とある魔女のお話
「あなた、捨てられたのね」
轟々と轟く雷が何回か周辺の大地に落ちる。バケツをひっくり返したような豪雨に顔を顰める事無くその美女はポニーテイルにした黒髪を風に遊ばせ地面に転がる年端も行かない子供に声をかけた。子供はその言葉に反応せず只生気を失った蒼き双眸を開き、暗黒に染まる空を見つめるばかりだ。ねぇ、と美女は子供に又も問いかける。
「私と一緒に来ない?」
子供に右手を差し出す。長い魔女の服の裾から覗く手は白雪のように白く、透き通るようであった。子供は美女をやっと視認したようで差し出された白い右手を凝視する。子供は枝のように細く、蒼白い手で差し出された右手を掴んだ。子供は掴んだつもりだったが、美女からすると握られているというよりかは柔らかく挟まれているようであった。そして美女はニッコリと微笑み、今さっき滅ぼしたばかりのこの村の事を忘れて子供を背負うと魔女らしく魔法を使い、この村、否。村だったモノから消えたのだ。
―――瘴気の森<魔女の家>
「まずはあんたのその体から何とかしないとね」
魔女は顎に手を当て、何かで作られた布一枚を着た子供を見つめる。生気の無い瞳は変わらず、雨に濡れていた為か、妙にベタベタしている白銀の髪を生やした頭のてっぺんから靴を履いていなかったので真っ黒になった足の先まで見る。そして魔女は風呂だね、と呟き、子供の着ている布を脱がせ、風呂場に向かう。その間にも子供は魔女の後をついていく。まるでカモの子供だ。魔女は風呂場に着くと世界樹の枝をくり抜いて作った湯溜め、所謂お風呂というものだ。
「ほら、早く体を洗いなさいな」
脱がした子供をぐいぐいと風呂場に押し込み、魔女は魔力を練る。
「ウォーターシャワー」
体内で練った魔力を言霊で物質に変換し、そして水に変換する。水は空中で分裂し、シャワーとなって子供に降り注ぐ。体を伝い、流れ出る水は茶色く濁り、少しばかりドロを含んでいるようだ。
「全く、汚いねぇ。どんな生活をしたらこんなになるんだか……」
魔女は滅ぼした村の事なぞすっかり忘れていた。だがしかし、この子供は家という家も、家族という家族も既にこの世にはなく、元はストリートチルドレンだったのを魔女も、あの土地の領主も知らないのだ。ゴシゴシと子供の体を擦り、汚れを落としていく。そうして洗い続ける事数分、水から濁りが消え、薄汚れていた体は白くなって元の色を取り戻した。
「うん!綺麗になった!それじゃあお湯に浸かって体を温めて」
魔女はそういうと子供を持ち上げ、先程溜めておいた湯につける。思った以上に熱かったのか体をビクビクと痙攣させ今にもお風呂から飛び出しそうだ。フフフ、と笑い風呂場から退室していった。湯気が立ち込め、視界が白く染まりかけると痙攣させていた体を止め、アァー、とおっさんのような声を出して湯に肩まで浸かった。
「………拾い主が魔女とはね……異世界転生ってのは難しいもんだな」
しみじみと呟く姿は愚痴を吐く社畜にも映った。幼き体に這入るは異世界で死に至った社畜の魂に社畜の精神。その幼き見た目からは考えられない知識の量と質を持っている。そう、彼は所謂前世の記憶というものを持っているのだ。だがそれは神のミスではなく、神々からの頼みで転生した故の特権である。但し、その知識をこの世界にもたらしてほしいという訳でもないのだ。彼に託された神々の願いとは〝拾われた主の死を防ぐこと"それだけだ。神々はこの魔女の齎す未来の薬で皆が救われる、という未来だったのだ。そう、だったのだ。ある日を境に未来が変わったのだという。彼女が暗殺され、魔女が消えると未来に現れる新たな感染病に犯され人類の滅亡する。そう運命が決定付けた。そう彼を転生させた女神は言っていたのだ。故に彼は彼女を、魔女を殺されるわけにはいかないのだ。と、不意にノックの音がした。
「はーい?」
彼がノック主に対して返事をすると、擦りガラスに女の体のシルエットが浮かび――、
「私も一緒に入るよ」
そう言って、擦りガラスの扉を開け放った。
「何やってんだ、このババア!!!!」
彼の魂からの叫びが森に響き、周囲の魔物は驚きのあまり逃げていった。
――――――――十二年後 瘴気の森<魔女の家>
「母さん!!行くなよ!俺を置いていくんじゃねぇよ!!!どけ!邪魔すんじゃねぇよ!税金喰らい共がッッッ!!」
両腕を騎士達に掴まれながらも必死に彼は抵抗する。彼の目の前で起こっているのは、魔法具の『魔封じの鎖』という鎖を体中に巻き付けられ、連行されていく母、彼を拾い育てた魔女であった。これが起こったのは数分前の出来事だ。
――――数分前
「母さん、また『神薬のエリクサー』を作ってるのか?いい加減休んだらどうだ?作業し始めてもう一週間だぞ」
彼は一週間前に言ったセリフをもう一度繰り返した。三年ほど前の事だ。彼は母を守る為にドラゴンと真っ向から衝突し、左腕の肘から下を食われたのだ。それからだ、彼女が欠損を直せるという伝説のエリクサーを研究し始めたのだ。その日から一週間ごとに彼が声をかけて休ませている。そんな時だ、世界樹で出来たドアをノックする音が聞こえた。
「はーい」
そこが運命の分かれ道だった。ドアを開けると多くの騎士がこの家を包囲している。その異様さにいち早く気付き、己の中に眠っている強大な魔力を練り上げ、魔法を発動する。
「ファイアボール!」
騎士に向けた右手から出現した下級魔法ファイアボールは騎士に吸い込まれ、爆発を起こした。爆風は彼の前髪を揺らし、騎士達は腰に提げた剣を抜刀した。ファイアボールが直撃した騎士は傷一つなく、驚愕した。彼は右手に魔力を集め、右手の中で炎を顕現させる。そしてそれを長剣に形作ったその刹那。形を成していた魔法が消え失せる。
「ジャミング!?一体誰が・・・ッ!?」
自身の魔法が消え失せたことから魔法阻害と想定し、騎士達を見渡す。だが何故だろうか、ジャミングを行える腕の魔法士を見つけらず、おかしなことに騎士達は剣を此方に向けず、忠誠を誓うように胸の前に立てている。違和感を持った瞬間、彼はうなじ辺りに強い衝撃を感じ、フラりと倒れそうになる所を三人の騎士に受け止められ、両腕と両肩が掴まれる。身動ぎをし、衝撃を自身に与えた人物を確認しようと顔を自分の背にしていた家の中、彼はもう既に気が付いていたのかもしれない。だが彼は認めたくなかった。そう、その犯人は・・・。
「・・・・すまんな、アイルテール」
「か、あさん・・・」
現実を目にし、ガックリと彼は、アイルテールは項垂れた。ジャラジャラと音を立て、魔女に巻き付く無数の鎖。アイルテールは顔を上げ、叫ぶ。
「母さん!!行くなよ!俺を置いていくんじゃねぇよ!!!どけ!邪魔すんじゃねぇよ!税金喰らい共がッッッ!!」
両腕を騎士達に掴まれながらも必死に彼は抵抗する。彼の目の前で起こっているのは、魔法具の『魔封じの鎖』という鎖を体中に巻き付けられ、連行されていく母、彼を拾い育てた魔女であった。
ドクン。
アイルテールの体の中の心臓が大きく高鳴った。無くなった筈の左腕が熱くなり、やがてその身体から魔力が立ち昇る。それを見た魔女は鎖に巻かれたまま左手を出来るだけ伸ばし、魔法を発動した。
「ウォール・プラント」
魔女の体を縛り付ける鎖が紫に輝き、その体を締め付けた。苦悶の声を上げるが、魔法は上手く発動した。発動した魔法はアイルテールの肢体に絡み付き、みるみるうちにアイルテールの抵抗を封じた。
「クッソ!魔法を解除しろよ!!じゃねぇとアンタを解放できないじゃねぇか!!!」
「五月蠅いぞ、小童。・・・この騎士たちは私が呼んだのだ。国は私の事を邪魔に思っていたようだからね、元々私はアンタを育てた後に捕まろうと思っていた。国王とも話した。「私があの子を育てるまで待って欲しい」とな」
衝撃の事実に悪態を吐いていたアイルテールの口が塞がった。魔女は最後にアイルテールの顔を見て微笑んだ。
「本当に私の息子は可愛いね」
それが、アイルテールが魔女と話した最後であった。
魔女は、緑園の魔女は死んだのだ。
これは、彼、アイルテールと魔女のお話。そしてこの物語は、数多ある伝説の本の一つ。そしてこの物語は転生者の一人であるたった一つの、物語――。
―――終。
衝動的に書きたくなったので短編として投稿致しました。この作品に関しての感想や質問等は感想欄からお願いいたします。