあな」
おじちゃんは無表情にそう挨拶して去っていった。もえみは田舎のお父さんとの今生の別れを惜しむように大きく手を振って別れた。
ドア横にあるセキュリティボックスにIDカードを通すとドアは開いた。
「おはよーございまーす!わたくし、今日から新任の蓮見もえみです。宜しくお願いします!」
大きな声で挨拶をして、部屋の中に入る。中は閑散としていた。
手前の4つまとまったデスクには誰もいない。その奥の少し離れた大きめのデスクに禿げたおっさんが団扇を片手に座っている。
奥にある4つまとまったデスクの向こう側に、パソコンに隠れて二人の刑事がカチャカチャとデスクワークをしているのが見える。
「おお、待ってたよ」
禿げたおっさんが言って、もえみを呼び寄せる。もえみは余り好みでないおっさんに仕方なく近寄っていく。
「蓮見もえみです」
もう一度挨拶をする。
「よろしく。私がこの係の長を務める油坂ガイだ。ガイって呼んでくれ」
禿げ頭の油坂はそろえていない顎髭をいじりながら、どや顔で自己紹介する。
「ガ、ガイ?」
「油坂係長!例の資料が出来ました」
ふと傍にメガネを掛けたクールビューティーな女性が現れ、係長のデスクに紙の資料を置いた。
「誰もガイなんて呼んでないから、呼ばなくていい。この人は油坂係長。私は、二班の佐久間美麻よ。よろしく」
「あ、はい。蓮見もえみです。よろしくお願いします」
もえみはぴちりと敬礼のポーズを取る。
美麻はにこりと笑い「若いっていいわね」と言った。舌をぺろりとしたように見えた。もえみは、綺麗で素敵なお姉さんだけどそういう趣味はないという気持ちを見せて、少しだけ後ろに退いてみた。
「まあ、いい。君は今日から二班の職に就いてもらう。まあ、主にデスクワークだ。美麻くん、君に教育係を頼む」
「係長、二班は手が足りてますので、蓮見さんは一班が宜しいのではないかと」
「いや、しかし一班はちょっと女の子にはなあ」
もえみは少し熱くなる。
「それには及びません。こう見えても、私は空手三段、柔道二段の武道女子です!」
これは嘘ではない。もえみはなかなかの武道家だ。理由は、中学生、高校生とカッコいい先輩が部活にいたから入っていたという邪な気持ちによるものなのだが、その力は紛れもない事実だ。女はダメだと否定されたときは必ずそう言って、男の多い場所を選ぶようにしてきた。
そんな時に、入口のドアが開く。爽やかで少し濃いめの顔立ちをした男性がもえみの心を引く。
『ルックス完璧。これよ、これ。やっぱ刑事になって良かった』
もえみの心はときめく。刑事になった理由も邪だ。
心の中で満面の笑み。
だがその彼はもえみの方など気にも止めずに席に着いて、パソコンを立ち上げ調べ事を始める。
「何?誰?」と疑問を口に、もえみの方に近づいてきたのは、彼ともう一人一緒に入ってきた若造だ。
もえみも人のことを言えないが、その男も恐ろしく童顔で、とても先輩には見えない。けど、ここは新人だから堪えないといけない。
「今日から赴任になりました、蓮見もえみです」
「もえみちゃん、よろしく。俺は由比三樹」
それからなんだか一通りもえみの体を見回す。
『何?このガキ?わたしでエロい気持ちにでもなってるの』
もえみは不快な顔を浮かべる。幼く見える生意気な男はあまり好きなタイプではない。
「まあ、いいけど、君にはここの仕事が務まるとは思えないね。何で人事はこんな子寄越したのかな?」
生意気な態度に、カチンと頭に来るけど、その若造がもえみの先輩であることに変わりはないから言い返せない。
ゴツン!!
「高校生が生意気なこというな」
美麻がそう言って、由比三樹の頭にげんこつを食らわせた。
「こ、高校生?」
「ああ、彼は高校生なんだけど志願してこの署に入ってきた。試験もパスして、許可を得て去年からここで仕事をしてもらってる」
そう油坂係長が言う。
「高校生の刑事なんて、聞いたことないんですけど!!」
もえみは突っ込み気味に声を張り上げる。
「まあ、仕方ない。いろいろ訳あってね。美麻くん、後でこの部署について説明してやってくれ」
もえみは周囲を見回す。手前が一班の席でイケメン刑事が座る。奥の二班では、少しやつれたおじさんが全く動かずにずっとパソコンとにらめっこして座っている。
『一班がいい』
「あの、わたし!一班でも大丈夫です!」
少し訳のわからない生意気な高校生がなぜかいるけど、このイケメン先輩に付いていきたい。もえみの心は高鳴る。
「うーん、困ったなあ」と油坂は禿げ頭をさする。
そこに再び入口のドアが開く。
「いやぁ、やっぱり、スポーツジムのおねえちゃんはかわいいやねえ」
「あのなあ、真面目にやれ!」
顔から図体まで細長い男が、ムキムキの四角顔の男と談笑しながら入ってくる。
そしてこっちに目を向ける。
「あれ!何?超かわいこちゃんじゃん」
そう言って細長い体型の男がもえみに駆け寄ってくる。
「あ、はじめましてえ、蓮見もえみです。今日から…」
「何、いいねえ。おっぱいも大きいし、かわいい顔。キスしたい」
もえみは後退り。決してカッコ悪くはないけど、ひどいセクハラ男が登場してしまった。この時代にかなりヤバい。
その後ろからおっきいおじさんが近寄ってくる。
「おい、やめろ。すみません。こいつ、バカなんです」
そう言って笑顔を振る舞う。見た目のごっつさから逸脱した優しい笑みだ。
『そのギャップ、悪くない』ともえみ。
「ああ、俺は一班の宇郷増高、既婚で二人の子を持つ父親。こっちの細いのは、氷見翔、独身33歳」
「おいおい、年齢は言うなよ」
氷見翔はたしかに見た目より年齢がいっている。このキャラは結婚できないタイプだ。
「まあ、だいたい揃ったな」油坂係長が話し出す。「一班は4名。二班は3名。二班の一人入院中で、今は二人だけなんだけどね。班長二人。君たちはどうだね。新人要るかね。大地陽太に、有馬佑真」
一班、二班の班長に係長が声を掛ける。二人はやっと顔を上げる。
「いや、こっちは人数揃ってるから大丈夫ですよ」
イケメンひなた班長が速攻断る。
『ガーン』
皆の視線が有馬班長に向く。
「係長のご自由に」
冷たくボソッと言い返された。
もえみは必要とされていないようだった。暗い気持ちになって、自分の存在がとても小さくなっていく。
「うーん、そうだな。とりあえず、美麻くんに付いて教育を受けて、一班の仕事もひなた班長の指示で行うってことにしよう。まあ暫くは様子見ってやつだ。ワッハッハッハ」
係長はこれにて一件落着と言うように笑って見せたけど、誰も腑に落ちてはいないようだった。
こうして蓮見もえみの『特殊試行捜査係』での勤務がスタートした。もえみはまだ、この謎の係の真実を知らない。
つづく




