チューリップの花が咲く場所は
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、ドロドロの恋愛関係が嫌いな方には向かない話かと思われますので、閲覧注意でお願いいたします。
ですがドロドロ描写自体はありません。
「かなせんせー、さよーならぁー」
「はい、さようなら。車に気を付けるのよ」
私、相田香奈が受け持つさくら組の園児が帰りの挨拶をしてくれる。
それに手を振り返しながら見送った私は職員室へと急いだ。
今帰った子が今日の最後の園児だったので、日誌を書いて戸締りをしたら今日はもうあがりなのだ。
いつもより30分ほど早いことに浮き立つ心を宥めることもなく、早々に日誌を書き終えた私は鼻歌を歌いながら園内の見回りと施錠を行った。
「あ、まさくん?今から向かうけど大丈夫?」
愛車の白い軽自動車に乗った私が真っ先に行ったことは彼氏である同い年の立花優への電話だった。
彼の家へ行き夕飯を作ってお泊りして翌日の昼頃に帰る、というのが毎週金曜日の日課となっているため、金曜日である今日も例に漏れず彼の家に行くつもりだ。
『もう家にいるから大丈夫。早くおいで』
「うん!今行くね!」
彼からの返事もいつも通り、いや、今日はいつもよりも甘く優しさに満ちていたように感じられて、ついはしゃいだ声を出してしまう。
切れる寸前の電話からふふ、と忍び笑いが聞こえた気がして少し恥ずかしかったが、それでも愛しい彼と早く会える喜びの方が勝ったため、ギアをドライブに入れてアクセルを踏み込んだ。
週明け月曜日。
私は朝からにやけ笑いが止まらなかった。
「やだ香奈先生、何かいいことでもあったの?」
「朝からほっぺた緩みっぱなしですよ~?」
それを見た同僚2人が興味津々と言った体で私に話しかける。
私たち3人は年が近いこともあり、何でも言い合えるとまではいかないがただの同僚以上には仲が良かったので、その分遠慮なく詮索されるのはいつものこと。
仕事もプライベートもいい人間関係を築けている私はかなりのリア充かもしれない。
今日は私も2人に聞いてもらいたい気分だったので「えへへ」と堪え切れない笑みを漏らしながら2人に向き直った。
「実はこの間の週末に、彼氏に『他人の子じゃなくて、2人の子供の面倒も見てほしいな』って言われちゃって。結婚もまだなのに気が早いと思ったんですけど、嬉しくて…」
きゃー、と言っているうちに赤くなった顔を覆いながら、私はご機嫌な理由を彼女たちに話した。
「マジで!?もうそれプロポーズみたいなもんじゃん!」
「素敵です~!結婚秒読みって感じですね!」
ひゅぅと口笛を吹く真似をしながら私の肩を叩いたのは2歳年上のすみれ組を受け持つ篠原ひとみ先生。
そして胸の前で手を組み、夢見る乙女のような顔をしているのが1歳年下のひまわり組を受け持つ宮田早苗先生だ。
「まだ具体的な話は何もないんですけど、なんかそれより先の話をされたら、ちゃんと考えてくれてたんだって思って、もうずっと表情筋緩みっぱなしで」
ウザかったらすみませんと言いながらも、私は2人の言葉にさらにテンションが上がった。
やっぱり、プロポーズみたいよね!?結婚秒読み感あるよね!?
もう幸せすぎてほっぺが痛いほどにやにやが止まらない。
今日私ちゃんと仕事できるかなー?
そんなことを考えながら浮かれる私の耳に「てかさ、」とひとみ先生が呟く声が聞こえた。
「実は私もそろそろ結婚するかもしれないんだ」
照れくさそうに頬をぽりぽりと掻きながら、彼女ははにかんだように笑った。
「えええー!?」
「あの年下の彼氏さんとですか!?」
私と早苗先生は揃って素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて互いの口を押さえた。
まだ園児が登園してくるまで時間はあるが、一応仕事中なので大声で騒ぐのは良くない。
「そんなに驚かなくても、と言いたいとこだけど、私もめっちゃ驚いてる」
ひとみ先生は言葉通りまだ戸惑っているようで、『嬉しい』と『恥ずかしい』と『どうしたらいいかわからない』が混ざりあったような表情だ。
それもそのはず、実際彼女の彼氏さんに会ったことはないが色々と話は聞いていた中での彼に対する評価は『優柔不断』の一言に尽きるからだ。
過去に聞いた話では『俺の給料はあまり高くないから、ひとみが胸を張って家族や友達に紹介できるような男じゃないし、君には俺よりふさわしい男が他にいるかもしれない』的なことを日常的に言っているような、自分に自信がなく思い切りがないタイプの人だった。
それが結婚を思わせるような発言をしたとなれば聞かないわけにはいかない。
「なんて言われたんですか!?」
今までどうやっても抑えられなかったにやけ顔がすっかり鳴りを潜め、代わりに好奇心に満ちた野次馬が顔を覗かせた。
「えっと、『少しずつお金が貯まってきたから、もうちょっとしたらひとみに綺麗なウェディングドレスを着せてあげられる』って…」
言わせんなよぉ、と今度はひとみ先生が真っ赤にさせた顔を覆う。
姉御肌でいつでも気風のいい彼女が初心な少女のようにしている様は、なんと言うか、庇護欲とか愛護心とかが掻き立てられて。
「ひとみ先生可愛い!」
「お顔真っ赤ですよ~」
早苗先生と2人、年上の彼女の頭を撫でた。
ややしてひとみ先生が落ち着き、そろそろちゃんと仕事をしようというところで。
「あ、私も結婚するかもです~」
暢気な声で早苗先生が爆弾を投下してきた。
「と言ってもお2人ほど具体的な話ではなくて、ただ『早苗ちゃんの作ったご飯を毎日食べたいな』って言われただけなので、同棲のお誘いかもしれないんですけどね~」
そして聞きもしないうちに詳細を話すとパタパタと手を振り、「あ、そろそろみんな来る時間ですね~」と言って部屋から出て行ってしまった。
「「………えええええー!!?」」
残された私たちは遅ればせながら彼女の言葉を理解すると、驚きに任せて叫ぶことしかできなかった。
『今日はどうしたの?なんかひとみ先生と早苗先生と騒いでたみたいだけど(・_・)?』
夜、彼から来たメッセージを読んだ私はやはり騒ぎすぎたと反省した。
『ごめん、まさくん隣で仕事してたのに、うるさかったよね?(>_<)つっ』
私は素直に彼に謝罪すると、
『気にしてないよ。ただ、やけに盛り上がってたから気になっただけ(^_^)』
という優しすぎる返事が来た。
実は彼も同じ園に勤める先生で、今年新設された乳幼児を預かるチューリップ組を受け持っている。
もしかしたら先週末の『2人の子供』発言も、日々乳幼児を見ているせいかもしれない。
『大したことじゃないんだ。3人で恋愛トークしてたら予想外に盛り上がっちゃって(^_^;)』
私は彼に正直に伝えたが、話の内容はぼかした。
彼との関係は園の関係者には秘密と約束したのに、名前を言っていないとはいえ結構詳しく話してしまっていることが少し後ろめたかったから。
『そっか。俺下手に聞きに行かなくてよかったよwじゃあ、おやすみ。また明日(^_^)/』
『うん、また明日。おやすみなさいo(^▽^)o』
私は多少の気まずさを感じながら、しかしすぐに眠ってそれを忘れた。
翌日。
「さいた~、さいた~」
さくら組のみんなと公園にお散歩に行くと、私の耳にかわいらしい歌声が聞こえてきた。
「チューリップの~は~な~が~」
耳を澄ませて声を辿っていくと、木の陰にあるベンチに腰を掛けて足をプラプラさせながら歌う矢田桃花ちゃんを見つけた。
彼女は桃花という名前の通りピンクがよく似合う可愛い女の子だった。
「な~らばない、な~らばない」
「ん?」
歌っているところも可愛いなぁと思いながら聞いていると、彼女は何故か歌詞を間違えていた。
文字数が合っていないせいで歌いにくいだろうに、桃花ちゃんはそのまま歌い続ける。
「あ~か~し~ろ~ピ~ン~ク~」
そしてまた歌詞が違う。
普段みんなで歌う時には絶対に間違えないのに。
「ど~の~は~な~み~て~も~」
彼女はそれが間違いであるとわかっているのか、疑問に思う様子もなく続く歌詞をきちんと歌い上げる。
しかし。
「……ふふっ」
最後の部分だけは歌わず、また「さいた~、さいた~」と歌い出した。
そして2回目も同じ間違えた歌詞で歌い、最後の『綺麗だな』は歌わなかった。
酷くそれが気になった私はまた歌い始めた桃花ちゃんに声を掛けることにした。
「桃花ちゃん」
「あ、かなせんせー」
声を掛けるとすぐに歌い止み、にっこり笑ってこちらを見上げる彼女の様子はいつもと同じだった。
でも、何かが引っ掛かる。
「どーしたの?」
その引っ掛かりを上手く言葉にできずになんと言ったものか悩んでいると、桃花ちゃんが水を向けてくれたので、私は思い切って聞いてみた。
「えっとね、さっき桃花ちゃんが歌ってたチューリップのお歌、どうして歌詞が違ったのかなって気になって」
私がそう言った瞬間の彼女の顔を、きっと私は一生忘れない。
とても5歳の女の子が浮かべる表情ではなかったのだ。
「んふふ、あれはね、チューリップのおうたじゃないの」
桃花ちゃんはその表情のまま、顔のパーツ全てを歪ませて作ったような笑みを浮かべたまま口を開く。
「チューリップぐみのまさるせんせい。ももちゃんのおむかいさんなの。そこにね、いっつもおんなのひとがくるから、いっつもみてたの。かなせんせいもきてたね」
くすくすと桃花ちゃんは楽しそうに笑いながら私に言う。
「かなせんせいは『しろ』いおくるま。ほかにも『あか』と『ピンク』のおくるまがくるんだよ」
「……え?」
桃花ちゃんの言っている意味が、すぐには理解できない。
だって、それって、つまり。
まさくんが、浮気してるってこと…?
私の青褪めた顔を見た桃花ちゃんは、「あのね」と楽しそうに言葉を次ぐ。
「『あか』はひとみせんせい、『ピンク』はさなえせんせいのおくるまなの」
きゃはははは、と響く桃花ちゃんの声はもう聞こえなかった。
それから1か月後、私の職場は閉園した。
私とひとみ先生と早苗先生は、今も仲良く同じ場所で過ごしている。
刑務所という檻の中で。
そしてまさくんは、冷たい石の下で静かに眠っている。
墓前には誰が活けたのか、赤、白、ピンクのチューリップが供えてあった。
「さいた~、さいた~」
「チューリップのは~な~が~」
「な~らばない、な~らばない」
「あ~か~し~ろ~ピ~ン~ク~」
「ど~の~は~な~み~て~も~」
「き~れ~い~……かな?」
読了ありがとうございました。
一応補足ですが「き~れ~い~……かな?」は容姿の話ではなく、人間的に綺麗か否かということです。
わかっていただけていたかもしれませんが、書いている本人が伝わりにくいだろうと感じたのでこちらで説明させていただきました。
人に齟齬なく正しく伝える文章は難しいです…。