表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/30

24



 残念ながら天候は下り坂だ。今にも落ちてきそうな灰色の雨雲が、近畿一円を覆っている。土曜の朝の見慣れぬ天気予報士が言うには、午後から雷を伴う荒れ模様になるのだそうだ。そんな暗雲漂う空の下、私は一人電車を乗り継ぎ、京都国際会館前の駅に降り立った。

 貧弱な記憶力しか持たない私であっても、三四日程前の出来事は鮮明に憶えている。私は御渦と共にこの地を訪れ、被害者である篠沢邦夫の葬儀に出席した。そして伊藤重信と出会い、事件現場である篠沢家に案内された。私たちの調査として、先ずはじめに訪れた場所である。

 今さらではあるが、私たちは調査と呼べるような活動をしていたのだろうか。事件現場を見て、関係者たちの話を聞いただけだ。指紋が具体的にどこにあったのかも知らなければ、事件現場の遺留品を見てもいない。また、DNA検査が行われたか否かも分からない。

 それでも、私は真実に辿り着くことができたと信じている。

 要は、動機とアリバイである。

 私は、このパズルを解くことができた。

 後は、この真実を、本人の目の前に突きつけるのみである。

 それで、全てが終わるはずだ。

 昨日の御渦の電話によると、午後二時に篠沢家に集合とのこと。生来の小心から余裕を持って家を出たところ、案の定早く着きすぎてしまった。時計を見ると、短針はまだ正午を越えていなかった。

 仕方がなく私は、駅近くのファミリーレストランに入ることにした。本来私は、一人では決してファミリーレストランに足を踏み入れない。それでもその店を選んだのは、他に選択肢がなかったからだ。飲食店ではなくとも公園でもみつかれば、迷わずそこを時間つぶしの場と決めていただろう。

 私はランチと飲み放題のドリンクバーを注文した。しかし、食事は一向に喉を通らず、私は終始薄いコーヒーを飲み続けていた。昨日まで、あれほど自信に満ちていたはずなのだが、本番を目前にした途端緊張感が目を覚まし、私の中で見る見るうちに勢力を拡大している。カップを持つ手が振るえ、琥珀色の海は大時化だった。

「早いじゃないか」

 不意に後方から声をかけられるのと同時に、私の肩が叩かれた。私は驚いて短い悲鳴を上げ、飲みかけのコーヒーをテーブルに撒いてしまった。奇妙な私の悲鳴が店内に響いたため、すぐさまウェイトレスが駆けつける。

「何をしてるんだい、馬鹿だなぁ」

 ウェイトレスから雑巾を取り上げ、御渦は代わりにテーブルを拭きはじめる。

「お怪我ございませんか?」

「大丈夫です。心配いりませんから」

 私を危惧した店員に対して、御渦は勝手に返事をして、早々に席から追い払ってしまった。そして、私の了承を得ぬまま、目の前の席にどかんと座る。

「よかったな。服にはかかっていない。せっかくの晴れ舞台に、みっともない染みがついた衣装で出るところだったじゃないか」

 自分がその原因となったことを棚に上げて、御渦はからかい口調で続ける。

「そのコーヒー飲み放題なんだろ。空になってしまったんだから、さっそくもらってこいよ。まだ時間はたっぷりあるしね」

 御渦は尻のポケットからクシャクシャのタバコを取り出したが、このテーブル上に灰皿がないことを発見した。体を伸ばし、誰もいない隣のテーブルからカラフルな灰皿を手に入れてから、満足げに火を点けた。

 私は先ず、自分の服にコーヒーの染みが付いていないかを確認する。この日は白いポロを着ていたため、小さな染みでも目立ってしまう。幸い御渦の言うとおり、茶色い跡はみあたらなかった。

 美味そうに煙を吐き出す御渦を横目に、私は新しいコーヒーを注ぐために席を立った。

 急に肩を叩かれ、確かに驚いたはずだったが、その相手が御渦と分かると、その驚きも急速に冷めていった。彼はいつでも突然現れる。そのことに私が慣れてしまったせいだろう。今日も篠沢家に到着する前に、御渦とどこかで出会うことを、私は頭の隅で予感していたと思う。

 新しいコーヒーをカップに注ぎ、私は席に戻る。その頃には御渦はもう一本目のタバコを揉み消し、早速二本目のタバコに火を点しかけていた。

「それで、考えはまとまったのかい? あれから再考、熟考したのかい?」

 先日御渦にみられた憂いは、もうこのときには感じられなかった。いつもの御渦がそこにいるだけだった。彼は超然と、私を見下してタバコを吹かしている。

「ああ、心配せんでも、すぐに解決したるわ」

 真正面で御渦の視線を受け止め、私はこたえた。そうこうしている間に、御渦がいつの間に注文していたのか、焼肉定食が運ばれてきた。それから彼は黙って食事を摂り、私はちびちびと不味いコーヒーを飲んだ。

「僕が渡したレポートには眼をとおしたかい?」

 私が黙って頷くと、御渦は満足そうな顔をして、食事を続けた。

 食事を終えると、御渦はテーブルに伏せて居眠りをはじめる。私は相変わらずコーヒーをすすり続けた。私は関係者を前にして、いかにして自分の推論を展開するかを頭の中で何度もシミュレートする。皆の驚く顔が目に浮かぶ。唯一の憂いは、私が説明下手であることだけだった。大切な所でパニックに陥りはしないだろうか。私の舌は上手く回るだろうか。またしても緊張感が首を持ち上げてきたが、御渦の呑気な寝顔を見ると、それも自然と消えてしまった。

 こうして、約束の時間が近づいてきた。

 御渦は約束の時間十五分前になると、なんの合図もなしにむっくりと顔を上げる。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 本当に寝ていたのか疑いたくなるほどの目覚めのよさだ。御渦は先に立ち、大またでスタスタと歩き出した。


 出入り口付近で精算しているとき、私は見覚えのある中年女性を店の奥の席に見た気がする。そう、あれは篠沢伸子だったと思う。息子の葬儀の場で泣き崩れた顔しか見たことのなかった私には、平生の彼女の顔をその一瞬で見分けることができなかったが、まず間違いないと思われる。しかし、それが平生の顔とは思い難い。彼女の顔は怒りに満ちており、テーブルの上に置いた白いハンドバックを、ただじっと睨み続けていた。

 鬼の形相であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ