第8話《side:どこかの看守》:帰還
とある砦、その仄暗い地下牢だ。
「……はぁ」
ため息は看守のものだった。
かび臭い陰気な職場に嫌気が差してのものでは無い。
いや、普段のため息の原因はその辺りにあるのだが、今日ばかりは違った。
「おい、聞いてんのかい? まったく、近頃の若いヤツはだめだねぇ。老人の愚痴1つ満足に聞くことは出来ないのか」
追加のため息だった。
看守は背を向けていた牢にちらりと視線を向けることになる。
鉄格子の向こうだ。
そこには偏屈そうな老婆が1人収まっていて、床に背を丸めて座りながらこちらをにらみつけてきている。
この珍客が看守の悩みの種だった。
看守が聞くところではこの珍客、砦の外でわめき倒しているところを捕まったらしい。
領主がどーのこーのと騒いでいたらしいが、あまりにうるさいのでとりあえず牢に閉じ込めておけとなったと。
その騒がしさは看守も現在進行形で味わっていた。
「だからね、本当ふざけるんじゃないよ! あの裏切り者のせいで、私がどれだけ苦渋を味わされたと思ってんだ。まったく、今でも思い出すはあの嫌味な笑みを。いっそ夢にも見たぐらいだが、おい! そこの若いの! 聞いとるか!」
聞かされている看守はもはやため息も出なかった。
発言の内容はどうでも良く、ただただうるさい。
一体自分はいつこの老婆から解放されるのかと憂鬱にもさせられる。
とりあえず一日置いて、頭が冷えたら追い出すということになっていたのだが、半日でまだまだその熱は収まらず。
そろそろ交代の時間だが、再び牢に戻ったとしてもまだ居座っていそうな気配である。
「……しかしまぁ、あれだね。そろそろ日が暮れる頃かね?」
愚痴以外の言葉を聞かされるのは初めてだった。
多少は落ち着いてくれたのだろうか。
少しばかり安堵しながら、看守は背にいる老婆に応える。
「あぁ、日が暮れる頃だろうさ。婆さんも、そろそろ家が恋しくなってきたか?」
「……『家』か? まぁ……そうさね。そりゃ恋しいものさ。戻りたいとは幾度思ったかも分からないねぇ」
どうやら、やっと落ち着いてくれたらしい。
看守は安堵を確かなものにするのだが、続く言葉に大きく首をかしげることになった。
「当主殿は無事であったからそこは良かったがね。だが、やはり『家』を奪われたのは業腹だった。無力感もあれば情けなかった。そして、当時に取り戻すような余力は無ければ、その力も年々衰えるばかり。戻ることなど夢のまた夢と思っていたが……いやはや、長生きをしてみるもんだね」
その様子は、明らかに今までの偏屈な老婆のものとは違っていた。
「えーと、あー、婆さん?」
「悪かったね。気が急いてたんだ。もう少し牢に入るのを遅らせりゃあ、暇つぶしに愚痴を聞かせることもなかったんだが。ただ、頃合いだ。そろそろ動くとしようか」
一体、その発言の意味は何なのか。
思わず牢へと顔を向けた看守は大きく目を丸くすることになった。
赤い線が引かれている。
看守にはそう見えた。
鉄格子の牢を、眩い赤い線がいくつも横切っており、そして不意にその線は消えた。
そして耳に届く金属音。
バラバラになった鉄格子が石床を跳ねていく。
「……は?」
唖然とする看守の前で、牢であった物の中にいる老婆が立ち上がる。
腰に手を当てて、一度背を伸ばそうとしたようだったが、その動作は途中で止まった。
「……やれやれ、【全盛期化】か。恐ろしいスキルだねぇ。長いこと同じ姿勢でいても、まるで体がなまったような感覚が無い。疲れは覚えても、疲労としては残さないわけか。いっそ不気味ですらあるかね」
老婆は苦笑を浮かべ、その表情のままに看守に視線を送ってくる。
「そういうことでね、悪いが仕事があれば出させてもらうよ。戻るための仕事だ。ルクサ家一門一党。我らが『家』……我らが故郷に戻るための大事な仕事をね」