名も無き二人の手紙は運命を創る
わたしはある人と手紙の遣り取りをしていた。
その人がどんな人なのかわたしは全く知らない。生まれ、育ち、身分、歳、そして名前まで、一切知らない。
知っていることといえば男性ってことと、それなりの身分の持ち主だということくらい。
その逆も然り。その人はわたしの生まれ、育ち、身分、歳、名前も知らない。知っていることも同じこと。
平等で対等とも言える間柄。
それがわたしとその人の関係。
だけどその人がわたしのことを知れば、手紙の遣り取りをしなくなってしまうだろう。
だからわたしはわたしのことを全く話さない。
その人も自分のことを知られたくないからか、それともわたしが教えないからそれに合わせているのか。どちらにせよそれでお互いのことを知らない。
でも他愛のない話をすることで知っていることもある。
例えば好きな食べ物とか好きな動物とか、そんな自分とは特定されることのない話を手紙でしてもう三ヶ月と少しの時間が経った。
もうすぐでこの手紙の遣り取りは終わってしまう。
わたしは今の立場上幽閉されている。
そんな生活に息苦しさを覚えてしまい、気分転換ということで手紙を書いた。そして伝書鳩に全てを任せて手紙を渡した。
返事が返ってくることに期待はしていなかった。だってそんな怪しい手紙に返事を返してくれる人などいないと思っていたから。
けれどその伝書鳩が二週間後にわたしの元へ戻ってきた。一通の手紙を持って。
手紙が返ってきたことに驚きと嬉しさの感情が込み上げて、思わず泣いてしまいそうになったほど。
わたしはこんな内容の手紙を送った。
『はじめまして。
この手紙を読んでくれてありがとうございます。
あまり多くのことはこの手紙には書き切れないので、一つだけ。
返事をくれると嬉しいです。
では、名も無き者より』
伝書鳩に持たせる手紙には多くのことを書けない。持てる大きさが決まっているので、簡単なことしか書けない。
そしてわたしが自分の名前を伏せた理由は、わたしのことを知っていたら返事を返してくれないからと思ったから。
褒められた行為ではないが、少しでも返事が来て欲しいと思ってしまっての行動だった。
返ってきた手紙にはこう書かれていた。
『自分こそ、はじめまして。
手紙をくれてありがとうございます。
少しずつですがお話をしていけたらと思います。
同じく、名も無き者より』
返事を返してくれたことに喜びを感じたのに、手紙の遣り取りを続けようと言われたことがとても嬉しかった。
わたしの間違いなく最後でこれまでで唯一の楽しみが出来た。
そして二週間に一度手紙を読んで返事を書く。
そんな生活を送った。
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『お返事ありがとうございます。
とても嬉しかったです。
わたしのことは【名無し】とでも呼んでください。
返事をお待ちしています。
名無しより』
わたしは自分の名前を知られたくないが、呼び名がなければ会話はできないと思い仮名を付けた。
名も無き者を参考に名無しという名前にした。
名無しという名前とは矛盾している気がしなくもないけれど、それはまあいいと思う。
ただただその人からの返事を待っていた。
二週間後。
『こちらこそ。
では僕のことは【ネームレス】とでもお呼びください。
質問ごっこでもしませんか?
ただし相手のことが特定できるような質問はなしってことで。
それじゃあ、また』
ネームレス。名前が無い人。
わたしは名無しで、彼はネームレスか。似たような名前を付けている。もしかしたら似たもの同士なのかもしれないな。
わたしと同じ境遇の人はいないと思うけれど。
わたしは自分のことを“わたし”と呼び、女性であることだけは明かして、彼は“僕”と自分のことを言い男性だということを知った。
『じゃあ一つ目の質問です。
貴方の好きな食べ物はなんですか?
わたしの好きな食べ物はちょっと苦いチョコレートです。
また』
わたしが最初に聞いた質問は好きな食べ物。
そんなに特殊なものが好きじゃない限り誰だと特定できるものじゃない。
二週間後。
『そうなんですね。
僕の好きな食べ物は海老の入ったサラダですかね。
僕からの質問は好きな動物で。
僕は猫が好きです。
また』
海老の入ったサラダ。
海老なんて食べたことないな。
ネームレスさんは海沿いに住んでいるのかな、ってダメダメ、相手のことを特定はしちゃいけないって約束でしょ。
次の質問は好きな動物。
ネームレスさんは猫が好きみたい。
『猫、いいですよね。
わたしも猫が好きです。
では質問は好きな飲み物とかは如何でしょう?
わたしはレモンティーです。
また』
好きな動物の質問の返答は猫にした。
わたしも猫が好きで、あの可愛くてちょっとツンツンしているところが堪らなく好き。
ネームレスさんは猫のどんなところが好きなのだろう。
まあでも、深掘りしてしまうと相手のことを特定しているんじゃないかと思われるから、そんなに詳しくは聞かないでおこう。
わたしが質問したのは好きな飲み物。
どんな返事が返ってくるのか、とても楽しみで仕方なかった。
猫が好きということを知ってわたしと共通点があると分かったことが嬉しくなったのと、まだ共通点があるんじゃないかと思ったから。
二週間後。
『レモンティー、良いですね。
僕はコーヒーが好きなんですが、砂糖を入れないと飲めないんです。
質問は好きな本で。
僕はミステリー小説が好きです。
また』
コーヒーが好きなのね。
でも砂糖が入ってないといけないって、ネームレスさんはまだ子供なのかしら?
わたしは砂糖やミルクなしの方がどちらかといえば好きなんだけど。
次は好きな本ね。
ミステリー小説って謎を解きながら読んでいくから、頭を働かせながら読む本が好きみたい。
それにミステリー小説って難しいからあまり好みじゃないのよね。
わたしはそうなんだとしか思えないから、ミステリー小説には向いていないからな。
『ミステリー小説って難しいから読めるって凄いですね。
わたしは恋愛小説が好きです。
では好きな花は何ですか?
わたしはエリカって花です。
また』
いつの間にか最後の挨拶が“また”という言葉になっていた。
またってことは返事が返ってくる証。
それを聞けるのはとても嬉しい。
わたしがエリカという花を選んだのは、好きというよりは今のわたしに似合っているから。
エリカの花言葉は孤独。
誰とも会うことのない今の生活はまさに孤独と言っていいくらい。
孤独じゃないと思える時間が、手紙を読んでいる時間と書いている時間。
その時だけはネームレスさんと話しているような気分になるから、孤独ってことを感じなくなって忘れられる。
二週間後。
『聞いたことのない花ですね。
僕は月下美人という花が好きですけど、多分知らない花だと思います。
一番最初に聞くべきだった趣味はなんですか?
僕は弟と外で遊ぶことです。
また』
月下美人っていう花があるのね。
聞いたことのない花。
多分あまり有名じゃないんだけど、ネームレスさんが好きな花なのだから綺麗なんでしょうね。
いつか見てみたいわ。
もしも見れる日が来たのなら。
『弟さんと外で遊べるなんて羨ましいです。
ネームレスさんと手紙の遣り取りをするのが趣味ですかね。
好きな場所とかってあるんですか?
わたしは昔は花畑に行くのが好きだったんですけど、最近は部屋にずっといるので行けてないです。
また』
今の趣味は唯一できているネームレスさんとの手紙の遣り取り以外ない。
でも本当に外で遊べる、外に行けるなんて羨ましい。
わたしは花畑で花を見るのが好きだったけど、今はここに幽閉されているから花畑は疎か外に行くことすらできていない。
二週間後。
『花畑って素敵ですね、もう一度見れるように祈ります。
僕はよく市場に行きますね。
名無しさんは好きな言葉ってありますか?
僕は“迎えに来たよ”って言葉が好きです。
また』
市場か、一度も行ったことないわね。
それに花畑をもう一度見れるように祈ってくれるなんて、本当に優しい人。
好きな言葉が“迎えに来たよ”って、わたしが今言って欲しくて来て欲しい言葉。
これが最後の手紙になる。
最後くらい、狡してもいいのかな?
これは好きな言葉じゃなくて、ネームレスさんに伝えたいメッセージ。
でもこれが届いている頃にはわたしはもう……。
『とても良い言葉ですね。
わたしは“助けに来て王子様”です。
最後の質問です。
わたしと手紙で遣り取りして楽しかったですか?
さようなら』
わたしは今の本音を手紙に綴った。
こんなの冗談に思われるだろうし、助けに来てくれるなんてあり得ない。
でも手紙の遣り取りをしてくれたネームレスさんならもしかして、なんていうことを思ってしまう自分がいる。
そしてわたしは敢えて自分の感想は書かなかった。
これを書いてしまえば、まだ手紙の遣り取りを続けたいと思ってしまうから。
だからわたしは書かない。
それに“また”という言葉も使わない。
使ってしまえば“また”があるんじゃないかって淡い期待を抱いてしまう。
そんなことあり得ない。
だったら“さようなら”と言って期待を自分で断ち切って、もうないと続かないと理解させる。
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手紙を出して十日が経った。
わたしは今日、処刑される。
王太子妃を傷つけた罪で。
わたしは王太子の婚約者だったが、王太子が今の王太子妃に惚れてしまった。
わたしの味方をしてくれていた令嬢達が王太子妃を傷つけてしまい、その罪をわたしが被らされた。
その罪を被せてきたのは傷つけた令嬢、ではなく王太子妃だった。
令嬢達が何故王太子妃を傷つけたのか。
それは彼女の身分と態度である。
王太子妃は王太子だけでなくその側近や侯爵家以上の貴族達とも接点を持っていた。
ただの知り合いというのならば令嬢達が怒ることはなかっただろう。
けれど相手を意図的に自分を好きになるような言葉や仕草をして惚れさせていった。
その中の一人が王太子というわけ。
令嬢達はわたしの味方をしてくれたけれど、王太子や貴族達によって黙らされた。
だからわたしは孤立状態で、罪人として処刑される。
処刑は王太子だけで決められることではないので、今日まで王太子の命令として王宮にある塔の最上階に幽閉された。
そして昨日王太子が国王となり王太子妃が王妃となり、国王の権限で今日わたしは処刑される。
わたしは王宮の離れにある処刑場へと移動させられた。
処刑場には貴族やその令息令嬢が上から見下ろしている。
わたしの両親は涙を堪えてわたしを見つめてくれている。
こんなことになった娘に対して目に涙を浮かべてくれるなんて、とても優しい両親に育ててもらったのだと思い、心の中で感謝した。
弟はわたしのことは見ずに下を向いている。ぽつりぽつりと涙を落としているのだけは分かった。
ネームレスさんみたいにもっと弟と遊べば良かったな。
わたしのことを嫌い王妃の味方をしていた貴族達からは罵倒の声が聞こえ、冷ややかな目で見られている。
わたしの味方をしてくれた令嬢達はその場で崩れ落ち、大粒の涙を流してくれていた。
とても良い友達を持てたんだなと思った。
「罪人よ、最後に何か言いたいことはあるか?」
国王がわたしに向けて言った声はとても冷たい。
元婚約者だったけれど、結局わたしは愛されていなかったのだと改めて分かった。
わたしも国王も歩み寄ることはせず、ただただ日々を過ごしていたのがこうなった要因の一つであると。
「ありがとう」
わたしは両親へ弟へ令嬢達へ向けて最後の言葉を述べた。
こんな不甲斐ないわたしでごめんなさい。
でもこんなわたしと一緒にいてくれてありがとう。
そんな誰もが言える言葉しかわたしは言えなかったけれど、この“ありがとう”には誰よりも重く大きな想いを込めている。
そうするとわたしは潔く手と首を置き、身動きを取れない状態へとされた。
「そうか。では、騎士よ。やーーー」
「待てぇぇぇえええ!!!」
わたしの目の前の扉がドンッと開き、ある男性が入ってきた。
その男性はわたしの枷を取ってくれた。
「貴方は……?」
「迎えに来たよ、名無しさん」
わたしはその言葉と名前を聞いて、今まで我慢していた涙が溢れ出してきた。
わたしのことをこう呼びこの名前を知っている人は一人しかいない。
そう、ネームレスさん。
その人がわたしの“助けに来て王子様”の声を聞いて、ここまで来てくれた。
「国王よ。我、皇帝が言う。この令嬢は我が貰う!」
そう言ってわたしをお姫様抱っこして、処刑場からすぐさま去った。
その手の暖かさ、あの言葉の優しさ、それで手紙のネームレスさんだと確信した。
その暖かさ優しさで涙が止まった。
「名無しさんと手紙の遣り取りをして、楽しかったですよ」
「ネームレスさん……」
「我が姫よ。僕の妻になってくれますか?」
「……はいっ!」
やはりこの人はネームレスさんだ。
わたしはその申し出を聞いて涙が再び溢れ出した。
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手紙が運命の糸を創り出し、その運命の糸が二人を結んだ。
これは【名無し】と【ネームレス】の手紙を通じての運命の物語。