16
私たちは十五分ほど歩いて、京阪伏見桃山駅に到着した。
時刻は既に十六時半を回っている。
「コーヒーでも飲もうか」
喉がカラカラだった私は、御渦の提案に素直に従った。駅前に店を構えるレトロな喫茶店に入ると、私たちは先ず出されたお冷を一気に飲み干す。
「アイスコーヒー二つ」
御渦は私の意見を聞かずに注文したが、これについても文句はなかった。
「邦夫は、お茶の一杯も出してくれなかったねえ」
黒い上着を脱ぎつつ、御渦はさっそくタバコを取り出して火を点ける。私もダブルの上着を隣の椅子に脱ぎ捨て、ハンカチで額の汗をぬぐった。喪服の襟袖には、汗の痕が白くゆがんだ線を描いている。
とても長い一日だった。もう家に帰り、ベッドに沈みたい。
思えば私たちは、行く先行く先で相手を怒らせ、家から追い出されている。否、私たちではなく、御渦宗茂がであった。私自身は、いてもいなくても、結果に左右しない存在なのだ。
「浅野邦夫から得られた情報は大きいね」
運ばれてきたアイスコーヒーをストロー無しでごくりと飲んで、御渦が話しはじめる。
「さっきの話で、いったい何が分かるんや。俺には分からん。ホンマに俺ら、何か役に立つ情報を得られとるんか?」
「もちろんさ。パズルを埋めるパーツはそろいつつあるよ。それを、どうやってはめ込むか、が難しいだけさ」
「分かったことがあるなら、少し教えてくれや」
御渦の真似をしていると思われたくないがために、私はストローでアイスコーヒーをすする。ひどく温く、元からガムシロップが入った甘いコーヒーだった。
「今の段階ではっきりしていることは、伊藤がわざと浅野沙耶を逃がしたということ。そして、さっき会ってきた兄浅野邦夫は情緒不安定。病院の関係者に聞いた話と総合して判断すると、何らかの人格障害者である可能性が高いね」
指にタバコを挟んだまま私を指差して、御渦は語った。
「人格障害? それは、精神病みたいなもんなんか?」
「少し違う。違っているようで当たっている。学者によって分類も様々で、僕も説明し辛いな。一言で言えば、性格の病気、かな」
「性格が悪いってゆうことか?」
「その定義付けが曖昧なんだよ。まあ、簡単な線引きとして、周囲の人間に迷惑を及ぼすような行動を取りはじめた段階から、人格障害と言って良いんじゃないかな。シュナイダーという学者によると、人格障害は十に区分できるらしい。爆発タイプ、軽薄タイプ、自己顕示タイプなどなどだ。簡単に言うと、極端な人かな。突然怒り出して、周囲の静止を全く受け付けなかったり、限りないお調子者だったり、極めて見栄っ張りであったり、という具合だよ」
「そんなん十もあったら、誰もが、何らかの人格障害になってしまうんちがうか?」
「そう、誰もが軽度の人格障害であるともいうことができるね。それが個性というやつかもしれない。だけど、それが顕著に現れる症例に対して、この人格障害という言葉は適用されるんだ。彼、浅野邦夫は周囲とのトラブルを繰り返している。さっき言った爆発タイプと何かの障害を併発してると思われるね」
どこから沸いた自信なのか不明だが、御渦の口調は断定的だった。私には得心できない。そもそも、心理学というもの自体を私は疑っている。人格というものは千差万別。どんな偉い学者だろうと、人格を線引きすることなんてできないはずだ。そして、してはならないとも思っている。
「これからどうする?」
残りのアイスコーヒーを一気にあおり、御渦が言った。
「これからって、まだどっか行く気か?」
私は疲れていた。これ以上、この男に連れまわされたら、倒れてしまうだろう。
「もう遅いからね。残りは明日にしようか」
私は胸を撫で下ろす。やっと家に帰れるのだ。しかし、一つの言葉が私の目を覚ます。
「明日て、明日もここへくるんか?」
「いや、京都じゃない。明日は大津だ。浅野沙耶と邦夫の母親に会いに行こう。今から行ってもかまわないんだが、遅くになって警戒されては、引き出せる情報が制限されてしまいかねないからね」
「そんなん違う。自分と違い、俺はサラリーマンなんや。二日も休みはもらえへんよ」
いくら私の会社が有給休暇を取りやすい環境にあるといっても、二日連続は困難だ。その辺りを、この自由人であるところの御渦宗茂は理解していないようだった。
しかし御渦は、理解していないどころではなく、目を大きく見開いて驚いている。それは、怒りに近い驚きの表情だ。
「おいおい、いったい誰の為に、こうして動き回っていると思っているんだい」
金槌で頭を殴られた気分だった。御渦の言葉により、私はこの調査の目的を思い出す。疲労により、忘れかけていた目的。沙耶を救い出すということ。
「すまん」
小さな声で、私は謝罪した。この御渦という男も、自分の記事を書くためとはいえ、私に協力してくれているのだ。目的は異なるが、真相をさぐるという過程は一緒だ。
私がこうしてへばっている間、沙耶は冷たい牢屋の中で過ごしているのだ。拘置所という所がどんな世界なのか知らないが、居心地の良いものではないことは容易に想像できる。彼女はただ拘置されているだけではない。いかつい刑事により、厳しい取調べが行われているのだろう。一日でも、否、一時間、一分、一秒でも早く開放してやらねばならない。私は、彼女を救い出すナイトなのだ。
胸中の声であったが、余りに陳腐なフレーズが発せられたことで、私は顔を赤くしていた。
御渦はただ、タバコを吹かしている。
私はこのとき、沙耶のことを思い頭がいっぱいだったから気付かなかった。御渦の言葉を、私は全く曲解していたのだ。そして、彼の本当の目的も理解できていなかった。
コーヒーを飲み干すと、私たちは無言で駅へと向かった。




