リッちゃん
感染性の病気拡散に対処するため各自治体は「マスク装着条令」が施行され、すべての市民が常時マスクをして生活するようにとなった。けれども、この条令は罰則が無く、もし町でマスクをしていなくても警官などから条令違反であることを注意されるに過ぎなかった。
強制されると反対する人間が現れる。「反マスク派」と呼ばれる人々が出現した。これに対してもちろん「親マスク派」も存在した。
街中。特に都心では、双方の団体がデモ行進を行い、道ばたで衝突する事案も発生するようになった。反マスク派団体のリーダーの男性は「マスクを強制するな。コンビニなどは顔を隠して店に入るなと言っていたくせに、今度はマスクで隠せというのか!」などと拡声器で訴えたり道行く人にビラを撒いたりした。一方、親マスク派の団体リーダーの男性は「互いのためにマスクをしよう。臨機応変に考えることが大切だ」と訴えた。
ある親マスク派団体に「リッちゃん」と呼ばれる女性がいた。本当は「リツコ」という名前だが愛称でそう呼ばれていた。彼女はもちろん常にマスクを装着していたから鼻の少し上から目しか顔が見えないのだが、これが「相当、美人だ」「一度、マスクを外して欲しい」「むしろ、反マスク派だったらいいのに」など憶測を呼んだり、男性からアイドル扱いされていた。彼女はしかも声も可愛かった。ちょっと舌っ足らずな細い声で団体のデモ行進でシュプレヒコールを行うと、ついて来たファンが歓声を上げた。
ある時、また親反、双方のマスク派団体が路上でデモ行進中に行き会い、険悪な雰囲気になった。だがその時、リッちゃんが、
「お互いの主張を訴えるだけにしましょう。暴力に訴えるようなことは絶対にダメよ。貶したりするのもよくないわ」
そう言って、睨み合う互いの団体のリーダーを仲裁した。白目の多い大きな瞳を潤ませるようにしながら、リーダーの顔をクリクリと見渡すリッちゃん。両方のリーダーは、それで何も言えなくなり、事なきを得て平和に擦れ違ってデモ行進を続けた。
このことが話題になり、動画がネットに上げられてメディアにも取り上げら、リッちゃんは更にアイドル的存在になっていった。比較的、活動のおとなしい「親マスク派」が盛り上がる切っ掛けにもなった。けれど、リッちゃんはこのように自分が目立つことを嫌がった。
「私は目立ちたくないのに……」
そう言って、やはりクリクリと目を潤ませた。そう言う姿を見せられると、周りの人間も彼女を可愛そうに思うのだった。
「確かに、リッちゃんをアイドルのように扱うのは、団体の主旨とは違うな……自重しよう」
リーダーはそう言って彼女に頷いて見せた。彼女も嬉しそうな目をした。
言えばすべて失うかも知れないのに、言わずにゃおれない、という恋がある。「親マスク派」のリーダーは今、リッちゃんにこの状態だった。
「マスクをしよう!と訴えながら、リッちゃんがマスクを取った顔を見たい」と言う気持ち。
これまで一度も、一瞬たりともマスクを外した顔を見せたことが無い彼女。
「どんな顔なのだろう」ただそれだけでぼんやり考え込むことさえあった。
よく考えると「親マスク」といっても、どこかでマスクを外す場合は誰にもある。だから、ほかのメンバーの顔は一度は見たことがある。だが、リッちゃんだけは無い。そんなフラストレーションが彼に「悪さ」をさせてしまった。
二人きりになった機会に、
「チラッとでいいから、一度だけ顔を見たい」と彼女に言ってしまった。リッちゃんは悲しげに目をクリクリさせて、うつむいてリーダーを見た。そんな彼女の顔を見てもリーダーは、「言ってしまった」以上、引き下がれない気持ちだった。
「どうしても見たいのね……」
リーダーの顔つきを見てリッちゃんはそう言った。
「あ、ああ……ゴメン。でも、好きな女の子の顔を一度見てみたいっていうのは……分かってくれないか」
リッちゃんは、思い詰めた表情になり右手で右耳に掛かったマスクの紐に手を掛けた。リーダーはゴクリと唾を飲んだ。そしてリッちゃんがマスクを外した。
「これで、どう?意外?でも、あなたが見たかったものがこれなのよ」
リーダーはことばが出なかった。彼女のその部分には、まん丸い径が2センチほどの黒い穴が一つあるだけだった。
「マスクに賛成する理由は病気予防のためだけじゃ無いのよ。マスクがどこでも一般化すれば、この星で生きて行くのが楽になると思っていたの」
そう言うと彼女は背を向けて去って行こうとした。
「リ、リッちゃん!」
リーダーは呼び止めた。すると彼女は振り向いて、
「もうここには居られないわ、じゃあね」
リッちゃんは口からピュゥっと黒い液体を一吹きしてリーダーの顔に掛けた。
タイトル「リッちゃん」




