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 戸田夏子の家を辞し、私たちは来たときと同じ道を辿って堅田の駅まで戻ってきた。日差しは弱まることなく、私は更に体力を消耗することになった。御渦も表情は平生を保っているが、そのシャツの背中は、汗で濡れている。

「ええ時間やし、飯にしよか」

 珍しく私が口火を切り、店をさがすことになった。しかし、お昼時という時間帯のせいで、目ぼしい定食屋やラーメン屋は客で埋まっていた。唯一、駅前のファーストフード店はテイクアウトの客が多いからか、席に余裕がみられた。

 食欲はなかったが、喉は渇いていた。私はLサイズのコーラと期間限定のバーガーを注文し、先にテーブルに座る。御渦はなにやら時間のかかる品物を要求しており、カウンターの中の中年女性を困らせていた。大阪市内で同じチェーン店に入ったら、どこも若く綺麗な女性が働いているが、ここの店は高校生以上の子供がいるであろうと思われる年代の女性しかいなかった。どんな年齢であっても同じカラフルな制服を着なければならないというのは、ある意味残酷に感じられる。店長とみられる若く痩せた男性は、そうした年配の女性たちにあごで使われているようにみられた。

 巨大なカップに注がれたコーラを半分ほど飲んだ頃、ようやく御渦がトレーを持って私の前に座った。

「冗談じゃないよ。僕が愛していたジューシーえびたまバーガーが、もう取り扱っていないなんて言うんだよ。だからこうしたファーストフードは嫌いさ。気に入ったメニューがすぐになくなっちまう」

 嫌いだと言いながら、御渦はバーガーの包を二つ、他にフライドポテトとナゲットをトレーに山々と載せていた。ドリンクは私と同様、Lサイズで注文している。その中身はうかがい知れないが、御渦はストローを使わず、カップから直接ぐいぐいと飲みはじめた。そして、氷を口に含みバリバリと噛み砕く。

「戸田夏子の印象は、どうだった?」

 続いてバーガーをほお張りながら、御渦は急に本題に入った。

「どうって、言われてもね」

 私も包みを破り、湿ったパンにかぶりつく。

 私の思考は混乱していた。沙耶の実母がイメージと乖離していたこと、そして浅野一家の経緯。今回の事件とこれらの情報は、どのように繋がるのだろうか。一本の筋が通りそうで通らない、霧がかかった状態だ。

「僕の印象を話そうか。彼女は、息子の邦夫が好きで仕方のない人だね。そしてその反面、娘である沙耶には、関心を持っていない。親の形として、これは異常なことなのだろうかね。僕の知識の範囲では、これほど子供を対極として扱う例は、極めて稀だよ」

 そんなこと、改めて言われなくても分かっている。

「実を言うとね、僕はもう、事件の全貌が見えたよ」

 バーガーとフライドポテトを同時にほおばりながら、唐突に御渦が口にした台詞は、私を硬直させる。彼はついに、真犯人へと辿り着いたのか。先ほどの戸田夏子との面会を経て、その確信を得たというのか。

「浅野邦夫、彼はおそらく境界例だ」

「キョウカイレイ?」

「そう、人口に対して二パーセントほどの比率で発生する人格障害だ。ボーダーラインとも呼ばれている。情緒不安定で、リストカットを繰り返したり、アルコールや麻薬に溺れることが多々ある。ともかく、人間関係が不安定になりがちで、二者関係に執着することが特長だ。リストカットや麻薬であれば周囲に分かりやすいが、表面上は正常で、自分自身でもこの人格障害であると気付いていない例も多い。邦夫はこの境界例の中でも、依存強化型に分類できるだろう。弱者に対して献身的な姿勢をとおすが、実はその反面、自分が頼られることで相手に依存しているというやつだ。邦夫はアル中の妹の面倒を見ているようでいて、実は自分が見捨てられることを回避しているんだ。アルコールから回復させようと口では言っているが、実際には家にウイスキーなどを置いて、彼女が自然とそれを口にするように仕向けている。妹がいつまでも自立しなけれな、それだけ兄としては頼られる。頼られているうちは、決して自分から離れては、つまり捨てられることはないからね」

「その境界例というやつは、生まれつきの病気なんか?」

「いいや。成長過程において、母親との関係が適切に構築されなかった場合に発生すると言われている。母親が子供の自立を喜ばなかったり、自立を妨げたり、または見捨てるという脅しを子供に頻繁に強いることで発症するようだ。戸田夏子は、明らかに邦夫の自立を妨げており、見捨てるという恐怖心を弄んた教育を行ってきている」

「そ、そんで、事件の全貌て、どないやねん。その境界例というやつが、関係しとんのか?」

 私は期待した。邦夫が精神を病んでいるが故に、今回の事件の真犯人であるということに。しかし御渦の口からは、私を突き放す言葉が吐き出された。

「なんだい、僕に教えて欲しいのかい? 厭だね。僕は決してそれを語らない。これは僕の事件ではないんだよ。君の事件さ。君が解決しなければならない。僕はあくまで、君の手伝いをするだけだよ。事件の真相は、君が自分の手で解明するんだ」

 なんという意地悪な男だろう。真相が分かったのならば、話してくれてもいいだろうに。御渦はそれっきり食事に夢中となり、無駄口一つ、厭味一つも話そうとしなかった。

 私には、青臭い十代のような反骨精神が宿っているようだ。御渦に冷たく突き放されることで、妙なやる気が起こった。

 私は食べかけのバーガーを持ったまま、この事件の全体像を思い描く。

 はじめに、何があったのだろう。私と沙耶が再会したことが始まりだったか。そうではない。事件はそのとき既に終了している。私は、エピローグでようやく登場する端役なのだ。

 事件は、私が沙耶と再会した前日に起きている。しかし、その原因をさぐるには、更に時間を遡らねばならない。数日、数ヶ月、いや数年だ。

 御渦がヒントをくれている。彼が関係者に問いただした内容を思い出せ。私は彼のような完璧な記憶力を備えているわけではないが、ここ数日間の会話を想起することぐらいは可能だ。

 先ずは誰からだ。最も古い話を語った人物。そう、ほんの数十分前に会ってきた、戸田夏子である。

 彼女の話をまとめると、次のようになる。


 一.邦夫は聞き分けの良い子供だった。

 二.沙耶は言うことの聞かない悪い子供。親の目から見て、殺人事件を起こしても不思議ではない子供。

 三.邦夫と沙耶の父親は、三年前に他界。死因は家の中で階段から転げ落ちたこと。

 四.父親亡き後、邦夫が家計を支える。夏子の記憶には邦夫しかない。

 五.邦夫には恋人がいない。(夏子が邪魔をした?)

 六.一年前に夏子は再婚。その際、二人の子供は反対しなかった。

 七.夏子が再婚を決めた時点では、沙耶は京都へ帰っている。


 これらは無論、夏子の視点からでの話としてである。

 これに、事件直前までの情報を加える。私が沙耶から直接聞いた話と、御渦が警察関係者から仕入れてきた情報、そして昨日出会った人々の話を集約したものとなっている。


 一.沙耶は無職であり、邦夫に養ってもらっている。

 二.沙耶には婚約者があり、その母親からは疎まれていた。

 三.沙耶はアルコール依存症である。

 四.邦夫は沙耶の結婚に概ね協力的であった。


 これらの情報をまとめると、浅野邦夫という男の存在がはっきりとしない。御渦は彼が境界例という人格障害であると決め付けているが、聞いた限りでは邦夫は妹の結婚に協力的であったのだ。沙耶を篠沢の家まで送迎していたという事実がある限り、単純に境界例として沙耶に依存していたと結論付けてよいものか。

 ともかく、事件に至るまでの、浅野家の背景は以上で語ることができる。

 次に、被害者である篠沢誠一の周辺状況をまとめてみよう。


 一.被害者である篠沢誠一は凡庸なサラリーマンであり、その周辺にトラブルはなし。

 二.その母伸子は、女手一つで息子を育て上げ、息子を誇りに思っていた。

 三.伸子は息子の婚約者である沙耶に好意を持っていない。しかし、その兄邦夫に対しては、医者という肩書きが気に入っていた。

 四.母伸子も再婚の話があった。再婚相手である伊藤重信と誠一の関係も良好である。


 以上が、事件関係者それぞれの背景である。

 次に、事件当日、犯行時刻の、それぞれの動きを見てみよう。


 四月十日事件当日。

 十七時頃、沙耶は兄邦夫が運転する車により、篠沢家へ到着する。尚、邦夫の車は大変にやかましいものだ。母伸子対策として同行していた邦夫であるが、伸子の不在を知ると早々に立ち去っている。その時刻は十七時三十分前後。

 そして、篠沢誠一が殺害される午前零時を迎えることとなる。

 犯行時刻の前後一時間ほど、近隣住民の話によれば、誰も篠沢家を訪れていないし、出て行ってもいない。ただ、私としてはこの情報を信用していない。例え隣に住んでいたとしても、その住民が出入りすることを逐一確認し記憶することは、今の時代では考え難い。加えて、当日は大雨が降っている。これは単に、派手な出入りが無かったということなのだと推測できる。つまり、ひっそりとであれば、否、派手ではなければ、人の出入りは可能だと思われる。

 では、誠一殺害時前後における、関係者の動きを見てみよう。

 先ず、篠沢誠一の母伸子、彼女は自らが経営するスナック『故郷』にて、客の相手をしていた。それは客と従業員が証言しているのだという。数分間ならば店を抜け出すことは可能だろうが、片道十五分を必要とする自宅までを往復する猶予はない。

 次に、伸子の恋人伊藤重信。ラーメン屋を経営。営業時間は二十四時までで、習慣としてその後清掃と翌日の仕込みで一時間を費やす。伊藤は午前一時に店を出て、篠沢伸子の店へ向かう。その日も伊藤は一時過ぎに『故郷』へ現れた。本人談によれば、閉店間際の二十四時近くまで客がいたとのことであるが、それを証明する人物は出てきていない。つまり、犯行時刻の午前零時前後のアリバイは無い。ただ、彼が篠沢家を訪れるためには車が必要になるのだが、伊藤は運転免許も車も持っていない。必然的に協力者の存在が求められることになる。協力者がいれば伊藤の犯行は十分可能であるが、知る限り、彼には篠沢誠一を殺害しなければならない動機がない。

 浅野邦夫の行動はどうだろう。彼は妹の沙耶を送り届け、その後帰宅して外出はしていないと主張している。邦夫のアリバイは、二十三時を回ってからかかってきた電話で、一応成立しているようにも見える。電話の主は彼の実母戸田夏子だった。そして五分で電話は切られる。彼の荒い運転であれば、数十分で浅野家までの距離を往復することは可能である。しかし、騒々しい彼のアウディを使ったことは考えられない。あの車は目立ちすぎる。邦夫の家と浅野の家、双方比較的住宅地にあるのだ。誰一人気付かないわけがない。彼の場合でも犯行に及ぶためには、協力者の存在が必要になるよう思われる。

 そして、問題の沙耶である。彼女は兄に浅野の家に送り届けてもらった後、翌朝、篠沢伸子に発見されるまで、行動が全く不明である。彼女自身の証言によると「憶えていない」のだそうだ。そんな都合のよい証言を、警察がまともに取り扱うわけもなく、彼女は今も被疑者として留置されている。彼女にもまた、篠沢邦夫を殺害しようという動機はない。何しろ二人は、これから結婚しようとしている間柄なのだ。篠沢誠一が死ぬことで、最もダメージを受けてよい人物の一人である。ただ、彼女は死体と同じ部屋に居るところを発見された後、その場から逃亡している。御渦によると、彼女は伊藤重信により、半ば強引に逃亡させられたのだという。伊藤の意図は未だ不明だが、このことからも、沙耶の無実を私は信じる。

 ともかく、事件の全貌を知る立場であるはずの沙耶が、全ての時間を浅野家で過ごしている沙耶が、何も憶えていないと主張しているせいで、誰も真相を知ることができずにいる。唯一御渦という男が、事件の全貌を理解したと主張しているが、どこまで当たっているのかは疑わしいものだ。


「事象を複雑にすることはない。全てのピースはもう揃っている。後は素直に、それを当てはめるだけさ。先入観を取り払うことが大切だ」

 二つ目のバーガーを平らげ、御渦は油まみれの手と口を紙ナプキンで拭いながら喋る。


 本当なのか。本当に、もう事件を構成する情報はないのだろうか。これが限界なのか。私は、全てを集め尽くしたのだろうか。これで本当に、彼女を救い出すことができるのだろうか。


「まだ、時間はあるよ。そうだね、後四日は猶予があるだろうか。その間、ゆっくり考えれば良い」

 御渦は食後の一服に火を点す。そのタバコの先で軽快に叩かれたアルミ製の灰皿が、ゆっくりと半回転して止まった。

「そうだ、一つだけヒントを加えてやろう。この事件のキーワードは『記憶』だ。浅野沙耶が唯一証言している言葉を思い出せ。あの言葉が、事件を解決させる鍵になる」

 一方的に語った後、御渦は完全に沈黙した。もう、タバコと景色しか楽しんでいない。私の存在など忘れてしまったかのように、窓の外へ視線を向けたままになっている。

 例えヒントをもらっても、今の私にこのパズルが解けるとは思えなかった。色々な情報が、噛み合うようで噛み合わない。

 私の苦悩など無視するように、御渦はただ立ち上がった。そして、挨拶もなしで、一人店を出て行った。

 その後一時間私は一人店に残り、事件の解明を試みたが、結局こたえを出すことができなかった。御渦が言うとおり、まだ時間的な猶予がある。私は思考の焦点を、明日も休みをもらう理由へと切り替えていた。

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