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第2話【side:カルヌン宰相】:奇妙な若王

 その報告を聞いた時、彼は顔も知らぬ英雄たちに頭を下げたものだった。


 王宮にて、謁見の間に歩を進める1人の老人がいる。


 彼の名はルギエル・カッセル。

 卓越した政治的手腕を持ち、このカルヌンを第一宰相として支え続けてきた男だ。


 その彼の表情は晴れやかだった。

 鉄面皮と称されることもある彼だが、その彼にしては珍しく分かりやすく安堵の表情を浮かべていた。


 理由は今朝に彼が受けた報告だ。


 西の反乱が鎮圧された。

 そのことが、彼の精神に平穏をもたらしているのだ。


「お、おぉ、カッセル! 良く来た、待っていたぞ!」


 謁見の間に通されたルギエルに、1人の男が慌てて駆け寄ってきた。


 豪奢な衣服をまとった青年だった。

 ただ、その衣服に釣り合うような威厳はその顔には無い。

 顔は若々しくもそこには覇気は無く、あるのは動揺の色ばかり。


 情けない顔つきの、情けない若者。

 そんな風情(ふぜい)であったが、しかし彼はルギエルにとって礼を欠かせぬ相手だった。


 ユスファン・エド・カルーナ。


 それがこの青年の名前だった。

 カルヌン王国の現王の名前だった。


 ルギエルは片膝を突いて、敬意を示すことになる。


「お忙しいところを私のために時間を割いていただき感謝いたします。陛下に是非お聞きいただきたい報告がございまして……」

「そんなことはどうでもいい!! 決まったのか? 私の亡命先は? そこだぞ? そこが大事だぞ、カッセル!!」


 ルギエルはうつむいて、曇った表情を隠すのだった。


 今さらだが失望を覚えてしまったのだ。

 内乱に際して、慌てふためくことしか出来ず、頭にあるのは自身の保身ばかり。

 それがこの男の王としての才覚だった。自身が忠誠を捧げるべき王の現実であった。


 この王の妄動に振り回されるのがルギエルの日常だった。


 今回の件においてもそうだ。

 亡命などと人の目のあるところでわめかないように釘を刺し、諸侯を動員して速やかな事態の収拾を図るようにこんこんと言葉を積み重ねてきた。


 それは彼にとってかなりの負担だった。

 通常の政務に加えて、内乱への対応もあれば当然のことだ。


 すでにルギエルは60をとうの昔に越している。

 耐え難いものを感じれば、王の前に出ることは心痛以外の何物でも無かったが……しかし、今日は違った。


 比較的穏やかでいられた。

 ルギエルは、亡命の訴えを脇に置いて本題を口にする。


「ご報告ですが、陛下。西の反乱は、3日ほど前にはすでに鎮圧されたとのことでございます」


 その報告は彼の期待した通りの効果を生んだ。

 血相を変えていたユスファンは、「へ?」と間抜けに目を丸くする。


「鎮圧……? 反乱は収まったのか?」

「はい。確かな報告と」

「すると私は……亡命する必要は無いということになるな?」

「仰せの通りで」

「……ははは、そうか! それはめでたい! 肝を冷やしたものだが、そうか! そうなったか!」


 やはり頭にあるのは自らの保身ばかり。

 鎮圧が誰によって成ったのか、その後の推移はどうなのか。

 そこにはまったく興味を示さない。


 再びの失望を禁じ得なかったが、喜び自体はルギエルにもあった。


 ユスファンの妄言にこれ以上晒されることが無い。

 このことへの喜びはもちろんとして、彼の頭にあったのはカルヌンの民たちの平穏だ。


 現王のこの体たらくによって、いくつもの策動があることを彼は承知していた。

 この内乱も、その一環であると確信していた。


 この内乱を契機にして、カルヌン全土を巻き込む大乱が起きる可能性がある。

 そうなれば、30年前の再来だ。

 カルヌンの人々は、明日を知れぬ凄惨な戦乱を生き抜くことを余儀なくされることになってしまう。


 そう彼は危惧していた。

 だが、結果はこの早期の鎮圧だ。

 危機は一応のところ去ったと見て良かった。


(まったく、どれだけ感謝すれば良いことか)


 ルギエルは胸中で謝意を呟く。


 相手はもちろん、反乱の鎮圧に貢献した勇士たちだ。

 不甲斐ない王家と自らに代わって、カルヌン国民を救う大事を成してくれた。

 どれだけ感謝したところでし過ぎだということはあり得ない。


 そして、ルギエルは感謝を思いだけに留めておくつもりは無かった。

 自身が10の子供でも無ければ、力なき庶民でも無いことを彼は当然承知している。


 謝意だけ伝えてすましていい立場では無いのだ。

 カルヌン宰相として彼らの尽力に報いなければならない。


 そう思って、彼はその件についてユスファンに進言しようとした。

 だが、口を開いたその矢先だ。

 ユスファンは妙な表情で、妙なことを呟いてきた。


「ふむ? しかし、こうも早く鎮圧されるとは。反乱は意外と大したことは無かったのだな?」


 ユスファンがカルヌン王に即位してから10年になるが、その間ルギエルは彼の面倒を見続けてきた。


 だからこそ分かった。

 これはまずい。

 ルギエルは急いで進言を口にする。


「陛下。鎮圧につきましては、多大な貢献をした勇士たちがおります。その者たちへの恩賞についてですが……」

「そんなことよりもだ、カッセル! 良い考えだ! 私に良い考えが浮かんだぞ!」


 その無邪気な笑みでの発言を、ルギエルはいっそ無視してしまいたかった。

 だが残念ながら、彼の立場はそれを許すものでは無い。


「……良い考えでしょうか?」

「そうだ! 今回のことで、私を弱腰などと批判するバカ共が出たことはお前も知っているだろうな?」

「えぇ、それは承知しております」

「好機だぞ、カッセル! 大したことの無い反乱であれば、それを鎮圧した連中もさしたる者たちではあるまい! 王家の力を見せる良い機会だ!」

 

 聡明なルギエルだからこそ逆に理解出来なかった。

 ただ、まともなことを口にしていないだろうことは予想に難しくなく。

 彼は不安で胸中をざわつかせながらに問いかける。


「陛下。それはその、どういう意味で?」

「ははは、お前も年か? よし、説明してやろう。反乱を鎮圧した連中がいるだろう? そいつらを反逆者として、我々で鎮圧してやるのだ。それで、我々を侮った連中も面目を改めることになる。めでたしめでたしだ。はっはっは」


 笑顔で語られた内容を、やはりルギエルは理解出来なかった。


「……鎮圧した者たちを反逆者として鎮圧する? それはあの……はい?」

「説明しただろうに不思議そうな顔をするな。これで、侮ってきた連中の面目を改めてやるのだ。弱腰だとバカにしてきた連中も、これで私の決断力と武力を思い知ることになるだろう」

「は、はぁ。しかし……鎮圧? 鎮圧に貢献した者たちに武力を向けると? 恩賞を与えるのでは無く?」


 このルギエルの問いに、ユスファンは何故か「あぁ」と納得の頷きを見せてきた。


「そういうことか。お前のことだからそこに理由が欲しいのだろう? 案ずるな。王命なく軍勢を組織したことを罪とすればいい。これで立派な反逆者として軍勢を動かす理由になる。ふふふ、我ながら素晴らしい知略だな。どうだ? 私もなかなかやるものだろう?」


 胸を張るユスファンを、ルギエルは呆然と見つめることになる。


 理解したからこそ呆然とするしかなかった。


 反乱は実は怯えるほどのものでは無かった。

 そうと判断して、この男はどうにも自身の体面が気にかかってきたらしかった。

 そして、その体面を繕うため、妙な理屈を立てて、自らの活躍する場を得ようとしているらしいが……


「へ、陛下!? それは本心からのお言葉なのですか!?」


 叫ばざるを得なかった。

 ユスファンは心底不思議そうに首をかしげて見せてきた。


「なんだ、いきなり血相を変えて? 本心に決まっているが、それがどうした?」

「彼らは反乱を鎮圧した忠臣ですぞ! それを新たな反逆者に見立てて、鎮圧して見せるなどと……道義にもとれば、王家がどのような目を向けられることになると……っ!」


 ルギエルは、叫びに非難の思いを込めたつもりだった。

 しかし、ユスファンにはそれが理解出来ている気配はまったく無い。


「だから、その王家への目を考えての知恵だろうが。我々を侮っていた連中も、これで見方を変えることになるだろう。弱腰だ臆病だなどと言われていたようだが、ふふふ。これで見直すことになるだろうな」


 得意気なユスファンだったが、そんなはずが無いのだった。

 ルギエルは必死の思いで首を左右にする。


「陛下。決してはそうはなりません。むしろ、王家への信用を失墜させることになるものかと」

「どこがだ? 我々の強さを示すことが、何故信用の失墜などに結びつく?」


 そのあまりの考えの無さに、ルギエルは肺の底から声を張り上げる。


「忠義を示した者たちを誅して信用などは得られますまい! 市中では、すでに貢献した者たちを賛美する動きが出ております! それだけの働きを彼らは成したのであって、それを賞しそれに報いてこそ王家に信望が集まるのですぞ!」


 今度こそ、非難の思いは伝わったはず。

 ルギエルはそう思った。信じた。

 だが、結果だ。

 ユスファンはうんざりと目を細め、ルギエルから目をそらしてきた。


「あー、分かった分かった。老いたな、カッセル。どうにも王家にとっての利益を測りかねているようだ。これは私が他の家臣と共に進める。お前はもういい。帰って休め」


 ユスファンの顔には、ルギエルに対する侮蔑の表情しかなかった。

 まったく自身の訴えが届いていない。

 その事実に、ルギエルは愕然とするしかなかった。


(これが偉大なるカルヌンの王だとは……)


 頭にあるのは自らの面子のみ。

 冷静に王家にとっての利益を計ることの出来る頭脳が無ければ、最低限の道義心も持ち合わせてはいない。

 

 ルギエルは思わず手を拳の形に握り締めることになる。


 これが自身の息子であれば、彼は間違いなく殴りつけてでもその考えを変えさせていた。

 今がその時ではと思ったのだった。

 自身の生命を賭して、第一宰相としての責務を果たす時ではと思ったのだ。


 しかし……彼は握った拳を力なく開くことになる。


 ルギエルはすでに年を取りすぎていた。

 失望が深いこともあれば、力づくの諫言に訴えるだけの気力は今の彼には無かった。


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