「きたねえおっさんはしね」
「なんだ、そうでもねえわ」
土まみれのトラックに乗った土みたいな顔色のおっさん二人が、わたしの顔を見て、大きな声でそう言った。
ひどいことを言われたと気づいた時には、トラックはもう遠く、陽炎に溶けて小さくなっていた。おっさんの言葉は、立ち尽くすわたしのこころに残ったままだ。
「しねよ」
抗うように、恐る恐る呟く。中学二年生の夏だった。
「死ねなんて言うやつは低レベルだ」
父はよくそう言っていた。ウイスキーのロックグラスを揺らしながら、正義について持論を語っていた。ブッシュ大統領がいかに愚かであるかとか、日本の政治は間違っているとか。
今思うと、あれはただの独り言だ。父が自分自身に言い聞かせる言葉だったんだと思う。でも、幼いわたしは、わたしのための言葉なんだと当たり前に真剣に父を正しいと信じ、耳を傾けていた。
家に着いて玄関の姿見を恐る恐る覗く。夕刻の西日が磨りガラスを通してわたしの顔を照らす。睨みつけるような目をしている。なるほど、はっきり「ブス」って言われなかっただけマシかもしれない。
かわいかったら、よかったなあ。
かわいかったら、おっさんたちも嬉しいよなあ。
ほかの人のことも、落胆させずに済むのになあ。
ぼうっとおっさんの発言の正当性について考えていたら、突然からだを飲み込むほどの殺意が湧いてきた。気づいたら指の付け根が真っ赤になっている。痛い。何度も鏡を殴ったからだ。
死ね死ね死ね
今度は大声で叫んでいた。ああ、こんなことを叫ぶわたしは、正しくない。「低レベル」だ。もうおしまいだ。そうやって、父の言葉で作り上げた正義の防波堤に頭を打ちつける。
わたしはおっさんの言葉にとても傷ついていたのだと、今ならわかる。でも当時は自分の悲しいとか怒りといった感情は、知覚に上がる時にはすでに凝り固まって、すべて「殺意」として現れた。
いわゆる「キレる」ってこういうことなんじゃないかと思う。キレる人はきっと、なんとか自分を落ち着かせようとした努力の末にキレているんじゃないか。悲しかったことを、ただ悲しかったと誰かに言えていたらそうはならない。
ちょうどわたしが十代の頃、「若者がキレる」ことが社会的に問題視されていた。問題視というか、「迷惑視」されていた。安心できる環境に生きられなかった同世代が、多かったのかもしれない。わたしみたいに。
そう。わたしには感情をありのまま吐露できる、安心できる環境がなかった。なんとか自分を保ちたいのに、結局肥大した「殺意」に抗えず暴れてしまう。
このままでは本当に誰かを殺すかもしれない。防波堤もいずれ決壊する。足がちぎれてもトラックを追いかけて、おっさんたちを殺そうとしたっておかしくはなかった。そうしたらわたしは世間から狂人扱いされて今までの努力は、ただ、水泡に帰するんだろう。
そんな瞬間が来るのを、何よりも恐れていると同時に、秘かに待ち続けている。
そうなってしまったら、すぐにわたしを殺してほしい。はやく終わりにしたい。だれかお願い。
そう思いながら鏡を殴り続ける。ドンドンドン。
「うるせえよ!」
怒鳴り声が鮮やかにカットインする。
いよっ、今日もやってまいりました。登場のBGMを流したいくらいだ。母です。彼女こそ、わたしが泣きたいときに泣くことを許さない、我が家の怪物です。
ドアが勢いよく開き、バーンと閉じ、ドラマチックに階段をドンドン踏み鳴らして、やる気満々わたしを殴りにやってくる。
母からしてみたら、わたしのほうが駆除すべき怪物なんだろう。
「モノにあたってんじゃねえよ!」
そう叫んで、いつものようにわたしを殴る。
もう何回繰り返されたかわからないお決まりの流れを、今日も一緒におさらいする。
モノにはあたってはいけない。でもわたしのことは殴っている。
ということは、ああ、そうだ。
そもそもわたしは、母にとって、モノ以下なんだ。
何度も繰り返されたことなのに、今日も今日とて、胸がキリキリと痛む。おっさんの言葉なんか比ではないほどの悲しみがせりあがってくる。
と同時に、なぜだか不思議と安心してしまう。
モノ以下のわたしが、どこの誰かもわからないきたねえおっさんに「そうでもねえ」と言われて今更傷つく必要はないじゃないか。
そして、結局こうやって母に殴られることも知っていたじゃないか。
だってわたしはその程度の存在なんだから。
そう再確認できたことに、安心してしまうのだ。
すると、徐々に爽やかな気分になってくる。
全知全能になった気分だ。
自分の殺意も、母の鬼気迫る顔も暴力も、痛みで痛みを上書きして悲しみにふたをすることも。
こうなることはわかっていた。すべてが筋書き通りだ。予定調和。あくびの出る展開。くだらない。滑稽だ。
「もっと殴りなよ」
ヘラヘラしながら母に言う。
ねえ、いつになったら殺してくれるの。いよいよ今日かな。そろそろ殺さないと、わたしがあなたを殺すかもしれないよ。これ以上殺意を育てたら、もう無理かもしれない。ああ、防波堤を補強しなきゃ。そのためには、もっと正しくならないといけない。
くそだ。
こんなつまらないことで、泣く必要なんかない。なのに涙が止まらない。
終わりの見えなかった毎日の中でそれでも、お母さん、あなたにこそ、この苦しみを理解してほしかった。その思いは、今もこころの一番深いところで、ひっそりと息を殺している。