14
人が近づいてくる気配を感じ、私はもたれかかっていた黄色いワーゲンから体を起こす。
スーツ姿の痩せた男が、駐車場の端に立っていた。私がその存在に気が付いてからは、男は動きを止め、じっと私たちをみつめているようだ。その表情を読み取るには、距離が有り過ぎたし、鼻の上にのっている縁のない眼鏡も光っていた。
「やっとおいで下さったか」
私の隣で御渦も体を起こす。
「君が声をかけてみろよ」
突き放すような御渦の口調だった。私は二度咳払いしてから、震える声を絞り出す。
「あの、浅野……邦夫さんでしょうか」
たたずむ男は、ゆっくりと頷いた。
「君たちは何者かね?」
浅野邦夫はようやく口を開く。高く、よく通る声だった。まだ我々との距離は十数歩離れている。
「受付の方に言いませんでしたか。私たちは妹さん、沙耶さんの友人に当たる者です」
こたえたのは御渦だ。どうやら私の役目はもう終わったようだ。
「沙耶とは、どうゆう関係?」
「彼をご存知ですか? 中井厚司という者です。沙耶さんの、高校時分のクラスメイトです」
妙な距離を置いて会話が始まった。
「妹のクラスメイトなど、いちいち憶えていないよ」
邦夫のこたえはもっともだ。
「ご存知なくても事実です。加えて、沙耶さんは先日、彼の家で警察に拘束されました」
自分が通報しておいて、よくもぬけぬけと言えたものだ。私は感心すらした。
邦夫はまた黙り、我々を凝視する。
「その、なんで君の家に、沙耶がいっていたのかな」
邦夫の虚ろな目が私に向けられた。当然私が質問にこたえねばならない。しかし、私の喉と舌は縛り付けられたように動かなかった。
「沙耶さんが、彼を頼って訪れたんですよ」
今回も、御渦が代わりに説明してくれる。
「その、つまり、彼と沙耶は、親密な関係にあったのかい」
邦夫も私との会話に期待することを止め、相手を御渦のみに集中した。
「その辺は、お兄さんのご想像にお任せします」
御渦のこたえを聞いた瞬間から、邦夫の視線が私に突き刺さる。そして、私に視点を固定したまま、ゆっくりと近づきはじめた。彼との距離が縮まるにつれ、表情が読み取れるようになる。
氷のような目をしていた。
隙あらば、飛び掛ってきそうな勢いの目だ。
私は、生まれてはじめて『殺意』というものを身に受けているのだろう。手など触れていないのに、私は無意識のうちで二歩後づさっていた。
「で……、私に話したいことって、なんだね」
殺意を持続したまま、目の前にまで邦夫はやってきた。
やはり、沙耶の兄である。沙耶と同じように整った顔立ちをしていた。そして、御渦にこそ敵わないが、私から見たらすらりと伸びた、モデルのような長躯である。柔らかそうな髪の毛は控えめに脱色しており、緩いパーマがあてられていた。
そのとき、いつのまにか私の背後に回っていた御渦が、ドンと背中を押してきた。
「あの、沙耶さんは犯人ではありません。え、冤罪です」
背中を押された勢いで、私は自然に口を開いていた。
邦夫の表情から殺意が消え、代わって驚きの色が浮かび上がる。
「彼女、沙耶さんは、私の目の前で連行されました。そのとき、彼女は首を振ったんです」
邦夫の驚きの表情に困惑が混じる。
「彼女は無実です。冤罪です。私が、証明してみせます」
震える声であったが、はっきりと私は言い切った。
邦夫の顔は更に変化し、呆れ果てていた。
「おいおい、そんなことを言うためにやってきたのかい。君たち、よっぽど暇なのだね」
微笑むことなく、邦夫が言う。
「浅野さん。私たちはなにも、感情だけで動いているわけではありません。当然、ある根拠を元にこの事件を調査してるのです。申し遅れましたが、私、ジャーナリストの端くれでして、事件の関係者であるこの中井さんに協力してもらい、事件の真相を追っている次第です」
私と邦夫の間に割り込んできた御渦が、仰々しく名刺を差し出した。
邦夫は片手でその名刺を受け取ると、訝しげにみつめる。
「それで、『ある根拠』とはなんなのだね」
「それは言えません」
気後れすることなく、堂々と御渦はこたえた。そのとき、邦夫はようやく空気が抜けるような笑い声をあげたのだった。
「まあいいさ。そんなことはどうでもいい。話を進めてくれ、何で、君たちは、私に、会いにきたのか、これを説明しなさい」
医者という職業がそうさせているのか、有無を言わさぬ邦夫の命令だった。
「二つ三つ、質問にこたえていただきたいのです」
御渦が言うと、邦夫は腕組みし我々を睨みつける。
「時間がかかるかね」
「三十分で終わらせます」
「その質問に私がこたえることで、何がどうなるんだい」
「真犯人を捕まえることができます」
御渦が断言すると、邦夫の唇が左右に伸びたように見えた。そして中指で、眼鏡の中央を押し上げる。
「面白い人たちだな。いいよ、質問を受けようじゃないか。大切な妹が帰ってくるのなら、私も労を厭わない。だけど、ここじゃあ場所が悪い。私の家にいこう。その辺の喫茶店でできる話でもないだろうしね」
邦夫が車の鍵を取り出すと、私と御渦がもたれていたワーゲンの隣に止めてあるアウディの施錠が解かれる音が響いた。
「君たち、ここまでは電車かね?」
私は『電車です』とこたえたつもりだったが、実際に声は出ていなかった。ただ頷いただけの格好となっていた。
「なら乗りなさい。家までは車で、ここから二十分の距離だ」
御渦の動きは早く、邦夫とほぼ同時に助手席のドアを開けていた。邦夫は左側の運転席へ滑り込む。私も慌てて、御渦の後ろに転がり込んだ。
シルバーのアウディは重低音を放つエンジンを目覚めさせ、タイヤを鳴らせて走り出す。車はかなり改造されているようだ。特にマフラーから吐き出される排気音は酷い音だ。周囲の目が非難している。私だってこんな車が傍を走り抜けるときは眉をひそめるだろう。
邦夫の荒い運転で、車は北大路から加茂川に沿って南下して行く。私は、行き先を知っていた。京都市伏見区阿波橋町、その番地まで私は記憶している。そこが、浅野沙耶の家がある場所だ。




