袖振り合うも、多少の縁なり
こんな海でも、島にとっては宝なのだ。
白い砂浜に横たわりながら、翠は紺碧の海を眺めていた。
あたりには遠くで鳴くカモメの声と、胸に溶けるような波の音だけが響く。
「そんな覚悟で東京など、行かせる訳がないだろう」
さっき、父親から言われた言葉を頭の中でもう一度再生する。生唾を飛ばしながら、眉間にシワを寄せながら怒る父を、翠は久しぶりに見た気がした。
父の怒りを理解していない訳ではなかった。
それどころか、自分自身でもどこでネジが外れてしまったのかと内心焦っているくらいで、こうして海を眺めながら気持ちを整理する以外に何もすることが思い浮かばないのだ。
それもこれも、全てあの子のせいだ。
翠はしなびやかで人の目を惹く、端正な男の子の姿を思い出した。
やわらかく、短い髪をなびかせながら、不敵に笑う彼の名は、漆畑青時ーー。
夏休みに旅行でこの島を訪れていた、3つ年下の少年だった。
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「おばちゃん、久しぶり。あけましておめでとう」
「大きくなったねえ、青時。おめでとう」
「おばちゃん全然親戚の集まりに顔出さないからじゃん。俺は毎年来てるし。」
「悪いね。曜日感覚もなにもなくなるんだよ、物書きはさ」
蜜柑をむきながら、全く悪びれずに悪いねと口にする叔母を見て、こんな人なのに頭の中はすごいんだから人は見かけによらないと青時はため息をついた。
「そういえば読んだよ、新刊」
「おお、28巻出たんだ。どうだった?」
「面白かった。サガラが絶対裏で手ひいてると思ってたんだけど、ミスリードかよ!って感じ」
「ねー、思うよねー。スケープゴートにさせてもらったわ、悪いけど。一本取ったで」
眼鏡をかけたボサボサの髪の毛の女性がガッツポーズをとり、青時に見せつける。それをパチンとはたき、青時は口角が上がるのを抑えきれないような笑みを浮かべた。
「俺の学校でも、好きなやつ多いよ。今1番人気なんじゃない?本当にすごいよ、おばちゃんは」
「すごいのかねぇ〜。まだ実感わかないけど、銀行口座はなんか経済が狂ったのかってくらいのブチ上がり方はしてるわ」
「そうなの?すっげーな、ほんと!いくらいくら?」
「内緒だー、ボケ。」
「教えてよー、知りたいんだからさ、そういうの」
「ああ、そういえば青時も漫画家になりたいんだっけね。
最近はどうなの?いいの、書けた?」
叔母からの突然の問いかけに、はしゃいでいた青時の顔がみるみるぎこちなくなり、視線が泳いだ。
眼鏡の女性は青時から目を逸らすことなく、さらに「ん?」と小さく呟いて続きを煽った。
「書いてたのはさ、だって、ほら。子どもの頃じゃん。。今は、あんまり書いてない。」
「子どもの頃って、、、。あんたまだ中学生でしょ。小さい時はあんなに沢山書いてたじゃない。」
「おばちゃん、それ何年前の記憶よ!俺サッカー部だったし、レギュラーだったし、今は受験だし。。。書く暇もないってゆーか」
「まぁ、書きたい時に書けばいいんだろうけど。この世界は継続できないと、報われないよ〜。絶対に」
「わかってんだけど、無理なんだって、なんか。そういうこと、あるでしょ。」
青時はおもむろに蜜柑を掴み、半分に割って食べた。
半年前に部活を引退したあと、たしかに多くの生徒にとっての次のステージは「受験勉強」のはずだった。
しかし青時はもともと勉強が嫌いだった。だから、勉強などしなくとも合格できる高校に進路を決めた。
勉強をするつもりなんて、半年前も今もさらさらないのだ。
だからといってはなんだが、暇で暇で仕方がない半年間だった。今まで、これだけ時間を持て余した事はなかった、というくらいだった。
そんななかで漫画が沢山書ける、と意気込んでいたのは、誰でもない青時自身だった。
「おばちゃんの事は、めっちゃ尊敬してる。それは今も昔も変わらないよ」
「そう。まぁ、まだ若いからね。色んな経験しながら、ゆっくり成長してけばいいね。」
青時の叔母は、有名誌で連載をもっている人気漫画家だ。
見た目の印象とほ裏腹にそのバックグラウンドは知られざる程のエリートで、有名芸術大在学中に漫画家デビューを果たし、第一線で長く走っている名の知れた漫画家だった。
そんな叔母から見ても青時は、幼い頃から繊細な絵を書く、才のある少年だった。だから、思った通りに、「自分の若い頃よりもずっと絵が上手だ」と幼い頃からよく褒めていて、気にかけていた。
青時は叔母に気にかけてもらえるのが、何より嬉しかった。
この年。
結局、青時は志望校への合格を決めたあとも、友人と卒業記念でディズニーランドに行ったあとも、中学の卒業式を終えたあとも、高校に入学をしたあとも、高校生活に慣れたあとも、、漫画を書く事なく、書こうと思う事もなく過ごした。