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 事件は、週刊誌やテレビのワイドショーを二週間ほど騒がした。

 婚約者を殺害したという、ただでさえ世間の注目を浴びる事件であったものが、数倍の話題性を持つものに化したことを考慮すれば、この騒ぎは些細なものだったかもしれない。

 篠沢伸子は現行犯で逮捕され、その罪は殺人未遂から殺人へと変わっていた。

 浅野邦夫は結局、搬送された病院で命を失ったのだ。浅野邦夫は病院へと搬送される救急車の中で、今回の事件の犯行を認めた。私があのとき話したとおりの内容であると認めた。それは、正式な調書とはならなかったようだが、彼は被疑者死亡のまま書類送検されることとなった。検事は何点かの不明点があるものの、死に際の自白というものを重視したのだろう。

 また、邦夫が間違い電話だったと主張した二十三時過ぎの電話も、篠沢家から最も近い公衆電話からかけられたものだと判明した。何故携帯電話や家の電話で連絡をとろうとしなかったのかは疑問だが、これは恋人が記憶を失うという異常事態において、篠沢誠一が慌てていたのだろうとも考えられる。はじめは家の電話でかけ、そのときはちょうど邦夫とその母親夏子と話中であったとも推察できる。直接邦夫を呼びにゆこうと家を出る最中、慌てた為に携帯電話を持つことを忘れた。こんな流れは決して不自然ではない。

 ともかく、沙耶は解放された。

 私の推理が、一人の人間の命を奪うことになったという事実は、これからの私の一生につきまとい、背に科せられた罪の意識となることだろう。

 しかし、そんな罪悪感よりも、私は沙耶を救い出したという達成感、充実感、満足感が勝っていた。被害者と加害者という、二人の人生を終わらせたにもかかわらず、私の心は幸せに満ちていた。

 沙耶はあの後、簡単な事情聴取を終え、数日後には釈放されていた。事情聴取といっても、彼女は何も記憶していなかったのだから、回答はそれまでと同じものだった。そう、『憶えていない』だ。

 彼女よりも私や御渦に対しての質問の方が、時間を長くとっていたような気がする。警察としては当然か。本来彼らがすべきことを、私と御渦が勝手に代行してしまったのだから。彼らはその面子にかけて、事件のあらましを把握しなければならないはずだ。

 だが、面倒なことは僕に任せろと、御渦が殆どの事情聴取を引き受けてくれたおかげで、私は全くと言っていいほど実生活に支障をきたすことはなかった。

 警察の他に、ワイドショーのレポーターがやってくることも危惧していたが、気配すら感じることはなかった。

 仕事にも無事復帰し、上司や同僚に色眼鏡でみられるようなこともない。

 何も変わることがなく、そして順調な日々を送っている。

 そう、私と沙耶が一緒に暮らしはじめたということを除けば。


「おかえりなさい」

 四隅が錆付いたドアを開けると、弾けるような沙耶の笑顔が私を迎えてくれる。髪の毛は一括りに後ろで束ねられ、化粧気もなく、女子高生のときと何一つ変わらない彼女がいた。部屋の中は基本的に変わっていないはずなのだが、彼女が帰ってきて以来、家具や壁紙、すべての色が明るく見える。

 私はこの笑顔を見るために、御渦という面倒な男に振り回されつつも、事件解決に奔走したのだ。

「食事の準備ができてますよ」

 私の鼻腔は、ビーフシチューの濃厚な香りで満たされる。

 沙耶は警察に釈放されるとすぐ、私の部屋に転がり込んできた。

 一人であの広い家に暮らすことはできないのだという。兄との思いでも詰まっており、気が狂いそうになるのだともいう。

 沙耶の願いを、私は二つ返事で了承した。もちろん私にとっても、願ってもないことなのだ。長年思い描いていた理想の生活がはじまった。

 朝起きると、隣に静かな寝息をたてる沙耶が眠っている。私は彼女を起こさぬようにベッドから抜け出し、仕事へと向かう準備をする。そして仕事を終え帰宅すると、沙耶が得意の料理を準備している。

 それは彼女がきて以来のこの一週間、変わらぬ習慣となっている。沙耶は掃除や洗濯も済ませてくれており、私は幸福と同時に楽もさせてもらっている。

 幸せという言葉の意味を、私はようやく理解できたのだと思う。

 結婚という言葉は、まだ二人の間に話されたことはない。彼女は婚約者を亡くしたばかりなのだし、当面そのような感情にはならないだろう。

 私は気長に待つことにする。それまで、この甘美な日々を過ごすことができれば、私に不満はない。

「いい香りだ。今日はビーフシチューやね。そんなに毎日気合を入れてつくらんでもええよ。残りモンとか、惣菜とかでも」

 私はネクタイを解きながら言った。

「ううん。そんなことできないよ。中井君は恩人なんだから。中井君がいなかったら、私は今頃刑務所の中なんだよ。ちょっとでも恩返ししなくちゃね。こうみえて私、料理は得意なんだから。まだまだレパートリーはあるのよ。明日はロールキャベツね。今仕上げしてるところだから、ちょっとだけ待っててね」

 沙耶は指揮者のタクトのように包丁を振るう。

「それから、ビール沢山買ってきたから、飲んでてね」

 沙耶の頬は僅かに赤く染まっていた。どうやらもう出来上がっているようだ。

 よい香りを放つシチュー鍋の近くに、淡い琥珀色の液体が揺れていた。

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